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essay201204

【エッセイ】

Addressing in cross-cultural communication

--In response to Prof. Cao’s essay

Katsue A Reynolds

I am so glad that Prof. Cao has picked up the topic and spent his valuable time in sharing his keen observations about addressing with us. I am so very excited about the beginning of a discussion on an important aspect of language use that I am quickly responding to them.

Prof. Cao’s essay has two topics particularly interesting to me. One has to do with the complexity in the use of addressing in Japanese and the other has to do with cultural differences reflected in the use of kinship terms in addressing.
I would like to respond to them as (1) and (2) below.

(1)日本語の呼称問題、日本語ネイティヴにとってさえ「理解しにくいこと」が多々あると思います。「他の大学の研究者の前で自分の大学の学部長の教授に対して若い准教授が『さん呼び』をする」ということ。これは、上下関係のほかにいわゆる「内(うち)−外(そと)」の区別意識が関係しているのではないかと考えられます。自分自身と自分の大学の学部長教授は「内」、他の大学の関係者は「外」ですから、内側での上下関係よりも、外に対する配慮が優先する、と。 日本の会社の電話受付けの担当者が、外からの電話に答える時に「山田は、ただいま会議中でございます」のように、自分の上司(山田部長)を呼び捨てにするのがよいと言われますが、それも「内−外」の「わきまえ」ということでしょうか。そうするように教育されるとも聞きました。

さらに、「自分」と「自分の大学の学部長の教授」と二人だけの場面で話している場面でも、一様ではないかもしれませんね。もし二人が職場のシステムを通してのみつながっている関係であれば、単純な「上下関係」でしょうけれど、もし、かつて親しい同僚であった二人のうちの一人が最近昇格して「学部長」になったのであれば、相手呼称は微妙になるでしょう。私的な関係では対等感が決め手になるかもしれませんし、「公的な立場で話している」という意識が前面にある時は上下感がpriorityになるでしょう。英語では、役職名とかタイトルによる相手呼称はほとんどないと思いますが、学部長や学科長に言及する時に、普段通りに「ファースト・ネーム呼び」の場合と「タイトル呼び」の場合があって、とくにメール通信では、それがはっきり出てきます。

「上下関係」「内外の区別」「公的-私的」を基本にすると、だいたい説明がつくと思いますが、それにしても、日本語の呼称はややこしいですね。さらに、若い世代の日本人の人間関係意識が変化してきているようでもありますから、言語変化の「揺れ」も関わってくると思います。大学院生も参加している日本語研究の集まりで「先生呼び」をやめましょう、という提案もありましたが、行き渡らせることがとてもむずかしかったと記憶しています。

(2)kinship terms (親族名)を呼称に使うことについて、英語との比較で、日本語は「古いなー」とか「おかしいな」とか思うことが多かったのですが、これがベトナム語では日本語よりもっと一般的に現象していることがわかってきました。前にも書きましたが、最近知り合いになったベトナム人家族との英語会話で、親戚でもなんでもないバーバラやわたしがgrandmaと呼ばれて、ぎょっとしたという話です。若い時にピース・コーで鍛えられたバーバラは、彼らの面倒を見ているうちにそれを非欧米文化の面白い習慣として受け入れるようになっていたようです。

わたしは、バーバラのディナーで2度くらい同席しただけの知り合いだったのでとまどってしまいました。小学生の長男とその幼い妹たち二人も一緒の席でしたから、留学生である父親が子どもたちを会話に惹き込もうとしていた、子どもたちの目線でわたしたちに呼びかけたり、言及したりしていたとも考えられます。ベトナム文化においては家族のような親しみをこめた好意的な呼称習慣なのかもしれません。

わたしのクラスにベトナム出身の学生がいたので、聞いてみたら、親族名詞がきわめて幅広い範囲で呼称 (you, she/he) として使われるらしいことが確認できました。彼女は、今ベトナム語、日本語、英語を比較しながらアドレス・タームについてペーパーを書いています。

英語と日本語のように違いが大きい場合よりも、アジア地域内部での微妙な差異のほうが文化の違いとして感知しにくいこともあり、妙な誤解を招きやすいかもしれません。 また、これも前に述べましたが、クロス・カルチャーなコンテクストでの呼称innovation にジェンダーが絡んでいることも明らかです。たとえば、わたしたち女がAunty とか Mama とか呼ばれることが少なくない中で、その男性版は少ないです。

わたしが日本人学生から「かつえ先生」と呼ばれるのに、男性日本人教授が「としお先生」などと呼ばれるのを聞いたことがありません。呼称は、たぶん、グローバル化のなかで異文化間のミス・コミュニケーションが起りやすい領域なので、気が付いた時点で記録し合っていくことはいいことだと思います。

2012年4月

 

 

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