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要旨:17号, 16号.

第16号学会誌要旨はこちら


日本語とジェンダー 第17号
論文・講演の要旨(一部)


【第17回年次大会 基調講演 要旨】
「女性美」を拓く後宮  -------- p.1
藤本宗利(杏林大学)

「清少納言」という個性を、どう思われるであろう。 そのことに関して、小学館の新編日本古典文学全集『枕草子』の月報の中で、作家の田辺聖子氏は興味深い指摘をしている。氏が小説『むかし・あけぼの』を執筆していた70年代半ばのころ、世間に広く流通していたのは、圧倒的に清少納言嫌悪の論であり、中には氏が首をかしげたくなる程に、ヒステリックな論調のものもあったというのである。

そういう冷評の一典型として、藤岡作太郎氏の『国文学全史平安朝篇』(平凡社・昭和49年所収) 「枕草紙」の論に注目してみよう。『多くの記事は自讃に充ちて、清少納言が麟慢の性を表わせり。その自讃は概ね己が学識に関し、その艶容麗色に誇るが如きことは、殆ど見るべからず。一一中略一一藤原斉信、同行成は才貌抜群の殿上人、またただなる中にもあらねど、かれらが少納言を愛するは、その学識をめずるものにして、その容貌を愛するにあらず」。要するに、清少納言は醜女であったがために、才学を誇るしかなかったというのである。

【第17回年次大会 シンポジウム:文化テキストとジェンダー 要旨】
「語る女」の文体と「近代」――清水紫琴の「こわれ指環」をめぐって -------- p.3
斎藤理香(ウェスタンミシガン大学)

「近代」化は、それと対立する「前近代」を生み出し、社会のあらゆる分野における「ジェンダー」化をうながした。この場合のジェンダー化とは、江戸時代から明治時代にかけて社会構造が変革され、士農工商の身分制度が崩壊し、建前の「平等」が浸透しつつある世の中において、新たな秩序が台頭してきた、ということをさしている。さらに言うと、女性が「国民国家 nation state」の一員となりながらも、男性とは区別され、二線級の地位に甘んじなければならなかったことを意味している。

ジェンダー化の影響から逃れられなかったのは、日本語の文字と文体、主題やその描写法の近代化によって成立した「近代日本文学」もまた例外ではない。まず近代以降、「国民国家」固有の文字は音声文字であるひらがなであるとされ、そのひらがなを使った平安文学が、古典として持ち上げられた。学者たちは、「日本文学史」を書き、「近代日本文学」が古代の『万葉集』や『源氏物語』という古典文学の伝統をもち、それを継承するものであることを証明しようとしたが、彼らは、ひらがなを媒体とした平安文学が、女性作者によって書かれたゆえに、その身にまとうこととなった女性性 femininityを排除することに腐心した。また、同時代の文学には音声文字と話しことばを主体とした文体である言文一致体を求め、作家も、近代的な文体を完成させるための試行錯誤を繰り返した。この近代日本文学成立のプロセスから、女性(作家)は基本的に締め出されてしまった。

ジェンダーの視点から読む『不思議の国のアリス』― 大人の女性と少女の描かれ方-------- p.5
夏目康子(青山学院大学)

ルイス・キャロル作『不思議の国のアリス』(1865) には、子どもの登場人物はアリスしかいない。他の登場人物は大人の人間か、動物たちである。主要な女性の登場人物は、ハートのクイーンと公爵夫人である。本発表では、7歳のアリスとこの2人の成人女性の描かれ方に注目し、特に成人女性が本文と挿絵でどのように描写されているのかを検討した。

主人公であるアリスのモデルは、作者ルイス・キャロルが数学講師として勤めていたオックスフォード大学クライスト・チャーチの学寮長の次女アリス・リデルである。批評家マージョリー・N・アレンは、アリスの描かれ方について、「アリスはジェンダーを超えている。作品において、アリスは救出を待つヒロインというよりも、問題解決を自分で行う女性版ヒーローのようである。キャロルは、一般的に女性のものとされるステレオタイプの特質をアリスには与えなかった。すなわち、弱さ、辛抱強さ、臆病、従属などである。アリスは自信に満ち、責任感があり、思いやりがあり、分別があり、問題解決能力がある」(1999: 39)と述べている。アリスは、物語の中で決して後戻りすることはない。困難に出会っても常に前進していく。他者からアドバイスをもらうことはあるが、同行するものはなく、一人で進んでいく。この作品が発表されたのが1860年代であることを考えると、このような自立した少女像は画期的なものであった。

おとぎ話の転覆とフェミニズム童話 -------- p.7
谷口秀子(九州大学)

