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学会誌5号:調査報告(吹原)

インドネシアの日本語教育とジェンダー
―制度改革との関連から―

吹原 豊

要約:インドネシアでは従来の中央集権的な制度を改め、あらゆる領域で地方分権化が進められており、その影響は首都ジャカルタから遠く離れた地方の日本語教育にもおよんでいる。本稿では、インドネシアの一般的事情を概観した後、インドネシアの日本語教育をジェンダーの視点、特に、日本語教育現場と女性のエンパワーメント注1、ならびに日本語教材における性別役割分業描写の点からとらえる。

キーワード:インドネシアの地方分権化、北スラウェシ州、日本語教育、ジェンダー主流化、エンパワーメント

1.はじめに

インドネシアは日本の5倍以上の面積と2億人を超える人口、13,000の島嶼と250とも400以上ともいわれる言語を有する東南アジアの大国である。宗教の面でも多数派を占めるイスラム教のほか、キリスト教、ヒンズー教、仏教などが信仰されている。地理的、歴史的背景から非常に多様性を持った国である。

インドネシアと日本との関係は意外に深い。歴史の中に潜在する影響関係のほかに、第二次世界大戦の終結までの約3年半にわたってインドネシア(当時はオランダ領東インド)は日本の軍政下に置かれていた。また、戦後になって1958年の国交正常化以降、両国の関係は着実に進展してきている。現在、インドネシアに在住する日本人の総数は11,366人であり、国内の日系企業数は613社を数える。インドネシアにとって日本は輸出入両面で最大の貿易相手国で、日本にとっては輸出額で第5位の貿易相手国であるとともに、最大の政府開発援助(ODA)供与国でもある。

また、一般にはあまり知られていないようであるが、インドネシアは日本語教育の面で世界第6位、東南アジア最大の学習者数を誇っている。日本との間に従来の経済的な結びつきに加え、近年は教育や文化の面でも援助や交流が進んできている。

1998年5月にインドネシアでは32年間続いたスハルト長期政権が崩壊した。それ以降、インドネシアでは「改革」のスローガンを掲げて民主化が進んでおり、地方分権化の推進と女性の地位向上がその主要な柱の一つになっている。

筆者は2000年6月から3年間、インドネシアの首都ジャカルタから遠く離れた北スラウェシ州という一地方において中等教育レベルでの日本語教育支援活動に従事した。活動の対象は高校での日本語教育であり、配属校における日本語教授のほかに州内全域におよぶ学校訪問、現地日本語教師会での指導、インドネシア人日本語教師が受講する研修への出講などを行っていた。

本稿は、インドネシアの地方分権化と日本語教育およびジェンダーの関係を主に筆者が3年間滞在した北スラウェシ州の高校での日本語教育を例にして論ずるものである。そのために、第2,3章ではインドネシア社会および地域的特徴を概観し、第4,5章ではインドネシアの日本語教育の背景にある教育政策や制度および日本語教材における性別役割分業描写を、第6,7章では北スラウェシ州の事例から地方分権化の影響と女性日本語教員のエンパワーメントとの関わりを検証する。

2.インドネシアの社会と女性

インドネシアは国民の約88パーセントがイスラム教徒であることから、「世界最大のイスラム教国」としてマスメディアなどの俎上に上ることが多い。また、そのためもあってか、いわゆる先進社会から見たインドネシアのイメージは、「イスラム社会」一般に対するある種の影響を受けていると推測される。具体的に言えば、4人までの妻帯が許される男性中心社会であるとか、地方によっては女性の個性を抹殺するようなブルカやヴェールの着用を義務付けるなど、進歩的な現代人の文明感覚を逆なでするような習俗の社会であるといったイメージである。また同時に、そのようなステレオタイプ的なイメージとバリのリゾートの様子や国家元首(大統領)が女性である注2という現実との間に何か座りの悪さを感じる向きもあるかもしれない。

しかし、インドネシアが独立を宣言した日の翌日の1945年8月18日に発布されたインドネシア憲法の中で「いかなる例外もなく、すべての国民は法と行政において平等の権利を有し、またこの法と行政を擁護する義務を負うものである(インドネシア共和国憲法27条)」とはっきりと謳われているように、インドネシアでは男女の平等は法の下に認められている。

神崎(1997)によると、中央集権的でありかつ権威主義的であるとされたスハルト時代のいわゆる開発独裁政権下においてさえ、インドネシアは女性の(開発への)参加とそれによるエンパワーメントによって社会開発を遂げることに成功した国であるとされている。神崎は、経済成長と人間開発に参加を関連付けることの必要性を、特に女性の参加とエンパワーメントを中心に検証した。そして、国家建設のために人口の半分を占める女性という人的資源を効果的に活用したいというインドネシア政府の意図が、一方では経済成長、他方では女性のエンパワーメントへとつながっていったと論じている。

