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学会誌9号-研究ノート(溝尻)

アマチュア無線家は何を欲望してきたのか?

雑誌『無線と実験』に見るテクノロジーとジェンダー

溝尻 真也

 
要旨:本論は、日本においてアマチュア無線が一般に開放された1950年代の無線技術雑誌を題材に、 メディアテクノロジーとコミュニケーションのあり方、 そしてその両者にかかわるジェンダーの複雑な様相を描き出すことを目的としたものである。戦前の日本においてアマチュア無線は、距離を超えた自由でコミュナルなコミュニケーションへの欲望と、 科学技術を用いて装置を作ること自体に見出される喜び=テクノロジーへの欲望が結びつく形で、 極めて男性的な営みとして展開されてきた。しかし戦後に入り、自由でコミュナルなコミュニケーションが実現可能になると、 彼らの前にはその象徴としての女性がたち現れてくることになる。そのとき初めて、 彼らは自分たちの身体に歴史的に埋め込まれてきたジェンダーについて考える必要に迫られたのである。 テクノロジー/コミュニケーション/ジェンダーの関係性とは、こうした複雑な相互作用の中で生成・変容していくものに他ならない。
 
キーワード:無線 メディア テクノロジー コミュニケーション ジェンダー
1.問題関心―テクノロジー/コミュニケーション/ジェンダー
本論は、主に1950年代前半の日本における無線雑誌の投稿欄を読み解きつつ、 当時のメディアテクノロジーおよびそれによって媒介されるコミュニケーションの中に、どのようにジェンダーが見出され、 またそれらがいかに変容しつつあったかを明らかにしようとするものである。
 
メディアテクノロジーによって媒介されたコミュニケーションのあり方は、近代以降、 極めて大きな変容を経験してきたといえるだろう。特にラジオ・無線などのメディアテクノロジーとは、声を複製し、 距離を越えて流通させるテクノロジーであり、 それまでのコミュニケーション様式に極めて大きな変容をもたらすものであった(吉見[1995])。
 
一方で戦前から現代に至るまで、こうしたテクノロジーの原理や構造を理解し、それらを自作しながら、 (マスであれパーソナルであれ)コミュニケーションを志向してきたのは、多くの場合、男性であった。 たとえば戦前のラジオマニアから戦後の無線マニア・オーディオマニアへと至る流れにおいて、 それらの担い手のほとんどが男性であったという事実は、 こうしたマニアの実践を水路付けてきた無線技術雑誌を見ても明らかである。そしてこうした雑誌からは、 テクノロジーとコミュニケーション、およびその双方と分かち難く結びついたジェンダーを見て取ることができる。 裏を返せば、これらの雑誌を歴史的に紐解くことによって、この領域において、 テクノロジー/コミュニケーション/ジェンダーの関係性がどのように生成し、そして変容していったのか、 その歴史的過程を明らかにすることができるのではないだろうか。
 
メディアテクノロジーによって媒介されるコミュニケーションと、その両者に埋め込まれていくジェンダーのあり方を、 私たちはどのように捉えることができるだろうか。本論は、 アマチュア無線が一般に開放された直後である1950年代前半の無線雑誌の投稿欄をひとつの事例として、 こうした関係の複雑な様相を描き出すことを目的とするものである。
2.日本における無線/ラジオ史概観
2.1 無線電信からラジオ放送へ―戦前期における無線技術の位置づけ
 
本論は、戦後アマチュア無線が一般に開放された1950年代前半の無線雑誌を主な分析対象とするが、 本節ではそこに至るまでの歴史的経緯を、先行研究を踏まえつつ概観しておくことにしたい。
 
現在、一般的に使われている意味での「アマチュア無線」の萌芽は、19世紀末にアメリカで開発され、 ほぼ同時期に日本にも導入された、無線電信にまで遡ることができる。この段階において無線電信は、その名前から明らかなように、 (有線)電信の延長上にあるメディアとして位置づけられていた。すなわち電波を介した一対一のコミュニケーションが、 ここでは前提とされていたのである。この技術の上に展開され、 1920年代初頭に日本に紹介された無線電話―声を電波に乗せてコミュニケーションするためのメディア―も、 基本的には同じ発想に基づいているといえるだろう。
 