『シンデレラ』や『白雪姫』などをはじめとする西洋のおとぎ話のヒロインの多くには共通した特徴がある。若くて美しいヒロインの多くは、主体性と行動力に乏しい女性であるが、そのことが結果としてヒロインを幸せに導くこととなる。多くの場合、ヒロインは、たとえば継母などの他の女性の悪意のあるひどい仕打ちによって苦境に陥るが、ヒロインはただ健気に耐えるのみで、自らの力で苦しい状況からの脱出を試みることはなく、「理想的な」男性(その多くは王子である)の出現によって苦境から救われ、幸せになる。改めて言うまでもなく、その幸せとは助けてくれた男性との結婚であり、「そして二人はずっと幸せに暮らしました」という言葉とともに多くのおとぎ話は終わる。

数多くのおとぎ話において、このような気立てが良く従順で受け身の女性と彼女を救い出す行動的で頼もしい男性という組み合わせ、および、女性を善と悪(聖女と魔女)の両極に分けて対立させる二項対立的な構図などが見られる。このようなジェンダー・ステレオタイプは、おとぎ話が成立した時代の家父長制的な社会の価値観を反映したものと考えられているが、現代でも親しまれているおとぎ話の中に取り込まれ、繰り返し語り伝えられることにより、因習的なジェンダーを再生産する装置となっている。

【第17回年次大会 研究発表 要旨】
「ことばによる暴力」にみる大学生の恋愛とジェンダー ------- p.8
長安めぐみ ・ 小林 陽子 (群馬大学)

若者は「恋愛に不活発」(渡辺2010)と指摘される。一方で、「依存的な愛」(ニッキャーシー 2000)にみられるような「恋人が誰かほかの人と楽しくやっているのではないかと考えるだけで自分がみじめになる」等の思いから、パートナーとの適正な距離が取りにくくなり、その結果「親密なパートナーの暴力(Intimate Partner Violence: IPV)」に至る危険がある。内閣府の調査(2014)では、交際相手から10~20 歳代に受けた「心理的攻撃」は15.2%であり、この攻撃において「ことばによる暴力」は重要なファクターである。「ことばによる暴力」は、高圧的な言葉や態度から始まる暴力のことをさすが、単に「高圧的な」ばかりではなく、相手の落ち度を責める「愚痴」や貶めるような「悪口」であったりする。これらは、些細な一言が度重なり、攻撃の「ことば」に変容していくと思われる。その点では、身体的な暴力がエスカレートして重篤な命に係わる暴力に至る様相と重なっている。

本発表では「ことばによる暴力」に着目し、パートナー間のコミュニケーション(態度等非言語を含む)に潜む加害・被害の意識を読み解くために、以下の2点について検討した。 若者の恋愛とパートナーとの安全な距離  ----中略---- IPVにおける「ことばによる暴力」

日本語会話に見られるフィラー使用の男女差 -------- p.10
葛欣燕( 九州大学大学院博士後期課程 )

1. 研究背景

これまで、言語とジェンダーの関係についての研究では、男性はより直接的で、情報伝達を重視する話し方をする一方、女性はより間接的で、対人関係を重んじる話し方を選択していると言われている。Lakoff(1975)は、女言葉にはぼかし表現、ためらい表現、付加疑問文などがよく使われるという傾向があることから、女言葉が男言葉より間接的かつ丁寧であると指摘した。本研究では、自然会話に頻繁に現れる「あの」「ええ」「なんか」「まあ」などの無意味語の使用にはこのような男女差があるかどうかを検証した。近年、これらの無意味語はフィラーとして扱われている。山根(2002)、小出(2009)を参照しながら、本研究では、フィラーを以下のように定義する。フィラーとは、「多くは感動詞、指示詞、副詞に由来する、命題内容が希薄であり、意味的には発話全体に影響を及ぼさず、構造的にも統語的に制限されない表現」である。

2. 先行研究及び研究目的

従来の研究では、男女差を「地位の差」「文化差」「役割の差」から捉えている。Lakoff(1975)は、男女が異なった言葉遣いをするのは 女性が従属的社会地位に属するためであると指摘している。Tannen(1990)は男女差を文化の視点から捉える。つまり、女性は相手との関係というメタメッセージを重要だとみなすのに対し、男性は他人の知らない情報を知っていることを重視している、と述べている。また井出(2006)は、女性が男性より丁寧な言語表現を使用するのは地位の差ではなく、役割の差によると主張した。 本研究では、インタビュー番組(『徹子の部屋』)と20代大学生の雑談のデータを対象とし、フォーマルな場面とインフォーマルな場面に分け、「フィラー使用」の男女差について量的分析及び質的分析を行う。

