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学会誌6号:研究ノート(山路)

小説における女性形終助詞「わ」の使用

山路 奈保子

 
要旨:従来、小説中の女性登場人物は女性形終助詞「わ」を一貫して用いるのが一般的であったが、最近では必ずしも「わ」が使用されず、年齢や場面による使い分け がある作品も出現している。こうした作品では、若い女性より年配の女性のほうが「わ」の使用頻度が高く、若い女性が「わ」を使用している場合、強気な態度 や相手を見下した態度を示す場面で「わ」が出現しやすい。また読者の側も「わ」の使用にそのような態度をイメージすることが調査によって示された。小説に おける「わ」の使用は、女性的な個性の表現としてではなく、特定の場面で特定の効果を意図するものとしての機能を持ちうることが示唆される。
 
キーワード:女性形文末 終助詞「わ」 小説 話し手の態度
1.はじめに
日本語は話し手の性別による差の大きい言語であるが、近年特に若年層でその差が薄れつつあることはたびたび指摘されてきた。代表的な「女ことば」のひと つである終助詞「わ」(「わ」「だわ」「わね」「わよ」)に着目してみると、尾崎(1999:56)は、実際の談話データの分析から、使いうる環境で必ず 「わ」を使うという「専用」は皆無であり、一貫して使わない「不使用」ないしは使ったり使わなかったりする「混用」のいずれかであるとしている。また最近 では水本(2005)が談話データを採取した結果から「わ」は現代の20代、30代女性においては死語であると結論している。
 
一方、小説やドラマなどフィクションの世界では、従来、女性は女性形を用いて話すのが一般的であったが、小説に関していえば、最近では女性が必ずしも女 性形を使用していない作品も多く出現している。特に、現在において20代、30代である女性作家の作品でその傾向が強い。これは、女性形を使わないとされ る若い世代に属する作家が、自身の言語使用意識を登場人物のせりふに投影した結果と考えてよいであろう。
 
しかし、そうした作品中でも、終助詞「わ」は完全に使用されないのではなく、部分的には使用がみられることもある。一部の登場人物が使用している場合もあ れば、同一人物が場面により使用/非使用を分けている場合もある。つまり、これらの作品においては、従来のように発話者の性別の標示として自動的に文末が 決定しているのではなく、意図的・選択的に「わ」が使用されているのである。これは、現代小説において女性形文末が発話者の性別を示す以外の何らかの表現 機能を担っている可能性を示唆している。
 
終助詞「わ」は、国語辞典『大辞林』にも「話し手の主張や決意を、表現をやわらげて軽く言い表す」とあり、またマグロイン(1997:40)が「相手との 心的距離をちぢめようとする所にその女らしさがあるのではないか」と述べているように、従来「やわらかさ」ないしは「親和性」といった「女性らしさ」を象 徴する機能があるとされてきた。現代小説において使用される「わ」も、そうした伝統的な「女性らしさ」を喚起する機能を担っているのであろうか。
 
本稿は、1990年代以降に書かれた小説を対象に、終助詞「わ」の機能を探ることを目的とする。まず、「わ」使用/非使用の使い分けがみられる作品におい て、「わ」の使用場面を分析し、作者が「わ」の使用によって喚起しようとしているイメージについて仮説を立て、読者側への調査によってそれを検証する。
2.小説における終助詞「わ」の使用
フィクションの世界、特に、人物を視覚や音声によって区別することが不可能である小説においては、依然として女性形文末が頻繁に用いられている。若年層 では衰退したとされる終助詞「わ」も、小説の中では若い女性の発話にも使用されている。一例を挙げる。
   
(1) (25歳の女性同士が電話で話している)
「侑里のこと、覚えてる?」
「もちろん覚えてるわよ」
「侑里、結婚決まったんだって」
「あら、そう」
「社内結婚らしいわ。侑里の会社は大手の商社でしょう。いい条件らしいわよ」
               (唯川恵『恋人たちの誤算』1996年刊、新潮文庫)  
この作品においては、女性登場人物は年代を問わず、女性形文末を一貫して使っている。
 
