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学会誌6号:第6回年次大会フォーラム パネル報告(高木)

竹取物語から見たジェンダー

高木香世子

要旨:紫式部が 「物語の祖」と呼んだ『竹取物語』は、日本叙述文学の始まりを飾る作品として今日まで読み継がれてきたが、フィクションとしての物語文学がどのように誕生 したのかを知る上で、多くの示唆を含んでいる作品ということができる。また、平安時代の王朝女流文学の隆盛を一つの頂点と考えるならば、その端緒ともいう べき『竹取物語』は、歴史的及び民俗学的見地からみたジェンダーの問題に深くかかわっているということもできるであろう。以上を踏まえて本稿では、文学の発生と初の物語の誕生における女性の役割を考察し、さらに、作品のテキストに見えるジェンダー意識を分析する。また、物語 文学のバックグラウンドとも呼ぶことのできる民話や昔話の世界に視野を広げて、日本の物語に見ることのできる共通項としての女性の意志と行動、その願望の 世界について考察することとする。

キーワード:物語りの祖、巫女と語り部、昔話、願望の文学、消え去る女

1.研究対象としての『竹取物語』

『竹取物語』の成立については、古き昔物語りとして物語文学の初期に属する物語であるという事以上、あまり多くのことが知られていない。同じ時期に属す る 他の物語があったであろうことは、研究者の一致した意見だが、今日まで伝わっているものがこの作品のみであることから、日本文学史上、最も古い物語りであ るとされている。

はからずもこの点については、紫式部が『源氏物語』の「絵合」の段で、「物語の出で来はじめの祖」と呼んだことからその古さが証明されているようである が、当時新し味を感じさせていた『宇津保物語』との比較において、主人公であるかぐや姫はこの世の濁りに穢れることもなく、理想が高すぎて、まるで神世の 時代の人のような振る舞いをし、天に昇っていくその結末は、現世の浅はかな女達には思いもよらないことだ、とも述べている。

ここには、地上に降りてきた天女であるかぐや姫が、天上の国へ戻っていくという話を神話時代の出来事だと感じ、これを題材に物語りが作られているという 考 え方があるようだ。日本におけるフィクション文学の誕生を考えるにあたって、重要な意見であるといわなければなるまい。この意味で、口承伝達による伝説や 説話が叙述文学に移行していく過程は、『古事記』を起点として捉えることが可能だと考えるが、日本のフィクション文学が成立する時期は、仮名文字の普及と 密接に結びついていることを忘れてはならないだろう。

『竹取物語』は貞観年間、およそ890年代の後半に書かれたと推測されているが、仮名で書かれた可能性が非常に高いという。注1  平安初期の文芸がどの程度 まで仮名を使用していたのかは、確実な原本を欠くことから、想像の域を脱しないのだが、この頃の仮名文字使用はかなりの広範囲になっていたことが報告され ている。それまで漢字に束縛されてきた文学が、大和言葉による自由な表現技法を通して、物語文学という新しいジャンルを生み出したということもできるので はないだろうか。

本論文では、従って、テキストとしての『竹取物語』は、あくまで叙述を通して完成した物語で、これと平行して、あるいはもっと正確に言えば、これにいた るまでに伝播していたであろう、口承説話とは一線を画すものであることを確認しておかなければならない。一方、口承伝承による説話は昔話や民話に姿を変え て、綿々として今日まで伝えられており、そのバリエーションはかなりの数になることも事実である。

12世紀初めに編纂された『今昔物語』は、『竹取の翁、見つけし女の稚児を養えること』と、題した竹取説話を集録している。口承説話という定義から言え ば、この話こそ、民間に流布していたかぐや姫の物語りに近いものだろう、ということが想像されるわけだ。しかしながら、今日私たちがかぐやの物語りとし て、幼いころより親しんできたお話は、必ずしもこの『今昔物語』の筋と一致していない。逆に、作品として書かれた『竹取物語』の筋に大変近く、月を見て泣 くかぐや姫の姿は、誰の記憶にもあると言うことができるだろう。