英語の「man」と日本語の「マン」-------- p.12
原田邦博( 元NHK主査/フリージャーナリスト )

英語を公用語とするアメリカにおいては、PC(ポリティカルコレクトネス)という考え方に基づき、職業名などにおいては「男性」を意味する「man」を、男女共通である「person」などに置き換える表現が定着してきている。

この流れは日本にも広がりつつあるが、すでに「○○マン」という様々な言い方が日本語として浸透していたことから、「○○パーソン」という表現の使用頻度は必ずしも高いとは言えない。 正確な調査は行われていないが、ネット上の出現数を参考にすると、比較的定着していると思われることばに「キーパーソン」がある。従来の「キーマン」とほぼ同程度に使用されているが、その背景には「女性の社会進出」があると考えられ、女性に対して「キーマン」という表現はふさわしくないと感じる日本人が増えているためではないかと思われる。

一方、「議長」などを意味する「チェアマン」に対応する「チェアパーソン」という言い方はあまり使われていない。その立場に立つ女性が、日本ではまだ少ないためであろうか。

【寄稿論文 要旨】
他人の配偶者の新呼称を探るアンケート調査 ―「ご主人」「奥さん」から「夫さん」「妻さん」への移行の可能性-  -------- p.13
水本光美(北九州市立大学)

配偶者の呼称に関するアンケート調査に基づいた代表的な先行研究は、大方が自身の配偶者を言及する場合のものであり、他人の配偶者を言及する場合の研究は極めて少ない。本研究では、先行研究の調査結果と独自に実施したアンケート調査結果を比較分析し、自身の配偶者の呼称に関しては、旧来の「主人・家内」より「夫・妻」を用いる人の方が多くなってきたことを報告する。また、今までなされていない他人の配偶者の呼称に関する調査結果から、ジェンダー・ニュートラル(gender neutral)な「パートナー」や「(お)連れ合い」は、文脈によっては誰のことを言及しているのか理解しがたい面があることがデータによって明らかにされた。

それに反し、新呼称「夫さん・妻さん」は馴染みのない表現である故、その語を使う違和感があることは明らかになったが、意味理解に関する誤解は生じないため、現実的にネット上では多くの使用例が見られる。その将来的可能性は大いに期待出来るだろう。

キーワード 配偶者の呼称、他人の配偶者、ご主人、奥さん、夫さん、妻さん

1. はじめに
1.1 「ご主人」「奥さん」の代替語 90年代初頭にアメリカの大学で日本語を教えていた頃、学生から出る代表的な質問の一つに配偶者の呼称があった。日本語では一般的に、自身の配偶者を「主人」「家内」と呼び、他人の配偶者を「ご主人」「奥さん」などと呼ぶことに関し、女性蔑視の“差別表現”であるとの批判的質問であった。それから30年近く経た現在、日本社会における配偶者の呼び方は、どれほど変化したのだろうか。

【書評 要旨】
『ジェンダーから見た日本館教科書一日本女性像の昨日・今日・明日ー』(水本光美、大学教育出版、2015 年)-------- p.15
小川早百合(日本女子大学 )

『ジェンダーからみた日本語教科書』という端的なタイトルの著作であるが、内容は、ジェンダーをテーマとして、日本語の女ことばの使用についての考察を軸としたものだが、それ以上に、外国語教育の在り方、日本の女性像、日本社会の現状にまで切り込み、データ分析を駆使しそれを論拠として、客観性を高く保持しながら論を展開する著作である。多様な視点と考察が満載の同書は「読み得」な1冊と言ってよいものであろう。 内容の骨子は、以下のような4部構成、全8章と序・終章から成っている。----- 中略 ------ ここで見てわかるように、女ことばの現状、日本語教科書での女ことばの扱われ方から、教科書の在り方へと論が展開されている。これらの中から、いくつか特徴的なことを挙げてみたい。

まず第1に、同書の主要な趣旨からははずれるが、類書には見られない「面白い」視点としては、女ことばを「消滅することば」として位置付けて扱っていることである。消滅することばを外国人学習者が学ぶ必要はなさそうなものである。しかし、消滅するから学ばなくてもよい、とは言い切ってはいない。「消滅した」のではなく「消滅する」(「消滅しつつある」)ことばをどう取り扱って教えていくかという問題提起をしているのではないだろうか。それは筆者の意図するところとは異なるかもしれないが、興味深い問題提起であることは確かである。同書の中では、女ことばを明示的に「消滅することば」とする視点で正面から取り扱ってはいないが、「女ことばの消滅をことさら研究するのか」という疑問を持つ人に対して、いくつかの視点からの回答が述べられている。