しかしながら事情はもう少し複雑である。そもそも、1890年代後半から1900年代にかけて欧米で展開された、 有線電話を介したラジオ放送の事例に見て取ることができるように、有線電話自体、 必ずしもパーソナル・コミュニケーションのみを志向して展開されてきたものではなかった(吉見 1995: 107-119)。一方で1920年代のアメリカでは、電話会社が、 パーソナル・コミュニケーションのメディアとしての有線電話の延長上にある技術として無線を捉え、展開しようとしていた。(水越 1993)。各国の社会的背景の下、こうした様々な位相が錯綜する中で、現在の電話/無線/ラジオ観は形成されていったのである。
 
アメリカで電話会社による無線電話の展開が失敗に終わった理由の一つとして、水越は「ラジオは情報を撒き散らしてしまう、 プライバシーの保てないメディアである」(水越 1993: 117)点を挙げている。有線通信に較べ、無線通信は周波数さえ合わせれば誰でもその通信内容を受信することが可能である。 無線通信はむしろ不特定多数を結ぶコミュニケーションに適合的な技術であり、こうした認識が共有されていく過程の中で、 無線/ラジオ/マス・コミュニケーションという結びつきは次第に自明のものになっていくのである。
 
無線電話の技術が導入された1920年代前半の日本を見ても、やはりこうした無線/ラジオをめぐる認識は錯綜している。当時、 多くの専門家や素人研究家、大学、企業などが、定期的に電波を発信しながら無線電話の実験を行っていたという(吉見1995: 201, 203)。これらの実験者はいわば「私設ラジオ局」とでもいうべき存在であった。もちろん同時期、 受信機を自作しそれらの電波の受信を試みるアマチュアも多く存在してはいた。 しかし無線放送の萌芽期における送り手/受け手の役割は、現在に較べてそれほど固定的であった訳ではなく、 そこに向けられた欲望のあり方も、現在の放送=マス・メディアとしてのラジオに対するそれとは全く異なるものであった(山口 2002)。すなわち、この時期に欲望されていた無線を介したコミュニケーションのあり方とは、 パーソナル・コミュニケーションとマス・コミュニケーションの間にある、「コミュナル〈communal=共同的、公共的〉」 というべき社会空間に根ざしたコミュニケーションだったのである(飯田 2006: 57)。
 
こうした無線電話熱の高まりを受ける形で、1925年、東京・大阪・名古屋の三大都市にそれぞれ民間ラジオ局が設立されることになる。 しかしながらそのわずか一年後には、三大放送局はいずれも事実上の政府機関である日本放送協会へと統合され、 それ以降ラジオは急速に集権的統制機構としての色合いを強めていく。こうして、 当時の人々が抱いていたラジオに対する多様な欲望のあり方は、強力に推し進められていく国家統制の下、 「NHKのラジオ放送の受信」という形へと囲い込まれていくのである。
 
2.2 「放送」に抗うアマチュアたち―短波に託されるコミュニケーションへの欲望
 
しかし、ラジオがマス・コミュニケーションのためのメディアとして政府によって囲い込まれていく一方で、 そこからこぼれ落ちるラジオ/無線のあり方もまた、存在していた。それを見て取ることができるのが、 当時の無線技術雑誌における、短波の送受信に関する記事や投稿である注1。本項では、 現在に至るまで刊行が続いている代表的な無線技術雑誌、『無線と実験』の記事から、ラジオ放送=マス・ コミュニケーションという無線利用のあり方に抗おうとするアマチュアたちの言説を拾っていくことにしたい。
 
