コンテンツへスキップ

essay201111

【エッセイ】

男と女は同じではない!

示村陽一

何回か大学の正門前のバス停で「腹減った!飯食いてぇー!」なる類の発言を女子学生が発するのを聞いたことがある。 「興ざめ」すること大である。男女平等思想はアメリカの女性解放運動の影響を受けて日本でもすっかり定着し、 少なくとも公的領域においては「男女差別」「男尊女卑」の考えは許容されるべきではないと考えられるようになった。 女性を差別する言葉もどんどん廃止され、「婦人」は「女子」に、「保母」は「保育士」に、「看護婦」は「看護師」となり、 「男女平等」は当然視されるようになった。男性が過去に不等に独占していた領域への女性の職業進出は進み、 「家からの解放」「男性からの自立」という女性解放という目標は達成された観もある。しかし女性解放は歓迎されるべきであろうが、 やみくもに全ての面で機械的形式的に「男女平等」になればいいというものでもないだろう。

男女の世界はボーダーレス化しており、男性の女性化、女性の男性化は近年さまざまな面で進行している。 特に言葉の面で顕著で、言葉の性差がなくなりつつあり、「男言葉」「女言葉」の距離はどんどん狭まるばかりであり、 「男女平等化」の道をまっしぐらということかもしれない。しかし、「男女平等化」の行き着く先は「女性の男性化」 「男性の女性化」ではないはずである。

「男言葉」「女言葉」の存在あるいは「男らしさ」「女らしさ」という概念も男女差別に基づいているという批判もあるが、 しかし男女は「平等」ではあるが、残念ながら「同じ」ではない。「助産婦」は「助産師」となったが、しかし男性の 「助産師」を希望する妊婦が多いとは思えないし、男性は生物学的に妊娠することは不可能なのだから「妊婦」は「妊師」 になることはないであろう。

男性と女性は社会的法的には対等な存在であるが、生物学的には異なる存在である。男性の特質、女性の特質を互いに認め、 尊重し合うのが本当の「男女共生社会」であって、何か何まで男女の違いをなくすことが「男女共生社会」ではないはずである。 また、実際の話「男」と「女」は人間としてさまざまな違いがあるから世の中が面白くなるのであって、男女が「同じになる」 ことは真に味気ない世の中になるだろう。

2011年11月

目次に戻る

Copyright © 2001 The Society for Gender Studies in Japanese All Rights Reserved.