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学会誌7号 ー 研究論文3(朴)

日本の差別語の研究

朴 正一

1.  はじめに
「差別」に關する研究は、日本に於いては1970年頃から始まり大きな發展をして来たのだが、その中でも差別語の研究は、部落差別の様な研究 に比べると、未開拓な分野であったと言えるのである。アイヌや沖繩の様な自國民ばかりでなく、在日韓國人や中國人などの在留外國人に對する實際の差別に對 する史的な研究は進展したのだが、言語學的なアプローチは個別的研究がなされ、その深化と體系化は遲れており、理論的體系的な研究は十分でなかった。その 大きな原因の一つは、「差別」そのものの多樣性にあり、差別現象の特殊性と方法論的に個別的で非體系的な限界性を持っているからである。更に、もう一つは 共時的研究の進展に対し通時的研究の面で「差別蔑視」或は「賤視」のルーツを避ける事が難しい為に、特殊的個別的傾向を帯びている。この様な中で、差別指 標としての「差別語」の研究は曖昧さが伴って来るのは否定できない。それにも拘わらず、研究の體系化は不可避的な用件であり「差別語」が人間の言語社會の 中で如何なる意味を持ち、それらがどんな機能と相互作用を持っているのか究明しなくてはならないのだ。本研究では、この様な脈絡から、現代日本語の中の差 別語という言葉とは何なのか、その実体を明らかにし、差別語の構造と機能そして言語主体である人間の言語意識について究明する事で、差別語研究の基礎的基 盤を提供しようとするものである。研究の方法は現代日本語版の「古典落語注1」の作品の中に出てくる語彙の中から「差別語」と呼ばれる言葉を研究対象にして考察を行った。これら言葉の選定は、幾人かのネイテ イブ ⋅インフォーマントの協力を得て行われた。差別語の持つ多様性から、考察の過程でマスメデ イアが作った「避けたい言葉集注2」等の二次資料も使用する事になった。情報収集は文献調査とインフォーマント調査の二つによるものである。
2.差別語の概観
日韓辞典注3を見ると、「悪口」は次の様な記述がある。
 わるぐち,名,욕 = あっこう
  日韓辞典で「あっこう」を引くと次の様になっている。
   あっこう、흠구덕, 욕설 = わるぐち
  韓国語の生活の中でも「욕을 하다] (悪口をいう)があるが、言った方は爽快な気分になるだろうが、相手は全く反対であろう。聞いている方もききづらい。
 
「馬鹿」は一般的には侮蔑語であるのに対して「チョン」は差別語だと言える。「馬鹿」は発話者と聞き手の双方で言い合えるが「チョン」は被差別者が言い 返す事が出来ない。「チョン」は蔑視的で強度の侮蔑的意味の込められた言葉である。この様な言葉は経験的には感じられても、一体、何が差別語なのかと言う 問題になると曖昧ではっきりしない点が今まで多かったのは事実である。
 

差別語に関する先達の諸説を概観すると、次の様になる。

  1. 差別語の研究は、部落差別の様な研究に比べると、未開拓な分野であったと言える。実際の差別に對する史的な研究は進展しているが、言語学的な アプローチは少なかった。
  2. 差別語の個別的研究がなされ、それが深化され体系化されたものが少なかった。
  3. 差別語研究の全体的な理論化が充分行なわれていなかった。
  4. 何が差別語であるのかと言う点に関して、具体的に客観的に例示されたものが不十分であった。
  5. 何故差別語であるのかと言う点に関する実証的な記述が少なかった。
差別語論に関する研究及び,成果として「差別語」の明確な定義は示されずにいたと言える。そんな中でも、歴史的には水平社第10回全国大会の提案 (1931)の「言語、文章による文字の使用に関する件」の一節に明確に述べられている。被差別部落に対する蔑称語については戦前から戦後にかけて一貫し て受け継がれている考え方である。そこで更に「差別闘争」に対する部落解放同盟の考え方を纏めて明らかにすると、次の様だ。
 
差別語や差別的批判に対する糾弾、抗議は文脈、語感全体のなかでその前後関係を見極め、差別を助長するかいなか、その與える影響と言うものを 判断して行う。
マスコミの「禁句集」「言い換え集」は、言葉だけを弄る事によって問題を矮小化するもので、賛成できない。
 
古典的な文学や落語などの改竄には反対であるが、人権を著しく傷付ける内容を、古典の名のもとに無制限に広める事には、慎重である事を望みた い。
 
差別語が、あるグループの人々に対して人々が抱いている、偏見や差別意識の象徴的な表現形態の現われであると捉えられるのである。差別語の定義を種々な観 点や考え方から述べられているが、福岡安則(1989)は、歴史的、社会的な過程の中で、現代社会に厳存する差別的な諸関係が一定の言葉に纏い付く事に よって、それ自体に特定の被差別者に対するネガテイブな情動的意味あいが固定せしめられた言葉の事である、と述べている。渡辺友左(1989)は、特定の 属性を持った人間をその属性を持っていると言うだけで不當でより否定的に、または非好意的に処遇する事を差別と言う。その裏返しに、特定の属性を持った人 間をその属性を持っているという理由だけで不当に他より肯定的に、または好意的に処遇する事を逆差別と言うのである。そしてこの様な差別、逆差別を顕在 化、助長、もしくは固定化する為に使用される(又は、役立っている)語を差別語、逆差別語という、と定義している。角知行注4は「か りに」としながらも,差別語を「差別的コノテーション(discriminative connotation)を強度に受けた言葉」と定義している。柏瀬省吾(1992)は、差別語とは、その語の使用によってある特定一部のグループが「排 除されている」「無視されている」「その価値を低く見積もられている」と感じさせる語である。渡辺友左(1989)は女性差別語は女性に対する差別語であ ると理解すると述べている。以上の諸定義に共通する点は、(1)他者、他集団に対するネガテイブな意識の表現形態(2)非人間的、反人間的な規範の顕在化 (3)潜在化した差別意識や態度の言語行動化と言えよう。この様な捉え方は多くの共通したコンセンサスを受けられると考えるのである。
 
差別語の特徴としては、言葉に絞って「差別語」の意義に関し「意義素」に注目して差別語の性格を分析した時、次の事が問題となると考える。
 
語彙の意味の留意点の中には、正․負のイメージ事項があるが、ここで、具体的に触れたい事として「差別語」に於いての特徴がどうなのか、一見,特殊語の様 に見えるが根は深いものがある。日本語の中の「差別語」の特徴として次の9項目があげられる。
 
