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学会誌8号-第8回年次大会シンポジウム 発表要旨(原田)

【シンポジウム:ジェンダーの視点から呼称を考える】

ジェンダーの視点から「呼称」を考える
~新聞・放送に見る「女」と「男」~

原田邦博

はじめに

新聞・放送などの世界では、わかりやすい適切な表現を探して、日夜「ことば」との格闘が続いている。その代表的なものの一つが「呼称」である。その中には「職業名」「資格名」「家族関係の表現」「犯罪報道の呼称」「敬称」等々さまざまな要素が含まれるが、現在どのような課題がマスコミ界に共通して存在するのか、ジェンダーの視点から考察してみることにする。

なお筆者は現在、日本新聞協会のマスコミ倫理懇談会や新聞用語懇談会および同放送分科会の委員としてマスコミ各社と日常的に意見交換を行っており、ここで紹介する事例についての考え方は、特定の新聞社や放送局の見解ではなく、マスコミ界で広く共通して認識されているであろう一般的な傾向を、自らの経験に照らして述べるものである。

なおこの内容は論文でも研究発表でもなく、この場で何らかの結論を導き出すことが目的ではない。さまざまな事例を知っていただくことで、若い皆さんがこれから研究するテーマを見いだす端緒となれば幸いである。

1.事例Ⅰ「『夫婦』の表現」

「日常生活の中で、自分の夫や妻のことをどう表現しているか」ということがしばしば話題になる。共通語という前提に立つと、改まった場面では「夫」・「妻」が意識して使われるようだが、一般的な会話では、夫については「主人」・「旦那」・「亭主」・「うちの人」、妻の場合は「女房」・「家内」・「うちの~」などの表現をよく耳にする。「つれあい」も使われるが、長年寄り添った夫婦でなければ無理かもしれない。また若い夫婦の場合は「照れ」もあってか、あえて「奥さん」とか「相方(夫)」などと言っているケースにも出会う。

一方最近は妻のことを「嫁」という人が東京でも増えているが、これは関西圏で通常使われている呼び方が、テレビ等の影響で流入したと考えられる。

このような日常生活上の呼称の是非についてはここでは触れないが、こうしたさまざまな様相を見せる現実に相対して、マスコミがどう表現しているかに話を移そう。

まず新聞・放送とも、自称・他称にかかわらず「夫」・「妻」を原則としており、客観的な表現の場合はこの方法が広く一般に使用されている。特に「書きことば」による新聞においてはより徹底しており、「引用」や「投稿」など原文をそのまま写す場合を除いて例外はほとんど見られない。仮に取材相手が別の表現を用いても、そのことばでないとニュアンスが伝わらないような場合を除いて、多くは「夫」・「妻」に言いかえて編集していると推察される。

一方「話しことば」を基本とする放送においては、「ニュース」・「ナレーション」など客観的な表現の場合は新聞とほぼ同様であるが、インタビューのように当事者の前でことばを発する場合は困難なケースもある。古くからよく知られた事象ではあるが、相手の配偶者について尋ねる場合に「あなたの夫(妻)は~」という言い方は現実にはできない。

以前「夫さん」・「妻さん」という呼び方が推奨されたこともあったが、残念ながら受け入れられてはいない。また、あるアナウンサーが実際のテレビのインタビューで、「おつれあいは?」と聞いたこともあった。その努力は評価できるが、まだまだ違和感がある呼び方と思われる。

このような場合に、男性優位の表現とされる「ご主人」・「奥さん(奥様)」をどの程度許容するかは、いまだに意見が分かれるところであるが、日本語にほかによい表現が見当たらないこともあり、テレビの世界では「ご主人」・「奥さん(奥様)」が、現実には日常的に使われている。

また反対に、ナレーションなどで客観的な表現とされている「夫の○○さん」・「妻の○○さん」という方法に対しても、「ご主人・奥さんというべきである」という趣旨の意見が、少数ではあるが放送局に寄せられることがあるという。抵抗感を持つ人がまだまだ存在するということもこれまた事実である。