『談話資料 日常生活のことば』(現代日本語研究会編、ひつじ書房、2016年) -------- p.22
因 京子( 日本赤十字九州国際看護大学 )

現代日本語研究会によって『談話資料 日常生活のことば』がひつじ書房から刊行された。1997年以来同研究会が進めてきた「自然談話資料収集とその分析例の提示」という意欲的な活動の成果を公表する著作の四番目にあたる。第一作は、日本語研究に少しでも関心のある者なら誰でも知っている『女性のことば・職場編』で、これが斯界に与えた衝撃の大きさは今後もずっと記憶され続けることだろう。それまで言語教育の場で当たり前のように教えられてきた「日本語の話し言葉に現れる男女差」、特に、女性的語尾などの「女ことば」の使用が、少なくとも資料が収集された職場においてはこれほど少ないという実態を示され、まさかと思った人も、そうではないだろうかと感じていた人も、関心の薄かった人も、一様に、「実際の言語使用を収集し、虚心坦懐に眺めてみること」の重要性を改めて思い知らされたのである。

筆者は、『談話資料 日常生活のことば』の紹介をするという栄誉あるお役目を頂いたのであるが、一層パワーを増した本書の目的や特徴については、高橋美奈子氏(琉球大学)の手になる簡にして要を得た見事な記述が巻頭に収められている。そこで、屋上屋を架す愚を避け、頂いた紙幅をありがたく利用して、言語研究と言語教育に携わってきた一人として率直な感想を述べ、現代日本語研究会の貢献への感謝のしるしとしたい。

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日本語とジェンダー 第16号
論文・講演の要旨(一部)


【第16回年次大会 基調講演 概略】
ミンゾク学で解くジェンダー社会ニホン -------- p.1
中牧弘允(国立民族学博物館)

1. はじめに (ア) ミンゾク学:民族学、民俗学 (イ) ニホン:「外国」との区別を意識させる「日本」を相対化・希薄化 (ウ) ジェンダー:gender consciousな縄文研究は希有

2. 縄文時代のジェンダー社会 (ア) 縄文時代の人びと ① ツチグモ、クズ、クマソ、コシ、エミシ(ヒラ、ヒナ、シナ、アイヌ)、キ(紀伊、隠岐、壱岐、伯耆、安芸、讃岐など)、アマ(宗像、住吉、隼人)⇒ヒナザカル(越の枕詞)、アマザカル(鄙の枕詞)⇒クニツカミ ② 血縁社会(clan、氏族、ハラカラ)>地縁社会(ムラ) 1. 妻問いと土産 2. 生んだ子供は自分の子→土偶は元母(上田篤) 「わが子はすべてよい子」(河合隼雄のいう母性原理) cf.「よい子だけがわが子」(河合隼雄のいう父性原理)

3. 男は大動物狩り(グレート・ハンティング)で憂さ晴らし オオクニヌシの抱きかかえた「赤いイノシシ」=焼いた大石(上田)

4. イザナミは火の神を生んで死に、黄泉比良坂の奥の黄泉の国に帰還→ヒラ(族)の奥のエミシの国(上田) (イ) 火の神 (ウ) 日の神 (エ)母系制社会? (オ) 縄文ファッション (カ) 比較:アマゾンのマディハ(民族)社会、とくに女性の集団的喧嘩   3. 縄文遺制 (以下省略)

【 第16回年次大会 シンポジウム:海外交流の中でのジェンダーの諸相 要旨】
ジェンダーと文化――日本の場合の渡海女性 -------- p.3
日置 弘一郎 (京都大学)

女性の渡海で近代以前の日本の場合はもっとも多かったのは奴隷としての渡海であるといえる。この点に気づいたのは、奴隷論を考える必要が生じたことにある。その必要は、「サービス原論」という講義を担当することになり、サービスの語源が奴隷にあるとする議論に対応する必要に迫られたことにある。確かに、サービスの語源は奴隷(slave)と同根であるが、逆に現在の奴隷についての認識が非常に固定的であることも指摘する必要がある。つまり、現在の奴隷の理解は、主としてアメリカの黒人奴隷の制度を想定したものであることによる理解の歪みが存在する。

実は、アメリカの奴隷制は世界史の中での奴隷からは、非常に例外的な制度である。一般的な奴隷制の議論は非常に少なく、アメリカの黒人奴隷が極めて異質であることを知らずに奴隷制の一般化が行われているケースが多い。アメリカの奴隷制が異質であるのは、近代の所有制度成立以降に制度化されている点にある。近代所有制度は基本的には財産処分権の確立であり、自分のものであれば好きにしてよいことを認めることを特徴としている。自分の財産でありながら、壊しても捨ててもよいという自由処分に制約を付けることは現在でも例外的であり、例えば、指定美術品や貨幣などを壊したり、改変することは禁じられている。原則は自由に処分してよいということになっている。