しかし、一部には、登場する女性が必ずしも女性形を使用していない小説もある。特に、30代以下の若い世代に属する女性作家による作品でその傾向が強 い。以下は1966年生まれの作家・絲山秋子の作品からの抜粋である。
   
(2) (20代女性同士が電話で話している)
「美緒ちゃん、久しぶり」
「おおー、順ちゃん、どうしてた?」
「あんたの兄貴と別れたよ」…①
「ああ、石頭でどうしようもないでしょ。いいんだよあんなの捨ててやれば」
「石頭に見えて浮気してたよ」…②         (丸数字は筆者による) (絲山秋子『第七障害』2004年刊 文藝春秋社『イッツ・オンリー・トーク』所収)
 
 ①は「別れたわよ」、②は「浮気してたわよ」と言うことも可能であるが、ここでは「わ」が用いられていない。
 
ただし、この作品において「わ」がまったく使用されないわけではない。例(3)は例(2)と同一作品中の場面で、男女二人の話し手のうち、女性のほうは 例(2)における①、②の話し手と同一人物である。
   
(3) (20代女性と元恋人の男性が話している)
「私とあなただって別れたじゃない。もう終わったことでしょう」
「俺はそれじゃ嫌なんだ」
「嫌って言われてもこまるわ」…③
(中略)
「誰かいるのか」
「いないわよ」…④
「好きな男ができたんだろう」
「そう思いたいならそれでもいいよ」…⑤     (同上)  
 
⑤では「わ」を用いていないが、③、④では「わ」を使用している。女性形文末「わ」が使用されているのは、作品全体を通じてこの2箇所のみである。
 
このように、最近の小説、特に若い世代の女性作家によるものでは、女性が「わ」を一貫して使うのではなく、また「わ」が完全に消滅しているのでもなく、 使う人物と使わない人物がいるものや、同一人物が場面によって使い分けているものが多くみられる。そこで、そうした作品でどのような人物が「わ」を使うの か/使わないのか、また同一人物が「わ」を使い分けている場合、使用場面に一定の傾向があるのかを観察する。以下、2-1では登場人物による違い、2-2 では同一人物における使い分けについて述べる。
 
2-1.「わ」使用の登場人物による違い
 
以下、作家・作品・登場人物ごとに発話の例をみる。○は作家と作品名(『 』で示す)、< >内は例として挙げた発話の話し手である登場人物を示す。太 字は筆者によるもので、「わ」「わね」「わよ」及び「わ」を伴わずに使用された「ね」「よ」を太字で示している。
 
同一作品中に終助詞「わ」使用の登場人物による違いが存在する場合、使用する人物は使用しない人物より世代が上の女性であることが多い。典型的なものと して、若い女性主人公とその母親が登場する作品が挙げられる。そうした作品では、主人公は「わ」を使用しないのに対し、母親は頻繁に使用しているという違 いが観察される。
 
○森絵都(1968年生まれ)『いつかパラソルの下で』(2005年刊 角川書店)
  <主人公・野々(25歳)>
(4) (死んだ父親の浮気の真相を探ろうとしている兄と妹に対して)
「もうやめよう。お父さんの過去をほじくり返したってしょうがないよ。お父さんだって草葉の陰からやめてくれって叫んでると思うよ」       
<主人公の母親>  
(5) (主人公に対して)
「無力な母親だったものねえ。お父さんに理不尽な叱られ方をするたび、あなた、いつもわたしを見てたわよね。どうして庇ってくれないの、ど うしてお父さん の肩を持つのって、訴えかけるような目をしていつも見てたわ。そりゃあ、私だってお父さんの教育が偏ってることくらいわかっていたわ よ」  
 
『いつかパラソルの下で』では、主人公およびその妹の発話には女性形終助詞「わ」は使用されない。主人公の発話に一度だけ使用されるが、それは母親の口 ぶりを真似ているところである。それに対して、主人公の母親は使用できる箇所では一貫して使用している。
 
