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学会誌10号-第10回年次大会シンポジウム 発表要旨(原田)

【シンポジウム:ビジネスの中でのジェンダー観】

現代マスコミのジェンダー意識

原田 邦博

1.はじめに

日本の社会がいまだにそうであるように、日本のマスコミ界も、例外なく「男社会」である。いや、むしろ「究極の男社会」と表現したほうがいいのかもしれない。

マスコミ各社の経営自体が「男」の価値観で動いている以上、企業内部の運営はもちろん、その商品である「放送」や「新聞」の表現内容においても、同じような価値観が反映されて実施・制作されていることはいうまでもない。

どの社も一様に「男女共同参画社会」を謳ってはいるが、従業員の男女比を調べてみると、2008年現在、「男88%・女12%(NHK)」、「男86%・女14%(某全国紙)」など、一般企業以上に男女の比率がアンバランスであることがわかる。しかもこれは従業員の総数であり、事務職などを除いた取材制作現場の実数で比べると、おそらくどの社も「男9・女1」ぐらいの割合で、来る日も来る日も、新聞や放送番組の制作を行っているものと考えられる。

日本新聞協会の調べによると、加盟社(新聞・通信)の記者の数に占める女性の割合は、1998年には9.5%だったものが、2003年には11.5%、2008年には14.7%と改善しつつあるが、あくまで若年層での増加であり、まだまだ不十分であろう。

こうした背景を受けて、「男の価値観」が、多くの場合は「無意識」のうちに、場合によっては「意識的に」、テレビの画面や新聞紙面などに、しばしば顔を出す。

いくつかの実例を分析しながら、「マスコミのジェンダー意識」の現状を検証したい。

2.事例①「おしんを 嫁に 見せたいの」

これは昨年 (2008) 12月からNHKでスタートした「番組オンデマンド」、つまり「見逃した番組や過去の番組をインターネットなどで再び見ることができるシステム」をPRするポスターのキャッチコピーである。

コピーの横には眼鏡をかけた白髪の女性(いわゆる“姑”らしき女性)が立っている。

 画面のインパクトは強い(怖い?)が、コピーには表現上いくつかの問題がある。

  1. まず「嫁」ということばは、公式の文章では安易に使用すべきではないだろう。
  2. この「嫁」は明らかに「旧・家制度」の名残の、「役割」としての「嫁」を意味しており、日常の報道では使われない(避けるべき)用法であろう。
  3. さらに現代の若い女性に、戦前の「嫁」のようなあるべき姿(価値観)を押しつけているととられる可能性がある。
  4. テレビドラマの名作「おしん」が、単なる「嫁いびり」のドラマと誤解されるおそれもある。

聞くところによると、このポスターは担当の部局が大手広告代理店に直接発注した数点の一つだそうだが、公開にあたって放送局・広告会社のどちらにも問題意識はなかったもようである。

なお、この大型ポスター(幕)がJR渋谷駅頭に3か月間掲示されたが、字が小さく位置も高すぎたせいか、幸か不幸か、反応はほとんどなかったようだ。

3.事例②「女子アナ」

「女子アナ」という表現がマスコミでいつごろ使われ始めたのかは確認できていないが、せいぜい5年ぐらい前からであろうか。また「女子アナ」とは言うが「男子アナ」ということばはない。単に「女子アナウンサー」の略でもなさそうである。

「“男○○”がなくて“女○○”だけが存在することばは、まず疑ったほうがいい」というのは、ジェンダー表現研究の常道であるが、どうもこれもその一つのようである。

まずアナウンサーは「男性アナウンサー」と「女性アナウンサー」に分かれる。これは一般的な表現である。では「女子アナ」とはと言うと、「女性アナウンサーの一部を“特化”したグループ」とでもなるのだろうか。

その概念(イメージ)には、個人差はあるものの、①「若い」、②「かわいい」などのプラスの要素がある反面、③「ニュースが読めない」、④「頭カラッポ」など、マイナスの印象を持っている人も少なくないだろう。(※特定の“女子アナ”を連想しないように)

事実、昨年「女子アナ」を特集したある週刊誌がNHKに言及して、「NHKはニュースの読める女性アナウンサーを育成して・・・」のように記述していることもあり、逆説的に考えれば、「女子アナ」という表現は、今風に言うと、必ずしも「リスペクト」される存在ではなさそうだ。

また、ある民放のベテランアナが「女子アナの○○さんです」と紹介されて、「私が男に見えますか」と、やんわり皮肉を言ったというエピソードもあるそうで、「女子アナ」と呼ばれて不快に感じる女性アナウンサーも、年齢に関係なく、少なくないと聞いている。無批判に「女子アナ」を多用するのはいかがなものか、というのが偽らざるところだ。

ただ民放各社は、程度の差こそあるものの、「女子アナ」を「タレント」のような一種の商品として戦略的に売り出しているきらいがあり、経営判断として、しばらくは「女子アナ」というカテゴリーが利用され続ける可能性は高いだろう。

できれば「女子アナ」と呼ばれている皆さんには、現状に満足せず、ぜひ次のステップとして「(女性)アナウンサー」「(女性)ジャーナリスト」を目指してほしいものである。