奴隷を自由に処分できるということは家畜と同様に、殺したり、あるいは家族を解体して、それぞれ商品として販売することが可能であることを意味している。このような処分が認められている奴隷制度は極めて例外的である。アメリカの制度が例外的であることを主張するという文献もほとんど存在しない。奴隷についての研究は非常に少ないという印象を受ける。奴隷の一般的理解はいまだに成立していない。(以下省略)

火の女神と、神になった男――女性陶工の生き方を通して -------- p.5
朴正一(国際日本文化研究センター

文化の伝播とその受容は、戦乱によることが多い。16世紀、豊臣軍の大名達は朝鮮女性の中で茶道、工芸、料理、裁縫にたけた人々を大勢連れ帰って来た。その中に、後の日本陶磁器産業に大きな影響を与えた女性陶工がいた。

慶尚南道の金海から福岡武雄の領主・後藤伯耆守象信が金宗伝夫婦を連れ帰り、武雄町に内田窯を開かせ、現在では有名な黒牟田焼きとなったのだが、金宗傳の夫人は優れた陶工であった。夫の没後、夫人は九百数十名の陶工集団を養い、やがては有田焼の礎となり、百婆仙と呼ばれた。火の芸術でもある陶磁器の焼成に、横架式ゼーゲルで窯の温度を測る技術を既に会得していて、安定した陶磁器生産をすることができた。現在、百婆仙は武雄市内田町報恩寺に眠っている。

一方、同じく渡来した李参平、後の金ヶ江三兵衛には、この技術はなかったが、泉山の磁石の発見の功などで、有田の陶山神社に神として祭られた。

日本では生前功績が大きいと、神社に祭られることがあるが、朝鮮時代の官窯であった分院で、女性の沙器匠は稀であった。因みに、高麗媼という女性陶工などもいたが、男性優位の職域環境の中で、劣悪な境遇を克服した百婆仙のような女性は稀有な存在であり、女性の能力の高さを表している。

文化交流において卓越した業績を残した3人のハンガリー人女性の生き方 -------- p.6
Judit Hidasi(ブダペスト商科大学)

ヨーロッパという文脈において国際交流史を紐解いてみると、それは常に教育や科学、職人の技能、芸術の一部をなしていたと思われる。国際交流活動を行う理由は、多層的である。その後ろに隠れている、交流に駆り立てる衝動は、すなわち知識を増やし、スキルを磨きたいという欲求である。学者や医者、弁護士になるために外国で行うインターンシップや技能研修、その方法や条件は世代を通じて大きく変わってきたとはいえ、ヨーロッパ人にとって目新しいものではない。職業目的での移動は、長い間、男性の特権であり続けてきたことは驚くに当たらない。女性は、子育てと家事の責任を負い、あまり移動はしなかった。強い社会的伝統により、長い間、一般に女性が一人旅をしたり、家から離れることは許されなかった。

いくつかの例外がある。国際交流という文脈で目覚しい生き方をした3人のハンガリー人女性について紹介したい。

中国語吹き替え日本映画『追捕』(『君よ憤怒の河を渉れ』)について――ジェンダーの視点から -------- p.8
呉保華(上海交通大学)

『君よ憤怒の河を渉れ』(以下『君よ』と略す)は、1976年に公開された151分の映画である。1978年に中国大陸で一般公開された折には約42分ものシーンがカットされ、109分ぐらいの中国語吹き替え版『追捕』(中国語タイトル)となった。カットされたシーンの約3分の2は映画全体の流れからみれば鑑賞に支障が生じない程度のものであり、後の3分の1は、当時どうしても削除しなければならない「中国の国情にふさわしくない」内容とシーンであった。内容は別として、今現在の観客から見れば、『君よ』における「中国の国情にふさわしくない」映像はせいぜい2、3分ぐらいのものでしかなかったのである。

『追捕』の出演者紹介の部分に映し出されている出演者のリストは次の表のとおりである。 この表だけを見ても日本人の観客はキャストが名優揃いなのでかなり豪華な印象を持っただろうが、中国人の一般観客にはその豪華さがほとんど分からなかった(今でも分からないかもしれない)。当時の中国では、上記の出演者の本名よりも『追捕』中の「杜丘」「真由美」「矢村」といった役名の方がよく知られ、またその人物像に至ってはディテールに至る部分まで良く認知されていた。(以下省略)