和田(1997)は、ASEAN諸国に育つ「都市中間階層」に焦点を当てた研究の中でインドネシアの事例を取り上げ、都市中間階層に男女平等の思考傾向が認められることを自身が行った大規模な調査の結果から指摘している。

また、大形(2003)は、スハルト政権崩壊以降5年間にわたるインドネシア政府の女性政策に着目し、従来の母性主義に基づく家父長制的な女性政策から、ジェンダー主流化に向けた大きな変化が見られるとする指摘を行っている。

一方、インドネシアの地方分権化については、これまで中央の立場から見た制度に関する説明があったのみであり、地方の反応に関する実証的な研究、および現実に生じた事象の問題把握が不十分ではなかった。その点をふまえ、アジア経済研究所やJICA(国際協力機構)などが中心となり、インドネシアの開発行政と地方分権化をテーマにすえた調査や研究が行われているが、地方分権化と地方の日本語教育との関連を論じた研究はもとより、それにジェンダーという視点を交えた報告や研究は現在までのところ見られない。

3.職場と女性

以下に、インドネシアの学校教員、特に筆者と深く関わりのあった高校の教員を中心に、女性教員の立場と労働を支える背景を見ていきたい。

インドネシアの学校教育では、常勤教員の多くは公務員である(私立の教育機関でも公務員の教員が一部配属されていることが多い)。公務員は大きく4つの階級に分けられており、スタート時には学歴をベースにし、それに勤務実績、研修会への参加などがポイントとして加算される形で上位の階級への昇進が可能になっている。昇給や管理職への登用は、基本的にその階級に応じてなされることになっており、制度的には男女平等のシステムである。出産休暇(3ヶ月間)や生理休暇(1ヶ月に1日)の制度もあり、女性の就業を支える最低限の制度も整備されている。また、都市部では最近失われつつあるというが、地方では教師を敬う気質が残っており、倒産や解雇の心配がなく各種共済や退職金、年金制度が整備されている点などが利点として上げられる。給与が低いこと、事務系の公務員と比べて副業が難しいことなどから特に男性の就職先としては人気が高いとはいえない職業だが、大卒者の受け皿になる産業を持たない地方の特に女性にとっては魅力ある仕事の一つである。

以下に女性教員の就業を支える要因を制度的(または制度としての明文化はされていないが学校内慣習として定着しているもの)な面と社会的な面に分けて見ていきたい。

(1)制度的な要因

第1点目に、学校の開校時間が短くまた実際の拘束時間も短いことが上げられる。インドネシアの普通高校(一部制の場合)の授業開始は一般的に7時もしくは7時15分である。授業の終了は午後1時半前後であり、特別な場合を除き教職員は遅い昼食をとるため即時帰宅するのが通例である。朝は早いものの、昼すぎには授業が終了することになり、午後の時間を家事や育児、あるいは副業にまわすことが出来る。さらに、公務員の常勤教員の場合、1週間に18コマ(1コマは40分あるいは45分)の授業を担当することになっているが、学校によっては他の校内業務(たとえば図書館での生徒の監督や司書業務など)をすることによって一部をそれに代えている場合もある。また、担当する授業時間のみに出勤することが許されている学校もあり、実際の拘束時間が短く時間的に余裕のある勤務体系であるといえる。

授業期間についても、通常6月から7月にかけての年度末休み以外に、イスラム教の断食期間中の授業短縮もしくは休講、断食明けの休暇、クリスマス休暇、イースター休暇などがあるためかなり短いといえる。

また、出産に関する休暇としては3ヶ月間の出産休暇が認められているだけだが、その後も教員自身の体調や、子供の体調などを理由にして欠勤することが認められている場合が多い。さらに、教員が自分の子供(多くは幼児)を職場に連れてきて校庭や職員室で好きなように遊ばせておくのはごく普通に見られる風景である。

筆者も任期中に産休を取っていた高校教師が3ヶ月経っても職場復帰を果たさず、半年以上も登校しないケースをしばしば見聞きすることがあった。他の教員に質問しても「規則は規則だけど仕方がない」、「校長が許可すれば構わない」などの反応がほとんどであった。また、必ずしも校長の理解があるわけでなく、校長自身の口から「(なんだかんだと理由をつけて休んだり、遅刻、早退が多い)女性教員の管理で頭が痛い」という愚痴を聞かされたことも1度ならずある。

