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要旨:17号

 


日本語とジェンダー 第17号
論文・講演の要旨(一部)


【第17回年次大会 基調講演 要旨】
「女性美」を拓く後宮  -------- p.1
藤本宗利(杏林大学)

「清少納言」という個性を、どう思われるであろう。 そのことに関して、小学館の新編日本古典文学全集『枕草子』の月報の中で、作家の田辺聖子氏は興味深い指摘をしている。氏が小説『むかし・あけぼの』を執筆していた70年代半ばのころ、世間に広く流通していたのは、圧倒的に清少納言嫌悪の論であり、中には氏が首をかしげたくなる程に、ヒステリックな論調のものもあったというのである。

そういう冷評の一典型として、藤岡作太郎氏の『国文学全史平安朝篇』(平凡社・昭和49年所収) 「枕草紙」の論に注目してみよう。『多くの記事は自讃に充ちて、清少納言が麟慢の性を表わせり。その自讃は概ね己が学識に関し、その艶容麗色に誇るが如きことは、殆ど見るべからず。一一中略一一藤原斉信、同行成は才貌抜群の殿上人、またただなる中にもあらねど、かれらが少納言を愛するは、その学識をめずるものにして、その容貌を愛するにあらず」。要するに、清少納言は醜女であったがために、才学を誇るしかなかったというのである。

【第17回年次大会 シンポジウム:文化テキストとジェンダー 要旨】
「語る女」の文体と「近代」――清水紫琴の「こわれ指環」をめぐって -------- p.3
斎藤理香(ウェスタンミシガン大学)

「近代」化は、それと対立する「前近代」を生み出し、社会のあらゆる分野における「ジェンダー」化をうながした。この場合のジェンダー化とは、江戸時代から明治時代にかけて社会構造が変革され、士農工商の身分制度が崩壊し、建前の「平等」が浸透しつつある世の中において、新たな秩序が台頭してきた、ということをさしている。さらに言うと、女性が「国民国家 nation state」の一員となりながらも、男性とは区別され、二線級の地位に甘んじなければならなかったことを意味している。

ジェンダー化の影響から逃れられなかったのは、日本語の文字と文体、主題やその描写法の近代化によって成立した「近代日本文学」もまた例外ではない。まず近代以降、「国民国家」固有の文字は音声文字であるひらがなであるとされ、そのひらがなを使った平安文学が、古典として持ち上げられた。学者たちは、「日本文学史」を書き、「近代日本文学」が古代の『万葉集』や『源氏物語』という古典文学の伝統をもち、それを継承するものであることを証明しようとしたが、彼らは、ひらがなを媒体とした平安文学が、女性作者によって書かれたゆえに、その身にまとうこととなった女性性 femininityを排除することに腐心した。また、同時代の文学には音声文字と話しことばを主体とした文体である言文一致体を求め、作家も、近代的な文体を完成させるための試行錯誤を繰り返した。この近代日本文学成立のプロセスから、女性(作家)は基本的に締め出されてしまった。

ジェンダーの視点から読む『不思議の国のアリス』― 大人の女性と少女の描かれ方-------- p.5
夏目康子(青山学院大学)

ルイス・キャロル作『不思議の国のアリス』(1865) には、子どもの登場人物はアリスしかいない。他の登場人物は大人の人間か、動物たちである。主要な女性の登場人物は、ハートのクイーンと公爵夫人である。本発表では、7歳のアリスとこの2人の成人女性の描かれ方に注目し、特に成人女性が本文と挿絵でどのように描写されているのかを検討した。

主人公であるアリスのモデルは、作者ルイス・キャロルが数学講師として勤めていたオックスフォード大学クライスト・チャーチの学寮長の次女アリス・リデルである。批評家マージョリー・N・アレンは、アリスの描かれ方について、「アリスはジェンダーを超えている。作品において、アリスは救出を待つヒロインというよりも、問題解決を自分で行う女性版ヒーローのようである。キャロルは、一般的に女性のものとされるステレオタイプの特質をアリスには与えなかった。すなわち、弱さ、辛抱強さ、臆病、従属などである。アリスは自信に満ち、責任感があり、思いやりがあり、分別があり、問題解決能力がある」(1999: 39)と述べている。アリスは、物語の中で決して後戻りすることはない。困難に出会っても常に前進していく。他者からアドバイスをもらうことはあるが、同行するものはなく、一人で進んでいく。この作品が発表されたのが1860年代であることを考えると、このような自立した少女像は画期的なものであった。

おとぎ話の転覆とフェミニズム童話 -------- p.7
谷口秀子(九州大学)

『シンデレラ』や『白雪姫』などをはじめとする西洋のおとぎ話のヒロインの多くには共通した特徴がある。若くて美しいヒロインの多くは、主体性と行動力に乏しい女性であるが、そのことが結果としてヒロインを幸せに導くこととなる。多くの場合、ヒロインは、たとえば継母などの他の女性の悪意のあるひどい仕打ちによって苦境に陥るが、ヒロインはただ健気に耐えるのみで、自らの力で苦しい状況からの脱出を試みることはなく、「理想的な」男性(その多くは王子である)の出現によって苦境から救われ、幸せになる。改めて言うまでもなく、その幸せとは助けてくれた男性との結婚であり、「そして二人はずっと幸せに暮らしました」という言葉とともに多くのおとぎ話は終わる。