私の考えでは、現在私達が知っているかぐや姫の物語りは、文学作品として生まれ伝えられた『竹取物語』と、口承説話として伝播した話が、時代を経て、両 者が交錯した形で今日まで語り継がれていると、解釈できるのではないかと考えている。

2.巫女と語り部

既に述べたように、日本文学史をひも解くと、作り物語としては初めての作品として
『竹取物語』が現れる。しかし、これに至るまでには、口承文芸の長い歴史があったことを無視することはできないだろう。

柳田国男は、名著「妹の力」の中で、『古事記』の内容を口述し、太安万侶に協力をした稗田阿礼が、天宇受売命の子孫として宮廷に使えていた女性の舎人で あったことを、文献的に証明している。注2  天宇受売命という女神は、「天の岩屋戸」の場面で、おもしろおかしい踊りを踊って、岩屋戸に姿を隠してしまった天照大神を外へ引っ張り出す功労のあった 神 様とされている。

古代における日本文明では、巫女という女性の役割が、社会を動かす大きな力を持っていたことは良く知られている。埴輪に現れる巫女の姿や、幻の邪馬台国 の女王、卑弥呼の存在にも、その証をみることができるだろう。こうした女性の社会的役割は、その後どのような発展をとげたのだろうか。ここでは文学との関 連で興味深い研究の成果を見てみることとしよう。

柳田民俗学を引きついだ、折口信夫は『日本文学の発生』と題するいくつかの論文の中で、中心的な概念を構築している異人(まれびと)という言葉を説明し ている。まれびととは、この世と対峙して意識される、他界から周期的に地上へやってきて、この世の春をめぐらし更に、天地の元(はじめ)に還す者、と定義 されている。そして、まれびとの言う言葉には、霊の威力が備わっており、それを聞く者には、これを、長く保持しなければならない、という意識が生まれたの であろう、としている。注3

また、この理論を発展させる課程で、巫女という女性の役割が、呪術者的、あるいは、シャーマン的な要素と、神につかえる聖職者としての要素を持っていた ことを述べているそして、神と人間の交感において発された言葉が、後の代に伝えるべき、神の言葉としてあがめられ、次第に分化して、結局、文学意識を生じ るに至ったのだ、というのだ。

巫女と呼ばれる神と人間の間に位置する女性たちは、皇室では、中天皇(なかつすめらのみこと)、あるいは斎宮という名称で、歴史的に存在していた。ま た、これより下のランクでは、釆女という名前も用いられている。

一方、7世紀から9世紀にかけて文献に登場し、活躍した語り部は、釆女という名前と重なっている場合もあれば、巫女という職業と重なっている場合もあっ たようで、各地域各氏で、それぞれの起原説や、伝説を繰り返し唱える儀式があったことを明らかにしている。9世紀末から10世紀初めに編纂されたとされる 『延喜式』では、各地の語り部が、宮廷に呼び出され、その地に伝わる古い言い伝えや、独特の伝承を暗ようするように命ぜられた、と書かれている。折口信夫 の言うように、こうした儀式は各々の発生と存在を人々の前で口ようし、説明することによって、血族あるいは親族集団が継続していくことを確認する意味を 持っていた、と解釈できるのである。

すでに以上の話から推察できるように、釆女、巫女等は女性でなければならなかったし語り部という仕事についていた者は、やはり主として女性だった。日本 最古の神話を語る『古事記』が、女の舎人の暗ようを、太安万侶が文字におこして書かいたとすれば、日本文学の始まりが、女性によって端緒をつけられた、と いう理解が成り立つことになるわけである。

これらの女性たちの生い立ちや、生涯を知る記録は、あまり見つかっていないが、柳田折口両氏の研究から、神話の時代より引き継がれた、母系制の文化伝承 が存在したことは知られている。象徴的な歴史的データーとして、卑弥呼の後継者に壱代という女性が現れたことは、『魏志倭人伝』に見える通りである。

以上の考察をまとめると、日本文学の起原を論じるにあたって、神と人間の間を取り持つ役割を担った者が主に女性であり、それは巫女、釆女、語り部といっ た、歴史的役割を果たした女性達の系譜に如実にあらわれている、ということができるのではないだろうか。