(1) 語の多義性
 
日本語の一般の普通名詞には「多義語」は多く存在し、それは日本語の持つ音韻的な特徴によって起きる事ではあるが、差別語にも見られるのである。例えば 「裏日本」と言えば「ウラニホン」という音形が何か暗く遅れた意味として使用され、負の意味あいを示しているとして、その特徴が差別性を含意しているとし て「差別語」と呼称されるのである。
 
(2) 適用程度の推移
 
「適用程度の推移」は元々、普通語としての意味であった言葉に「差別」の意が見い出され、それを更に、差別的な意味の無い様な言葉に言い換えて行く様な場 合を言うのである。例えば「土方」→「勞働者」、「小使」→「用務員」、差別感を強めた「鮮人」と言う言葉があり、現在では「在日」注5と 呼ばれる日本内の韓国北朝鮮人を指している。
 
(3) 使用場面の特殊化
 
特殊語に多く見られるが、「場面」が意味の上で、ニュアンスを生じさせる場合で、例えば「󠀂󠀂公」と言う語だが「イタ公」․「アメ公」等の様に、呼 ぶ側によって語の意味に差別性を帯びた内容が含まれている。
 
(4) 語義的特徴 
 
差別語は文法的特徴より語義的特徴による相違が大きいと考える。ある対象を指し命名する行為、あるいは表現というものが蔑視や差別観念に基づいて行われ た時、そこには差別の意味が発生するのである。<語義的特徴>概念的意味とも術語されてもいいだろうが、「意義素」の考え方を借用して更に、 前提的意味と本来的意味に細分化する事とする。例えば「非人」と言えば国語辞典に次の様に記述されている。注6
  非人 1) [仏教で] 人間でないもの。 [天龍几部․夜叉․悪鬼の類]2)こじき․罪人を卑しめて言う語。3) 江戸時代, 刑場の雑役などに使われた、身分の低い人。
  ここで前提的意味としては[+身分の低い +こじき+罪人を卑しめる人 +触穢 +人間でないもの]に當たる部分を意味する。本来的意味は[+人間]とするか[-人間]とするかで全く異なってくるが、人為的行為を無生物がするのでは論 理的に合わなく、極めて現代的な意味でロボットも人間の製作過程を類似して行えるが、ロボットの定義は依然として[-人間]である訳で、ロボットを[非 人]と呼べるが、指し示す意味は新しい[非人]であって、所謂「非人」ではないのである。日本語の中に「人非人」と言うのがあるが「人の道からはずれた事 をする人」と辞書に記載されている。この場合も、本来的意味である核の部分は、やはり[+人間]である訳で、術語としてあるいは比喩的表現としての意味は あっても「差別語」としての「非人」は人に対する人間関係から発生した語であって、因みに、例えば「穢多」(エタ)の差別語は、前提的意味と本來的意味に 細分化出来るが、意味論的には、本來的意味としては「+人間」と言う事が言え、前者に「+触穢+人間でないもの+身分の低い」等の意義特徴が認められる。 別に「概念的特徴」とも呼ぶ事が出来る。語義の細分化の点では以上の様に考えたい。
 
(5) 喚情的特徴
 
「喚情的特徴」とは仲間同士や個々の人々の感情や心的態度を表わし、接触する場で、差別性を持った言語で相手を蔑視する事で、肉体的にも精神 的にも相手を傷付ける意味特徴を指している。
 
例えば「野暮てん」․「奴」․「廃物(→粗大ゴミ)」等である。 
 
仲間同士の範囲で、個人の感情や心的態度を表現し個々が接触し合う様な場で賎視的蔑視的意味を帯びた差別の言調で相手を罵って、相手側を肉体的精神的に 傷付ける様な、強度の排他的でネガテイブな意味特徴を持ったものを指している。従って、通常は公の場所では使われないのが特徴であるが、一方、喚情的特徴 が差別語を通して人々によって共有され、公共性を持ち、或は制度化された言葉になる場合もある。
 
(6) 語体的特徴
 
「語体的特徴」としては、語を中心として雅語と口語․文語および現代語と古語、漢語․和語或は外來語と言う区分であり「意義素」の面からは、周辺の意味と 位置付け出来るのである。文体的な特徴とも言える。意味の上からは周辺性を持っている。また、語体的特徴は単語を中心とする語の種類によって分けられる。 雅語と口語․文語と口語․古語と現代語․漢語と和語․外国語等と区分出來るだろうが、差別語の実態を表す例を示す事にする。官公文書に「旧土人」 (1879)とある事例を更に調べて見ると次の様だ。
 
  旧蝦夷人、古民、土人、旧土人
 
 これら語の中で「蝦夷」の語原はアイヌ語の[encu]から由来したと言われているが古語であり漢語でもある。また、和語でもあり雅語でもある。つまり古 い語感を持った語である。上述の語は4例とも、當時の差別的条件を払拭出來ずに差別をそのまま内包しつつ、単なる区別の目的で呼称されたならば、それは区 別呼称の意味ではなく、差別意識や観念が絡み付いた新たな差別語として再び用いられるのである。「よつあし」は訓読みの和語である。前掲の「裏日本」とか 「特殊部落」․「後進国」․「精薄」等の漢字語はその造語力もさる事ながら、差別語の再生産の素朴な例として用いられる可能性が多いだろう。漢字による文 体は何か公然とした中に、差別観念を纏わり付かせるのに格好の条件を持っていると考えられる。もっと言うなら、表意者が意識しなくても、いつの間にか蔑視 観念や卑下した様な好ましくないニュアンスが絡み付いてしまうのである。
 
(7) 文化的特徴
 
「連想」と言うものによる意味的特徴である。差別語の文法的特徴であった名詞語を使用する事が多く、固有名詞による直接的方法が一般的である。相手方の 情緒に敵意や悪意や蔑視の観念を回想させて差別感を助長させる性質のものと言えるのである。例えば「支那そば」「南鮮」「木まくら」「にんにく」等、差別 構造の中で生まれた様々な蔑視․賎視観念を帯びた意味を含意した差別語が重層的に存在する。
 
(8) 細分化傾向
 
これは語彙の発展と共に新しい語彙で同じ意味を表現する場合と、新しい意味を既存の語彙を使って表現する仕方があり、意味論でも「転用」と言う考え方をし ているが、意味の守備範囲を狭くするやり方を指している。現代日本語には、一語で幅広い意味を表現すると言うよりは、意味の細やかな相違を異なった語に よって表現しようとする言語的傾向が強いと言われている。差別語の領域でもこの事は言う事が出来る。例えば、かつて賎民視された人々は「部落民」「新平 民」「特殊部落」「被差別部落」等と表現された。更に、二字漢字による短い語形で意味を表わす事が多く、三字や四字漢字の場合は、三字の初めの語や二字漢 字の語が修飾して意味を限定している。四字漢字語の場合は複合詞としてひとつの意味をなし、後項の漢字語に差別的意味が表わされている。漢字指導の場でこ こでも思わぬ問題が発生している。その他に一字漢字語では「丁」(チョン)があり、歴史的には「正丁」「仕丁⌟等の用例があり、現代日本語の中では「バカ チョンカメラ」で差別語の対象にあげられている。五字漢字語以上には「未開放部落」「被圧迫部落」等の部落差別関係の関連語があるが、興味ある現象は、差 別語に対する考え方、或はそれに係わる姿勢が反差別の考え方や見解に立った意味的内容であると言う点である。
 