インドネシアの社会における法律や規則は絶対的なものではなく、状況や個人的事情、さらには交渉によって様々な形に解釈して運用することが可能であると認識されている。極端な例では、在職中に教員が日本へ出稼ぎ労働に行ってしまい、1年以上も帰国しなかった例もある。教員の属する社会がいわゆる「ぬるい」仕事ぶりが許される、もたれ合いの社会であることが制度の不備を埋める役割を果たしているともいえる。

(2)社会的な要因

インドネシアでは相互扶助を意味する「ゴトン・ロヨン(gotong royong)」という概念が社会全般に広く行きわたっている。ゴトン・ロヨンは西欧の利己的な個人主義と対立するインドネシア的な共同精神のスローガンとされ、公共事業を地域住民の無償奉仕で行うための(体制側の)宣伝文句となっている面もあるが、現実の日常生活においてきわめて広い文脈で用いられる言葉である。住居の建築を隣人たちが総出で手伝うこと、結婚式などの際に式の準備を手伝ったり、金・物資などを贈ること、事故に遭った人を自発的に援助すること、商売を始めようとする友人に担保なしに資本を貸すことなど、長期的な互酬性を予期して自発的に行われるあらゆる金品・労働の供与がゴトン・ロヨンと形容される。

このゴトン・ロヨンに代表されるようなインドネシア社会および地域共同体の特徴が女性教員の就業を支える大きな要素となっている。具体的に見ていきたい。

第1点目に、家族親族の結びつきの強さが上げられる。近年家族計画が進められ人口増加を抑制する動きが見られるものの、都市部の一部を除いてはそれほど急激に核家族化が進んでいるわけではない。一つの家に夫婦とその子供を単位とするいくつかの家族が同居している例も珍しくない。また、たとえ同居していない場合でも、親族間の結び付きは強く、相互の往来も頻繁であったりして、一般的にいとこぐらいまでが日本の兄弟姉妹に当たるような身内意識を保持している場合が多い。当然、育児や家事に関しても妻、母親のみによって行われるのではなく、年長の子供達も含めた家族成員相互の助け合いの中でなされている。

第2点目に、地域共同体内での相互扶助によるものが上げられる。インドネシアでは、地域や所属組織、宗教関係の集まりなどで「クルアルガ・ブサール(Keluarga besar)」という言葉を耳にすることが多い。直訳すれば「大きな家族」という意味であり、様々な単位の共同体を一つの家族としてとらえる考え方でもある。当然共同体の成員相互の助け合いが折あるごとに強調され、実際にも町内会活動や宗教活動などを通じて近隣の住民同士の関係が密であるため、様々な形で助け合いが行われている。育児に関しても同様で、一般的には、育児サークルなどに積極的に参加しない限りは母親が孤独と闘いながら育児をしていかなければならない日本と違い、共同体内の助け合いの中で「その共同体の子供」として育てられる側面がある。

第3点目に、子守やお手伝いによるサポートがある。首都ジャカルタで暮らす日本人駐在員の妻たちの間では、「お手伝いなしでは生活が成り立っていかない」という言葉がよく聞かれるそうである。しかし、そうした都市部に暮らす外国人や一部の金持ちだけではなく、さほど給与が高いとはいえないインドネシアの公務員、教員などにも子守やお手伝いを雇って仕事を続けているケースがよく見られる。例えば、筆者が以前聞き取りを行ったジャカルタ在住のインドネシア人日本語教師(女性)も夫婦が共に働くためにはお手伝いの存在が不可欠であると語っていた。

北スラウェシ州の例では、遠縁の未婚女性や子育てが一段落した中年の既婚女性を雇うケースが多く、住み込みなどの形で住居費や食費などが不要である代わりに給与は低く抑えられている。また、前述した地域共同体での助け合いとも関連するが、貧しい家庭の主婦が近所の家庭の洗濯物を請け負うケースも見られる。こうしたケースは雇う側、雇われる側の双方にとって互いの雇用を確保し、女性の経済的自立と就業を支える要因になっているといえる。

4. 地方分権化と教育行政

4-1.民主化から教育行政改革へ

インドネシアでは、学校は国家教育省(日本の文部科学省にあたる)の管轄下にある。しかし、そのほかに宗教省が管轄するイスラム系の学校や、保健省、農 業省などが管轄する学校もその数は少ないが存在する。また、小学校のカリキュラムや教育内容に関する事項は国家教育省が決定し、小学校の建設や教員の任免 は各州の政府(地方自治体)が内務省の監督の下で行うなど、教育行政には多くの省が関係している。そのため権限、命令系統が複雑で、非効率を生む原因に なっている。また、地方分権化実施以前には国家教育省、宗教省、内務省、等の中央の省が関係しているだけでなく、州、県、郡の各段階にもそれぞれの出先機 関存在するといった複雑な状況であった。

