【エッセイ】
<男は黙って>・・・孤立する
門倉正美
特別養護老人ホームで、女たちは結構親しくしているが、男たちは一人殻にこもっていることが多い。スポーツジムでも、 女たちがおしゃべりの花を咲かせているかたわらで、黙々とひとり泳いでいる男たちが目につく。
会社という擬似共同体を退いた男たちが、妻にへばりつく<ぬれ落ち葉>になったり、孤独をかこつことになりやすいのはなぜだろうか。 私には、それは、男たちが親密圏でのコミュニケーション力をさびつかせてきたことの報いのように思える。
よく言われるように、日本の高度経済成長は地域のコミュニティを崩壊させた。地域のコミュニティの崩壊は、男たちの地域での交流を途絶えさせ、 ひいては男たちの親密圏でのコミュニケーションの必要性を弱めていった。もちろん、 男たちも家族という親密圏におけるコミュニケーション力はあいかわらず必要だったのだが、<父の不在>が喧伝されるように、 男たちは、その面での努力も怠ってきたようだ。
かくして、職場を離れた男たちは、見知らぬ他者との関係を築くためのことばを失ってしまっている。孤立する多くの男たちの背景には、 現代社会において、男というジェンダーがいかに制限された言語コードしか使いこなせないでいるかが、透けて見えてこないだろうか。
女性学に叱咤激励されるようにして、ようやく少しずつ緒につきだした男性学(といっても、まだ少々心もとないが)だが、男性学の観点から、 こうした男のことばの拘束性や制約性を分析する論考は管見に入ってこない。『男性のことば・職場編』(現代日本語研究会編、ひつじ書房、2002年)や、 4月のエッセイで著者自身によって紹介されている『女と男の日本語辞典』(佐々木瑞枝著、 東京堂、2009年改訂)はあるが、孤立する男たちに肩入れする身からすれば、まだまだ解き明かされるべき領域が広範にあるように思えてならない。
2009年6月