こうした記事・投稿群は、『無線と実験』創刊直後の1925年には既に見て取ることができる。 たとえば1925年8月号で主幹の苫米地貢は「短波長送受信はアマチュアの領域とせよ」とする巻頭言を発表し、 同時にアマチュアや研究者に短波開放を要求する意見を述べさせている(『無線と實驗』1925年8月号: 386-387, 407-411)。中波を用いた無線電話が、極めて限定された組織が営む「放送」のメディアとして囲い込まれてしまい、 自らが送受信の担い手とはなり得なくなったとき、彼らは中波放送に影響のない短波帯をアマチュアのために開放し、 自由に送受信させるよう、政府に対して繰り返し要求したのである。
 
短波は中波に較べて遠距離まで届く特質を有していたため、 中波放送が極めて迅速に国家に囲い込まれてしまったことに失望を覚えていたアマチュアたちは、この遠距離通信に適した短波に、 無線を介した自由でコミュナルなコミュニケーションへの欲望を投影した。換言するならそれは、 遥かな距離を超えて他者とコミュニケーションすることへの欲望であった。「目にこそ見えね、世界五百萬の同志、アメリカの靑年、 英吉利の研究家、或はフランスの友、時によりてはレモンの花咲く南洋のレヂオフアンと相携へ、固き手の握りを以つて、 結び合ふその暁こそ、若き血の湧る思ひを晴らす時ではありますまいか」(『無線と實驗』1926年5月号: 1-2)という、苫米地の無線技術コスモポリタニズムとでもいうべき主張は、そうしたアマチュアの欲望を象徴していたといえるだろう。
 
しかし結局のところ、短波も国家による統制を免れることは出来なかった。日本はもちろん、 世界中の人々との自由でコミュナルなコミュニケーションを可能にする短波の送受信は、政府にとって、 まさしく距離を超えた民衆の団結を促しかねないものであった。結局、思想統制および国防上の見地から、 短波の送受信は厳しく限定され、違反者は当局の容赦ない取締りに晒されるようになっていく。そして1941年、 太平洋戦争の開戦に伴い、すべての無線の個人送信は禁止されるのである。それは、無線技術が日本に紹介されて以降、 アマチュアたちが一貫して抱いてきたコミュニケーションへの欲望を満たす回路が、閉ざされてしまったことを意味していた。
3. アマチュア無線とテクノロジー/ジェンダーをめぐる問題系
3.1 埋め込まれていくジェンダー―テクノロジーへの欲望と女性の排除
 
前節では戦前期の無線技術雑誌を通して、アマチュア無線家たちが抱いていたコミュニケーションへの欲望と、 当時の社会的背景の下で、その欲望の充足可能性が閉ざされていく過程を確認した。
 
しかしながらここで留意しておかなければならないのは、アマチュアたちが無線に託した欲望は、 自由でコミュナルなコミュニケーションのみに向けられていた訳では決してないという点である。コミュニケーションへの欲望は、 アマチュアたちが無線に対して抱いていた欲望の一側面に過ぎず、その内実はもう少し複雑である。
 
ポスカンザーが「アマチュアにとってラジオの一番の魅力は、作動する装置を作っていく過程であって、 番組を聞いて楽しむことは二の次だった」(ポスカンザー 1996: 102)と述べたように、彼らにとって無線とは、コミュニケーションへの欲望と同時に、最新の機械を作り、 作動させることそのものに向けられた欲望=テクノロジーへの欲望に支えられた実践でもあった。「秋來、ラヂオの趣味は、 これが研究的組立操作にあり。セット組立の妙味は人をして、人生の樂事たるを感ぜしめずんばあらず也」 (『無線と實驗』1925年3月号: 704)という寄稿は、当時のアマチュアたちの無線技術の捉え方を象徴しているといえるだろう。 装置を作り動かす喜び=テクノロジーへの欲望と、距離を超えた自由でコミュナルなコミュニケーションへの欲望。 この二つの欲望が循環的に結びつく形で、アマチュア無線家たちの実践は駆動していたのである。
 