インドネシアでは、1998年5月のスハルト長期政権崩壊後、従来の中央集権的かつ権威主義的な政治体制から民主的な体制への改革が進行中である。民主化 への課題は多いが、民主的な総選挙の実施(99年)、地方分権化の実施(01年)などに加えて、ジェンダー主流化政策の明確化が国策大綱(99年策定)に よって打ち出されている。

地方分権化の実施以降、教育の分野でも初中等教育行政は州政府とその下部機関(DINAS)が担当し、国家教育省と宗教省の出先機関は廃止されることに なった。今後の国家教育省の役割は国レベルの教育政策の立案に限定され、高校教育は州政府が、小中学校教育は各州の県レベルの機関が担当することになっ た。

4-2.高等教育機関の改革
 国家教育省の中で大学をはじめとする高等教育機関を管轄するのは、高等教育総局(DIKTI)である。地方分権化に際しても、高等教育行政に関してはそ の権限を中央から地方自治体に委譲することは行われていない。しかし、地方分権化の実施に前後して高等教育機関にも、大きな変化が起こっている。そのうち の主なものが、①大学の独立行政法人化、②教員養成大学の総合大学化、③国家カリキュラムの改訂、である。

4-3.中等教育機関の改革

国家教育省の中で中等教育を管轄するのは、初等中等教育総局(DIKDASMEN)である。普通高校を管轄する普通中等教育局(DIKMENUM)と専 門高校を管轄する専門中等教育局(DIKMENJUR)などに分けられる。中等教育機関は地方分権化の影響を直接的に受けているといえる。2001年1月 の地方分権化実施により、州レベルでは国家教育省州事務所(KANWIL)および、小学校レベルを管轄していた内務省州教育文化局(DINAS P&K) が統合されて州政府教育文化局(DINAS P&K)となった。国家教育省の役割は国レベルの教育政策の立案に限定され、高校教育は州政府が、小中学校教 育は各州の県レベルの機関が担当することになり、職員の異動も行われた。地方分権化実施後の動向のうち主なものは、①教育行政の地方化、②普通高校のカリ キュラム改訂、に関連するものである。

5.インドネシアの日本語教育

インドネシアにおいて日本語は英語に次ぐ第2外国語の一つとして学校教育の場やそれ以外の民間語学学校などで学習されている。日本語学習者数は 54,016人である(表1)(『国際交流基金日本語教育機関調査』(1998)による)。学習者数は各機関に所属している数であるため、機関に所属しな いで個人的に学習している人を含めると上記の結果をはるかに上回ることが予想される。日本、インドネシア両国の良好な関係を反映して、東南アジア諸国中最 大の学習者数を誇っている。

インドネシアの日本語教育の特徴としては主に以下の3点が上げられる。

①学習者の約3分の2が高校生であること。
②教師の大部分がノンネイティブのインドネシア人教師であること。
③日本語教育は首都圏に限らず国土の広い地域におよんでおり、特に日本語教育が盛んな7つの地域(以下、拠点地域と称す。ジャカルタ首都圏、西ジャワ州、ジョグジャカルタ特別州および中部ジャワ州、東ジャワ州、北スマトラ州、バリ州、北スラウェシ州)が存在すること。

5-1.高等教育における日本語教育

高等教育における日本語教育は、パジャジャラン大学(バンドン)を中心とする日本語学科系とインドネシア大学(ジャカルタ)を中心とする日本研究学科系の 2系統によって進められている。また、それに加えて、2001年から日本語教育学の分野でインドネシア初の修士課程を開設するなど、インドネシア教育大学 (バンドン)が日本語教育系の大学として重要な役割を果たしつつある。

インドネシア大学を始めとして比較的長い伝統をもつ大学には、S1とよばれる学士課程に加えて、近年は日本の短期大学に相当する3年制のD3とよばれる ディプロマ課程が開設されている。D3課程では、実用日本語の学習を中心に、例えば「観光論」、「広報論」などビジネス系の科目が組み込まれており、多数 の卒業生が日系企業に就職している。

5-2.中等教育における日本語教育

インドネシアの日本語教育の大きな特徴としては、高等学校(普通高校)の教育課程に日本語が取り入れられていることが上げられる。第1外国語としての英 語教育が最も盛んであるが、第2外国語(一般に選択制。日本語をはじめ、ドイツ語、フランス語、アラビア語などから選択できるようになっている)としての 日本語教育も近年盛んである。