3.誰のために書かれたか

さて、平安時代の初期に書かれたとされる『竹取物語』の作者は誰かという問いはすでに多くの研究者によって考察されているが、研究の大勢は、作者を、ど ちらかといえば、僧侶あるいは、官位の低い宮使えの男性としている。従って、男性の読者のために、男性が書いたとする意見もある。注4  しかしながら、この 物語りは、すでに見たように、始めから仮名文字で書かれた可能性が非常に強い。ここで当時、仮名文字は、女手と呼ばれて主として女性が使う文字とされてい たことを想起すべきだろう。また、文体に見られる口語的表現や疑似語源説などは、自由な書き言葉の醍醐味を知っている作者にしか書けなかったと推察でき る。

紫式部は宮廷の女官としての生活の中で、いかに作り物語が好まれ、読まれていたかを書き残しているが、これは式部に限ったことではなく、『蜻蛉日記』の 冒頭にも、作者が寝ても覚めても作り物語に熱中していたことが記されているように、多くの王朝女流作家が同じような告白をしているのである。『竹取物語』 を始めとする作り物語は、誰のために書かれたのかという、対象としての読者を考える時、少なくとも宮廷に使える女性を除いて考えることは非常に不自然だと いうことができるし、かえって、女性を意識した作意があったと考える方が適切であると判断できるであろう。

3.1. テキストと主題

それでは、作品のテキストに沿って、なぜ女性のために書かれた物語りと定義できるのか、また、メインテーマは何なのか、という点について考えてみよう。

かぐや姫は、竹の節から生まれて、三か月もする内に成人し、その輝くばかりの美貌の噂を聞いた、皇子や大臣達が、結婚を申し込む。父親の竹取の翁は、い くら変化の人とはいえ、女である以上、親である自分もいつまでも生きてはいけないのだから、良い人と結婚するのが良いことだ、と諭す場面。注5  ここでかぐ や姫は、

よくもあらぬかたちを、深き心もしらで、あだ心つきなば、後くやしきこともあるべきにを、と思うばかりな り。世のかしこき人なりとも、深き心ざしをしらで は、婚ひがたしとなむ思ふ。

と、答える。そうして、五人の求婚者に対し、次々難題を持ちかけるのである。求婚者の本当の心、即ち愛情の確かさを、知らなくては、とても結婚などできま せん、と言うのである。しかも、どんなに高貴な人であっても、愛情にかけては、他の人と同じことだ、とも言っている。こうしたかぐや姫の態度は、最後の求 婚者として、天皇が現れてもかわることがない。天皇の使いとして、内侍中臣の房子が翁の家を訪ねるが、その時も、房子が帝のご意志をあまり粗末に扱っては なりません、とたしなめると、

帝の召してのたまわむこと、かしこしとも思わず。

と、突き放してしまう。そして、もし帝のお言葉に背くといわれるのであれば、どうか、私を殺して下さいとまで開き直ってしまう。間に入った翁は困り果てる わけだが、最後に娘を宮廷に差し出すのであれば、官位をつかわそう、という帝の言葉に、翁は何とか娘を説得しようとする。しかし、ここでもかぐや姫は、無 理にでも宮仕えをしろというのであれば、官位をおもらいになってから、私は消え失せましょう、死を選びます、と答えるのである。かぐや姫を娘のように愛し ている翁は、あきらめるよりなく、命より大切なものはない、なんとか帝に分かっていただこう、と返答に出かけていく。

これらの場面、会話に現れる親子の関係もそうであるが、未婚の女性としてのかぐや姫の態度は、何と今の私達の感覚に近いことだろうか。すでに1000年 以上を経ても、一人の女性の素直な心の問題は、少しも変わってはいないように見える。

次に、五人の求婚者に対するかぐや姫の言動は、実に痛快なくらい、はっきりしているといえる。石作の皇子がうそをついて持ってきた仏の石の鉢を、目の前 で暴いて、こんなことで、よくはずかしくありませんね、とつき返し、蓬莱の珠の枝の段では、人の噂では本物らしい、と聞いて、「われは、この皇子に負けぬ べしと、胸つぶれて思ひけり。」と独白している。まるで、勝ち負けのような感覚で、相手を負かしてやろうというような態度さえ見えるのである。