また、戦前期の『無線と実験』を見ると、主幹の苫米地を中心に、彼らが様々なレトリックを用いて民衆を啓蒙し、 無線技術の裾野を広げようとしていたことが見て取れる。たとえば創刊号冒頭に掲載された「發刊の辭」では、 ラジオとは「社會人類の文明尺度」の象徴であり、そのために「実に目醒めざる」状態の日本に「愛國の至誠、憂國の熱血」 をもって無線技術を普及させる必要があると説かれている(『無線と實驗』1924年5月号:2)。 また、同じく苫米地の寄稿「國防の脅威 殺人光線に備ふる處ありや」では、 欧米が新たに開発した電波兵器によって日本は国防の危機に晒されており、この危機から脱するためには無線技術を底上げするしかない、 という論理展開で、政府にアマチュアへの無線の開放を求めている(『無線と實驗』1925年9月号: 526-527)。
 
しかしこれらの記事群を見る限り、彼らが本気で国家の発展や国防のために無線技術の重要性を説いていたとは考え難い。 こうした提言のほとんどすべてが、結局のところアマチュアへの無線の開放要求へと結びついていることを鑑みれば、 むしろ彼らはテクノロジーへの欲望に支えられた自らの営みを守り正当化するために、「科学技術」や「国防」といった論理を準備した、 と考えた方が妥当であろう。アマチュアによる無線実験とは、 こうした国家によってトップダウン式に作り上げられていく流れを流用しながら自らの営みを守る、まさしく「密猟」(Certeau 1980=1987)だったのである。
 
 
ところで、これまでに見てきたように、無線技術は国家発展のための科学技術の啓蒙や、 国防技術などと結びつけられる形で無線雑誌を通して喧伝されていた訳だが、 その啓蒙の対象として想定されていたのはあくまで男性であり、女性はほとんど想定されていなかった。そして、 戦前期に様々な無線のあり方を模索していたアマチュアたちも、その大多数が男性であった。Hacker[1983=1989]が指摘するように、 工学領域から女性が制度的に緩やかに排除されたのは日本に限った話ではないが、戦前期の日本では、 国家主導の下で(そしてアマチュアたちがそれを流用する形で)科学技術の普及・発展が喧伝され、 国家/技術の担い手としての男性技術者養成の必要性が唱えられるようになっていた。
 
もしもアマチュア無線家たちの実践が、自由でコミュナルなコミュニケーションへの欲望のみによって支えられていたならば、 無線はむしろ男性/女性の区別がほとんど意識されない領域として生成していたかも知れない。しかし、 彼らの実践はコミュニケーションへの欲望とテクノロジーへの欲望が結びつく形で駆動していた。そして当時の社会的背景の下、 テクノロジーは極めて男性的な領域として制度的に囲い込まれており、彼らはこうした状況の中で、 自らの営みを守らなければならなかった。こうしてコミュニケーションへの欲望が次第に縮減させられていく中、 無線はテクノロジーと結びついた極めて男性的な営みとして、当事者の中に埋め込まれていったのである。
 
3.2 象徴的事例―『無線と実験』投稿欄における論争
 
戦後になると、無線は技術的にも内容的にも、こうした国家的統制の枠から徐々に外されていくことになる。 しかしこのような開放的な状況が生まれつつある中においても、無線技術=男性のもの、という固定観念は、容易には消えなかった。 1950年代当時の無線雑誌を見ても、読者の多くは男性であり、また記事自体も明らかに女性読者を想定していない書き方になっている。
 
しかしながら、無線送信が一般に許可される直前注2 ‎、1950年代初頭の『無線と実験』投稿欄を見ると、 それまでにはなかった形のジェンダーに関する記述を見て取ることができる。たとえば短波送信が許可される直前、 1951年の『無線と実験』には、「Dear OM & YL」で始まり「QSL100%」で閉じられる文通相手募集の投稿を数多く見ることができる。「OM」はOld Manの略、「YL」はYoung Ladyの略で、いずれも誰とも分からない受信相手に向けられた敬称として無線通信で用いられる用語である。 「QSL」は、受信相手が送ってくる受信報告書に対して「受信証明書を送ります」という意味を表す符号であるが、 投稿欄においては、文通の申込に対して返事をする、という意味で用いられている。 以下に挙げるのはその典型的な一例である注3
 