(9)  漢字表記と差別語
 
これは(8)で言及した事でもあるが、差別語と漢字との関係について、音声形式と意味によって語は成立しているが漢字は、その表記形式も音声形式を助け て意味を支えている。また日本語の差別語を韓国語に訳した時に生じる漢字の問題について言及すると次の事が言える。差別語が漢字との結合度が非常に高く、 差別語が漢字語で表記され、また原義と語源問題は兎も角として、一般的に「びっこ」「ちんば」も「跛」と漢字語で表記されるのだが、仮に漢字語がなくて も、差別語の「言い換え」による表現は、やはり漢字語になっていると言う事実が興味深いのである。これは漢字自体が表意文字である為、表記形式の中にすで に意味が含意されていて、それを表音文字である「ひらがな」や「カタカナ」で表記表現するのでは意味が伝わりにくいが為、言い換えの段階までその表意形式 に依存するが為なのだろうと判断するのである。
 
次に、日本語の差別語を韓国語に訳した時に生じる漢字の問題について言及する事にしたい。
 
1) 日本語の語彙の直訳による場合
 
「とくしゅぶらく」(特殊部落)は「特殊」と「部落」の複合語であるが、かつて、明治政府により作られた、新たなる差別語である。非常に強い差別的意味を 持っている語であるが、韓国語に置き換えると「피차별부락」(被差別部落)となり、補足説明がないと意味が伝わりにくいのである。後項要素である「部落」 はマスメデイアでは差別語として扱われており、「村落」「集落」「地区」等と言い換えられているが「被差別部落」の意味では不適切と指摘されている通り、 韓国語訳は極めて困難な類に属するだろう。同じ様な言葉として「部落民」や「穢多」「長吏」「河原者」「犬殺し」等がある。次に「ゆうびんふ」(郵便夫) を訳すと、韓国語では「우편집배원」(郵便配達員)となるが、「郵便夫」の語の持つネガテイブな意味合いは削除されて表われていない。「工夫」「農夫」 「掃除夫」「炭坑夫」「郵便夫」「漁夫」などの職業に関する語が何故差別語として扱われて批判されているのかの経緯や意味は、なかなか伝わらないと予測する。直訳による方法では意味の正しい伝達は不可能である。また、「ちゅうどしま」(中年増)があって、前掲の古典落語の用例にも「大年増」が見られ、年齢 による差別語の一種であり、それほど強い語感は持っておらず、マスコミの禁語集には見えなかったが、直訳が不可能な例の一つである。「床屋」の事例は比較 的弱い差別語の語感であったが、「理髪業」「理髪店」「理髪師」「理容師」「床屋さん」等の言い換え語がマスメデイアでは許可されていて、理髪師自らが自 分を指す発言の場合は使用出来る。差別語の使用に於いてはセルフコントロールが大切であり、その時文脈と場面において誰が誰を差別しているのかと言う事が 重要であったが、韓国人の日本語学習者にとって留意すべき点であると考える。
 
2) 漢字が日本語にも韓国にもある場合
 
「がいじん」(外人)の様な場合は、「マスコミの禁語集」によると、「外人」はかなり差別語としての語感が強い言葉であり、その用例には「人、外国人。外 国人墓地、外国人部隊」が見られたが、韓国語では、漢字語それ自体は、「外人」は「関係者外の人」(한패이외의 사람.)の意味であって、日本語に見られる同音異義語と同じ事になる。つまり漢字の問題だと考えるよりも、むしろ、言葉それ自体が意味的に異なっていると 見るべきである。日本語の韓国人学習者或は、韓国語の日本人学習者の気を付けたい点であると考えるのである。「坑夫」の同音異綴異義語に「工夫」があっ て、韓国語には同じ漢字語の「工夫」があり、然も問題はその意味が全く違っていて日本語の「勉強」にあたる(공부)「コンブ」である。同じ漢字文化圏にあ るのだが、差別語の世界にも、漢字の機能は同じく作用しているのである。次の様な例「みなしご」(孤児)は漢字では韓国語でも「孤児」でハングルでは「고 아」と音読みしている。また、「土方」の様に韓国語の中に残っている日本語の中に差別語が含まれている例が見られる。これ等は異音同綴同義語の類だと考え るのである。
 
次の漢字語は各々「女」偏により作られた漢字語であるが、それに対照される韓国語を右側に記した。
 
妨害(する)、妨げる 방해한다 (パンへーハンダ)
奸人 간인(カンイン)奸曲 간곡(カンゴ)奸臣 간신(カンシン)
姦人 간인(カンイン)姦計 간사한 꾀(カンサハン ケー)姦通 간통(カントン)
婦人 부인 (プイン): 「女」+「ほうき」 비(ピ)
奴   하인(ハイン)奴隷 노예(ノエー)奴僕 노복(ノボ)
嫉妬 질투(チルト)
嫌悪 혐오 (ヒュンモ)等
 
これ等はすべて「女」の女偏で出来ているのが特徴的である。しかも比較的悪い意味の語義を持っている。「奴」は男性に使われるものであるが女偏が使われ ている。「奴隷」は女性だけではなく男性にも使われている。「姦通」「嫉妬」は女性だけのものではないのに何故か女性を想像する形の漢字が用いられている のである。この事は韓国語の字音上は感じられないが、元々の漢字語の形態上は同じ事が言えるのである。
 
「姉女房」は性差の点では片務性を持っているが、「女盛り」「男盛り」は性差の上で双務性がある。 
 
「男所帯」は「홀아비살림」(ホラビサリム)があるが、「女所帯」は「여자들만의 살림」(ユジャドル マネ サリム)となって説明的な表現になってしま う。「男やもめ」「女やもめ」は韓国語では各々「홀아비」(ホラビ)「과부」(カブ)となるのだが「やもめ」は漢字語では「寡」「寡婦」「嬬」があり、 「後家」「未亡人」の様な差別語になるのである。
 
