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学会誌7号:日本語教育国際研究大会 パネル発表要旨(佐々木・宇佐美・水本)

コロンビア大学「日本語教育国際研究大会」パネル発表要旨
日本語教育とジェンダー――教師の立場から

パネリスト 佐々木瑞枝・宇佐美まゆみ・水本光美
ディスカサント 門倉正美・Judit HIDASI

「言語とジェンダー」の関係については、1973年にロビン・レイコフが女性の言語表現の特徴に関する問題を初めて提起して以来、社会言語学、語用論をはじめとする関連領域における大きなテーマの一つになってきた。しかし、これまでの日本語教育の教材においては、ジェンダーを主題的に論じたものはほとんどなく、またジェンダーの観点からの日本語テキストの批判的分析もわずかしかない。

このパネルセッションでは、日本語教育においてジェンダーはいかなる問題・課題として現れるかについて、日本語を教える者としての立場から 議論していく。

パネル1では佐々木が、ジェンダー表現やジェンダー的要素が日本語教育でどのように現れているかを、教科書、教育用ビデオの文章や会話文、談話、挿絵などから検証し、あるべき方向性をさぐる。

パネル2では宇佐美がポライトネス論の観点から見たジェンダーについて論じる。日本語教育との関連では、「ジェンダー」と「ポライトネス」という現代的課題に対して日本語教育の現場、特に、日本語教師養成教育はいかに対応するべきかという観点から論じる。

パネル3では水本が、メディアにおける言語使用と現実社会の言語使用のずれに見るジェンダー・フィルタを分析し、その日本語教育への影響に ついて考察する。

2人のディスカサントによるコメントを交えて、パネル全体として日本語教育におけるジェンダーの視点の重要性を提起したい。

パネル1

日本語教育教材の中のジェンダー――ビジュアル・リテラシーの観点を交えて

佐々木瑞枝

本発表では、ジェンダー表現やジェンダー的要素が日本語教育でどのように現れているかを見るために、教科書、教育用ビデオの文章や会話文、談話、挿絵など
ビジュアル・リテラシーの観点も交えて検証し、あるべき方向性をさぐる。

ジェンダー論的観点からの日本語教科書分析はまだ十分になされているとは言えないが、発表者の観点からは、わずかな先行研究のひとつである渡部(2001)に注目したい。渡部(2001)は、子ども向け日本語教材においていかに性別役割分 担が既成の価値観をなぞる形でなされているかを批判的に検証したものだが、ジェンダー論的視座からの日本語テキスト批判であるという点に加えて、挿し絵と いう視覚素材に着目している点が興味深い。

本発表では、これら2点を継承し、テキストの種類をひろげるとともに、視覚素材の分析に際して、近年言語教育にも取り入れられるようになった「ビジュア ル・リテラシー」の手法を援用することによって考察の視野と射程をひろげることをめざす。

すなわち、初級、中級、上級のそれぞれの代表的な教科書10、総計30の教科書のテキスト本文、イラスト、ドリル練習、タスクとともに、それらのレイア ウトをジェンダーの視点からとらえなおす。また、市販されているビデオ教材についても、ビジュアル・リテラシーの観点から、そのジェンダー的な含意について考察する。

最後に、こうした具体例の分析をもとに、日本語教育においてジェンダー表現やジェンダー要素をいかに取り扱うのが望ましいかについての提案を試みたい。

パネル2

日本語教育の観点から見た日本語のジェンダーとポライトネス

宇佐美まゆみ

「ポライトネス」については、70年代後半からの語用論、談話研究の発展とともに、敬語や言語形式の丁寧度だけの問題を超えて、言語使用を談話レベルで 捉える観点を取り入れた分析が盛んになってきた。

本発表では、日本語教育において、従来から重要視され、主に、どのように教えたらよいかという観点から論じられることの多かった「敬語」といわゆる「女 ことば」について、「ジェンダー」と「ポライトネス」という現代的、専門的観点から捉え直し、今後これら2つを、日本語教育の現場でどのように教えるかと いう観点からではなく、日本語教育の現場、及び、日本語教育、特に、日本語教師養成のプロセスの中で、いかに扱うべきかという観点から論じる。

具体的には、まず、「現代の日本語使用」において、そもそも、敬語がどのような働きをしているのかということを、実証的研究に基づいて、語用論的観点から 論じる。また、いわゆる「女ことば」については、その「実態」が何であるのかということを明らかにするとともに、そのイメージと実態のギャップについて、 分析例をもとに明らかにする。さらには、この二つの問題を扱った大学学部レベルの「日本語教育学」関連の授業における討論や学生のレポートなどの分析結果 などを踏まえながら、今後、日本語教育の中で、「敬語」と「女ことば」をひいては、ジェンダーの問題やポライトネスを、いかに扱っていく必要があるのかと いうことについて論じる。

パネル3

テレビドラマのジェンダー・フィルタと日本語教育

水本光美

「女言葉」は日本語の特徴の一つとして取り上げられて来たが、現代社会の若者たちのカジュアルな会話では、すでに過去のものとなりつつある。現代の女性 たちは、従来の男言葉とされる言語を使用することにより、その言葉遣いは中性化してきている。しかし、テレビドアラマにおける言語使用に注目すると、必ず しもこうした現実に即して表現されているとは言い難い場面に遭遇する。

例えば、従来の女性文末詞(わ、だわ、わね、かしら、等)に焦点を絞り観察すると、現在の20代、30代の女性達がすでに使用しなくなっている女性文末 詞を、テレビドラマの中の若い女性達は未だに頻繁に使用している。映画や外国ドラマの吹き替え、字幕、コマーシャルにもその傾向は見られる。そこには、制作者によるジェンダー・フィルタが大いに影響を与えていることが考えられる。

こうした観点から、脚本家などへのアンケート調査により、そこに存在する意識的あるいは無意識的ジェンダー・フィルタの特徴を分析する。

また、ジェンダー・フィルタの日本語教育への影響も少なくない。例えば、日本語教科書の会話例や日本語試験練習問題集の聴解問題などには、やはり若い女 性が女性文末詞を使用しているのが認められる。我々、言語教育を行う者は、この現実を認め、ジェンダー・フィルタの介在しない現実の言語使用に即応した教 育を心掛けるべく、教材作成には細心の注意を払う必要性がある。

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