なお同様の例に「女医」「女優」という表現がある。それらと比較検討するのも、ジェンダー表現研究の上で有益かもしれない。

4.事例③「女性○○」

もうだいぶ前になるが、川崎市の医師が、担当するぜんそくで意識不明の患者に「筋弛緩剤」を投与して死亡させるという事件があった。この医師は女性であった。

第1報で多くの新聞社や放送局が、「見出し」や「リード」の部分で、「川崎市で、女性医師が・・・」という表現を用いた。

報道が進むにつれて、「なぜリードで“女性”を付けなければならないのか」という疑問が現場で起こり始め、徐々に「主治医」「担当医」「医師」などと替わっていった。

「男の価値観」が充満しているマスコミ界のことである。もしこの事件の医師が男性だったらどうだったであろうか。

おそらく「川崎市で、医師が・・・」となり、「男性医師」とは言わないだろう。この医師が「女性」だったために、無意識に「女性医師が・・・」となったのである。

それを訂正したのは・・・。実は「女性」を最初に外したのは、民放の各局だった。

当時から、民放のニュースショーのキャスターは、多くが女性だった。しかし現場の取材記者や原稿を手直しするデスクは、どの社もほとんどが男性である。

リード部分の「女性医師」という表現は、複数の男性スタッフの目を通したものの、そのままで、修正されることは一度もなかっただろう。そしてニュース原稿が最終チェッカーでもある女性キャスターに渡った段階で、初めて「この表現はおかしい」となったのではないかと思われる。

言うまでもないが、この事件は「人の命を救うべき医師が患者を殺した」というのが全体像であり、その医師が男性か女性かは問題ではない。リード部分に「女性」を入れてしまうと、「男性ならやらないが、“女性”だからやった」のような誤った印象が付加されるおそれがあるのである。

一方、各新聞社やNHKは、しばらくの間リードで「女性医師」を使用した。おそらく一連のチェックの流れの中に、「女性の目」がなかったのではないかと推測される。

この事件の場合は、当初実名報道であったので、本文に入れば容疑者の医師の名前が出て、男性か女性かも明白になったため、「女性医師」という言い方自体がなじまない表現であった。名前以外、全部「医師」でも十分伝えることが可能であったのである。

なお、もし匿名報道にするのであれば、「女性(の)医師」「男性(の)医師」を1回程度使うことには何の問題もない。その場合でも、あとは「医師」で十分である。

一部には「女性であることは事実であり、“女性医師”の何が問題なのか」という、いかにも「男の価値観」にどっぷりつかった人もいるようだが、事実なら何を言ってもいいということには絶対にならないのである。

5.まとめ

上述のように「女性医師」を「主治医」や「担当医」と訂正させたのは、まさに女性たちである。しかしこれは数少ないケースで、現実には壁は厚い。

90%が男性という報道現場はまさに「究極の男社会」である。時代の推移とともに、男性のジェンダー意識にも変化は見られるが、なかなか前進はしない。よくある「女性の視点」ということばも、多分「男性が考えた“女性の視点”」なのであろう。

新聞・放送・雑誌各社が加盟している日本新聞協会のマスコミ倫理懇談会の全国大会でも、以前「ジェンダー問題」を2年続けて取り上げたが、積極的な討論というよりは、「女性が参加できるテーマ」のような、やや“ガス抜き”の要素も否定できなかった。しかも2回目にしても初めから考え方を説明し直すなど、議論を積み重ねることが難しいテーマであることを参加者の一人として実感した。

本来ならジェンダー問題の先頭に立つべきマスコミ界であるが、「男の価値観」は深く染みこんでいる。基本的には、従業員数9対1という男女比を可能なかぎり改善したうえで、意思決定や日々の判断に加わる女性たちが増えないかぎり、「ジェンダー問題」の理解と根本的な解決には結びつかないであろう。

最後に最新情報を付け加えると、2009年採用の新人記者のうち女性の割合は、日本新聞協会の調べで、産経48%、朝日・時事43%など、さらに増加の傾向にある。NHKでも採用総数の3分の1が女性で、記者では45%、ディレクターで43%と、新聞・通信各社と同様、取材制作現場で働く女性が年々増えつつある。

ただ10年後、20年後を見据えた場合、女性の職員を取り巻く状況が急激に変化するとは考えにくい。「全国規模の異動」「結婚」「出産」など、業務を継続して遂行しにくい要因は今後も減ることはないだろう。古い価値観と言ってしまえばそれまでだが、それらを乗り越えて、女性ジャーナリストたちが社会やマスコミの中心で、ごく当たり前に活躍する日が来るよう願うものである。そうなれば、数々の“女性○○”という表現自体も、遠い昔の「死語」になるのではないか。

付記

このシンポジウムが開催された1週間後の6月14日、障害者団体向けの郵便制度を悪用した事件で、不正があったとされた当時の担当課長だった厚生労働省の現役の局長が逮捕された。

この局長は「女性」であった。

この事件の報道で、多くの新聞社は「女性局長」という表現を使った。またある夕刊紙は見出しで「女局長」とした。NHKは「局長」のみであった。

このマスコミの扱いについて、シンポジウムに来場していた当学会のある会員からメールをいただいた。

「シンポジウムで聞いたことを思い出した。この場合、“女性局長”の“女性”は必要ない。“局長”で十分である」という趣旨であった。

まさにそのとおりである。

当時の担当課長だった現在の局長がたまたま「女性」だっただけで、「女性であること」は事件の本質とは何の関係もない。不正があったという仮定の上で、一部には「女性だったから(出世のため)無理をした」というような内容の報道もあったが、仮に課長が「男性」であっても、同様の処理をしたと考えるほうが自然だろう。

詰まるところ、キーワードは「メディアリテラシー」。

ジェンダー問題に限らず、メディアを正しく読み解く能力が、今、求められているのである。

(日本語ジェンダー学会評議員)


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