数多くのおとぎ話において、このような気立てが良く従順で受け身の女性と彼女を救い出す行動的で頼もしい男性という組み合わせ、および、女性を善と悪(聖女と魔女)の両極に分けて対立させる二項対立的な構図などが見られる。このようなジェンダー・ステレオタイプは、おとぎ話が成立した時代の家父長制的な社会の価値観を反映したものと考えられているが、現代でも親しまれているおとぎ話の中に取り込まれ、繰り返し語り伝えられることにより、因習的なジェンダーを再生産する装置となっている。

【第17回年次大会 研究発表 要旨】
「ことばによる暴力」にみる大学生の恋愛とジェンダー ------- p.8
長安めぐみ ・ 小林 陽子 (群馬大学)

若者は「恋愛に不活発」(渡辺2010)と指摘される。一方で、「依存的な愛」(ニッキャーシー 2000)にみられるような「恋人が誰かほかの人と楽しくやっているのではないかと考えるだけで自分がみじめになる」等の思いから、パートナーとの適正な距離が取りにくくなり、その結果「親密なパートナーの暴力(Intimate Partner Violence: IPV)」に至る危険がある。内閣府の調査(2014)では、交際相手から10~20 歳代に受けた「心理的攻撃」は15.2%であり、この攻撃において「ことばによる暴力」は重要なファクターである。「ことばによる暴力」は、高圧的な言葉や態度から始まる暴力のことをさすが、単に「高圧的な」ばかりではなく、相手の落ち度を責める「愚痴」や貶めるような「悪口」であったりする。これらは、些細な一言が度重なり、攻撃の「ことば」に変容していくと思われる。その点では、身体的な暴力がエスカレートして重篤な命に係わる暴力に至る様相と重なっている。

本発表では「ことばによる暴力」に着目し、パートナー間のコミュニケーション(態度等非言語を含む)に潜む加害・被害の意識を読み解くために、以下の2点について検討した。 若者の恋愛とパートナーとの安全な距離  ----中略---- IPVにおける「ことばによる暴力」

日本語会話に見られるフィラー使用の男女差 -------- p.10
葛欣燕( 九州大学大学院博士後期課程 )

1. 研究背景

これまで、言語とジェンダーの関係についての研究では、男性はより直接的で、情報伝達を重視する話し方をする一方、女性はより間接的で、対人関係を重んじる話し方を選択していると言われている。Lakoff(1975)は、女言葉にはぼかし表現、ためらい表現、付加疑問文などがよく使われるという傾向があることから、女言葉が男言葉より間接的かつ丁寧であると指摘した。本研究では、自然会話に頻繁に現れる「あの」「ええ」「なんか」「まあ」などの無意味語の使用にはこのような男女差があるかどうかを検証した。近年、これらの無意味語はフィラーとして扱われている。山根(2002)、小出(2009)を参照しながら、本研究では、フィラーを以下のように定義する。フィラーとは、「多くは感動詞、指示詞、副詞に由来する、命題内容が希薄であり、意味的には発話全体に影響を及ぼさず、構造的にも統語的に制限されない表現」である。

2. 先行研究及び研究目的

従来の研究では、男女差を「地位の差」「文化差」「役割の差」から捉えている。Lakoff(1975)は、男女が異なった言葉遣いをするのは 女性が従属的社会地位に属するためであると指摘している。Tannen(1990)は男女差を文化の視点から捉える。つまり、女性は相手との関係というメタメッセージを重要だとみなすのに対し、男性は他人の知らない情報を知っていることを重視している、と述べている。また井出(2006)は、女性が男性より丁寧な言語表現を使用するのは地位の差ではなく、役割の差によると主張した。 本研究では、インタビュー番組(『徹子の部屋』)と20代大学生の雑談のデータを対象とし、フォーマルな場面とインフォーマルな場面に分け、「フィラー使用」の男女差について量的分析及び質的分析を行う。

英語の「man」と日本語の「マン」-------- p.12
原田邦博( 元NHK主査/フリージャーナリスト )

英語を公用語とするアメリカにおいては、PC(ポリティカルコレクトネス)という考え方に基づき、職業名などにおいては「男性」を意味する「man」を、男女共通である「person」などに置き換える表現が定着してきている。

この流れは日本にも広がりつつあるが、すでに「○○マン」という様々な言い方が日本語として浸透していたことから、「○○パーソン」という表現の使用頻度は必ずしも高いとは言えない。 正確な調査は行われていないが、ネット上の出現数を参考にすると、比較的定着していると思われることばに「キーパーソン」がある。従来の「キーマン」とほぼ同程度に使用されているが、その背景には「女性の社会進出」があると考えられ、女性に対して「キーマン」という表現はふさわしくないと感じる日本人が増えているためではないかと思われる。

一方、「議長」などを意味する「チェアマン」に対応する「チェアパーソン」という言い方はあまり使われていない。その立場に立つ女性が、日本ではまだ少ないためであろうか。