このように、五つの難題章は、まるで男と女の闘いといった雰囲気まで読み取ることができるわけだが、全てかぐや姫の勝利に終わり、行方不明になる人や、 怪我がもとで亡くなる人まで出るという結末となる。

3.2.理想としての女性像

かぐや姫の男性に対する、これほど手厳しい態度は、その当時の宮廷に仕える女性の目にどのように映ったのだろうか。また、始めに紹介した、死まで言及し て、自分の意志を通そうとする頑固さや、人の心の深さを問題にするような女性とは、一体、どのような社会に存在したのだろうか、という疑問がここで浮かび 上がってくる。

平安期の女性像を代表する形で、源氏物語の姫君達が現れるのだが、それは、『竹取物語』の書かれたおよそ100年後とは言え、家系と結婚に縛られた、今 で言う自由のかけらほども持つことのできない女性像に違いない。通い婚という婚姻形式の中で、訪ねてこない夫を待ちわびた数多くの歌が知られている。

『竹取物語』の作者が、男性であったか女性であったかという問いを超えて、一人の作者として見る時、その社会を見る目は批判に満ちていることに気付く。 現実の世界では考えられないような言動を、他の世界から現れたかぐや姫に託して、女たちの切実ない思いを伝えようとしたのではないかと考えられるのであ る。

こうしたメッセージを持つ作品を読んで、やんやの喝采を送った人々が男性であったというのは、考えにくいのではないだろうか。全てが、地位と財産で自由 になる男社会の中では、こうした主人公の性格をファンタスティックな話として、見過ごすことはあっても自分の人生に投射して感じるような男性は、まずな かっただろうというのが、私の理解である。

口承文芸の担い手としての女性たちによって、長い間引き継がれ、磨かれた文芸の教養は平安王朝の女性たちによって見事な花を咲かせたが、これは、制作者 という限られた人々についてのみ言えることではなく、これらの作品を支えていた同等の教養を備えた、読者としての女性たちがいたからこそだ、ということが できるのではないだろうか。

4.昔話と『竹取物語』

日本の古代文明にみられる母系伝達の文化伝承は、宮廷文化という狭い、しかしながら高度な社会に取り込まれていったのみならず、日本各地に伝わる様々な 伝説や、昔話、説話そして民話の世界にその影を落としている。これらの底に流れる文化の基盤がジェンダーと深く関わっていると言うことを、『竹取物語』を 中心にこれから見てみることとしよう。

4.1.共通性

物語りの主人公、かぐや姫は月の都からある罪の償いをするために地上へ送られてきた「変化の人」である。はじめの二章では、この姫が竹の中から生まれ、 見る間に成長するという不思議が語られる。こうした異常な出生という出発点は、柳田国夫が指摘しているように、日本の多くの昔話の冒頭を飾っているモチー フである。

この部分は、「今は昔」と始まる昔話の形式を色強く残しており、生まれた子供が非常に小さいという点で、『一寸法師』や『親指太郎』、『田螺息子』など といったいわゆるちいさ子譚と呼ばれるモチーフと同じパターンを持っていると言うことができる。

それから、5人の求婚者が現れるが、どの者にも達成不可能な難題が課せられ、あるいは辱められ、あるいは物笑いの種になり、財産を浪費したあげく痛い目 にあう、あるいは死に至る人まで出て来るという結末が用意されている。

これは、昔話のパターンとしては、「求婚説話」として多くのバリエーションがあるものである。結婚という幸せな結末に至るためには困難を乗り越えなけれ ばならないという様式は、ヨーロッパのお話には非常に良く出てくるかたちだが、日本でも、『天人女房』の類話や、『鉢かつぎ姫』で、梅の木に鶯をとまらせ て床の間に持っていくように言われるといった話がある。ただし、後者の場合では難題が女性に出されており、ここで、男性と女性が入れ替わっているという点 は、ジェンダーの立場からみて、興味深いところだと思われる。

