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essay200912

【エッセイ】

年末年始の男女役割分業

立松喜久子

私は夢想家だ。普通、人は未来の出来事について夢想するが、私は過去について夢想する。父の仕事の関係で、私は子供の頃あちこち引っ越して歩いたが、 その頃の家の間取りなどを詳細に思い出してみるのである。あの家は玄関を入ると、上がり框があって、そこに正月になると、 紫色の小座布団の上に黒の漆塗りの名刺入れ箱が置かれ、年賀の客で、上がり込んで迷惑をかけるのを好まぬ客は名刺だけをそこに入れて、帰ってしまったものだなどと、 家の間取りと一緒に古き時代を思い出すのである。家にはもちろん鍵などかけてなかった。玄関の戸は開いていたのかどうか定かでないが、 奥で談笑している主客の声が聞こえるのに、挨拶抜きで黙って名刺をおいて帰ってしまう客には、あら、あの方いらしたんだわというように残念なこともあり、 あの客と鉢合わせしなくてよかったということもありだったようである。大体、正月、年始にあちこち回って歩くのは男性と決まっていて、奥では料理を準備したり、 お燗をつけたり、女性は大忙しで接待することになっている。女正月の15日まで女性が客と一緒に飲んだり食べたりなどはしないのが当たり前だった。 長っ尻の客には二度も食事を出したりするのだから、これはまさに「サザエさん」の世界である。

冬を迎える頃の布団の綿入れは大仕事だ。恐ろしく綿埃をまきあげるので、部屋の家具にはすべて新聞や大風呂敷をかけ、手拭いを頭に、 マスクをした祖母や母のそばで、遊んでいるのはこの私だ。あっちへ行っていらっしゃいと何度言われようと、何故かあのくるりとひっくり返す瞬間は子供には魔法のようで、 なんと言われてもすぐ部屋に入り込んでしまったものだ。真綿を祖母と母が引っ張るのも遊びに見えるくらい、面白い仕事である。 ひっくり返して布団の形になった敷き布団、掛け布団は太い針で綿が動かぬように飾り止めをしていくのだが、 綿がまだ落ち着いていない布団は金太郎のお腹みたいにぶくぶく膨れていて、針がなかなか通らない。これがすむと、掻巻を人数分作るのだが、 そろそろ飽きてしまった私はあまりよく観察していなかったようだ。掻巻の手順はよく覚えていない。

そういえば母は古くなった着物をほどいて、丹念につなぎ合わせて掛け布団にしていた。ああいう布団はみんなどうしてしまったのだろう。 現在は羽根布団に取って代わられてしまった。大昔は、一枚の着物に綿を入れたり綿を抜いたりして、同じものを着たらしい。その証拠に、 「四月一日」と書いて、「わたぬき」さんと読ませる苗字がある。現在日本人は、春夏秋冬、それぞれにたくさんの衣類を持ち、綿を抜いて同じ着物を着た、 つい二百年前の日本人のことなど、どこの国の話かと思っているに違いない。全く、女性の仕事は限りなく多岐にわたっていた。今、そのような仕事をしない分、 女性が楽になっているかと言えば、子供の教育やら、自分の仕事やら、大変さは変わっていないのではないか。

2009年12月

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