【第16回年次大会 研究発表 要旨】
ビジネスでの対人関係における距離設定のための言語手段――敬語や女性語を中心に -------- p.11
陳朝陽(湖北第二師範学院外国語学院)

 「留学生30万人計画」は、2020年を目途に日本への30万人の留学生受入れを目指すものである。日本語教育はますます重要な課題になっている。経済産業省と文部科学省は「アジア人財資金構想」という人材育成プログラムを2007年から2013年3月まで行っており、レベルの高いディスカッション力を養成するビジネス日本語教育が要請されている。各大学では、留学生へのビジネス日本語の指導や日本企業への就職支援が強化されつつある。しかし、入社後に役立つビジネス日本語、特に敬語などの待遇表現がいかにビジネスに影響しているのかについては、その基準があまり明確になっていない。中国人留学生の多くは敬語を正しく使うことに強い憧れを持っているし、敬語の学習にも熱心であるが、敬語の使用能力は不十分である。本研究は、ビジネスに有用か否かの視点から日本企業における中国人従業員の敬語回避や女性語の使用状況を考察した上で、日本語教育においてどのように中国人留学生に敬語や女性語を教えるべきかを考えるものである。

【2015年 文化と越境とジェンダー国際シンポジウムin上海 基調講演 要旨】
日本語の和語・漢語・外来語から考える:文化の越境とジェンダー -------- p.13
佐々木瑞枝(武蔵野大学名誉教授)

1. 和語と漢語の違い

一昨日の件、再度の検討が必要です。(漢語が主体)
おといのことですが、もう一度話し合った方がいいと思います。(和語が主体)

上の二つの文の違いについて公的か、私的か、話し手のジェンダーは、などの点について考えてみよう。

2. 和語  古来より話し言葉として日本語の中に存在していた。漢字で書く場合は訓読みする。『日本霊異記』(成立は5世紀後半から822年)の上巻28に「倭語」「倭」が出現する。
・9世紀には、外国語と対立するワゴという概念が存在したことになる。人々は「和語」を使って会話し、大事な約束事や社会的なルールも和語によってなされていた。
・本居宣長は「源氏物語玉のおぐし」の中で、『竹取物語』が物語の祖であることについて、次のように述べている。「この竹取や、はじめなりけむ」(『竹取物語』は和語で書かれている)。
・『竹取物語』が書かれた当時は、公的文字としては漢字漢文が使われていた。特に男性の知識階級は口語表現とは異なるこれらの漢文を使っていた。

3. 漢語  呉音・漢音・唐音など、中国から日本に入って来た時代によって読み方に違いはあるが、(中国から入って来た)言葉で音読みする言葉。
・「17条憲法第一条」 以和為貴。無忤為宗。人皆有黨。 亦少達者。是以或不順君父。乍違于隣里。 然上和下睦。諧於論事。則事理自通。何事不成。
一に曰(い)わく、和を以(も)って貴(とうと)しとなし、忤(さから)うこと無きを宗(むね)とせよ。 人みな党あり、また達(さと)れるもの少なし。ここをもって、あるいは君父(くんぷ)に順(したが)わず、また隣里(りんり)に違(たが)う。しかれども、上(かみ)和(やわら)ぎ下(しも)睦(むつ)びて、事を論(あげつら)うに諧(かな)うときは、すなわち事理おのずから通ず。何事か成らざらん。

漢語は口語としては同音異義語が多く、口で伝えるには不向きである。口語としては和語が圧倒的に力があり、また漢語が公的な文書として用いられる時代にあっても、和語は『万葉集』「祝詞」『古事記』『風土記』などに用いられている。

【2015年 文化と越境とジェンダー国際シンポジウムin上海 研究発表 要旨】
現代若者の自然会話における終助詞使用の男女差――日中使用実態比較調査より-------- p.16
 宇佐美まゆみ(東京外国語大学)

 本研究は、若い世代の日本語母語話者と中国人日本語学習者の終助詞使用を男女差の観点から分析・考察するものである。現代若者の話しことばにおける男女差については、様々な観点から研究されてきたが、日本語母語話者と日本語学習者との対照研究は、まだ少ない。本研究では、従来、男女差が顕著に表われ、「女らしさ」を出すことに大きな役割を果たす要素の一つとされてきた「終助詞」の使用を、日本語母語話者と中国人学習者の実際の「会話データ」に基づいて分析した。