さて、5人の求婚者を拒絶したかぐや姫だが、最後に帝が現れて、相聞歌のやり取りをすることとなる。この部分は結婚には至らないわけだが、異類婚と呼ば れる、昔話のパターンを彷佛とさせる。『竹取物語』と直接比較のできる話としては、『鶴女房』が最も近いと思われるのだが、その他にも、『狐女房』、『蛇 女房』等といった類話をたくさん見つけることがでるであろう。

折口信夫は、日本文学の始めを語るに当たって、貴種流離という表現を提示したが、フィクションの誕生には、際立った神や人間の存在が不可欠だった。須佐 之男命が高天原を追放され、八俣の大蛇を退治するというストーリーはまさに、このモチーフであると言える。時代が下って、『伊勢物語』を見てみれば、在原 業平も、一世を風靡する美男子の詩人であり、高い位の貴族であったが、都にはいることのできない罪を問われて伊勢まで下っているのである。

こうして見ていくと、月の世界から地上に送られて来たかぐや姫も、同じ貴種流離という物語りのモチーフに組み入れることができるのではないだろうか。た だし、中心となる貴種、即ち主人公がこれらの例とは違って、女性であるという点はここでも確認しておかなければならない点である。

さて、終わりの二章は、話のクライマックスである、かぐや姫の昇天と富士山の縁起が語られ、内容からいっても、テキストのスタイルの立場から見ても、天 女伝説の外枠が完成されることとなる。作者はあくまで、古い話の結末を忘れてはいないということをここで明示しているわけである。

以上の分析から浮かび上がってくる一つの結論としては、物語文学は昔話や民話といった口承文芸を色濃く反映させながら誕生したということができると思う が、それでは、これらのモチーフの中から浮かび上がる女性像とは、どのようなものかということについて次に見ていくことにしよう。

4.2.願望の文学

『昔話の本質』と言う本を著わした Max Lüthi は、西洋の昔話を分析し、その形式や特徴について語っているが、昔話の定義として、次のように述べている。注6

昔話はこの世界のなかでの人間存在の真相をじっと見つめ、われわれに示してくれる。そうすることによって 人間のもっとも深部にある願望を充たしてくれる。 そういう意味での願望の文学である。

この、願望の文学であるという見方からすれば、竹取物語と関連を持つ、これまでに挙げたいくつかの類話を通して、日本人の心の中に潜むかくされれた願望 を見つけることができるのではないかと推量することができるだろう。

『竹取物語』は、月を見ては泣くかぐや姫が、地上のしがらみを振り切って月の国へとのぼって行ってしまい、残された者達が嘆き悲しむ中で、帝は不死の薬 と別れの手紙を共に富士の頂きで焼くように命じ、永遠の愛を象徴するかのような煙が今も空に立ち上っているという場面で終わっている。

帝との相聞歌のあたりから、かぐや姫は地上に残ることを本当は望んでいるにもかかわらず、他の世界の人間であるという条件がそれを許さないといように描 かれている。ここでは、昔話や民話の枠をはずれた、悲しみにうちひがれた人間化したかぐや姫が出現するわけである。しかし、いったん羽衣を着るやいなや、 人間の心は無くなり、天人と化して天上へのぼっていってしまう。

『竹取物語』のロマン性が、確立したといわれる由縁であるが、もし、ここで、かぐや姫が天上からのお迎えに逆らい、地上に残って帝のもとへ参内したとし たら、どうだったであろうか。天女伝説から発想を得ていると思われるこの話は、その枠を外れて、もとに戻ることなく終結することもできたわけなのである。 しかしながら、竹取の作者は、あえて伝説的な天女の姿を踏襲しようとする。そして、愛するものを残したまま消え去る女の姿がここではっきりと表明される結 果となるのである。

『竹取物語』は全体が、かぐや姫の超現実的な態度で貫かれているが、それは、自分の意見をはっきりと言い、自分の意志で物事を動かしていく女性の姿であ る。しかし、最後にこのかぐや姫も、地上に送られる前から定められた運命として、月の国へ帰っていかなければならない。

こうした、結末として女主人公が消え去るこのイメージは、話の中核とも言える重要な要素をふくんでいると思われるが、それでは、この消える女のイメージ を視野を少し広げて探ってみることとしよう。