1964年になると高等学校のカリキュラムの中で日本語教育を行うことが正式に認められた。その後75年、84年、94年とほぼ10年毎にカリキュラム の改訂が行われ、80年代後半の日系企業のインドネシア進出に呼応する形で中等教育における日本語教育は著しい発展を遂げてきた。

現在は、2003年から一部の高校で試験的に導入され、2005年までには全高校で導入予定の新カリキュラム開発が進められている段階である。前回 (94年)のカリキュラム改定に比べると変更は大幅なものではないが、カリキュラムの意味合いがこれまでの「全国統一学習指導要領」から「ナショナル・ス タンダード」へと転換された。地域の実情、ニーズに即した教育の実施が求められることになり、各地域での対応が重要な課題になっている。

5-3.日本語教育にみるジェンダー

語学教員一般に見られることであるが、日本語教育においても数の上では圧倒的に女性優位の職場である。しかし、筆者の体験や日本人およびインドネシア人日本語教師に対して行った聞き取りの結果からは、教育場面におけるジェンダーの影響(たとえば女性教員 特有の教授傾向など)は特に見られなかった。強いて上げれば、「女性教員の方が一般に授業態度が堂々としている」、「(生徒との関係が)母と子のような、 母性に基づいたものになっているように感じる」という意見があった反面、「男性教員に対しては生徒が厳しさをイメージするため、真面目に授業を受ける傾向 がある」といった声が聞かれた程度である。

むしろ、ここで取り上げたいのは、インドネシアの普通高校で現在使用されている日本語教材における性別役割分業に関する描写である。

前述のように、インドネシアの高校における日本語教育は、ほぼ10年毎のカリキュラム改訂に伴って発展してきた。そして、94年に導入されたカリキュラ ムの実施まではBahasa Jepang(日本語)1,2などの教科書を使って、基本的には文法訳読式(84年カリキュラムは文法文型シラバス)の授業が行われていた。しかし、94 年カリキュラムによりコミュニカティブアプローチ(トピックシラバス+機能シラバス)への大きな改変が図られたため、それに応じた教材の開発が必要になっ た。そこで開発されたのが、94年カリキュラム準拠教材「教室活動集」である。これはインドネシア人高校日本語教師が中心となり、国際交流基金から派遣さ れた日本語教育専門家らが協力して作成した「現場主導型・日イ共同制作教材」であり、カリキュラム準拠の主教材がまったくない状況下で(現場では)あたか も主教材であるかのように使用されることになった。しかし、その内容はあくまでも「教室活動集」であったため、現場での混乱を招き、その不備を補う形で後 に「生徒用教材」が開発された。

ところで、長く使われている「教室活動集」であるが、その中に「仕事」をトピックにさまざまな職業名を導入する部分がある。その「仕事」の項目では職業名の部分に対応する挿絵が多く描かれている。合計16の職業名と挿絵の性別を以下に記す。

①けいさつかん(男)、②ぐんじん(男)、③こうむいん(男)、④のうか(男)、⑤りょうし(男)、⑥ふなのり(男)、⑦かんごふ(女)、⑧しかいしゃ (男)、⑨パイロット(男)、⑩スチュワーデス(女)、⑪かしゅ(女)、⑫しんぶんきしゃ(男)、⑬サラリーマン(男)、⑭コック(男)、⑮ひしょ (女)、⑯おてつだいさん(女)

さらに、同じ「仕事」の中で、どんな仕事かという視点から職業名を導入するページがあるが、そこでも12枚の挿絵が使われている。

①ひこうきをそうじゅうします。→(パイロット/男)、②バスをうんてんします。→(うんてんしゅ/男)、③かんじゃをしんさつします。→(いしゃ/ 男)、④デザインをします。→(デザイナー/女)、⑤やさいやこめをつくります。→(のうか/男)、⑥さかなをとります。→(りょうし/男)、⑦べんきょ うをおしえます。→(せんせい/男)、⑧うたをうたいます。→(かしゅ/女)、⑨しゃちょうをてつだいます。→(ひしょ/女)、⑩うちのしごとをてつだい ます。→(おてつだいさん/女)、⑪やさいをうります。→(やおや/男)、⑫バイクをしゅうりします。→(バイクのしゅうりや/男)

加えて、同教材中の「趣味」のトピックを見ても、女子高校生は「うたをうたったり、テレビを見たりするのがすき」、「えいがを見たり、おんがくをきいた り、てがみをかいたりするのがすき」、「りょうりをするのや食べるのがすき」であり、男子生徒は「スポーツをしたり、りょこうしたりするのがすき」、「からてがいちばんとくい」、「えいがを見たり、おんがくをきいたり、サッカーやバドミントンをしたりするのがすき」というように描写されている。