身体状態による差別語は「痩せっぽち」말라깽(マラケン)「太っちょ」뚱뚱보(ドウドウボ)「頭でっかち」대갈장군(テカルチャングン)「胡座鼻」남작코 (ナンジャッコ)等の用例があり、日韓両国語共に否定的な意味合いとしての言語標章であると見えるのである。
表1 性差による表現の違い
        女性         男性
 女だてらに 여자답지 않게 男だてらに  남자답지 않게
 女振り    여성스럼 男振り      남성스럼
 女つき    여자다운 모습 男つき    남자다운 모습
 女遊び    계집질  男遊び     서방질
 女たらし   창녀,장부,걸레 男たらし    난봉꾼,걸레
 悪妻     악처  
 魔女、妖女、悪女 마녀、 요녀、악녀  
 晴れ女  晴れ男
 女一匹(?) 여장부(女丈夫)  男一匹     사내 대장부(大丈夫)
 女臭い  男臭い     남자다운
 女っぽい  男っぽい
   男泣き     북받쳐 욺
 女勝り    여장부  男勝り     여장부  남 장부(?)
上の項目で「男臭い」に対して「女臭い」等が考えられるが、「香水の臭い」の意味にとられる。各事項の空欄から性差に於ける対応する語が存在していない 事実を表している。
 
韓国語に於ける性差は次の様な事例によって語られるのである。各語の右側に対応する日本語を記した。
 
新婦授業  신부 수업(シンプスオ)      嫁入り修行、花嫁修業
兄弟愛    형제애  (ヒュンジェエ)     人類愛
다소곳하다(タソコハダ): 女性だけ使用   おとなしいの意味。
꽃뱀 (コッペン):男性を誘惑して詐欺を働く女 cf. 제비(チェビ):女性を利用する所謂「ヒモ」の事。
부엌데기 (プウテギ):女性を見くびる言葉  飯炊き女
솥뚜껑운전수 (ソットッコンウンジュンス):女性を見くびる言葉 釜の蓋の運転手
 
 솥뚜껑운전수 (ソットッコンウンジュンス)には「アジュマー」があって、これは韓国の庶民の中で使われている言葉ではあるが、日本語のネイテイブ‧イ ンフォーマントの報告によると若い外国の女性が韓国の人からそう呼ばれるのには抵抗がある様だ。
 
その他に比較的新しい事例で女性に関する語彙として興味深い例をあげると次の様だ。
 
表2 「녀(ニョ)」の付く語彙
시청녀  (シチュンニョ) (市役所の女)
치우녀  (チウニョ) (片付け女)
개똥녀  (ケトンニョ) (犬の糞の女)
딸기녀  (タルギニョ) (苺の女)
떨녀    (トルニョ) (振い女)
헤드폰녀(ヘッドフォーンニョ) (ヘッドホーン女)
개풍녀  (ケプンニョ)  (犬を水素ガス入りの風船にぶら下げて飛ばした女)
꽃미녀  (コッミニョ) (かっこいい女) cf. 꽃미남(コッミナン)
훈녀   (フンニョ) (外見はともかく性格のいい女)cf.훈남(フンナン)  (スポーツマン)
고추장녀(コチュヂャンニョ) cf. 된장녀고추장남(コチュヂャンナン)
된장녀  (テンジャンニョ) cf. 된장남(テンジャンナン)(味噌だか何なのか区別の出来ない人)
事例の中に見られる様に女性の「녀」に関した語彙が多く「남」の男性に関したものは僅かに限られているのは興味深い特徴である。
 
「言語に於ては全く同一の言葉は存在しない」と言われる如く、差別語にも全く同一の対応というのはあり得ないと考える。それは日本語と韓国語の表現の違い が言葉によって各々違っているからであり、表現形式の上でも簡潔な名詞によるネイミングが難しいからでもある。それは取りも直さず、各々の言葉がその歴史 的背景と成立過程を異にしている為に、自ずと両国語の間に微妙なズレを生じているからなのであって、この事は差別語の世界でも例外ではないと考えられる。
 
日本語の中で多義語或は同音異義語の多さは特徴的であり、しかも言語活動は状況によって影響を受けているので言葉の意味は極めて複雑である。だから、差 別語の含意する差別的意味特徴は、漢字語の持つ表意性に依拠して初めてその差別性を明示する事がより可能になったのだろうし、日本社会の日本語の中の差別 語はその命脈を保ち得たと言えよう。以上の様な分類が出来るが、ここで大切な事はこれ等の特徴は別々にあるのではなく、各々関連し合って差別語は現われる と言う事である。
3. 差別語調査の実施概要
ここで、差別語に対する人々の受け取り方の実態を二つの調査を通して明らかにしておきたい。ここで問題となって来るのは調査対象と調査範囲の設定である が、調査1.では新聞・放送各社の「禁語集」「不快語言い換え用語集」(1962ー1993 )等の資料を中心にして、それ等の「言い換え用語」を抜粋して差別語のリストを作成した。これを調査者がどう感じるのかという点に焦点をおいてその実態を 見る事にした。調査2.では「古典落語」の現代語版の中に現われている差別語に対して、調査者がどう感じるのかという点に焦点をおいてその実態を見る事に した。作業手順として、まず、落語に表われる語を対象にして、その中から差別語と思われる語彙をネイテイブ⋅インフォーマントの人の協力で選んでもらい、 その結果を差別語の「選定表」に纏めた。更にそれを評定者によって「差別語だと考える」ものと「そう思わない」もの、そして「分からない」ものの三つに分 けて判定してもらい、その結果をまとめて「評定表」を作成した。
 
尚、ここで何故差別語の資料として「落語」を選んだのかと言うと、この資料を通して、ある程度差別語の経緯と意味を知る事が可能だと予測できると考え る。落語の作品は、日本語の古さと新しさが調和を持って現代語の中で生きづいている数少ない資料であり、然も口誦性と大衆性があると見られ、本研究の差別 語が人々によってどう受け止められているのかを知るのに有効な資料だと言えるからである。また、新聞・放送各社の「禁語集」「不快語言い換え用語集」等の 資料を作った人々の差別語の捉え方はある程度、 明示されているが、マスコミの側ではなく一般の人々ではどうなのかという点ははっきりした研究が少なく、比較的小規模ではあるが試論として行なうだけの価 値と意義はあると考える。また、これらマスコミが一様、差別語だと考えている用例集を基礎資料として、落語の中に見える差別語の用例との対照を通して差別 語に対する意識の差を伺う事が出来ると考えるのである。以下考察を図る事とする。
 被験者に関しては「禁語集」「差別語言い換え用語集」の差別語調査は日本言語文化専攻の日本人の大学院生10名(20代)にお願いし「落語」の差別語調 査は6 名(20代)の日本言語文化専攻の日本人の大学院生を中心に行なったものである。 この調査は2006年9 月1 日に調査票を配布し、その當日回収した。
 