 Dear OM!! & YL!!
 (…)小生は現在高校の3年ですが今年の2月頃よりSW病とやら変な病気にかかり頭をナヤマシテいるのです。 小生の病を直す(ママ)のはOMからお手紙をいただくことです。全国(日本いや外国)のOM、YLよ小生を救いたまえ!! Hi (…)小生にお手紙を下さった人には小生のFBなカード(Hi)をお送り致します。 静岡の村松様はQSL150%でしたので小生はQSL200%ですぞ。(『無線と実驗』1951年10月号: 95)
 
 
アマチュアたちは、戦前から無線を介した自由でコミュナルなコミュニケーションを欲望していた訳だが、 アマチュアによる無線の送受信が開放されようとしていたこの時期、『無線と実験』投稿欄は、 まさしく悲願達成の喜びに湧いていた。それは、日本国内に限らず世界中に存在するであろう、未だ顔を見ぬ同行の士と、 距離を超えて自由にやり取りをすることができるようになる喜び、 すなわち戦前からアマチュアが抱き続けていたコミュニケーションへの欲望を叶えるための素地が出来たことに対する喜びであった。
 
そしてこのYLという略語は、彼らが欲望したコミュニケーションの実現を表す象徴的なことばとして、当事者に認識されていた。 すなわち、無線を介した自由でコミュナルなコミュニケーションが現実のものになったことによって、 そのコミュナルな社会空間に参加し得る存在としての女性が、彼らの前に初めて浮上してきたのである。
 
それまでアマチュアたちにとって無線技術と男性の結びつきは自明であり、女性は完全に他者とされていた。 こうした雑誌の中に女性を表すことばが出てくること自体極めて稀であり、 したがって自分たちの営みが男性的であることを自覚する機会自体、彼らにはほとんど設けられていなかった。 しかし無線が自由でコミュナルなものになるということは、この世界への女性の参入可能性が常に開かれるようになることを意味していた。 もちろんこの時期、実際に無線を用いて交信を試みる女性たちは、極めて少数であっただろう。 だがこうした雑誌に女性を指し示すことばが頻繁に用いられるようになったこと自体が、 彼らにとっては無線が開放されつつあることの象徴であった。だからこそ彼らは非常な熱意を持ってYLへと呼びかけ、 このコミュナルな社会空間への参加を促したのである。
 
しかし、こうして自由でコミュナルなコミュニケーションの象徴としてYLということばが多用されるようになる一方で、 それは男性たちが無線技術に見出していたテクノロジーへの欲望との衝突を起こす可能性も孕んでいた。 それを端的に示しているのが、次の二つの投稿である注4
 
最近この「読ク」への投稿者のほとんどがDear YLだのなんだのかんだのとYLを大さわぎして居ますが、 少なくとも日本一流の科学雑誌上で女の話はよしてもらいたいですな。私は「読ク」 のなかのYLと云う字を見るとむしょうに腹が立ちます。一体そんなイカレポンチはラジオとYLどっちが大切なのでしょうか。 元来科学する者には女などには目もくれない心がまえが必要だといわれて居ます。(…)
 他の無実読者の皆様YLはさておき、まじめにラジオに進もうではありませんか!(『無線と実驗』1953年1月号: 118)
 
  (…)イカレ屋達のYL論は趣旨が低級ですね。YLをさわぐイカレ屋は無実の読クの空気が変になるから、 カストリ雑誌の方へQSY願いたい。無線と実驗は科学雑誌ですよ!! /秋田市楢山宮田 YLリミッター (『無線と実驗』1953年6月号: 109)
 
『無線と実験』が「科学雑誌」であることが強調されていることからも分かるように、 戦後においても無線やラジオは科学技術の象徴のひとつであり、 そうした最先端の科学技術を用いて装置を作り作動させるというテクノロジーへの欲望もまた、彼らの実践を支える要素であった。 そしてそのテクノロジーと男性の結びつきは、歴史的に当事者の身体に埋め込まれてきたものであって、 彼らにとっては疑いようがない(故にほとんど意識されることもない)自明な結びつきになっていた。 したがってYLということばによって現出した「テクノロジーと女性」という結びつきの可能性、 およびそれを称揚する人々に違和感を覚えた男性は、少なくなかったと思われる。
 
