【エッセイ】
スペイン語に見る名詞のジェンダー昨今
高木 香世子
マドリードの冬は突然やって来て突然消えて行くという感覚が何年住んでいてもある。
夏の到来も同じように驚きが毎年繰り返されて、知ってはいるもののいつも急に暑さが増して、夏用の洋服をあわてて引っ張り出してくるようなことも一度ではない。
一体スペイン人の感覚にはこういった驚きの要素を何とも思わず超えていけるような強靭さがあると感じているのは私だけではないのではないだろうか。このエッセーのテーマからいえば、言語政策にもそうした行き過ぎや突然の決断があるように思う。
つい最近まで八年間続いた社会党政権の一つの大きなスローガンの一つに「性別一蹴」があり、政府の要職にも女性を抜擢することを模範とする政策が次々と取られていった。
これは歴史的に虐げられてきたジェンダーという意識からすれば、政府閣僚も大使職も女性の数の割当を設定するという保償に近い決定に対して拍手を持って迎えた人々は多かったはずである。ところが、実際に任命された政治家の履歴や上に立つ者としての実力を問うてみると、はたして首をかしげざるを得ない状況も多く見られたのは事実だろう。
その一つの例は、男女平等省という新たしい省が設置されてその大臣には20代のこれまで全くといって際立った政治経験のない若い女性が任命されるという決断である。この若き大臣はいくつかの社会論争を引き起こして得意満面としていたようだったが、その一つに名詞のジェンダーの問題があった。
これ以前にも、例えば兄弟という名詞は、「あなたのご兄弟は?」と言った場合、日本語でも男の兄、弟で全ての兄弟姉妹を意味する約束になっているわけだが、スペイン語でも同じことが起こる。兄弟にあたる hermanos はたとえ女の姉妹がその中にいてもこれを含むことができるわけだ。
反対に hermanas と言えば、女性の姉妹だけで、男性の兄や弟を含むことはできない。従ってこれは差別であるという意識から、女性の姉妹がある場合はこれをはっきりと女性名詞で表現するべきだということが言われて来た。私の周辺の大学でも、同僚へメールを打つ時、profesoras y profesores, compañeras y compañeros, と明記しないと差別をしていることになるという風潮になって来た。
但し字数が増えて面倒なこともあり、この頃は @ マークを使用して compañer@s や amig@s といったメールや手紙が多く届くようになった。そうした状況の中の話であるが、新大臣いわく、メンバーに当たるスペイン語のMiembro は Miembro と Miembra に分けて表現するべきだと発言。勿論、王立言語アカデミー発行のスペイン語辞書 (RAE) にはこの言葉は認められていないわけで、これには多くの反対が飛び交い、議論は果てしない行き過ぎにまで達する様相であった。
元来スペイン語には、男性名詞、女性名詞、そして中性名詞がある。これらは語源的な文化的な過去を背負って現在に至っているわけで、昨今のジェンダー意識の高揚から、
新たな変化の傾向が見られては来ているのだが、一政府の政策でこれを大幅に変更しようというところが一般人の反感を買ったという結果であっただろう。
前述の辞書を参考にいくつか例を挙げると、語尾が L で終わる職務の場合cónsul(領事)には cónsula はない。しかし、Z で終わる言葉 juez(判事)には jueza(女性判事)があるという具合で、ちまちである。
現在のところ規則や法則を作るようなことにはほど遠い状況であることは確かであろう。しかも、スペイン語の場合には主語が男性か女性かで形容詞もこれに合致していなくてはいけないので、問題は名詞のみにとどまらなくなるわけである。
一方で宛先となる、あるいは呼ばれる本人がどのように受け止めるかという問題もあるのだが、名前に対する「親愛なる」という表現にあたる Querido/ Querida に間違いがある場合は、ほとんどの人が「私は男性じゃありません。」「僕は男性ですから Querida は困ります。」と言うのが通常だろう。
私自身、名前が –ko で終わることから、良く男性としての扱いで手紙が届くことがある。あまり関係の無い方面からの書類の場合はそのままにしておくことが多いのだが、
今後連絡をし合わなければならない場合は、やはり「失礼ですが私は女性です。」と一言ことわらざるを得ない。それだけ性別は個人のアイデンティティーと密着しているということを感じるわけだが、果たしてこれが職業やタイトルにまで同じように移行するかどうかには、未だいくつかの段階がありそうである。
スペイン語の現状に付いてこれまで述べたが、日本語の名詞には性別がないから問題が少ないのではないかということも、前例の「兄弟」で見るように事実ではない。特に封建制度の長かった国ではこうした問題が多いのは当然であろう。これからも、時代の傾向によって言語政策は動き、突然の変化に驚かされることも多いのかと思う。
2012年1月