調査1は、新聞・放送各社の「禁語集」「不快語言い換え用語集」(1962ー1993)等の資料を中心にして、それらの「言い換え用語」を抜粋して差別 語のリストを作成した。これを調査者11人がどう感じるのかという点に焦点をおいてその実態を見る事にした。因みに、新聞・放送各社の「禁語集」「不快語 言い換え用語集」(1962ー1993 )は年を重ねて変わっている。
 
調査2 は、落語を現代語化した興津要の『古典落語』(1972)8 の全6 巻を資料として、差別語と思われる語を三人のネイテイブ⋅インフォーマントの人に選んでもらい、それを更に6人の調査者が三つの項目について識別して選ぶ と言う形で実施したものである。
 
所謂「差別語狩り」によって、日本で親しまれていた落語の中で、古典落語百種類余りの内半数以上がマスコミ等で口演に支障を来たしている状況があって、 差別語・不快語を落語と言えども自由奔放に使う事は不適切であると考えられている。この事について、落語の本質が口誦文化として「口伝え」によっており、 それらの内容を當時写した写し本も大切な資料で、古典的な文献としての学術的価値があるから、過去の古典落語の原作まで訂正する必要はないが、実際どの程 度差別語があるのかその実態を調査する事にした。この様な二つの調査を通して、差別語とは何かまた何故差別語なのか考察する事にした。
4. 調査結果と考察
はじめに、マスメデイ アの差別語の選定を行なうと次の通りだ。
 
ここでは、それらを略称として「禁語集、言い換え用語集」と呼び、これを主な資料にして、新聞・放送各社の「禁語集、言い換え用語集」(1962ー 1993 )の資料を抜粋した。次に、調査1.で所謂「禁語集」「不快語言い換え用語集」を資料として、選定者の差別意識を見る為に差別語の数量的な分析と、自由回 答式の聞き取り調査の方法を通して、何故差別語かについて選定者の差別語に対する捉え方の実態を調べた。「禁語集」「不快語言い換え用語集」の差別語調査 では、それ等の資料に共通して出て来る掲載高頻度の異なり語を75個リストアップした。これ等の語を対象として、調査項目を社会的身分、門地関連、職業関 連、障害、疾病等関連、人種・民族・国際関連、性別関連・その他、の5つに分類して行なった。それら項目の語彙数は各々、社会的身分、門地関連<22>、 職業関連<59 >、障害、疾病等関連<44>、人種・民族・国際関連<23>、性別関連・その他<19 >個であった。また、選定語彙に対して、「差別語である」場合には「Yes」「差別語でない」は「No 」「差別語かどうか分からない」には「do not know」と表記した。更に、「禁語集」「不快語言い換え用語集」からの選択語彙を大幅に増加させた時の全体としての差別語に対する評価状況を調べた。対 象語彙数は前項の対象語彙75個も含めて異なり語481 個である。その略称は、<data6>と記した。その結果は、次の表3<「禁語集」「不快語言い換え用語集」>の差別語調査で示されている通りである。
 
表3  <「禁語集」「差別語言い換え用語集」>の差別語調査
    R1 R2 R3 R4 R5 R6 R7 R8 R9 R10 R11 total
data1 Yes 10 7 8 8 8 9 6 5 6 9 7 83
  No 10 11 9 4 4 13 3 6 12 3 9 84
  Do not know 2 3 4 10 8 0 13 10 3 10 6 69
data2 Yes 3 14 13 31 10 18 24 4 17 10 12 156
  No 40 32 30 10 39 40 20 16 25 29 25 306
  Do not know 16 12 14 28 10 0 14 39 16 20 21 190
data3 Yes 20 33 15 16 11 5 24 9 23 10 23 189
  No 15 3 17 1 17 39 12 13 12 11 15 155
  Do not know 9 10 12 15 12 0 9 22 10 23 6 128
data4 Yes 12 13 11 13 12 9 6 2 9 6 11 104
  No 4 9 25 3 17 16 15 6 7 16 7 125
  Do not know 7 3 5 9 12 0 2 18 9 2 6 73
data5 Yes 1 2 0 5 0 4 2 0 3 4 4 25
  No 16 4 15 4 13 15 12 9 10 10 13 121
  Do not know 2 13 3 10 6 0 4 10 5 5 2 60
total Yes 46 69 47 73 41 45 62 20 58 39 57 557
  No 85 59 96 22 90 123 62 50 66 69 69 791
  Do not know 36 41 38 72 48 0 42 99 43 60 41 520
 
data6 Yes 87 132 168 205 62 59 93 38 85 75 130 1134
  No 289 106 148 41 294 420 212 84 199 162 226 2181
  Do not know 105 243 165 235 125 3 176 359 197 248 134 1990
これ等を分かりやすく図示すると次の様だ。
 
図2 日本人の選定表.(総計)
 
調査項目の社会的身分、門地関連では「差別語である」と答えた調査者の比率と、「そう思わない」と答えた人との比率がほぼ均衡しているのが興味深い。職 業関連に関しては「差別語である」とは思わないと判断しており「差別語かどうか分からない」まで合わせると3倍にも達している。障害、疾病等関連に於いて は「差別語である」が一番多く分布していた。これらは心身障害者差別に対する意識の高さが表れていると考えられる。人種・民族・国際関連では、 <data1>の分布と類似しているのが特徴的である。性別関連・その他に関しては、「差別語である」と判断した比率が各項目中で最も低いのが特徴的だ。 この事に関して、各項目別に「差別語である」と判断した比率を「差別語でない」とか「差別語かどうか分からない」と判断した比率に比べた割合は次の通り だ。
 
表 3 <「禁語集」「差別語言い換え用語集」>の差別語調査項目別分布

社会的身分、門地関連<data1 > 53.2%
職業関連<data2 > 31.3%
障害、疾病等関連<data3 > 69.3%
人種・民族・国際関連<data4 > 72.1%
性別関連・その他<data5 > 13.6%
合計 44.7%
 
表3から分かる様に、人種・民族・国際関連が72.1 %と最も高く、障害、疾病等関連が69.3%、社会的身分、門地関連が53.2 %と高い分布率を示している。職業関連31.3%と、全体の平均比率44. 7%に満たない。これは評定者の差別語に対する意識が双方に割れてしまっているからだと考える。しかし全体的には、差別語の存在を認めており、それも、人 種・民族・国際関連、障害、疾病等関連、社会的身分、門地関連の三大分野に集中しているのが明らかになった。これ等は「人種差別」「民族差別」「部落差 別」「心身障害者差別」「女性差別」「職業差別」等の「人権」問題「差別」問題の歴史的社会的差別構造が拘っていて、差別の指標としての「差別語」が実際 に人々の意識や判断に影響を與えているものと考えるのである。
 