その結果、日本語母語話者の男女の終助詞使用については、あまり違いがなかったのに対して、中国人学習者の終助詞使用における男女差は、日本語母語話者より顕著であった。中国人学習者のほうが日本語の男女差を肯定的に受け入れ、その運用志向も高いこという報告もある(谷部2003)。今後は、これらが、中国において使用されている日本語教科書や指導のあり方の影響かどうかと、今後、どのような教育がなされるべきかについて、検討していく必要があるだろう。

小学校外国語活動教材におけるジェンダー描写 -------- p.17
渡部孝子(群馬大学)

1.はじめに

日本の喫緊の教育課題の一つとして挙げられているのが、グローバル人材の育成である。「グローバル人材とは何か」と論じる場で、必ずキーワードとなるのが英語力である。長い議論を経た後、中央教育審議会による「社会や経済のグローバル化が急速に進展し、異なる文化の共存や持続可能な発展に向けて国際協力が求められるとともに、人材育成面での国際競争も加速していることから、学校教育において外国語活動を充実することが重要な課題となっている」という答申を受け、2011年に小学校における外国語(英語)活動が必修となった。

日本が育成しようとしている「グローバル人材」は、外国語コミュニケーション能力だけではなく、「異なる文化を理解し、異文化の良さを活かす」能力、そして「職業人」としての能力を備えている人材である(Yonezawa 2010)。小学校外国語活動が必修化され、今後我々が目指すべきは、子どもたちが将来、国内外、いかなる場所で働こうとも多文化状況に適応できる、あるいは堪えうる力が持てるように導くことではないだろうか。さらに、グローバル人材となる職業人の育成という観点からも、学校教育現場において、キャリア選択の可能性を狭めないための教育的配慮がこれまで以上に必要となってくるだろう。新設された小学校外国語活動の教材には、キャリア意識形成に影響するかもしれない性別役割分業や職業に関する描写や言語表現はどのように存在するのだろうか。

子どもの本とジェンダー表象――近年の絵本を中心に -------- p.19
谷口秀子(九州大学)

絵本やアニメを通して世界中で親しまれている『シンデレラ』や『白雪姫』をはじめとするおとぎ話の多くに、因襲的な女性像・男性像やステレオタイプ的な性役割が見られることはすでに周知のことである。Colette Dowlingは、The Cinderella Complex: Women's Hidden Fear of Independence(1981)において、幼少時に接する因襲的なおとぎ話のジェンダーの刷り込みが、成人後も女性を意識の根底で支配し依存願望を植え付けているとして、幼い時に子どもに繰り返し与えられるおとぎ話に潜むジェンダーの影響力の大きさを訴えている。

伝統的なおとぎ話に限らず、現代の子ども向けの作品においても、以前ほど露骨な例は少なくなったとは言え、いまだに因襲的な女性像・男性像とステレオタイプ的な性役割などのジェンダーが見られることも、事実である。そして、Dowlingが指摘したおとぎ話の場合と同様、そのようなジェンダーを含んだ絵本や読み物などが、まだ十分な知識と批判能力を備えていない幼い子どもたちに因襲的なジェンダーを刷り込み、ジェンダーを再生産する可能性は、少なくない。その意味で、幼い子ども向けの作品におけるジェンダー表象は、きわめて重要な問題であると言えよう。

本発表では、近年の子どもの絵本などを対象に、作品に見られる女性像・男性像、および性役割や性別役割分業などを中心としたジェンダー表象について考察した。そして、そのようなジェンダー表象が、作品の受け手である子どもに対して発する隠れたメッセージやその影響についても論じた。

マンガ作品における女性ジェンダー表現の教育利用に向けて――「現実」とのずれを前提に-------- p.20
因京子(日本赤十字九州国際看護大学)

1.はじめに

本発表では、マンガ作品をはじめ、大衆文化作品におけるジェンダー表現使用頻度が現実と必ずしも同じでないことを前提に、その表現としての可能性を利用している使用法と固定観念への単なる言及と考えられる使用法とがあることを、2011年より連載されている学園漫画『銀の匙』と「学習漫画作品」とを例に用いて示し、教育においてマンガ作品を利用するための方法について考察した。

2.女性ジェンダー標示表現の示すもの

前提として、女性ジェンダー標示表現の使用が示す意味は一様ではないことを確認しておきたい。現実の使用においてもそうであるが、特に作品中の女性ジェンダー標示表現の意味は、作品中の使用・不使用を左右する要因が何であるかによって異なる。

