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学会誌12号-第12回年次大会シンポジウム発表要(松井)

【シンポジウム:日本文学の中のジェンダー観 発表要旨】

田村俊子「木乃伊の口紅」の女

松井幸子

1. はじめに

男性作家の作品中で描かれた女性像と比べて、女流作家が作品中で描く女性像にはどのような特性がみられるか、その手がかりとして、田村俊子の「木乃伊の口紅」(大正2年4月 『中央公論』)「炮烙の刑」(大正3年4月『中央公論』)を通して、考えてみた。

上記の作品は、俊子の作品の中でも特に自伝的要素が濃い作品であり、俊子自身、実生活の中で、誰にも規制されずに、自分自身を前面に押し出そうとするとき、社会及び家庭において、摩擦が生ずる状況が描かれている。実体験に基づいており、俊子自身の女性としての在り方に対する思いをみることができる。女性はかくあるべきという、理念、規範とは別に、俊子の場合、その性差を逆にしたような点もあって、ジェンダーを考える場合、男女の立場を逆転させると、より鮮明にその性差の意識を浮かび上がらせてくれるからである。

2.田村俊子

田村俊子は明治17年(1884)東京蔵前に生まれ、第一高等女学校卒、日本女子大中退。夫・田村松魚とともに幸田露伴に師事、処女作は「露分衣」(明治36)。明治43年、大阪朝日新聞の懸賞小説に応募「あきらめ」が当選し、一躍文壇から注目され、樋口一葉の再来といわれた。「木乃伊の口紅」「炮烙の刑」等が代表作で、頽廃的、官能的ともいわれる作風に特徴があった。が、この後次第に創作力に衰えを見せ、大正7年、恋人の鈴木悦を追ってバンクーバーに住む。

悦の死後、昭和11年に帰国。「山道」等を発表、再度、作家活動を始めたが、かつての評価は戻らず、恋にも破れ、中国に渡り、上海で昭和20年に没した。

活躍の最盛期は、ほぼ、明治43年(1910)~大正5年(1916)であった。

3.「木乃伊の口紅」における夫婦が互いに語る相手の姿

主人公は、みのると義男の夫婦。二人とも小説家。

① 「みのるには雨に迷った小雀のように思われた。」
② 「僕には到底駄目な人間だね。僕にゃとても君を養ってゆく力はないよ」
③ 「義男は自分の見窄みすぼらしさをからかっている様な女の態度に反感を持って黙っていた。こんな場合にも自分だけは見窄らしい風はしまいという様に白粉くさい張り気を作って、自分の情緒を臙脂のように彩らせようとしている女の心持がいやであった。」
④ 「義男が自分の仕事に自分だけの価値を感じてるだけ、みのるも相応に自分の仕事に心を寄せているものと思っていた。それが急に冷淡な調子で、世間の侮蔑とその心の中を鳴り合せている様な余所余所よそよそしい態度を、みのるが見せたという事が義男には思いがけなかった。経済の苦しみに対する義男への軽薄な女の侮蔑が、こんなところにもその迸しりを見せたものとしきゃ義男には解されなかった。」
⑤ 「放縦な血を盛った重いこの女の身体が、この先き何十年と云う長い間を自分の脆弱な腕の先きに纏繞って暮らすのかと思うと、義男はたまらなかった」
⑥ 「義男の力が、みのるの今まで考えていた男と云うものゝ力の、層にしたならその一ひと層かいにも足りない事をみのるは知っていた。その頼りない男と力にいつまでも取り縋ってはいたくなかった。自分も何かしなければならないと云う取りつめた考えによく迫られた。」
⑦ 「自分の内臓を噛み挫ひしいでもやり度いほどの口惜しさばかりはあっても、みのるは何も為る事も出来なかった。みのるは矢っ張りこの力のない男の手で養ってもらわなければならなかった。」
⑧ 「今まで兎もすると眠りかけそうになったその目がはっきりと開いてきた。それと同時に義男というものは自分の心からまるで遠くなっていった。義男を相手にしない時が多くなった。義男が何を云っても自分は自分で彼方を向いてる時が多くなった。みのるを支配するものは義男ではなくなった。みのるを支配するものは初めてみのる自身の力によってきた。」
⑨ 「男を心から切り放して自分だけせっせとある段階を上って行こうとする女の後姿を、義男は時々眺めた。あの弱い女がこうしてだんだん強くなってゆく」
4.「炮烙の刑」にみる不倫の意識