そもそもDear OM & YLという呼びかけは、短波通信において世界的に使われていた定型句であり、YLがYoung Ladyを指すことに、それほど強い意味があった訳ではない。もちろん、 女性一般に対する敬称としてYLという略語が一般的になっていくその過程においては、 当該社会のジェンダー意識が強く作用していたと考えられるだろう。しかし本論において重要なのは、YLがYoung Ladyという元々の意味が脱色された定型句の一部であったにもかかわらず、 日本のアマチュア無線家たちはYL=Young Ladyであることの意味を、自らが置かれた文脈の中で読み込んでいったという点である。
 
YLを「Young Lady=若い女性」と解したことで、 多くのアマチュア無線家たちは初めてこの領域における女性の不在と自らの営みの男性性に気づき、 それに対する態度を表明する必要に迫られたのである。その一つが前述のような、 テクノロジーと男性の結びつきの自明性に依拠した女性参入(とそれに対する好意的反応)への違和の表明だった訳だが、 当然こうした意見とは反対の態度表明も、当時の『無線と実験』には多く寄せられている。
 
科学する者は女などには目もくれないものだ等と誰が云ったかは知らんが、 我々はそんなかたわにはなれそうもありませんや全く。(…)ラジオ結構、YL結構。Oh! YL。Ah! YL。Dearest YL! 万才! えいんね? (『無線と実験』1953年3月号: 109)
 
現代科学の先端なる、電気を専門とされる方が、あの様な封建的な考えをお持ちになるとは全く意外というより、 信じることが、出来ません。これからの我国には、これらの分野に益益YLが進出されることこそ望まれるべきです。YLといえば、 すぐに不真面目なものとかいわれる方々に御一考を提したいと思います。(『無線と実験』1953年4月号: 109)
 
YL=Young Ladyを文字通り「若い女性」と解した上で、単にこうした人々との交信可能性が開かれたことを喜ぶ男性や、 女性の科学分野への進出の象徴とみなそうとする男性など、その反応は様々である。しかしこうした論争が起きたこと自体、 YLということばによってそれまで当事者に意識されていなかった女性の存在が顕在化したことで、 彼らが改めて自らの営みの男性性を認識し、またそれに対する態度表明を迫られたことを表しているといえるだろう。 YLということばをめぐって展開されたこの論争は、戦後、 自由でコミュナルなコミュニケーションという役割を獲得したアマチュア無線に対して、 改めていかなる意味を付与するかをめぐって行われた論争でもあったのである。
4. まとめ
コミュニケーションが、あるテクノロジーによって媒介されることがある。メディア論の知見を踏まえて考えれば、 このときテクノロジーは透明な媒介者ではあり得ない。コミュニケーションは、 それ自体を媒介するテクノロジーによって規定されているという側面を有しているのである。
 
そして、コミュニケーションがジェンダーによって規定されることがあるように、それを媒介するテクノロジーもまた、 ジェンダーに規定されることがある。すなわちここでは、ジェンダー的に意味付与されたテクノロジーが、 媒介するコミュニケーションをさらにジェンダー的に規定していくという、二段階の流れを想定することができるだろう。
 
国家による統制の下、アマチュアたちは自由でコミュナルなコミュニケーションへの欲望を断念せざるを得なくなった結果、 彼らの実践はテクノロジーへの欲望に支えられて駆動していくことになる。そして無線技術が社会的背景の下で「男性のテクノロジー」 として規定され、またそれが「密猟」されていく過程の中、無線を介してコミュニケーションを行うこと自体もまた、 極めて男性的な営みとして(そしてそれは自明なものとして)、当事者の身体に埋め込まれていったのである。
 