以上は言語とジェンダー研究における「言語とジェンダー表象」研究の領域に含まれるが、単にインドネシア社会の現状を反映しているというだけではなく、 社会規範を日本語教育の名の下に再確認し、固定化された性別役割分業を肯定するとともに再生産する可能性を含んでいると思われる。

渡部(2001)の指摘にもあるように、教材の開発に関わる日本とインドネシア双方の機関および日本語教師がジェンダー・エクィティをより意識化し、より多くの気づきを得、問題点を改善していくことが今後の教材開発に際しての課題の一つになると考える。

6.北スラウェシ州の事例

6-1.北スラウェシ州の地理と人文

北スラウェシ州は、大スンダ列島の東端にあたるスラウェシ島の最北端(北緯2度)に位置する。首都ジャカルタから州都のマナド市までは直行便を利用しても 3時間以上の道程である。細長いミナハサ半島の先端部であるため陸地の面積は狭いが、フィリピンのミンダナオ島へと連なる諸島を有しており地理的な範囲は 広い。また、全体に山がちであり、道路や交通機関の整備も十分であるとは言えないため、州内の町や村落間の移動には相当な時間がかかる。活火山が多く、温 泉も多数存在するが噴火や地震も比較的多い。

北スラウェシ州は、クローブ(丁子)やナツメグなどの香辛料の産地として有名であるほか、海が美しく、ダイビングの好適地としても知られている。また、イ ンドネシアの中で例外的にキリスト教徒が多数派を占めている地域でもある。そのために州内のいたるところで教会を目にすることができ、公的私的を問わず多 くの行事がキリスト教に則って行われるなど、国内の他地域とは雰囲気の異なる地域であるといえる。

6-2.北スラウェシ州にとっての日本

州都マナドは太平洋戦争時、オランダ領東インド(現在のインドネシアに相当する地域)に日本軍が上陸した最初の地である。1941年12月8日、日本軍が ハワイの真珠湾に奇襲攻撃を加えた約4時間後に、オランダはオランダ領東インドのラジオ放送を通じて日本に宣戦布告を行った。翌42年の1月11日、日本 軍は蘭印作戦に踏み出し、セレベス(現スラウェシ)島のマナドに上陸し占領したという。しかし、マナドでの占領政策が当時としてはかなり細心に行われたた め、地元民との関係は比較的良好であり、その後も親日的なイメージが保たれている。また、兵隊との混血児も多かったようで、現在でも一定数の日系人が存在 している。その日系人を中心に近年日本への出稼ぎ労働者が増加しており、日本での労働に対する憧れ(両国の物価格差により、2,3年日本で単純労働に従事 すれば、家や車が入手可能であるという事情がある)も日本語学習に対する強い動機付けになっているようである。

6-3.北スラウェシ州における日本語教育

(1)大学における日本語教育

 現在州内の高等教育機関の中で日本語が専攻できるのはマナド国立大学とマナド外国語大学(私立)の2校のみである。マナド国立大学は前身が教育大学であ り、教員養成を主な目的としている。マナド外国語大学では企業や観光関連の職業への就職を目標とした教育が行われている。
 そのほかに、必修・選択外国語として日本語教育が行われている機関として、マナド国立高等専門学校とサムラトランギ大学(国立)がある。マナド国立高等専 門学校では観光学科と秘書学科で日本語が必修科目になっている。サムラトランギ大学では文学部でインドネシア語学科、ドイツ語学科、英語学科などの学生の 必修外国語として日本語の授業が開講されているが、授業が行われるのは1学期間(半年)のみである(2004年度中に文学部に3年制日本語プログラムが立 ち上げられる予定である)。

(2)高校における日本語教育

北スラウェシ州は高校で第2外国語として日本語クラスが開設されている割合が高い(州内の全高校数320校中50校)地域であるが、日本語教育にあたって いるのは1人を除いてマナド国立大学の卒業生である。同大学からは毎年日本語教師志願者が輩出されており、そのことがジャワやバリから遠く離れた外島とい われる地域でありながら高い割合で日本語学習者が存在する主な要因となっている。

また、高校生の学習動機は様々だが、基本的には「先進国日本」への憧れがベースになっている。日本のゲームソフトや漫画、アニメ、ドラマなどいわゆるサブ カルチャーの影響は大きく、最近は日本への出稼ぎ労働者の増加を反映してか、日本での労働に対する関心も学習の強い動機付けとなっている。