若い主人公と母親とで「わ」の使用に明確な差異があるという現象はこの作品以外でも見られる。紙幅の関係で具体的な発話は示さないが、下に例として作品 名を挙げておく。
 ○柳美里(1968年生まれ)『家族シネマ』 (1997年刊 講談社文庫)
   主人公(29歳):一貫して使用しない   母親:一貫して使用する
 ○綿矢りさ(1984年生まれ)(『インストール』 (2001年刊 河出文庫)
   主人公(高校生):一貫して使用しない  母親:一貫して使用する
 ○角田光代(1967年生まれ)『エコノミカル・パレス』 (2002年刊 講談社文庫)
   主人公(34歳):一貫して使用しない   母親:使用したりしなかったりする
 ○栗田有紀(1972年生まれ)『ハミザベス』 (2003年刊 集英社文庫)
   主人公(20歳):一貫して使用しない   母親:使用したりしなかったりする
 
2-2.同一人物における「わ」の使い分け
 
2-1では若い主人公が「わ」を使用していない作品を挙げたが、例(2)、(3)に挙げた作品のように、若い女性でも一部で「わ」を使用している場合も ある。そうした人物の場合、「わ」の使い分けはどのような意図のもとに行われているのであろうか。ここでは3つの作品から4人の人物をとりあげ、分析す る。
 
○鷺沢萠(1968年生まれ)『ほんとうの夏』(1997年刊 新潮文庫『君はこの国を好きか』所収)
 2人の20代女性の発話について、終助詞「わ」を使っているもの、使い得るときに使っていないものをすべて挙げる。(下線部が該当する人物の発話であ る)
 <主人公・俊之の恋人・芳佳(大学3年生)>
【「わ」を使う】
(6)(俊之が芳佳をねらっていることを、芳佳は見抜いていた、という話の続き)
  どうして、と訊ねたら、芳佳はフフ、と生意気な笑いを洩らして「判るわよ」と言ったのだった。
(7)(俊之に車で送ってもらう途中、道路工事のための渋滞にはまって)
 「ここの工事、いいかげんに終わってほしいわよね
【「わ」を使わない】
(8)(俊之が、芳佳を大学まで車で送る途中で追突事故を起こした)
「行けって。試験間に合わなくなるぞ」
ほんとうはそんなことに構っていられる気持ちではなかったが、それでも俊之はやっと言った。それなのに芳佳は、シートベルトを外したあと、緊張した面持ちでいったのだった。
いい、もう試験なんてどうでも。心配だもん、一緒にいる」   
<主人公・俊之の幼馴染・スンジャ>
【「わ」を使う】 
(9)(スンジャが韓国人だと知った恋人が、黙って帰ってしまったという話を俊之にして)
「フツーしねえよなあ…」
フツーしないわよッ
(10) (俊之を、1つ年下の友達・スミョンに紹介したとき)
 信川秀明-ホ・スミョンは、すぐにスンジャのほうに向き直ると、俊之にも聞える程度の小声で「彼氏?」と訊き、「違うわよ、バカね」 というス ンジャの一蹴にへへへ、と笑った。
(11) (スミョンがスンジャを「ヌナ」と呼ぶので、俊之がその意味を聞いた)
ヌナって、おねえさん、みたいな意味なんだけど…。このコ今、覚えた単語ぜーんぶ使おうとするからさあ、参っちゃうわよ。ついこ ないだまであ たしのことスンジャスンジャって呼び捨てだったくせしてさあ」   
(12)((10)、(11)に続く場面、スミョンとの会話)
「ねえねえ、イ・ヒョヨンって知ってる?」
ああ…、中・高一緒だったわよ。同じ学年で
【「わ」を使わない】  
(13) (スンジャが俊之の留守電を聞いて、折り返しかけてきた)
「やあ、たいした話じゃないんだ」
そうなの?でも久しぶりだし、今日仕事あんまり遅くならなかったらまた電話してみる
(14) (俊之に車で送ってもらっている途中。俊之の愚痴を聞いてやるために会ったが、
   結局はスンジャの恋人に対 する怒りの発散で終わってしまい、そのこ とを反省
   しているところである)
あ、ここでいい
(15) ((14)の場面の続き)
それに、あたし今日ちょっとイジワルだった、それもゴメン
「あ、ううん、ゼンゼン…」
(16) (スンジャが俊之に、成田まで車を出してくれるよう頼んだ)
「…判ったよ」
ありがとっ。お昼おごる
(17) (俊之がスンジャに、前に会ったスンジャの友達の名前を聞いた)
   スンジャはびっくりした表情のまま答えてくれた
信川くん
「そーだそーだ、信川だー」
良かったねえ、名前思い出せて…」
 スンジャが半ば呆れたように言う。  
 