次に、「禁語集」「不快語言い換え用語集」からの選択語彙を大幅に増加させた場合の全体としての差別語に対する評価状況を調べた結果は、対象語彙数は前 掲の対象語彙75個も含めて異なり語481 個であったが<data 6>に示されている通り、総体として「差別語である」と判断した比率を「差別語でない」とか「差別語かどうか分からない」と判断した比率に比べた割合は 22%で、これは前掲の平均値44.7 %の半分でしかない値である。それは対象語の選定が「禁語集」「不快語言い換え用語集」の中で各社ごと掲載語が多少異なっていて、例えば、前掲の対象語は 「片足」「片目」「片腕」「片手落ち」「片肺」の「片」の付くものであったが、今回はその他に「片ちんば」「片親」「片手」等が加えられ、前掲の対象語に 「差別語でない」とか「差別語かどうか分からない」と答えた評定者は続けて同じ判断をしている為、結果的に「差別語でない」とか「差別語かどうか分からな い」と言う比率が増加していったのが原因と言える。しかし、分布図の総体は前記の総計図と極致している事が特徴的である。差別語に対する評定者の言語意識 の実態を蓋然的に示していると言えよう。データが集積されていけば、滑らかな分布になって行くと推測される。
 
次に、自由回答の質問で「何故、差別語になると考えたか」と言う事に対して指摘された内容を記述すると次の様だ。その判断理由を幾つかの項目に分けて表 示する事にする。
 
  1. 差別表現者やその発話者の意識や意図に関するもの
  2. 被差別者への気持に関するもの
  3. 選定語が差別語ではないと否定し疑問点を指摘したもの
何故差別語かについてまとめると、評定者が何故選定語を差別語と判断したのかと言う事についての理由について、これは「差別語だと思わない」が2割「差 別語かどうか分からない」2 割であった。これが高い数字かどうか判断する資料はないが、その判断基準は確かなものと考えるのである。論点を整理して見ると次の様だ。
 
  1. 差別の意図を持って使用する事が差別語になるのである。差別の歴史性社会性を明らかにして、差別の不當性を批判する目的で使うのは認められる。
  2. 一端、差別語が発せられると被差別者を傷付け、相手の人権を侵すという認識度は可なり高く、被差別者に対する思いやりや理解を示しているが、 それが差別の実態とどう結び付いているか不透明である。差別被差別の視点だけでなく、第三者への視点への注目が必要だと考えるのである。
  3. 言葉の意味については、差別語の持つネガテイ ブな意味が言葉の中に内包されている構造を意義素の方法を使って明らかにしたが、差別語には歴史的社会的要素が反映しているので、この事を言葉の歴史的社 会的規定性と見て、差別語に拘っていかなくてはいけないだろうと考える。
ここで問題となるのは、元々は発話者の内言に存在している差別意識の存否を外的な指標である言語のみで判断する事である。またもうひとつは社会的差別 が、その人の持っている内面的な価値を見る事なしに、極めて単純な外的な事実によって左右され、その人が内面にどんな価値を持っているか度外視して単純で 明確なあるレッテルを張られてしまう事である。この時、何がラベルに値するかラベルを張るか張らないかを決定するのも全て他者であると言う特徴を持ってい る。差別語と言う指標から受ける感じには、言語の内在的特徴とは全く違う別の条件が介入している。即ち、人や民族等の集団に対する人の感情、差別対象者と の接触状況、風習や人々が存在している社会への志向性、そして差別対象に対する嫌悪等が語感を換起するものと考えるである。従って、一度もあった事もなく ても、その人に対する好感度に影響を及ぼす事になる。また人の視覚的印象も同様の影響力を持つものと考える。以上の分析結果をまとめると次の様である。 日本社会に於ける、在日韓国人等に対する差別は、まだまだ厳しいものがあるのが現実である。その言語指標としての差別語も依然として存在している。それは 回答者が8割方「差別語である」と答えた事からも言えるのである。一方「差別語でない」と答えた人の場合でも、客観的に見て、本當に「差別語でない」か否 かは確定しがたいと言う問題が残るのである。これはある「出来事」が、ひとつの「経験」として構成される場合には、そこに於いて當事者による「状況の定義 付け」が働くからである。即ち、差別語が差別語として体験される為には「差別語を見抜く能力」がなくてはいけないからである。差別語を見抜く能力について 言えば、多くの日本人は基本的には差別語に関心を持っている。そして、実際彼らの7割以上が差別語の存在を認めている。差別語の認定度の高いのは身体障害 者に関する語から出自に関する語であって、職業や民族に従って低いと言う結果が得られた。また、強度の差別語だと思われている語も差別語だとは考えないと 思う人が多く、それも様々な領域にわたって現われている。差別語として選定しなかった理由としては、それが言葉が余りにも良く知られている為にかえって差 別語と感じないと言う人もあった。例えば「馬鹿」等は差別語の代表的名詞であるが、既に普通語化していると言う様な語感があると言うのである。もうひとつ は、言葉の言換えが行なわれるのでその様な状況の中には差別語と絶対視する事は出来ず、従って差別語ではないと考える人もあった。また、全体的に分からな いと答えた人も多く、所謂、マスコミの「禁語集」「差別語言い換え用語集」にリストアップされたものを、全てそのまま実証性のある差別語集と認めるのは難 しい。個人差のある部分については更に論議と検討が必要である。被験者達は普段の言語生活を通して「差別語」に対する問題意識をかなり強く持っていて、一 見、差別語ではないとか、或は分からないと回答した人が意外と多く差別語の評定に困難な点となると予想されるが、それらは「禁語集」「差別語言い換え用語 集」の様な特定のマスメデイアの各機関の内部でのガイドライン的な機能を持ったものであるが為、差別語の基準や実証性のある一覧表のレベルにはまだ至って いない訳で、この様な段階からより統合的実証的な差別語の提示が可能である。回答を分析した結果「分からない」と言う回答の度合いも多かったが、これは、 言語の意味的な相違点によるものであると考える。日本人だからと言って差別語を差別語として認識する訳ではない。差別語に対してマイナス的に評価されてい る場合も考えられる。言語意識が高い人が必ずしも差別語を認めるとも言えない。差別語に対する捉え方に関しては言語意識が関係していて、然も被差別者との 接触経験があり、言語意識が高い人の方が積極的な評価を下している。従って言語意識の高低が、差別語に大きく関與していると言える。人間の評価を生の個人 から始めるのではなくある集団に対する評価から始めて、その基準で個人を評価するところに、指標としての或は象徴としての差別語の特徴があると考える。差 別語は歴史的社会的なプロセスと経緯の中から、現実の社会に存在する差別的関係が象徴的に言葉として表現されたものである。従って、差別表現の成立要件と して発話者の意図或はコンテキストと共に重要な機能を果たしていると考えるのである。例えば「部落民」「鮮人」と呼ばれる集団が歴史的社会的にどの様な扱 いをされて来たかという事で、その属性を持っている人は、差別集団の人々から否定的で蔑視的な扱いを受ける。そこには當事者の主体の意志は介在しない。一 度、差別集団としてレッテルが張られると理不尽で冷酷な力が作用する言語社会が発生する。勿論、差別語も時間や新たな空間の中で変化して行くが、差別語の 持つ悪意と差別性は、差別の実態が完全になくなるまでは消え去る事なく、新たな言葉に纏わり付いて保持されて行くのである。この事は「禁語集」「差別語言 い換え用語集」等を見ると明らかである。次に、調査2.として、日本語に於ける差別語の選定について「落語」を取り上げて、落語に於ける差別語の数量的な 分析を行なった。まず、集計結果は<落語の差別語の選定表>に示す事にした。ネイテイブ․インフォーマントの選定した落語中の差別語の異なり語数は360 個であった。更にそれらの<落語の差別語の選定表>に対する、6人の被験者の評価結果を基にして<落語における差別語の評価表>を作成した。その全体の総 計は<落語における差別語の評価表><全員の選定表(総計)>に示されている通りだ。
図3 <落語における差別語の評価表><全員の選定表(総計>
 