7.地方分権化の影響

7-1.中等教育における地方分権化の影響

中等教育においては地方分権化によってその権限が中央から地方自治体に委譲されたため、制度改革の影響は大きい。

(1)新カリキュラムの位置付けと実施

前述のように、地方分権化の実施に伴って2005年から全国で施行される予定の新カリキュラムはその位置付けが従来のものと異なっている。従来は全国統一 学習指導要領とされていたものが、「ナショナル・スタンダード」とその名を変え、それをもとにそれぞれの地域の実情に沿った教育が行われることが求められ ている。しかし、現場の教員が自らの手で教材を開発することは能力や資金の面などから現実には不可能であり、現場に混乱と不安を投げかけている。

(2)教育行政の混乱

地方分権化実施以前からもそうした傾向はあったが、新制度導入以降教育行政の混乱を原因とする問題が続いている。制度の改編時にのみ見られる一時的な問題であるのか、より根の深い構造的な問題であるのかを見極めて対処して行く必要がある。

①教育カレンダーに関する問題

最終試験(UAN)など重要な年間行事の日程などが直前まで決まらない事態が続いている。その結果、現場の教員が噂や憶測に振り回されたり、個人的な情報ルートを持っている一部の学校や教員だけが有利になったりと現場に混乱が生じている。

②教員の給与遅配の問題

新制度の導入当初から教員の給与遅配の問題が続いている。地方分権化によってこれまで大半が国家公務員であった高校教師は地方公務員になった。それに伴 い、各教員への給与の支払いが大幅に遅れるといった事態が起こっている。管理上の問題であるとされているが、事務の不慣れによるもののほか、教員の間から は中央からの歳入を一旦銀行に預金することにより地方行政官が利息を得ているのではないかとの声が上がっている。以前より下がったとはいっても 12~14%の高金利社会(しかも1日単位で利息がつく)であるインドネシアでは一般的に行なわれている財テク手法であるというのである。教員のモチベー ション低下に加え、給与遅配に伴ったデモやストライキなどによって授業に大きな影響が出ている。

③教員の新規採用に関する問題

北スラウェシ州において、筆者が確認している高校日本語教師数は46人である。内訳は女性35人、男性11人と数の上ではやはり圧倒的に女性優位である。 北スラウェシ州高校日本語教師会(以下、教師会)の会長が最年長である。マナド国立大学を1985年から1989年にかけて卒業した教師が多く、教師会内 で多数派を形成している。その一方で、大学卒業後数年以内という若手教師も徐々に増加している。若手教師の中でも特に20代の教師はすべて非常勤教師であ り、全員が身分の安定した公務員になることを強く希望している。しかしながら、公務員採用試験で日本語教師が採用の対象となることはなく、他教科の教員の 場合も権限を持つ人物との縁故に加え、給与の30ヶ月分以上にも相当する裏金を用意することが必要であるといわれている。他地域でも概ね同様の状況である らしいが、北スラウェシ州でもここ10年ほどの間に高校の日本語教師が公務員に採用された例はない。今後、同地域での日本語教育の発展に大きな影響を及ぼ すであろう問題である。

7-2.女性教員のエンパワーメントと自己実現

近年組織された高校日本語教師会などの教師間ネットワークにおいて、指導的な役割を担う女性教員が増えている。たとえば、全国的に見ても前述の日本語教育拠点7地域での高校日本語教師会会長のうち3人(うち2地域については前任者が男性であった)は女性である。

北スラウェシ州においても、高校日本語教師会の会長、副会長は男性であるものの、女性教員の発言力は相当に大きい。また、2003年度からは新カリキュ ラムに準拠した教材開発のグループを地域ごとに立ち上げており、北スラウェシ州で選ばれた4人のうち2人が女性である。さらに言えば、2002年に立ち上 げられた専門高校(日本の実業高校にあたる)日本語教師会の会長も女性である。権限やポストの面でも女性教員の進出が目立ってきているといえる。

一方、さまざまな問題を抱えつつも、地方分権化の進展に伴う教育行政の地方化は地方の日本語教育を確実に活性化させている。新カリキュラム施行に伴って日 本語学習者数の増加が予想される上に、学習内容についても今後一層地方裁量、学校裁量が認められるようになると思われる。教員の採用に関しても、今後は教 育現場の発言力が増してくるであろう。特に北スラウェシ州の場合は、筆者の在任中にすでにその兆しが見られたように、地方裁量(学校裁量=校長裁量)科目 としての日本語教育が進展する可能性も高い。地方裁量科目としての日本語教育は地方分権化の一つの目玉として中学校や小学校においても注目されている。 「グローバル化の時代」というもう一つのスローガンのもと、日本語教育はカリキュラムに組み入れるのに望ましい内容であるとして認識されはじめている。所 属する学校では日本語教育の機会がないため、やむをえずインドネシア語や英語などを教えていた教員の存在が見直され、教職課程の履修者にとっても新たな雇 用機会が提供されることになる。日本語を教える機会がないため学校内で肩身の狭い思いをしていた教員が文字通りの日本語教師になることにより、やりがいと (校長や同僚教師など)他者からの肯定的な評価を通して自己実現を図っていくのである。こうした事例は筆者が3年間の任期中にしばしば目にしたことでもある。