5.消え去る女

古事記の上巻は、天照大御神の直裔、邇邇芸命が木花乃佐久夜毘売と結婚してできた子供の内、火遠理命について、次のような話を語っている。

火遠理命は、失った釣り針を探して海の中へ入り、わたつみの神の娘、豊玉姫と結婚する。その後、豊玉姫は海中から現れて、陸へもどった火遠理命に出産の 時期が迫ったことを知らせる。火遠理命は、そこで早速うぶやを建築するのだが、その屋根がいまだ葺き終わっていないうちに、豊玉姫は産気付き、夫に見ない でほしいと言ってうぶやに入る。ところがこの妻の言葉を不信に思った火遠理は、密かにうぶやの中を伺ってしまう。すると、そこには八尋鰐(やひろわに)が 這い回っていたのであった。この有り様に驚いた命は、恐ろしさに逃げ去る。豊玉姫は本来の姿になった自分を見られた恥ずかしさに耐えられず、子供を置いた まま、海と陸の境をふさいで、海神の国へ帰ってしまうのである。

のぞくことを禁じられた、禁室型話型は世界中に存在するが、古事記の中のこの話にはそれに加えて、恥を感じて身を隠す、典型的な女の姿が見られる。この意 味から言えば、天の岩屋戸に姿を隠した天照大御神も、同じ配列にあると言うことができるであろう。

それでは、昔話ではどうであろうか。鶴女房では、姿を見られた鶴が、人間ではない自分が地上に居とどまることはできないと、自ら空へ飛んでいってしま う。また、雪女の話でも、約束を守らずに、雪女のことを話してしまった夫をなじりつつ、人間の女になっていた雪女は元の姿にもどり、吹雪の中へ消えていっ てしまうのである。

天人女房の話は、近江風土記の「いかごの小江」や丹後風土記の中に出て来る「奈具の社」といった、天女が地上へ降りてきて、水浴びをし、人間との接触を 持つ話と原話を一つにしているようであるが、近江風土記では、天に戻る天女は取り戻すことのできない悲しみを夫に与えたまま、姿を消しているのである。

『伊勢物語』よりもさらに時代が下って、能の戯曲が書かれるようになると、こうした天女伝説をもとにして、能曲の『羽衣』が現れる。ここでは、羽衣をま とった天女の舞に宗教的、美的な意味合いが与えられ、空に舞い上がり天上界に帰ってゆく乙女の姿が至上のものとして扱われている。

こうして見ると、『竹取物語』のかぐや姫はこうした長い間の、消え去る女達の系譜に属する主人公であると言うことがわかるであろう。日本文学の中に、繰 り返し繰り返し出て来るこの女のイメージは、前述のマックス・リューティの言葉を借りるならば、一体どのような人間存在の真相と関わりを持ち、どのような 人間のもっとも深部にある願望を我々に示そうとしているのだろうか。

5.1.深層心理学の立場

深層心理学の立場から昔話を分析した河合隼雄は、『昔話と日本人の心』という本の中で、西洋の昔話と日本の昔話を比較している。両者ともに、まず意識の 世 界から無意識の世界への移動があり、あるタブーが言い渡される。日本では、男が禁止を言い渡されることが多い。しかし、このタブーは破られ、西洋では罰が 与えられるのが通常であるが、日本ではあまり罰の概念が無い。また、西洋では、ハッピーエンドが多いが、日本では女主人公が消えていくパターンが見られる としている。

さらに河合は、西欧の昔話では、典型的なペルセウス型の話、即ち、美しい姫君を救出するために怪獣と戦う騎士のイメージが、その姫との結婚によって完結 するというパターンが普通だが、日本の典型的な昔話には、こうした理想の女性を得るために怪物と戦うという姿はあまり見られないことを指摘している。注7

その良い例は浦島太郎で、何もしないのに、乙姫様に出会うのである。しかも日本書紀に出て来るその乙姫は亀であって、船に上がるや否や、浦島に求婚をす る。女性のほうから求婚した話がこれほど古い時期にすらりと書かれていることに驚かせられる。