妻龍子と青年宏三の情事を知った夫慶次との争いについて

⑩ 「昨夜一と晩じゅうの女のあの暴露の恥じ、懲罰的な侮辱――男は女を獣だと罵った。獣のように女を足蹴にした。そうして散々女を打った。」
⑪ 「あの青年を愛すのも、慶次を愛すのも、それは私の意志ではないか。私は決して悪いことをしてはいない。私は深く慶次を愛していた。」
⑫ 「私は彼男の怒りが和らぐように、自分の為たことを彼男に詫びるような事は決してしない。それは厭だ。私の為たことは、私の為たことだ。私は決して其れを罪悪だとは思わない。」
⑬ 「その行為を、私が慶次の前に懺悔をしなくてはならないという事はない。私は決してそんな事はしない。それは厭である。あの行為も、私の男へ対する愛も、みんな私のものである。何の為に私が慶次へ悔いの心を見せる必要があるのだろう。私はそれほどにしても慶次の心を求めようとは思わない。私はこの人を愛している。」「後悔せよというような事をこの人から強いられるのは侮蔑だと思う。私はいやだ。慶次から何も許してもらおうとは思わない。」
⑭ 「到底二たつの道を同時にいらっしゃる訳には行かない。どっちかを取らなければ。」「宏三は云いながら下を見て立っていた。龍子は停車場を出て行って柵のところからほうぼうを眺めていた。宏三に対する嫌悪の念が募って来て、彼女はたまらなくなったからであった。何故そんなに宏三が煩さく厭わしくなったのか彼女自身にもわからなかった。」
⑮ 「宏三が慶次に逢うと云ったその言葉から、ある僭越の意味の侮辱を感じて、心は不快に曇った。」

上記3.であげた「木乃伊の口紅」の主人公は、男に従順な女ではない。夫に養われながら、夫の経済力の弱さ、才能の乏しさをあざけっている女性である。自分自身の自由な世界をもつことを望みながら、一方では、男に養われて生きていることを当然とし、男にすがってしか生きる方法がないことを残念に思ってもいた。が、作家として認められ、経済力をもちはじめると、次第に男から支配されない自分自身を見つけてゆく。いわば、独立に目覚めてゆく女とそのために起こる男との摩擦が描かれているわけであるが、ここに見られる女性の姿は、従前の文学に描かれた女性像、すなわち、女であるがゆえに悲しく耐え忍ぶとか、貧しさの中で、自ら諦めるとか、無知なるがゆえに運命に流されてゆくとかといった当時の社会通念ともいった一般的な女性の生き方とは規を異にしている。

この点からいえば、「あきらめ」においても、脚本作家として独立した意識を自覚的にもち、周囲の女性の多くがもつ単純な女の感情にやりきれなさを感ずる女性が主人公となっている。

また、一個の独立した人間として生きることに対して、それを許そうとしない社会、女であるがために様々な拘束を受けることを題材とし、「木乃伊の口紅」と同種の自己の生活体験に材を得ている、上記4.に具体的な記述を掲げた「炮烙の刑」でも、人妻である女主人公と若い年下の男との恋愛において、女の主体的行動によってイニシャティヴがとられ、男の感情を恋に向けさせる技巧、魅力を誇示する女が描かれている。そして、夫と恋人の二人の男の間に立って、その両方に対してどちらにもすがろうとしないどころか、懺悔を強要されたことを侮辱と感じ、それぞれ女の愛を独占することを哀願する二人の男に哀れさを感ずるといった、自己の意志を中心に行動する女が描かれているのである。

5.男性作家の描く女性像

それでは、こういった能動的に一人の人間として生きようとする女性像が描かれているということが、近代文学の上でどんな意味を持っているのであろうか、それが、それまでの男性の作家が描いてきた女性像とどのように異なっているのであろうか。