8.おわりに

地方分権化という制度改革を地方の日本語教育のレベルで成功させるにはどのような取り組みが必要なのであろうか。重要なポイントであると考えられるのは、地方自らが中央の指示に依存できないことを自覚し、主体的に創造と改革を断行するということである。

これまでに見てきたように、地方分権化の実施に伴う日本語教育の新しい流れは、現場の各日本語教員、特にこれを機にエンパワーメントを図っていく女性教員 にとっては概ね望ましいものであるといえるが、一方においては大きな試金石でもある。なぜならば、現場の各教員にも、地方分権化の理念に即した、主体的に 創造と改革に関わっていくという意識が強く求められるようになるからである。

今後は地域の日本語教育の活性化とジェンダー主流化が相互に影響し合う形で進展していくことが理想であると考える。また、その前提としてジェンダー主流化をもとにした意識の変容を一層進めていくことが必要になる。

まずは、ジェンダー主流化の流れとインドネシア社会の変容に備え、女性教員の就業をサポートするような諸制度の整備が望まれる。

加えて、カリキュラムの改訂に際しての混乱には、高校日本語教師会などの教師間ネットワークを効果的に機能させ、それに対する支援を国際交流基金などが適 切に行なう形で乗り切って行くことが肝要である。それがひいては地方分権化の導入で意図されている地方自立(地域が自ら考え、決定できること)につながっ ていくと考えられるからである。


1 自ら意思決定し、行動できる能力を身につけていくこと。本稿では、特に日本語教育の分野で自ら意思決定し、行動できる能力を身につけていくこととして解釈される。本文に戻る
2 2004年9月20日に実施された大統領選決選投票の結果、インドネシア初の女性大統領メガワティ・スカルノプトリの再選が阻まれた。本文に戻る

参考文献

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  • インドネシア婦人の役割省著(1996)『インドネシアの女性』(財)アジア女性交流・研究フォーラム
  • 大形里美(2003)「インドネシアのジェンダー主流化とNGO」『アジア女性研究第12号』59-66
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  • 神崎智子(1997)「経済成長、人間開発、参加の3要素から見た社会開発の検証-インドネシアを例にして-」『アジア女性研究第6号』60-66
  • マリィ・クレア(2004)「日本語とジェンダーおよびセクシュアリティ(日本語ジェンダー学会第3回年次大会基調講演)」『日本語とジェンダー第4号』
  • 国際交流基金 日本語国際センター(1998)『海外の日本語教育の現状 日本語教育機関調査・1998年』
  • 国際交流基金ジャカルタ日本語センター(2001)『インドネシア日本語教育ガイドブック』
  • 国際交流基金ジャカルタ日本語センター(2001)『インドネシアの高等教育機関における日本語教育実態調査』
  • 国際協力事業団(2000)『第4次インドネシア国別援助研究会』
  • 佐藤百合(2002)『民主化時代のインドネシア-政治経済変動と制度改革-』アジア経済研究所
  • サパリナ・サドリ(1994)「インドネシアの女性学の動向」『アジア女性研究第3号』69-72
  • 松井和久(2002)『スラウェシ便り 地方から見た激動のインドネシア』アジア経済研究所
  • 新田洋子・吹原 豊(2003)『国際交流教育概論 アジア・オセアニア・中東編 第8章インドネシア』白沙ヶ濱(国際地域文化研究所出版部)
  • 新田洋子(2003)『国際交流基金海外派遣日本語教育専門家総合報告書』
  • 新田洋子(2002)「マナド国立大学日本語教育事情」『留学交流7月号』24-27
  • 和田幸子(1997)「ASEAN諸国に育つ「都市中間階層」-インドネシアの事例によせて-」『アジア女性研究第6号』74-84
  • 渡部孝子(2001)「子供向け日本語教材における性別役割分業の描写-ジェンダー・フリーの教材を目指して-」『日本語とジェンダー創刊号』
表1 インドネシアの日本語教育機関数・教師数・学習者数本文に戻る
  初等・中等教育 高等教育 学校教育以外 合計
機関数(機関) 256 43 114 413
教師数(人) 316 384 459 1,159
学習者数(人) 35,410 11,110 7,496 54,016
(国際交流基金日本語教育機関調査・1998年)
 
(吹原豊 ふきはらゆたか フェリス女学院大学)
 

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