芳佳の(6)は「生意気な」と描写されている。(7)は渋滞にいらだっている場面である。それに対し、「わ」を使用していない(8)は自分のせいで俊之 が事故を起こしたと思い、心細くなっているところである。
 
スンジャの(9)は怒っている場面(但し、俊之に対してではない)で、(10)、(12)はスミョンに対する発話である。(11)は直接には俊之に対す る発話であるが、スミョンの態度を本人の目の前で評しているところである。スンジャとスミョンは姉と弟のようであり、この場面では韓国に留学して帰国した スミョンを、スンジャが「エラソーだ」と繰り返し言っている。つまり、(10)~(12)の場面でのスンジャは「わたしはスミョンより上」という態度を表 しているとみることができる。
 
一方、「わ」を使用しない(13)~(17)はすべて同い年の俊之に直接向けられた発話で、特に(14)~(16)は俊之に対し下手に出ている場面であ る。
 芳佳・スンジャのいずれの発話においても「わ」の使用と話者の態度との間に相関がみられる。すなわち、相手に対する強気な態度を表す時には「わ」が使用 される。反対に、相手との親和を志向している場面では「わ」が使用されない。
 
○瀬尾まいこ(1974年生まれ)『幸福な食卓』(2004年刊 講談社)
主人公・佐和子(高校生)の兄の恋人・ヨシコ(20代)の発話をとりあげる。この人物の発話はほとんどが佐和子との対話であるが、一貫して「わ」を使用し ている。(下線部が「ヨシコ」の発話である)   
(18) (兄以外の男性とつきあっていることを責める佐和子に対して)
別にあの人はこんなことで悲しまないわよ
(19) ((18)の場面の続き)
ねえ、あなたお兄ちゃんのことが好きみたいだけど、中原君、相当いけすかないわよ」  
 
ところが、以下にあげる場面では、始め「わ」を使用しているが、途中から「わ」をまったく使用しなくなっている。恋人が事故で死んだため、立ち直れない で いる佐和子のところに、ヨシコが突然押しかけてきた場面である。
    
(20) 「もう、あんたが暗いと大迷惑なんだけど
   と、でかい声を出しながら小林ヨシコが入ってきた。
「何ですか」
何ですかって、あんた、玄関の鍵、開けっ放しよ。私が来なかったら、今頃どろぼうに襲われて、めちゃくちゃにされてたわよ
「はあ…」
はあ…じゃないわよ。間が抜けてるわね
ヨシコはえらそうに言うと、勝手に座布団を引っ張り出して、私の部屋の真ん中にどかっと座り込んだ。
    (中略)
「で、どうしたんですか?」
どうしたもこうしたもないわよ。あんたが、落ち込む、そうすると、あんたの兄ちゃんも落ち込む。そしたら、恋人の私はちっとも楽 しくないじゃ ない
わざわざそんなことを言いにきたのか。私は何も答えずに顔をしかめた。
ちょっと、そうやってふてくされないでよ。せっかく来たのに
    (中略)
「あの、いったい何の用なんですか?」
私はヨシコからマフラーを取り上げながらもう一度聞いた。用がないならさっさと帰ってほしい。
用ってほどじゃないんだけど…
「じゃあ何ですか?」
いやあ、簡単にさっさとやるつもりだったんだけど、何かすごく難しいよね
ヨシコは珍しく困った顔を見せた。
あのさ、私すごい口下手だからさ、うまく表現できないと思うんだけど、あんたうまいこと、いいように解釈してくれる?私って、普段いいやつ じゃないから、嫌味に聞こえるかもしれないけど、本当、悪気はないから。まあ、うまいこと聞いて
(中略)
あのさ、言葉悪いけどさ、恋人はいくらでもできる。もちろん、今、そんなこと言うの最悪だってわかってる。でもね、そうだよ。 恋人も友達も 何とかなる。あんたの努力しだいで。あんたさ、すごくいい子だもん。いや、まじでそう思ってる。だから大丈夫、絶対、ま た恋人はできる。私が保証して あげる。っていうか、もし、できなかったら、私が探してきてもいいし。でも、家族はそういうわけにはいかないでしょう? お兄ちゃんの代わりもお父さんの 代わりもあんたの力ではどうすることもできないじゃん
「だから大事にしろってこと?」
まあね。もっと大事にしろって思うし、もっと甘えたらいいのにって思う
 