しかし一方で、そのコミュニケーションやそこで使われることば自体が、 それを媒介するテクノロジーとジェンダーの関係性を顕在化させることがある。 戦後再び盛り上がった自由でコミュナルなコミュニケーションへの欲望は、 この領域において緩やかに排除されてきた女性の存在を顕在化させることになる。 YLということばが無線用語として彼らの前に立ち現れてきたとき、そのことばの世界的な使われ方や日本の実態を超えて、 彼らはそれをYoung Lady=「若い女性」として解釈した。それは自由でコミュナルなコミュニケーションの象徴であると同時に、 彼らが抱いてきたテクノロジーへの欲望に埋め込まれたジェンダーを、再認識させることばだったといえるだろう。 そしてこうした問題系が顕在化してしまった以上、男性とテクノロジーの結びつきはもはや自明ではなくなる。 YLということばをめぐって展開された論争は、彼らがこの領域の中で自己/他者のジェンダーをいかに位置づけるかについて、 再考せざるを得なくなったことの証左だったのである。
 
歴史的に埋め込まれていくテクノロジーとジェンダーのあり方、およびそのテクノロジーが規定するコミュニケーションのあり方、 そして時にコミュニケーション自体が顕在化させるテクノロジーのあり方。本論が明らかにしたのは、 テクノロジー/コミュニケーション/ジェンダーの関係性が生成・変容していく過程で起こる、極めて複雑な相互作用であった。 こうした相互作用を丁寧に紐解き記述することは、コミュニケーションの場で使われることばとジェンダーをめぐる複雑な様相、 そしてその複雑さがいかに生成されていったのか、その歴史的過程を明らかにすることにもつながっていくのではないだろうか。
 
  1. ラジオは、その周波の特性から中波(AM)、短波、超短波(FM)の三種類に大きく分類することができる。戦前の日本において、 NHKおよびその前身となる各放送局から送信されていた電波は、すべて中波である。本文に戻る
  2. 短波放送の受信は終戦とほぼ同時(1945年9月)に解禁されていたが、アマチュア無線(個人による電波の送受信)自体は、 1952年まで許可されなかった。送信が許可されていない状況下においては、アマチュア無線家たちは、 世界各地の短波放送局から送り出される電波を受信し、受信証明書(QSLカード)を手に入れることを大きな楽しみとしていた。本文に戻る
  3. 投稿内のSWはShort Wave(短波放送)、FBはFine Business(素晴らしい)、Hiは笑い声を表す無線用語である。本文に戻る
  4. 投稿内の「読ク」は、当時の『無線と実驗』の投稿欄である「読者クラブ」の略。QSYは他の周波数への移動・ 変更を表す無線符号である。本文に戻る
参考文献
  • CERTEAU, Michel de (1980) Art De Faire. Union Générale d'Editions (=1987『日常的実践のポイエティーク』山田登世子訳 国文社.)
  • HACKER, Sally L. (1983) “Mathematization of Engineering: Limits on Women and the Field.” Machina Ex Dea: Feminist Perspectives on Technology. Rothschild, Joan (ed.) Pergamon Press (=1989 工学分野で女性はなぜ排除されたか『女性vsテクノロジー』綿貫礼子・加地永都子他訳 新評論.)
  • 飯田豊 2006「無線電話」の系譜学―モバイルメディア・ヒストリーに向けて『Mobile Society Review 未来心理』6 モバイル社会研究所 55-63.
  • ポスカンザー, デボラ.R. 1995 無線マニアからオーディオエンスへ―日本のラジオ黎明期におけるアマチュア文化の衰退と放送文化の台頭, 水越伸編『20世紀のメディア1―エレクトリック・メディアの近代』ジャストシステム 93-115.
  • 水越伸 1993『メディアの生成―アメリカ・ラジオの動態史』同文館出版.
  • 山口誠 2002「放送」以前のラジオをめぐる多様な欲望, 伊藤守編『メディア文化の権力作用』せりか書房.
  • 吉見俊哉 1995『「声」の資本主義―電話・ラジオ・蓄音機の社会史』講談社.
(溝尻真也 みぞじり しんや 東京大学大学院学際情報学府 博士課程
日本学術振興会 特別研究員(DC))
 
 
 
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