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学会誌5号:論文2(ヒダシ)

日本におけるジェンダー的価値観
―ヨーロッパ人の視点から―

ユディット・ ヒダシ

要約:

社会と個人の行動は、基本的に法律あるいは文化によって影響される。日本では、歴史的な理由で、深く根を張った統一的な文化やそれに基づく伝統の力が圧倒
的に強い。それはジェンダー的な社会行動または価値観の面でも現れている。それを紹介するために、ホフステードの文化格差のモデルを利用する。日本が「男
性らしさの強い社会」の最高値を得た結果を解釈するために、日本のイメージ作りと日本語における男女差に触れる。

キーワード:ジェンダー、男性らしさの強い社会、女性らしさの強い社会、価値観、ステレオタイプ

I.法律・文化・行動の関わり

社会と個人の行動は、基本的に二つの要素によって影響される。所与の共同体で有効な法律と文化である。二つは必ずしも常に一致するわけではなく、ある時
代に有効な法律が、その共同体に特有な文化的な伝統とは違った仕方で物事を規定するといったことが起こりうる。歴史的にこうした例は数多く見られる。その
例のうち、時間、空間ともに近い例を一つだけ挙げる。

中国における「一人っ子政策」は、人口統計学的な緊張以外に、重要な文化的アイデンティティの混乱をもたらした。というのも、伝統的には、男子の後継ぎ
を確保することと、大家族への要望が今日まで強く組み込まれた文化的な要素だからである。人々は、法律をかいくぐるために、時には驚くべき方法を考え出し
てきた(女子の胎児をヤミで中絶する、第2、第3子の妊娠を隠す、あるいは、それでも生まれた子どもを田舎の親戚へ逃がす等々)。

法律と文化的伝統がぶつからない幸運な場合には、社会・個人双方の行動が容易になる。つまり、行動のレベルで意識の分断を経験しなくてすむ。法律とは、
その時代の勢力者、 結局、人間がつくった「手続きに対する成文化された規則」であるから、原則的に、いつでも変更することができる。つまり、改定するこ
ともできるし、廃止することもできるし、また、あらたに制定することもできるのである。成文化されていない、比較的大きな伝統を持つ文化、もしくは、その
文化によって規定された規則が、新しく制定された法律によって廃止されるかどうかは、別の問題である。ここでは、文化的基準や価値観と、法律的規準や価値
観の衝突について論じていく。

文化的な価値観は、その社会に深く根づいていればいるほど、容易には変化し得ない。その例として、日本で1985年に制定された「男女雇用機会均等法」
を考えてみよう。この法律が制定されたにもかかわらず、日本においては「ガラスの天井(グラス・シーリング)」が存在する。この法律はすでに20年間も施
行されているにもかかわらず、現実は未だに、この法律の理想とするところから遠く離れている。労働市場において、女性は今日までいわゆる「ガラスの天井」
現象にぶつかっていて、その結果、管理職への昇進は未だに非常にむずかしいだけでなく、企業によっては不可能である。

一方、法律の力が、行動と、長期的には文化自体をも抜本的に変えるということも起こりうる。その一例として、シンガポールで、法律と、それに基づく罰則
の力によって、模範的な公共秩序、模範的な公共の安全がもたらされた(Lee:2000)ことを挙げることができよう。法律と文化のうち、どちらが社会的
な実現力や影響があるかは、文化によって異なる。上記のケースでは、歴史的な理由で、深く根を張った統一的な文化が存在しなかったシンガポールでは、文化
的な力は人間によってつくられた法律よりも弱かったと言えよう。つまり、等質な文化がなかったために、社会の結合力によって、合理性が規定する成文法が実
効的になったのだ。

次に、日本では、文化に組み込まれたものによって、世代を越えてどのような行動規範が受け継がれてきたのか、また、それらの行動規範によって、日本という国は、相互文化の点から、世界のどこに位置づけられるかを見てみよう。そのために、ホフステードのモデルを利用する。