ヨシコは(20)中のせりふで自分でも言っている通り、普段は「いいやつじゃない」と思われるふるまいをしている。(20)の場面では、主人公の家に勝 手に入って来るなり憎まれ口を叩いており、その態度は主人公によって「えらそう」と表現されている。その間のせりふには「わ」が使用されている。しかし、 途中から、主人公に対する真情が語られ始めると、「わ」がまったく使用されなくなる。
 
ここでは、明らかに佐和子に対する態度の変化が「わ」の使用から非使用への切り替えと連動している。ヨシコの「わ」の使用は佐和子に対する高飛車な態度を 表し、この態度のままでは自分が真に伝えたいことが伝わらないとの判断から、途中でその態度を捨てており、それが「わ」の非使用となって表れているのであ る。
 
○島本理生(1983年生まれ)『一千一秒の日々』(2005年刊 マガジンハウス)
 登場人物の1人である「操」の発話について、終助詞「わ」を使っているもの、使い得るときに使っていないものをすべて挙げる。なお、会話はすべて語り手 である恋人(「長月君」)との間のものである。(下線部が「操」の発話である)
【「わ」を使う】 
(21) 「どうして西島さんと仲良くしてるの
そう問いつめられ、思わずあっけにとられた。
「べつに気にすることじゃないって。彼女とは操だって友達なんだし、ただ、今度みんなで遊ぼうっていう誘いなんだから」
べつに友達じゃないわよ。同じサークルに入ってるだけで、学年も違うし。(中略)なのに、どうして私と長月君がつきあってるって 知っていてこんな時間に電話してくるの
早口にまくし立てられ、反論する間がなかった。いつも喋っているときとはあきらかに声の調子が変わっている。
(22) 「そういえば、操も夏休みが終わる前に一度くらい家に帰ってみたら」
帰る必要なんかないわよ
反射的に声が鋭くなった。
(23) (語り手とは別の男と同棲していたことを弁明している場面)
「1人で暮らせばよかっただろう」
そんなの嫌と言うほど頼んだわよ」   
【「わ」を使わない】 
(24) 「長月君は体温が高い
肩によりかかりながら操が呟いた。                                                                 
(25) 「もうすぐ夏も終わる
テレビを見ながら操が言った。
 
「いつも喋っているときとはあきらかに声の調子が変わっている」(21)、「反射的に声が鋭くなった」(22)と語られているように、「わ」が使用され るのは強い調子で反論している場合である。
 
以上のように、「わ」の使用が一貫しない登場人物の「わ」使用場面には、強気な態度または相手を見下した態度を示しているという共通した特徴がある。そ うした態度をとっていない場面には「わ」は表れていない。こうしたことから、「わ」の使用には、「話し手の強気な態度や相手を見下した態度」をより強く印 象づけようという書き手の意図が働いていると考えられる。
3.終助詞「わ」使用によって読み手が受け取る印象
前節では「わ」の使用が強気な態度や相手を見下した態度の表現を強化していることが示唆された。本節では、「わ」の使用により話し手の強気な態度・相手 を見下した態度が読者側において実際にイメージされるかどうかを調査によって検証した結果を述べる。
 
