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essay200907

【エッセイ】

大野晋先生

日置弘一郎

大野晋先生と最初にお目にかかったのは、京都にある国際日本文化研究センターの木曜セミナーで埴原和郎先生の日本人起源論(縄文人が渡来してきた弥生人に次第に日本列島の端の方に追いやられたという説)を聞いた後の帰りのバスであった。日本人起源論の最先端が聞きたくて、東京から来ましたとおっしゃっていたが、その時は東京の大野といいますとしかいわれなかったので、大野晋先生とは気づかなかった。

その次は比較文明学会機関誌(比較文明第九号1993)で書評を書いたら、その書評が面白かったと、岩波新書「新版日本語の起源」を送ってくださった。その後に、比較文明学会でお目にかかって、本をいただきました日置ですと名乗ったら、「思ったよりずいぶん若い人だね」といわれた。その時の学会で、佐々木瑞枝先生が比較文明学会での大野先生の研究会での報告をお願いし、 それが何回か連続しておこなわれ、大野先生の日本語タミル語起源説をかなり詳細に伺うことができた。

大野先生との最後の出合いは、昨年八月、ちょうど大野先生の八十九歳の誕生日であった。それからしばらくして大野先生はなくなったので、その時のビデオ映像がおそらく最後の姿だろう。大野先生は、京都大学の学者、例えば、河合隼雄先生や米山俊直先生とはずいぶん異なる雰囲気の学者であるが、先生の著書「日本語と私」(2003新潮文庫)を読んで、先生が生粋の江戸っ子で、深川の生まれであることを知り、なんとなく納得した。

残念なのは、日本語ジェンダー学会に来ていただけなかったことである。晩年の二三年は出歩かれる回数がめっきり減ってしまったが、一度は大野先生を会員の皆さんに見て貰い、学者のタイプとしてこのような雰囲気の先生がいるのだということを知って欲しかった。自分が学者になるときの経験からも、さまざまな学者、それも高い能力を持つ学者を見て、自分がどのようになるべきかを決めていくことが必要だろう。

2009年7月

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