Ⅱ.ホフステ-ドの文化的価値観モデル

オランダ出身であるへールト・ホフステード(Hofstede)は1968-1972年に世界の50カ国、及び3つの地域(アラブ、西アフリカ、東アフリ
カ)で働く約12万人のIBM社員からデータを集め、分析している。その調査結果から、仕事に対する文化的価値観として4つのポイントを挙げている(ホフ
ステード1995)。

    1. 個人と個人のつながりの強さ、弱さを示す度合い。

 

    1. それぞれの国の制度、組織で、権力の弱い成員が、権力が不平等に配布されている状態を予期し、受け入れている度合い。

 

    1. ある文化の成員が不確実、未知の状況に対して不安を感じる度合い。

 

    1. 生物学的ではなく、社会・文化的に規定された性的役割の度合い。性別による社会的役割の区別が明確か(男性的価値)、不明確か(女性的価値)の度合い。男
      性的価値は日本、オーストラーリア、ベネズエラなどが高い。女性的価値が高い国はスウェーデン、オランダ、など。

 

以上の4つの文化的価値観に加え、80年代に入ってから、アジア諸国の驚異的な経済発展を理解するために、もう一つのディメンジョン(局面)が導入された:

    1. 儒教圏やプロテスタントの国々では、長い目でものを見て生活している。

 

投資精神が(教育の重要さ、貯金の高さなど)日常生活の運営にも影響を与えている。これらの国々は、現在、世界で、経済的な面でいちばん発展している。

表1.ホフステードの文化モデル

 

 

 
ディメンジョン名

対極的な価値(指数)
1. アイデンティティIdentity 個人主義 集団主義
2. 権力格差Power distance 権力の差が少ない 権力が不平等である
3. 不確実性回避Uncertainty Avoidance 不確実性に弱い 不確実性に強い
4. ジェンダーGender 男性的価値Masculinity 女性的価値Femininity
5.追加 効能Virtue 短期的な見通し・見方Short-term perspective 長期的な見通し・見方Long-time perspective

これらのディメンジョン(局面)から、「ジェンダー」の局面を取り挙げていく。誤解を避けるために、次のことを明確にする必要がある。ここでの「ジェン
ダー」とは、厳密に社会的な意味で用いている。生物学的な違い、遺伝的なもの・質・行動を意味するmale:female(生物学的な性)に対して、社会
的な意味での違いを表す二分法、つまり「社会的な性」であり、それは、社会の中で身につけたもの・質・行動であって、「男性らしさmasculine」と
「女性らしさfeminine」を表す。

どんな国でも、性による文化的な差が見られる。しかし、それは絶対的というよりも相対的なものである。そのため、程度の差があるということになる。そこ
で、ホフステードは、その相対的な差をはかるための調査を80年代後半にあらためて行った調査結果を追加して、世界の53ヶ国における結果を得た。その
データ分析の結果から、日本は、世界の53ヶ国の中でも、男性らしさという指標のスコアが世界一であることが明らかになった。それをホフステードが調査し
た53カ国から10カ国を代表として取り上げて表2によって紹介する。

表2.男性らしさ指標の値

 

 

スコアによる順位 国または地域 男性らしさスコア
 1 日本 95
 2 オーストリア 79
 9 イギリス 66
11 フィリピン 64
15 アメリカ 62
16 オーストラリア 61
18 香港 57
32 台湾 45
41 韓国 39
53 スェーデン  5
(ホフステード1995:87から)

興味深いのは、日本の男性らしさの指標が極めて高いスコアである点である。この世界一のスコア(95)は、日本がこの点において世界のほかの国々と比べて
も独特なポジションを取っていることを示している。この日本のスコアは、西洋の国々と比較して高いというだけでなく、アジアの諸国と比べてみても非常に高
い。アジア諸国の中でも、日本は特殊な文化を持つことを表している。

具体的に、社会の中で、「男性らしさ」あるいは「女性らしさ」はどういうふうに示されるかを表にまとめて紹介する。基本的な違いを一般的な規範、家庭、学校、職場などの場において対照する(表3)。

表3.男性らしさの強い社会と女性らしさの強い社会の基本的な違い一般的な規範、家庭、学校職場

 