調査は大学生の男女を対象に、同一作品(田口ランディ『電話を待ちながら』2000年刊 PHP文庫『ミッドナイトコール』所収)注中に表れた①「わ」 を使用しうるところで使用していない発話、②「わ」を使用している発話が含まれる場面を提示し、それぞれ①「わ」を使用した場合、②「わ」を使用しなかっ た場合と対比して、ニュアンスの違いがあるか、あるとすればどのような違いかを訊ねた。回答は、特に形式を指定せず自由に記述してもらった。38名(男 20、女18)からの回答を得、記述されている内容の要旨によってコーディングし集計した。紙幅の関係で場面説明を(  )内に示すが、実際の調査では原 文から十数行にわたって引用している。a、bのうちaが原文にある発話であり、それをbのように変えることによって印象が変わるかどうかを質問している。
  
① (年下の同僚男性と一夜を過ごした女性が、翌朝急いで身支度をしている男性に)
a.「このこと、なかったことにしてもいい
b.「このこと、なかったことにしてもいいわよ
 
② (①と同じ女性が、いたずら電話をかけてきた見知らぬ男性に)
a.「切るわよ」       b.「切る
 

<①に対する回答>

(ⅰ)bは上からものを言っている感じ、高飛車、高圧的 等 16 (男9 女7)
(ⅱ)aのほうが軽い、柔らかい、  親しみやすい 等 (男3 女3)
(ⅲ)bのほうが悪そう、意地悪、 裏がありそう (男2 女1)
(ⅳ)bは年上の女という感じ、  大人の女という感じ 等 (男2 女5)
(ⅴ)bは女性である、女性らしい (男2 女0)
(ⅵ)bのほうがやわらかい (男0 女1)
(ⅶ)その他 (男2 女1)
(ⅱ)はaに関する記述のみがありbに関しては記述がなかったもので、それ以外はa,b両方について記述があってもbに関する記述のみで統一してまとめ たものである。
 
(ⅰ)の「上からものを言っている」「高飛車」などといった意見が最も多く、(ⅱ)もそれを消極的に支持する内容である。(ⅲ)の「悪そう」まで含め、 「わ」の非使用のほうに親和的態度を、「わ」の使用に非親和的態度を読み取った回答が全体の3分の2を占める。一方、「わ」の使用を「女性らしい」「やわ らかい」としたものはわずかである。すなわち、ここでもし主人公が「わ」を使用すると、相手に対していかにも「私の方が上」という態度に出ているという解 釈が生じることが示されている。
 

<②に対する回答>

(ⅰ)aは強気、怒っている、きつい 等 16 (男9 女7)
(ⅱ)bだと親しい感じ (男4 女3)
(ⅲ)bのほうがきつい、強い (男2 女1)
(ⅳ)aは女性である、女性らしい (男3 女0)
(ⅴ)その他 (男0 女2)
(ⅵ)違いなし (男2 女1)
(ⅶ)不明 (a,bどちらについて 述べているか不明だったもの) (男0 女4)
「aは強気に出ているのがよくわかる。bは友達に言っているみたいに優しい」といった、(ⅰ) (ⅱ)両方の趣旨を含むもの(3件)は(ⅰ)として集計した。
 
「わ」を入れた方が強気に出ている、怒っているというニュアンスがはっきりするという回答(ⅰ)が最も多い。また「知らない男に対していうならaだと思 う。bだと親しい感じが出てしまう」というように、「わ」を入れないと親しみが出てしまうという回答(ⅱ)もそれに次いで挙がっている。見知らぬ男に対す る突き放した怒りを表現するなら「わ」を使用するほうが適当であると感じる人が多いことがわかる。
 