【寄稿論文 要旨】
他人の配偶者の新呼称を探るアンケート調査 ―「ご主人」「奥さん」から「夫さん」「妻さん」への移行の可能性-  -------- p.13
水本光美(北九州市立大学)

配偶者の呼称に関するアンケート調査に基づいた代表的な先行研究は、大方が自身の配偶者を言及する場合のものであり、他人の配偶者を言及する場合の研究は極めて少ない。本研究では、先行研究の調査結果と独自に実施したアンケート調査結果を比較分析し、自身の配偶者の呼称に関しては、旧来の「主人・家内」より「夫・妻」を用いる人の方が多くなってきたことを報告する。また、今までなされていない他人の配偶者の呼称に関する調査結果から、ジェンダー・ニュートラル(gender neutral)な「パートナー」や「(お)連れ合い」は、文脈によっては誰のことを言及しているのか理解しがたい面があることがデータによって明らかにされた。

それに反し、新呼称「夫さん・妻さん」は馴染みのない表現である故、その語を使う違和感があることは明らかになったが、意味理解に関する誤解は生じないため、現実的にネット上では多くの使用例が見られる。その将来的可能性は大いに期待出来るだろう。

キーワード 配偶者の呼称、他人の配偶者、ご主人、奥さん、夫さん、妻さん

1. はじめに
1.1 「ご主人」「奥さん」の代替語 90年代初頭にアメリカの大学で日本語を教えていた頃、学生から出る代表的な質問の一つに配偶者の呼称があった。日本語では一般的に、自身の配偶者を「主人」「家内」と呼び、他人の配偶者を「ご主人」「奥さん」などと呼ぶことに関し、女性蔑視の“差別表現”であるとの批判的質問であった。それから30年近く経た現在、日本社会における配偶者の呼び方は、どれほど変化したのだろうか。

【書評 要旨】
『ジェンダーから見た日本語教科書一日本女性像の昨日・今日・明日ー』(水本光美、大学教育出版、2015 年)-------- p.15
小川早百合(日本女子大学 )

『ジェンダーからみた日本語教科書』という端的なタイトルの著作であるが、内容は、ジェンダーをテーマとして、日本語の女ことばの使用についての考察を軸としたものだが、それ以上に、外国語教育の在り方、日本の女性像、日本社会の現状にまで切り込み、データ分析を駆使しそれを論拠として、客観性を高く保持しながら論を展開する著作である。多様な視点と考察が満載の同書は「読み得」な1冊と言ってよいものであろう。 内容の骨子は、以下のような4部構成、全8章と序・終章から成っている。----- 中略 ------ ここで見てわかるように、女ことばの現状、日本語教科書での女ことばの扱われ方から、教科書の在り方へと論が展開されている。これらの中から、いくつか特徴的なことを挙げてみたい。

まず第1に、同書の主要な趣旨からははずれるが、類書には見られない「面白い」視点としては、女ことばを「消滅することば」として位置付けて扱っていることである。消滅することばを外国人学習者が学ぶ必要はなさそうなものである。しかし、消滅するから学ばなくてもよい、とは言い切ってはいない。「消滅した」のではなく「消滅する」(「消滅しつつある」)ことばをどう取り扱って教えていくかという問題提起をしているのではないだろうか。それは筆者の意図するところとは異なるかもしれないが、興味深い問題提起であることは確かである。同書の中では、女ことばを明示的に「消滅することば」とする視点で正面から取り扱ってはいないが、「女ことばの消滅をことさら研究するのか」という疑問を持つ人に対して、いくつかの視点からの回答が述べられている。

『談話資料 日常生活のことば』(現代日本語研究会編、ひつじ書房、2016年) -------- p.22
因 京子( 日本赤十字九州国際看護大学 )

現代日本語研究会によって『談話資料 日常生活のことば』がひつじ書房から刊行された。1997年以来同研究会が進めてきた「自然談話資料収集とその分析例の提示」という意欲的な活動の成果を公表する著作の四番目にあたる。第一作は、日本語研究に少しでも関心のある者なら誰でも知っている『女性のことば・職場編』で、これが斯界に与えた衝撃の大きさは今後もずっと記憶され続けることだろう。それまで言語教育の場で当たり前のように教えられてきた「日本語の話し言葉に現れる男女差」、特に、女性的語尾などの「女ことば」の使用が、少なくとも資料が収集された職場においてはこれほど少ないという実態を示され、まさかと思った人も、そうではないだろうかと感じていた人も、関心の薄かった人も、一様に、「実際の言語使用を収集し、虚心坦懐に眺めてみること」の重要性を改めて思い知らされたのである。

筆者は、『談話資料 日常生活のことば』の紹介をするという栄誉あるお役目を頂いたのであるが、一層パワーを増した本書の目的や特徴については、高橋美奈子氏(琉球大学)の手になる簡にして要を得た見事な記述が巻頭に収められている。そこで、屋上屋を架す愚を避け、頂いた紙幅をありがたく利用して、言語研究と言語教育に携わってきた一人として率直な感想を述べ、現代日本語研究会の貢献への感謝のしるしとしたい。

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