 


男性らしさの強い社会

女性らしさの強い社会
社会において支配的な価値観は、物質的な成功を遂げ、進歩することである 社会において支配的な価値観は、他者に配慮し、控えめにふるまうことである
金銭と物質が大切にされている 温かな人間関係が大切にされている
男性は自己出張が強く、野心的でたくましいものであるとされている 謙虚でなくてはならない
女性はやさしく、人間関係に気を配るものであるとされている 男女ともやさしく、人間関係に気を配るものであると思われている
家庭では、父親は現実的な事柄に、母親は情緒的な事柄に対処する 家庭では、父親も母親も現実的な事柄と情緒的な事柄のどちらにも対処する
女の子は泣いてもいいが、男の子は泣いてはならない;男の子は攻撃されたら、やり返さなくてはならないが、女の子は争ってはいけない 男の子も、女の子も泣くことは許されているが、けんかをしてはならない
弱者への共感がある 弱者へのいたわりがある
もっとも優れた学生でなくてはならない 平均的な学生であればよい
学校で失敗することは、致命的である 学校で失敗することは、たいしたことではない
教師は優れた才能を求められている 教師は親しみやすさを求められている
男の子と女の子では勉強する科目が違う 男の子も、女の子も同じ科目を勉強する
働くために生きる 生きるために働く
管理職は決断力と自己主張を求められている 管理職は直感を大切にし、意見の一致点を求めようとする
公正さと同僚の間での競争と業績が重視される 平等と連帯感と職業生活の質が重視される
対立は徹底抗戦によって解決する 対立は妥協と交渉によって解決される

以上の社会行動パターンは、ある社会にとって、どちらも100パーセント当てはまることではないが、どちらかにより近いものであるという傾向がわかる。そ
こで、日本の調査データを分析した結果、日本は、どちらかというと、「男性らしさの強い社会」であることが明らかになっている(ホフステード1995:
100)。

以上、社会のメンバーである個人の社会的な行動を見てきたが、政治とアイデアの分野における社会行動をジェンダー次元の立場から分析してみると、「男性らしさの強い社会」という日本の性質が改めて示される(表4)。

表4.男性らしさの強い社会と女性らしさの強い社会の基本的な違い政治とアイデア

 

 


男性らしさの強い社会

女性らしさの強い社会
業績主義社会をめざしている 福祉社会をめざしている
強者は擁護されるべきである 困窮している人は援助されるべきである
欠点を直し正しくすることが求められる社会 寛容な社会
大きくて早いことが美しい 小さくてゆったりしていることが美しい
経済成長の維持がもっとも優先される 環境の保全がもっとも優先される
政府は貧しい国々の開発援助のために予算全体の比較的わずかしか当てていない 政府は貧しい国々の開発援助のために予算全体の比較的大きい部分を当てている
政府は軍事費に予算全体の比較的大きな部分を当てている 政府は軍事費に予算全体の比較的わずかしか当てていない
国際紛争は力の誇示か戦闘によって解決されねばならない 国際紛争は交渉と妥協によって解決されねばならない
政治家として選出されている女性の数は、比較的少ない 政治家として選出されている女性の数は、比較的多い
支配的な宗教では、男性には特権があることが強調されている 支配的な宗教では、男女が互いに補い合う存在であることが強調されている
女性解放とは、これまで男性によって独占されていた地位に女性もつけるようにすることを意味する 女性解放とは、男性と女性が家庭でも職場でも平等に役割を分担することを意味する
(ホフステード 1995:108より)

表4を見ても、100パーセントが当たっているとは言えなくても、どちらかというと、日本は「男性らしさの強い社会」であることは明らかである。このカテゴリー化はホフステードの別の比較調査でも分かる(Hofstede 1988)。

ここで一点、コメントとして付け加えなければならないことがある。このホフステードの調査が行われたのは80年代だが、もし、同じ調査を現在、2004年
の日本で行うと、多少違う結果がでる可能性があるという点である。なぜなら、何人かの研究者が指摘しているように、最近、日本社会においては価値観の変化
が激しく、伝統的に日本文化の基本であると思われた価値観が変わりつつある(Matsumoto 2002)からである。