女性ジェンダーを標示する表現は、しばしば、「やさしさ、上品さ、たおやかさ」などの可憐でか弱い性質を持つ人物を描く表現として用いられると考えられており、マンガ作品の中に、そうした解釈を想定していると思われる用例がしばしば観察できるのは確かである。しかし一方、マスコミに登場する高圧的な態度で知られる女性タレントやトランスジェンダーの人々の用法にも一脈通じる、自己の優越性を誇示する態度と極めて強く結びついている用例も多い。丁寧度の高い女性ジェンダー標示表現を常用する女性・俗っぽさの混じる女性ジェンダー標示表現を使用する人物・女性ジェンダー標示表現を全く使用しない人物を明白に描き分け、ジェンダー標示表現を使用する人物に特定の価値を与えている作品がある一方、ある文脈要因を前提に特定の効果を意図して使用している例も見られる。

【学会誌第16号 研究発表 要旨】
ジェンダーの立場から見た『源氏物語』の嫉妬の表現――「ねた」を語幹とする言葉の分析を中心に -------- p.23
黄建香(上海交通大学)

本稿では『源氏物語』において「ねた」語類の感情をもつ主体として男女差があるかどうかについて調べた。その結果、本来、女性の、夫の多情に甚だしい怒りを覚える心情を表す「ねた」語類は『源氏物語』では男性主体に多用され、女性主体の用例は男性の用例の四分の一に過ぎず、女性の使用は慎重ではありながら、男性より多彩で複雑な様相を呈していることがわかった。同語類の評価的意味について、男女の用例はともにプラス表現、中立表現、マイナス表現の三つに分類できるが、男性の登場人物の用例は中立の意味合いに偏り、女性の用例数は男性に比べて少ないものの、マイナスイメージが目立っている。また、男性の場合、同語類は会話と心話に多く用いられ、女性の場合、ほとんど地の文に用いられている。「ねた」語類の使用が女性の主体に、さらに女性の会話と心話において少ないのは、作者が女性に負の属性を付与するのを控える心理が働いているからなのではないかと考える。

【学会誌第16号 研究ノート 要旨】
日本語の性差に関するロシア人日本語学習者の意識調査報告――翻訳文の自称詞と文末詞に注目して -------- p.34
宿利由希子(神戸大学後期博士課程/カリュジノワ マリーナ(ノボシビルスク国立教育大学)/大内将史(ノボシビルスク国立工科大学)/プーリク イリーナ/ミロノワ リュドミラ/シモノワ エレーナ/ノヴィコワ オリガ

本調査では、ロシア語を母語とする日本語学習者(以後、ロシア人日本語学習者、あるいは、ロシア人学習者と略)の日本語の性差に関する認識や意識を明らかにするため、実在の日本語非母語話者スポーツ選手のコメントとして最適の和訳を複数の可能性の中から選択する質問紙調査を行った。その結果、「男ことば」については半数ほどの学習者が「報道が使用した和訳」を選択した一方、「女ことば」では「報道が使用した和訳」を選択した者が全体の14.3%しかいなかった。また、1名のスポーツ選手の和訳選択の結果と、日本語能力試験の合格級、日本語学習期間、教室外日本語使用頻度、日本語で「インターネット記事を読む」、「アニメ・ドラマ・映画を見る」、「小説・マンガを読む」「ロシア国内で(日本人との)交流事業に参加する」といったロシア人学習者情報との間に弱い正の相関が認められた。

日本事情解説書の日本人女性像――ウクライナ・ソ連・ロシア帝国の場合 -------- p.42
江川裕之 (タラス・シェフチャンコ記念キエフ国立大学)

海外の日本事情解説書には、ステレオタイプ化された日本についての記述がある。読者がそれを日本との交流によってよって再確認したり修正していく場合もあるが、多くの場合はステレオタイプ化されたイメージが固定化され受け継がれていく。そうしたステレオタイプ化された記述の中から日本人女性像を取り上げ、そのイメージが海外でいかに形作られ伝えられてきたか、ウクライナの例をソビエト連邦時代、ロシア帝国時代へ遡りながら紹介し、考察する。

キーワード:日本事情、女性像、ステレオタイプ化

1.はじめに

本稿の目的は、日本語教育および日本事情教育において、ステレオタイプによる偏見を克服するために、性差に由来するステレオタイプを観察し考察を加えることである。そのために、ウクライナで出版された日本事情解説書とそれにつながるソビエト連邦とロシア帝国時代に出版された書籍を研究材料とし、それらの中の日本人女性像を研究対象とした。1991年に独立したウクライナは、日本との人的文化的な交流が比較的少なく、日本との交流が活発な諸外国と比べ日本に関する情報も限られることから、ステレオタイプを形成しやすい土壌があると考えられる。したがって、ウクライナの事例を観察することで、日本人女性に対するステレオタイプ形成の過程や状態が比較的簡易な形で観察できるはずである。

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