また、日本の昔話では、女性が主人公となる話が多いこと、また、話の筋自体が女性の積極的な行動によって動かされていくということが結論として挙げられ ている。河合は、日本の昔話は女性を中心にすえて理解する方が、より分かりやすいと言う。これまで見てきたかぐや姫や乙姫、鶴女房やを通して、私達はこの ことに気付かざるを得ないだろう。

5.2.消えるという意思表示

女性の側からの一つの見方として、こうした消え去る女の姿は、どこかにタブーを守ることのできない男に対する精いっぱいの抵抗と見ることもできるのでは な いだろうか。もし、消えるという消極的な行動によって、自己の主張をすると考えるならば、これほど効果的な行動はないわけである。天照大御神が、天の岩屋 戸に入り籠るという行動をとったのも、一つの意思表示であった。これによって世の中からは光が失せ、暗闇から邪神と禍いがいっせいに発生し始める。人間や 草木、ありとあらゆるものが生きていくためには、日の神である女性がいなければならないことを象徴している場面である。

こうして見ると、消えてしまう女の重要性が逆説的に説明されると言えるのではないだろうか。消えてしまうからこそ、その存在が強調されるということであ ろう。また、女の立場からすれば、全てを置いて身を引きたいという本音は、心の底に在るのかもしれないこれによって、自己の意思を明らかにするという意味 もあろう。それは言ってみれば一つの護身術ともいえるかも知れない。ある深い願望とマックス・リューティは言ったが、ここにその一つの例を見る気がするの である。

  1. 野口元大  (1979) 竹取物語、新潮社他本文に戻る
  2. 柳田国男 (1977)『稗田阿礼』、妹の力、角川文庫本文に戻る
  3. 折口信夫  (1976)『日本文学の発生』、折口信夫全集 VII 国文学篇 中央公論社、1-7本文に戻る
  4. 大野 晋  (1958)『仮名文字、仮名文の創始』、日本文学史、岩波書店本文に戻る
  5. 以下、 竹取物語 原文の引用は全て、新潮日本古典集成より 本文に戻る
  6. マックス・リューティ (1994) 昔話の本質(小沢俊夫訳)、ちくま学芸文庫本文に戻る
  7. 河合隼雄  (1982) 昔話と日本人の心、岩波書店、19-26本文に戻る

参考文献

  • 石田英一郎  (1984)  桃太郎の母    講談社学術文庫
  • 石原道博編訳  (1994)  魏志倭人伝・後漢署倭伝
              宗書倭国伝・随書倭国伝 講談社学術文庫
  • 大林多良   (1979)  神話の話     講談社 学術文庫
  • 大野 晋  (1958) 「仮名文字、仮名文の創始」、日本文学史、岩波書店
  • 小沢俊夫  (1997) 昔話入門  ぎょうせい
  • 小沢俊夫  (1997) 昔話のコスモロジー 講談社学術文庫       
  • 折口信夫  (1976) 折口信夫全集 VII 国文学篇  中央公論社
  • 河合隼雄  (1982) 昔話と日本人の心 岩波書店
  • 木下順二  (2000) わらしべ長者 岩波少年文庫    
  • 国東文麿  (1979) 今昔物語     講談社学術文庫
  • 次田真幸  (1977) 古事記    講談社学術文庫
  • 村松武男  (1954) 日本神話の研究  培風館
  • 野口元大  (1979) 竹取物語     新潮社
  • 野村純一編  (1991) 別冊國文學 「昔話・伝説必携」 學燈社
  • マックス・リューティ  (1994) 昔話の本質 ちくま学芸文庫
  • 柳田国男  (1977) 妹の力      角川文庫
  • 吉田敦彦  (1976) 日本神話の源流  講談社

本稿は、日本語ジェンダー学会の第5回、及び第6回に発表した内容を学会誌用にまとめたものである。発表に当たって、会長の佐々木瑞枝教授、評議委員の皆 様にお世話になったことをここに改めて感謝したい。また、研究の過程においてはスペイン文部省のプロジェクト援助を受けたことを明記したい。

(高木香世子 たかぎかよこ マドリッドアウトノマ大学教授) 

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