2.事例 Ⅱ「結婚・『嫁』の付く表現」

戦後の新憲法の下、現在の民法が施行されてから60年以上が経過している。法律上、「結婚」は「婚姻」と表現されるが、旧民法における「家制度」時代の結婚に替わって、現在はあくまで「個」である一組の男女が結びついて、新しい戸籍を作成することが「婚姻」、つまり「結婚」ということになっているはずである。

もしこの法律の文言にのみこだわって、「結婚」にまつわる日本語のさまざまな表現を考察すると、男女ともに一部の限定的な語彙しか使えないことになる。つまり名詞でいえば「結婚」、動詞なら「結婚する」と「婚姻届を出す」ぐらいしか準拠しないことになる。

よく芸能ニュースで「入籍」ということばが使われるが、通常、現在の結婚は、A・B2つの戸籍から離れた男女一組が、Cという新しい戸籍を作るので「入籍」ではない。だから結婚について「入籍する」を使うことは、現代では誤った表現ということになる。

次に結婚に関連して、「嫁」という文字が付く日常の一般的な表現を、新聞や放送でどのように扱うかということが非常に大きな問題として浮かび上がる。近代国家になる以前から、「嫁」ということばには、いろいろな概念が付与されてきた。単なる姻戚関係の「嫁」ではなく、特に「家制度」における「役割」としての「嫁」が、戦後60年以上たった今も、日本の社会に依然として「存在させられて」いるのが現実であろう。

「嫁」・「花嫁」・「嫁入り」・「嫁に行く」・「嫁にやる」・「嫁をもらう」・「嫁に来る」・「嫁ぐ」・「嫁ぎ先」・「嫁姑(の関係)」・「(農家の)嫁」・「嫁不足」等等、「嫁」の付く表現は枚挙に暇がない。(「婿」の付く表現は数少ない)

ではどうするかだが、「ことばが存在する以上すべて使ってよい」ということにはならないだろうし、反対に「法律上『妻』はいるが『嫁』は存在しないので一切使うべきではない」というのも常識的にはありえないだろう。しかし明らかに女性を蔑視していると判断できるような表現は避けなければならない。

ここからは各社によって温度差もあり、マスコミ全体で現在こうなっているとは言いにくい。おそらくケースバイケースで、使ったり言いかえたりしているはずである。

個人的な見解を交えて言うと、「花嫁(花婿)」は今風に言いかえれば「新婦(新郎)」だが、男女が対のことばであり、結婚式限定の用法と考えれば問題はないだろう。ただ「花嫁修業」とか「農村花嫁」となると、マスコミ人としては安易には使えない。

「嫁に行く(嫁ぐ)」は、文字や語源がどうであれ、現在では「女性が結婚する」という意味で定着していると考えられる。このままなら普通に使えそうだが、ただ「嫁ぎ先」となると「そんなものは今の民法では存在しない」という意見を持っている人もいるだろう。つまり「夫の両親と同居しているだけにすぎない」という主張である。

なお逆の例として『サザエさん』の「マスオさん」が話題になる。あのケースも妻の両親と同居しているだけなので、旧来の意味での「婿」ではない。ただし男性においては「婿」という「役割」が「嫁」に比べて発生しないことを認識しておく必要がありそうだ。

一方、親の立場からだと、「嫁にやる」とか「片付ける」という表現がよく登場する。新聞・放送などで客観的に伝える場合は、いずれも娘を「モノ」扱いしているように受け取られるので避けるべきだろうが、結婚式を終えた「花嫁の父」が、万感胸に迫って「ようやく片付きました」と言うようなシーンの表現まで否定することはできないだろう。

このように「嫁」や「結婚」についてのマスコミの表現は、まだまだ確立していない。その第一の原因は「ことば」そのものにあるというよりも、日本社会における家族関係が、現在の憲法や民法になっても旧来とほとんど変わっていないという実態に起因していると言わざるをえない。基本的には世の中が変わらないと解決しない命題ではあるが、マスコミ界において、これからもよりよい表現を求めて模索が続くことは言うまでもない。

3.事例 Ⅲ「『女』と『男』」

この例は「ジェンダー」と言うよりは「被疑者の人権」という視点がまず存在する。

マスコミにおいて、「女」あるいは「男」という表現がストレートに使われるケースは、犯罪報道に多く見られる。各社ともルールとして明文化はしていないだろうが、「被害者」と「一般人」については「女性・男性」、「被疑者」については「女・男」を使用している。

