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essay202204

【エッセイ】

翻訳から見たジェンダー、そして役割語

河崎みゆき

コロナ禍の2021年は日本語ジェンダー学会でも、オンラインで2月に研究会、11月に年次大会が開かれました。オンラインは世界をつなぎ、海外からのご参加もしやすく盛況でした。年次大会では研究発表以外に、「翻訳とジェンダー」をテーマにして、韓国語・英語・スペイン語・中国語の翻訳・研究に従事されている先生方のパネルディスカッションが行われました。
 
昨年は私も中国人作家・李娟(リー・ジュエン)の著作2冊の翻訳を出版し、私にとっても、翻訳とジェンダー・役割語は身近な問題でした。
 
10月に出版した(1冊目)『アルタイの片隅で』(インターブックス)は、作者李娟(リー・ジュエン)が20歳前後の頃に書いた短編集で、中国新疆ウイグル自治区アルタイ地域で雑貨店兼裁縫店を開いた作者たち一家と、遊牧民や動物たちとのふれあいが、ユーモアあふれた瑞々しい筆致で描かれています。幸いにも朝日新聞の書評にも取り上げていただき、様々な反響もいただきました。その中で、友人からもらった「はじめは作者が男性だと思い込んでいた」という感想は、「翻訳とジェンダー」を考える上で重要な指摘でした。

李娟は、いわゆる“女っぽさ”を強調するタイプではありません。この翻訳では、十代の口語的雰囲気は出そうと心がけつつ、「かしら」など女性的終助詞は、校正の段階でかなり間引きし、地の文では歯切れのよい「のだ」「ことだ」を使いました。

「あたし、うち」などの自称詞や、「かしら、のよ、のね、わよ、わね、(だ)わ、の」などの終助詞は日本語の代表的な「女ことば」として知られています。一方で、1990年代後半から、これらの使用が減少しているという指摘がたびたびされています。現実社会では「女ことば」は使われなくなってきているものの、友人のこの一言に、今でも「女ことば」など役割語を手掛かりに読み進める人は多いのではないかと感じました。
 
翻訳家の松岡和子さんは、25年をかけ、坪内逍遥、小田島雄志さんに続いて3人目としてシェイクスピア全集の完訳をされました。昨年、日経新聞の文芸欄で、「ことばのアップデートを試み」たが「必要以上の女性ことばは『演出』である」と考え、見直したことと語られていました。
 
11月の年次大会のパネルディスカッションを聞いていても、翻訳家たちはまったく無自覚に登場人物に「女ことば」をしゃべらせているのではなく、むしろ「戦略的」に選択し使用されていることがわかります。
基調講演者で、韓国語の小説などを数多く翻訳されている佐島顕子先生は、要旨集の中で「声の個性もイントネーションも聞こえず、表情変化も見えない小説会話文を訳す時は、その欠如を補うためにも役割語で言語資源を駆使し、情報を付加する必要がある」とお書きになっています。

次に去年12月に出したの2冊目の翻訳本、李娟の『冬牧場(ふゆまきば)』についてですが、これは李娟が30歳のとき、雑誌『人民文学』から依頼を受けて、あるカザフ族の遊牧民一家の「冬の牧場」の旅についていき生活した、3か月の体験をまとめたものです。中国国内に住む55の少数民族の一つ・カザフ族の暮らしや、生き方が描かれていて彼女の代表作となっています。中国政府の政策で「失われる遊牧生活の最後の姿」が記録されており、こちらも新聞や雑誌に取り上げていただきました。


私たちは、遊牧民の暮らしを読み、男女の役割分担があることを知ります。男たちは朝食を摂った後、夜まで飲まず食わずで、極寒の雪の荒野に羊を追い、暗くなってやっと凍え切った体をひきずるようにして地下の家に戻ってきます。雪と砂の無彩色の砂漠とは真逆に、羊の糞で固めた地下の家「地窝子(ティウォーズ)」は、色鮮やかなカザフ刺繍で飾られ、女たちが暖かいお茶やラグメンなどの夕食を用意して待っています。家の飾りつけや整理は若い娘の仕事です。

李娟(リー・ジュエン)も手伝いをしながら一家とともに暮らし、雪の中に羊を追う一家の長・ジーマや、寡黙なおばさん、二女、そして隣人たちをつぶさに観察します。この賢くて大酒飲みで無頼漢のジーマのことばを訳すときある種の「おっさんことば」はなくてはなりませんでした。たとえば、「わしらだって地下に住んでいるじゃないか」「もちろん、知ってるさ、昔一緒に放牧をしたことがあったからな…」「まだ若造じゃないか」などのように。 面白いと思うのが、李娟やおばさんの「女ことば」を多少差し引くことができても、おじさんことばがないと、この人物の描写はうまくいかないということです。

翻訳家たちは、原作に立ち現れる登場人物のそれぞれの人物像や相関関係・物語の設定などを吟味し言語資源としての役割語、そしてその役割語の中の一つとしての男女ことばを、まるで絵の具箱から絵具を選んで混ぜ合わせるように人物たちを着色し描きだしていきます。

老若男女、職業、動物…と豊富な言語資源としての役割語がいつまで生き延びるかは誰にもわかりません。しかし、現実の話しことばとすぐさま同調させなくてはならないのか。少なくともそれは、言語学がきめることではなさそうです。ことばは生き物であり、アップデートされていきます。役割語もアップデートされていくでしょう。ただ色の濃度や傾向が変わったとしても、そういう絵の具である言語資源を利用して文芸の創造をするのは、作家もそうであるし、翻訳者たちもそうです。そしておそらく読者もその色合いを読み取り解読していくという読書がこれからも続いていくのではないでしょうか。

2022年4月2日

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