そこで、まず、俊子とその夫田村松魚二人の共通の師匠であった幸田露伴の「風流仏」(明治22年9月 写実的手法とともに擬古典主義の代表的作品)について、その女性の描き方を眺めてみた。彫刻師珠運と花漬売りの娘お辰との恋を描いたもので、珠運の人間像には、恋する女への想いを芸術の上で完成させようとする男の意地、情念が浮き彫りにされており、男らしい男の姿の描出を作者は意図している。これに対し、お辰の母・室香については、夫が戊辰戦争に出征、行方不明となり、娘一人を残されて必死に生活と闘うことになるが、芸妓には戻らないで、音曲指南として色香を売らずに生計を立てようとする、行方の知れぬ男に操を立て清く生き、子を育てるという婦徳の実践者として描かれている。また、女主人公・お辰については、「器量美しく学問音曲のたしなみは無とも縫針暗からず、女の道自然と弁へておとなしく、殿御を大事にする……」女であるとする、こういった、男から見て一般的な女らしさを持つ性格として描かれている。その後、新政府で出世した父親に一方的に連れ去られてからのお辰の心情については、ただ珠運の夢中に少しあらわれ述べられているに過ぎず、ほとんどその意志をもたない、というか、引き裂かれた恋に対する自身の感情を表明することすら物語の中に必然性を認められない、一方的に男の宗教的崇拝の対象としての存在でしかない。
いわば作品全体の中では、生きた人間像というより添え物としての役割しか果たしていないのである。もちろん、露伴が男の世界を描く作家であり、男の側から見た男の恋、芸術への昇華のみごとさは論を俟たず認められるが、描かれた男性像、女性像に関する限り、あまりにも女性と男性の描き方に差がありすぎることを特徴とする。

このほか、女の悲劇を描いて大衆に最も広く共感を呼んだ作として有名な徳富蘆花の「不如帰」(明治31~32)がある。浪子を主人公として女の在り方を主要なテーマとして描いているという点で、先の「風流仏」における女性像とは異なっているが、浪子の生き方は、やはり運命に従順に生きる女として描かれている。

作中の一つの山は離婚であるが、結核に罹ったために姑に離婚されても、浪子は自分の意志で何一つ行動を起こそうとはしない。運命に従順に生きてゆく女で、最後死ぬ時、「 最早もう)婦人(おんな)なんぞに――生れはしませんよ」という悲痛な叫びを残すことに、自己の運命を呪う明治女性の人間的自覚のかすかな芽生えが見受けられるにすぎない。浪子の夫・川島武男も、母に逆らって積極的に浪子との生活を取り戻す努力はせず、家にあまり帰らないという消極的な形での抗議を示すところに、家族制度の中で対抗できぬ個人の弱さを男の側にも見ることができる。また、姑が武男の父の存命中はおとなしく何処に居るか分らぬ位であったのが、未亡人になってから急に家庭内で権力を持ち、自己の意志を表面に押し出すようになる女として描かれていることも、夫という束縛や羈絆をはずされた時に我の強さだけが出てくるという家族制度の下に生きる女の在り方を示唆している。

露伴は文学の師、蘆花は一般性がある、という点で例に挙げてみたが、何らかの形で俊子と文学的関わりを持つ作家という面でもう一人、俊子の支持者であり、推薦者であった徳田秋声の作品について記しておきたい。

徳田秋声の「新世帯」(明治41年10月16日~12月6日)は、「国民新聞」に連載され、その自然主義的作風を認められた作品で、近所の酒屋夫婦をモデルとしながら、自身の夫婦生活をそこに移入したものと考えられている。ここに出てくる新吉とお作の夫婦は、場末に小さな酒屋を開いており、新吉は結婚したばかりのお作に店のことを仕込もうとする。ところが、お作は「何の役にも立たなかつた。気立が優しいのと、起居が
(しとや)かなのと、物質上の欲望が少ないのと、唯其だけが此女の長所(とりえ)」であり、言われたことだけを真面目にただやるおとなしい気働きのない女で、夫に怒られてただおどおどするだけで自分から積極的に働きかけようとはしない。お産のため田舎へ帰っている間に、お国という女が入り込んできて主婦同然に我が物顔にふるまっても何一つ文句も言えない。心労のため流産してしまっても夫婦の間に気まずい雰囲気があっても、自己の意志を表さず黙々と生き、また身重になっていく女である。

こういった男に従順であり、社会的には無能な女、消極的受動的な形でしか生きられない女の在り方は、先に上 げた田村俊子の作品中に見られたものとは、本質的に異なっているのである。

以上、挙げた一聯の女性像は、明治に描かれたものであり、その意味で最も明治的な女性像と言えるものであるが、この他では二葉亭四迷の「浮雲」(明治20~22)のお勢、)島崎藤村の「若菜集」(明治30)に詠われた六人の処女や、その他浪漫主義の傾向の作品作家に多く見られる女性像にしても、男性側の自我解放、感情解放の能動性に対して女性の生き方在り方には主体的な意思が見受けられない。いわば男性の一方的な語りかけであり、恋愛感情によって自己解放を図ろうとする触媒としての存在にすぎない。森鷗外の「舞姫」(明治22)における豊太郎とエリスの描き方にも同様のことが言え、「雁」(明治44)ではお玉という女性を中心に描いてはいるが、高利貸の妾である自身の境涯にはかない抵抗をし、実ることのない大学生への憧れで自身の奥から突き上げてくるかすかな恋情を通して、自我の目覚め――自我の目覚めといえるかどうか――をわずかに慰める女でしかない。