有罪か無罪かが確定していないのだからすべて「女性・男性」にすべきであるという意見もあるが、その手法は現実にはほとんど採用されていない。その背景には有罪の推定の強い被疑者に対して「女性・男性」を使うことへの一般読者(視聴者)の反発や、放送においては、耳で聞いていて加害者と被害者の区別がつきやすいという利点があることも考えられる。

なお新聞・放送各社とも文章表現などを工夫して、「女・男」の出現回数を減らそうと、日々努力はしている。例えば「逃げた男(女)の行方を追っています」というのは言わずもがなのことであり、このような常套表現は極力排除していこうという考え方である。

ところで日常の放送番組において、「男は~」という表現は一般的に使用されるが、「女は~」という言い方は現実には少ない。本来対等に使用されるべきことばがなぜ避けられてしまうのだろうか。

これが「男性・女性」、「男子・女子」となると、ほぼ同等に使用される。試しにそれらの語を含んだ文章を使って、男女の部分をそっくり入れ替えてみても、それほど違和感がないのに気がつく。

ところが「男」・「女」の場合はそうもいかない。例えば「○○したのはこの男です」というと何かをたたえているようにも受け取れるが、反対に「○○したのはこの女です」となると、なぜか悪いことをしたように聞こえてしまう。以前ある人気番組で使われた定番のコメントに、「男は○○した」というフレーズがあったが、「女は○○した」という表現は、機会はあったものの現実には一度も使われなかったという。

現実に各放送局には、「女」という言い方はやめてほしいという申し入れが、犯罪報道以外でもあるという。しかし「男」については、さほどではないようだ。

そうなると、「文字」に問題があるのではなく「音」から受ける印象で、「男」と「女」に差異が生まれてしまった可能性があるのではという考え方が生まれる。

「男性・女性」、「男子・女子」の音読みの「DAN」と「ZYO」を比べた場合には、その響きや強さにあまり差がないように感じられる。しかし訓読みの「OTOKO」と「ONNA」という音の響きを対比させると、なぜか対等ではないような印象を受けるのかもしれない。

長い歴史の中で「ONNA」ということばにさまざまな情報が刷り込まれ、今日に至っていると推測されるが、語の成り立ちについては専門家に任せるとして、仮に日本語がまったく理解できない人々に「OTOKO」と「ONNA」という音を聞かせて、その語感の差や印象を調査することができれば、文字ではなく「ONNA」という「音」が持つ本質的な「何か」に迫ることができるかもしれない。

4.事例 Ⅳ「子どもの『敬称』」

全国の小学校では、児童の敬称として男女とも「さん」をつけるところが多くなっていると聞く。一方、新聞・放送の世界では、未成年者の敬称について、女子については「さん」、学齢前は「ちゃん」でほぼ統一されているが、男子の場合は「くん」が、年齢や学年によってどこまで使えるかで、社によって多少の差が見られる。つまり約束事では、高校生・中学生についても男子は「くん」が使えるはずだが、昨今、その境界線が低年齢化する傾向にあり、中学生の男子でも「さん」を使っているケースも散見される。

なお、昨年秋田県で起きた小学生殺人事件では、すべての社が例外なく「米山豪憲くん(7)」と「くん」を採用していた。また9歳の女の子については「さん」「ちゃん」の両様が見られた。(悲惨な事件の場合には、小学生でも「ちゃん」を使うことがある)

このように「子どもの敬称」についてはマスコミの世界でも揺れ動いており、今後とも注視していく必要があろう。

おわりに

ことばの学会やマスコミの集会に参加していると、時折「差別語」という用語を使う人に出会う。しかし現在ほとんどの新聞社や放送局では「差別語」とは言わず、「差別表現」ということばを用いている。これはどんなことばでも、文章の前後関係や文脈・使い手の意思によっては「差別的な表現」になりうることから、単独の「語」にマルバツを付けるのは正しい方法ではないという考え方によるものである。同時にそれは、語彙や表現方法は安易に減らすべきではないということにも通じている。

「ことば」を護る闘いが、マスコミの現場では日々続いていることを最後に記しておく。

(原田邦博 はらだ くにひろ NHK考査室考査主査 )

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