総体としては、評定者の差別語に対する語感の違いが表れていながらも、シートの中の語彙が比較的差別的な色合いの強いものが多かった事を示していると言え よう。また、差別語に対する比率からも分かる通り、差別語の存在が証明されると同時に、評定評者の差別語に対する認識度が高い事が明らかになった。
 
これ等の調査からも分かる事は、日本の歴史的社会的規定によるものと、人々の差別意識により規定されるものの二つの要因によって差別語が形成され、一端 発せられた差別語は今度は、日本の社会や人々の意識に影響を與えて行く姿が明らかになったと言えるのである。次に<落語における差別語の評価表><全員の 選定表(総計>4から言える事は、日本人の差別語に対する認識は比較的高いと考えられるのである。それは、合算すると、全員が一致して「差別語である」と 選んだ比率は15.7%であり、また過半数が「差別語である」と選んだ人の比率が「差別語だとは思わない」とか「差別語であるかどうか分からない」と選ん だ人に対する比率は57.5%にも達している事から明らかである。差別語か否かの判断には、評定者の差別語に対する考え方や語感の違いが影響していたもの と考えられる。総体としては、評定者の差別語に対する捉え方や語感の違いが表れていながらも、落語から選定したシートの中の語彙が比較的差別的な色合いの 強いものが存在している事を示していると言えよう。また、差別語に対する比率からも分かる通り、差別語の存在が証明されると同時に、評定者の差別語に対す る認識度が高い事が明らかになった。
 
これらの調査の結果から、差別語に対する意識が人々により相対的に違っていると言うのは、データーの比較を通して明らかになったところである。人々の言 語活動が人々に共通して表現活動に於いて極めてマイナスの様式として人々の性向に密着している事実は、人間の固有性に依拠して自然に由来すると考えられる だけでなく、差別表現を正當な表現様式とする評価的態度と複合して、差別的自己中心性を形成している。にも拘らず、差別語に対する言語意識の違いは、人々 の本性にもとづくものではなく、古くからの人々の接触や知覚の積み重ねによって形成され、各々の社会において習得され人々の規範や制度となって形成された ものである。差別語は斯くして一定の仕方により習得された差別の社会的伝承の指標である。
 
5.結び
 
差別語と言うものに対して、何を差別語としまた何故差別語なのかと言う事は、問題の本質的な理解と認識に繋がるものとして捉えるのである。
 
まず第一には、何が差別語であるかと言う問題に対しては客観的で実証的な根拠に基づいて決められなくてはならない。本研究でも示したが、何が差別語かと 言う問題は言葉の規定性と歴史的社会的規定性のふたつの要素によって差別語か否か決められているのである。そこで、言葉の規定性に於いて重要な事は、所謂 「人種的起源説」「宗教的起源説」「職業的起源説」「民族的起源説」及び「語源説」の様な考え方は差別語の本質を捉えてはいない。これ等諸説は日本の近世 はもとより、明治政府の賤民解放令を始めとする現近代の融和政策の一環として、差別構造と差別の論理を形成して来た経緯を見ると明らかな様に、差違を強調 する事により、対象を異質の存在に換える事によって、対象を新たな差別の構造に押し戻す結果になるからなのだ。そこで本研究の中では、言葉の意味について は差別語の持つネガテ イブな意味が言葉の中に内包されている構造を意義素の方法を使って明らかにした言葉に絞って「差別語」の意義に関し「意義素」に注目して差別語の性格を分 析した時、日本語の中の「差別語」の特徴として次の9項目があげられる。
 
(1)  語の多義性 ( 2)  適用程度の推移 (3)  使用場面の特殊化
(4)  語義的特徴 ( 5)  喚情的特徴( 6)  語体的特徴 ( 7)  文化的特徴
(8)  細分化傾向 ( 9)  漢字表記と差別語
 
以上の様に意味特徴から差別語の究明が可能になったが、ここで大切な事は、各項は別々に存在するのではなく、各々関連し合って差別語として現われている と言う事が言えるのである。
 
この様な考察から、差別語と言われる一群の言葉は、身分制度等による差別や不平等を當然視する言動や、蔑視、偏見の意味を内包した語として発せられたも のと、それらの背景とは関係なく中立的名称として使われていたものが、差別の持つネガテイブな意味が纏わり付いたものとに分類出来る。更に、差別語は、文 章やデイスコースの全体から意味規定がされると言う特徴を持っており、差別語と言えども表現を差別的、侮蔑的に使わない目的で使わないのなら許容されるも のである。差別語の問題に対しては主観的に判断されやすいが、客観的な根拠によって公正的に行なわれる事が必要だ。この事は本研究の中の調査を通して明ら かになった事で、差別語に対する言語意識は主観的な差異を無視出来ないが、その事自体が差別語の原理だと考える事が出来るのである。
 
「落語」に表れる差別語の事例を通し、更に「差別語」に関する「言い換え集」や「禁語集」などの二次資料の資料分析とネイテ イブ ⋅インフォーマントの調査と考察を通して選定された語の中から差別語として判断された語を示すと次の様だ。
 
 

<表 4> 評定結果から見た差別語
       項目 差別語
社会的身分、門地関連 部落 特殊部落 部落民 非人 
穢多(えた)新平民 落人部落 
不可触民
職業関連 河原こじき 屠(と)殺 工夫 バタ屋 
女工 下女 おんぽう 女中 下男  
あんま くず屋 でっち どさ回り ドヤ街 
小僧 百姓  くず屋 馬丁 こじき 
貧農 女乞食 乞食坊主