また、「あきらめ」の選考にかかわった夏目漱石が誇り高く教養のある女性を真正面から主人公として描いた「草枕」(明治39)の那美さん、「虞美人草」明治40)の藤尾、「三四郎」(明治41)の美弥子とつづく女性の造型は、明治40年前後の当時としては異色であったが、新しい女性の在り方を示唆しながら、結局、藤尾の場合、自殺という形でしか終えられなかったのは、漱石にとって、藤尾のその後をどう生きさせるか、方向を見定めることができなかったのであろうと思われる。美禰子の場合でも、周囲と調和的でありながら外側をよろう知性と内面との葛藤相剋に苦しみながら、自ら選んだ平凡で安穏な結婚に逃げていくのである。

6.おわりに

これらの作品に対し、田村俊子の「あきらめ」「木乃伊の口紅」「炮烙の刑」の主人公のどれを見ても、他に支配されない、従属しない女を表現することに意を用いている点が特異な要素として取り上げられるのである。

それでは田村俊子の場合、どうしてこのような能動的な主人公を描くことが可能だったのであろうか、それは目覚めた女性の手によって描かれた女の姿であったことにその主因を見出すことができると思われる。ということは、男性の中に巣食う一般的なそれまでの女性観に制約されず、女の立場に立った女の内側からの自己主張であったということである。男性自身が自己の生き方の模索に懸命で、女性の在り方にまで目を注ぐ余裕すらなかったときに、自由に生きたいと願う女が、日常生活の中で直面する問題、多少でも自身の生き方を主張する場合に必然的に起こってくる周囲との摩擦等を、自身の問題として眺めてみたのであった。田村俊子の場合、視野を自己の周辺に限定し、自分を語るという方法を通して、描きだすことができたということであり、実生活においても、経済的精神的に自立できるという自信自覚が作中の人物にも強く反映しているのである。

加えて、能動的に生きようとする女が生まれる社会的基盤が生まれ始めていたことが挙げられよう。青鞜社の運動にもその徴表を見ることができるように、そして、文学中でも、先の秋声の作品に見られるように、まだ「新世帯」では見られなかった女のタイプが、「黴」(明治44)から「あらくれ」(大正4)に至って次第に変化を見せてくる。「あらくれ」には、お島という主人公に自己の意志で積極的に生きようとする女の姿が描出されている。

「あらくれ」のお島は養父母に気に入られるため一生懸命働いてみせる娘であったが、養親の決めた結婚相手を嫌って養家を飛び出し、自身の力で思うさま働き生きてみたいと思う。男を自分の目で選びとり、自分の手で男にしたいと思う、商売も自分の才覚ではじめ、自転車に乗って洋服の注文取りをして歩く能動性を持つ女であって、父親が世間普通の嫁として扱いたがるのを侮辱と感ずる女でもある。こうした女の描出は秋声が自然主義の作家であり、自己の周辺、現実に密着した作品に特色を持つ作家であったことから、現実の社会の動きの中にそういった能動的に生きる女性が出現し始めていたということになる。

以上、俊子の「木乃伊の口紅」中の女性像の能動的な性格について触れてみたが、この能動的な生き方をとる女性作家および作品の女性像は、やがて、宮本百合子の「伸子」(大正13~15)などに見られるように、自身の生き方を通して思想的知的な形で女の在り方を追求しようとするに至り、広く社会的思想的な広がりを持つところに辿り着くのである。

 
参考文献
・『田村俊子』瀬戸内晴美(寂聴)著 文芸春秋社1961 講談社文芸文庫
・『田村俊子とわたし』丸岡秀子著 中央公論社1973
・『作家の自伝87』長谷川啓編、解説 日本図書センター1999
・『田村俊子の世界 作品と言語空間の変容』山崎真紀子著 彩流社2005

(松井幸子 まついさちこ 三重大学名誉教授)

 
Copyright © 2001 The Society for Gender Studies in Japanese
All Rights Reserved.

 

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