これらの結果から、「『わ』の使用は強気な態度や相手を見下した態度を表す」というイメージが、少なくとも若年層の読み手には共有されていることが示唆さ れる。
4.考察
2-1にみたように、終助詞「わ」は20代前後の若い世代の登場人物では非使用かまたは部分的使用にとどまるのに対し、その母親はより高い頻度で使用す るという傾向が、特に30代以下の女性作家の作品において見られる。尾崎(1999)では「わ」の使用に明確な年齢差はないという結果になっているが、小 林(1993:181-182)の聞き取り調査では、「家族に食事ができたことを知らせる」場合にどう言うかという問いに対する回答で、母親・祖母世代が 「ごはんできたわよ」などと「わ」を使用しているのに対し、娘(大学生)は「ごはんできたよ」などと「わ」を使用しないことが指摘されている。実態はとも かく、イメージの上では「この年代の人はこういった話し方をする」という意識がかなりの程度共有されていることが示唆される。
 
終助詞「わ」を年齢層の高い人物ほど頻繁に使用するというイメージがあるとすれば、それは、「わ」の使用が「女らしいことば使い」というより「年配の女性 らしいことば使い」ととらえられるようになってきていることを意味しているのではないだろうか。2-2.にあげた例からは、「わ」の使用が一貫しない登場 人物の場合、強気な態度や相手を見下した態度を表そうとする場面において「わ」が出現しやすいことがわかる。これは、「年上の女性らしさ」を取り込むこと によって、自分が相手よりも上であることを示す効果をねらったものと見ることができる。逆に、例(20)に典型的にみられるように、親和性を表現しようと する場合には「わ」が使用されなくなる。例(20)では「わ」の使用から非使用への明らかな転換が見られるが、これは「嫌な女」の装いを脱ぎ捨てた瞬間で もある。「わ」のこのような使用意識が読み手にも共有されているものであることは、3.に述べた調査結果によっても示されている。
5.おわりに
終助詞「わ」は一般に女性らしさを標示するものとされる。しかし、本稿に挙げた小説中の使用例においては、「わ」が主張・意志・感情を和らげる働きをし ているとも、相手との心的距離を縮めようとしているともいえず、むしろ逆であり、読み手もそのように受け止めている。ここでは女性形=「やわらげる」表現 =「女性らしさを示すもの」という図式は必ずしも成り立っていない。終助詞「わ」は、従来のように個人の女性性を示すものとしてデフォルトで使用されるの ではなく、特殊な場面において特定の表現意図を示すものへと変化していることが示唆される。
 
なお、本稿では「わ」を付加するか否かで生じる差異を焦点とするため、「わ」を含む文末(「わよ」「わね」等)をすべて一律に扱った。しかし、本稿で用い たデータでは「よ」との共起がほとんどであり、単独での使用や「ね」との共起は少ない。「よ」「ね」それぞれとの共起の起こりやすさ/起こりにくさも、本 稿で述べた「わ」が担うイメージと関わりがあると思われるが、これについては別の機会に述べることにしたい。
 
『電話を待ちながら』は全30頁の短編小説であり、抜粋部分が短くても場面が把握しやすく回答者への負担が少ないため調査に用いた。しかし、本稿で用 いた他の中・長編小説と比べ談話の絶対量が少ないため、談話データとしては用いていない。
 
参考文献
  • 尾崎喜光(1999)「女性専用の文末形式のいま」現代日本語研究会編『女性のことば・職場編』ひつじ書房, 33-57頁
  • 小林美恵子(1993)「世代と女性語―若い世代のことばの「中性化」について」『日本語学』12-6,181-192頁
  • マグロイン花岡直美 (1997)「終助詞」 井出祥子編『女性語の世界』明治書院,33-41頁
  • 水本光美(2005)「テレビドラマにおける女性言葉とジェンダーフィルター -文末詞(終助詞)使用実態調査の中間報告より-」『日本語とジェンダー』vol.5,日本語ジェンダー学会, https://www.gender.jp/index.html
 
  (山路奈保子 やまじなおこ 九州大学大学院博士後期課程)
 
 
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