心身障害者関連

1・身体障害者 
あきめくら おし かたわ つんぼ 
どつんぼ びっこ ビッコうま ちんば 
片ちんば せむし めくら 片目 
ライ病 どもり 
2・知的障害者等 
気違い 気狂い 気違いに刃物 馬鹿 
あほ 低能 白痴
人種・民族・国際関連 トルコ嬢 トルコ風呂 南鮮 北鮮
鮮人 朝鮮人 チャンコロ  あいのこ
クーリー(苦力)ニグロ バカチョンカメラ
性別関連・その他 情夫 ?情婦 二号 あま 醜女 
大年増 めかけ
考察の結果、差別語の存在を証明する事が出来た。更に論究を通して明らかになった事は次の様だ。
 
落語の差別語調査やマスコミの「禁語集」等を通して明らかになったのは、差別語と言ってもその意識の有無や程度の差等によって各々の語が異なった姿を表 していた。落語の現場では、落語と言う特殊性を考慮すると、差別語に対するセルフコントロールの度合いは弱くなっている。
 
また、今回は日本語を専攻としている大学院生を中心にした調査であったが、差別語に対する認識は、言葉の社会的歴史的事項に対する体験や知識の増加に 伴って幅と広さと深さが加わる事で、言語意識の深化が行なわれるものと考えるが、ネイテイブ⋅インフォーマントの中に、差別語に対する認識度にバラツキが あり、同じ日本人であっても捉え方が違う事が明らかになった。
 
従って、対話の相手によって差別語に対する認識の違いが、コミニケ─ションに於ける誤解と理解の問題に深く関わって行くと言う事である。所謂「言葉で争 う事態」が発生し、日本人の間に差別語によるトラブルを生み出す原因になっていると考えるのである。ここで示した実証的な差別語への科学的アプローチは問 題の解決にとって大いに役立つものと考える。 
 
次に、差別語の規制が過剰或は不適切であると考える立場から、その様な語規制を「言葉狩り」と呼ぶ様になった歴史的経緯がある。しかしマスコミに対して 批判、糾弾をした被差別者に対しても「感情的な差別批判」として言葉狩りを逆に批判する結果を起こしている。差別語、差別表現を批判する側も又それを批判 する方も、表現の自由の現代的意味とその状況を直視する事が重要である。「禁句言換え集」は差別語を言葉として問題視する事から掛け離れ、差別語としてリ ストアップされる言葉が、何故、如何にして差別語であるのかと言う事の客観的な検証や説明を欠いていた。感情的に見られてしまう様な行き過ぎた言葉狩り や、単なる言葉の言い換えや使用禁止や回避行動を行うだけでは、問題の本質から遊離する事になるのである。その意味で、本研究で扱った様な、日本語の中の 差別語と見做される語の歴史的社会的意味合いを再検証して見る事は、現在の「差別語」規制への批判に対して反論出来る科学的根拠になれるのである。例えば 「差別語」規制の有用性は必ずしもマイナス的な面だけではなかった。ジェンダーに基づく用語の言い換えを進める運動を「ポリティカル・コレクトネス」と呼 び、ジェンダーフリーの考え方は公式語が男女を表す語尾を中性的に言い換えられる原因となり、職業生活における性差の撤廃や身体障害者に対する反差別運動 へと発展した意義は評価される事だと言えるのである。
 
これらの調査の結果から、差別語に対する意識が人々により相対的に異なっていると言うのは、データーの比較を通して明らかになったところである。人々の 言語活動が人々に共通して極めてネガテ イブな表現様式として人々の性向に密着している事実は、人間の固有性に依拠して自然に由来するものと考えられる。またそれは差別表現を正當な表現様式とす る評価的態度と複合して、差別的自己中心性を形成している。にも拘らず、差別語に対する言語意識の違いは、人々の本性にもとづくものではなく、古くからの 人々の接触経験や知覚の積み重ねによって形成され、各々の社会に於いて習得され、人々の規範や制度となって形成されたものである。差別語は斯くして一定の 仕方によって習得された差別の社会的伝承の指標であると言えるのである。
 
以上の様に、日本語の差別語についてその本質について明らかにして来た。今回の調査では評価者、被調査者を限定しているので、今後は評価者、被調査者の 数を更に増やす事で、何れデータが集積されていけば、滑らかな分布になって行くだろうという想定が出来ると考える。しかし、これを単なる差別語のリストと して使用されるのは妥當であるとは考えない。言葉が時代の変化に伴って変って行くのは當然な事である。其は日本人の生活形式や人々の価値観、社会構造、伝 統の変化等様々な理由によっている。そして言語主体である人は言葉を変えていく。「差別語」はそんな時代の変化の中で生まれて来たと言えるが、相手を蔑視 し、排除する強いネガテイブな情動的意味を持った「差別語」の様な言葉は根本的にはなくなるべきである。また、言葉を選ぶ時には公正であるべきだし、表現 する際には表現者の美意識と人による人の為の公正さを持ってなされるべきであると考えるのである。
 
何れにしても、本研究では評価結果等を基に様々な角度から何が差別語であり何故差別語かと言う事を中心にして、差別語の存在を明示する事が可能となり、 その蓋然性を明らかに出来た事から、今後の差別語の研究に役に立つと推測されるのである。尚、これからの課題としてして今回の調査の対象者数が少ない事が あるので、これから対象者を増やした調査が必要と考える。これからも差別語を究明する為に、様々な課題に科学的アプローチを行ないながら詳細に研究して行 く ことにしたい。
 
  1. 興津要 (1972)『古典落語』講談社本文に戻る
  2. 用語と差別語を考えるシンポジウム実行委員会(1981)『差別用語』至文堂本文に戻る
  3. 安田吉実、孫洛範(1990) 『엣센스日韓辞典』民衆書林本文に戻る
  4. 角知行(1992 )『差別語と言語学考』明治書店 p72。この概念の考え方の切っ掛けとなったのはリーチ (Leech).(1974 )の Semantics  " 単語の意味を七つの タイプに分類"した部分による処が大きい。また「意義素」については国広哲弥 (1970),『意味の諸相』三省堂.国広哲弥 (1982),『意味論の方法』大修館書店.を参照。本文に戻る
  5. 「在日」の意味の中に差別の意味が含まれていると言う考え方も最近提示されている。本文に戻る
  6. 金田一京助(1973)『新明解国語辞典』三省堂本文に戻る
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(朴正一 パクジョンイル 釜山外国語大学校教授)

 
 
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