最近のこの傾向によって日本社会がどのような方向へ動いていくのかは、将来の研究でしか分からないだろう。しかし、現在の変化を考慮に入れても、基本的に言えば、日本はまだまだ「男性らしさの強い社会」と考られることは間違いないだろう。

このように、日本は、ホフステードの調査(Hofstede 1988: 308)では、男性らしさの指標で高い数値を出しているが、どうしてそのような結果になっただろうか。

Ⅲ.ジェンダー行動を教わり、身に付ける場面

ジェンダー役割やジェンダー別行動を無意識的に身につけたり、あるいは意識的に教えられたりする場面が幾つある。まず、家庭では、幼い頃からジェンダー
役割を見習う場面が多いし、児童向けの絵本やおもちゃ等によって、ジェンダー役割のイメージが知らないうちに植え付けられていく(Davies –
Ikeno
2002)。このプロセスは学校に入ってからも続き、特に、家庭での役割分担に対する期待やイメージは昔のまま強く、子供はそれを当たり前のことのように
受け取り、解釈する。

さらに、男女役割分担に関わるステレオタイプの形成には、メディアが強く影響している。テレビドラマや漫画、アニメ、映画などは、職業の面においても、家庭内の役割分担においても、男女別のステレオタイプを伝えているケースが多い。

これらの場面
―家庭、学校、メディア―の影響は世界のどこでも同じく強いと言えるが、日本では、もう一つ、インパクトの強いファクターがある。日本の社会行動の特徴の
一つとして考えられる現象だが、男性世界と女性世界が比較的分離されていることである。男性が活動している世界と女性が活動している世界、つまり男性・女
性の社会参加は、職業によるものにせよ、趣味・遊びによるものにせよ、比較的に同性仲間によって行われ、社交の範囲は限られている。

最後に、ことばの面で見られる男女差も忘れてはいけない。昔は特にそうだったが、日本語には男性語と女性語の区別がある (佐々木1999;2000)
ために、男性と女性の区別がコミュニケーションの面でも現れることになる。この点は、意識のレベルで非常に重要な力を持っているだろう。
一方、女性語を研究する専門家は次のように語っている。

「男女の話しことばを概観すると、日本語の性差は古代にはなく、中世に芽生え、江戸時代に育ち始め、明治時代から昭和初期にピークを迎える、そして21
世紀の現在、性差が減少して、制度として生まれた性差が、それがなかった時代へと回帰する過程にある、と言えよう。」(泉・藤田・藤村・遠藤
2003:86. )

しかし企業内やビジネス世界では女性語と男性語の区別があいかわらず、そのまま存在しているという現場からの報告も少なくない。社会行動の面においては、
男女差が消えつつあるとしても、ことばの面においての差が存続しているかぎり、意識面での混乱が起こる可能性があるのではないかと考えられる (遠藤
1993)。この例として、フォーブス誌において2002年に有能なビジネスウーマンとして選ばれたUchida氏のコメントは興味深い。
”Many  things  hold a  woman back  in the
Japanese  corporate  world, but linguistic customs may be
the  most insidious” ….”In Japanese, a  woman  who
criticizes a subordinate using the same  words as a man ends up
sounding extremely harsh. This could hurt the subordinate`s performance
as  well as the  woman`s  reputation  as
a  manager”…(words of Uchinaga Yukako, selected by Forbes Magazine
in 2002 as one of the World`s Most Powerful Women in Business,
JT,  2004/02/03/1.)
Uchida氏が上記で述べているように、男女による言葉づかいの違いが、女性が男性の上司になるという構図(まだまだ数少ないケースではあるが)に何
らかの影響を与えている。一方、在海外日本企業の悩みの一つとして取り上げられるのは、現地スタッフがコミュニケーション不満のために会社を辞めるのが極
めて多いことだそうだ。その理由は、現地スタッフにとって、日本社会では常識化されている男性の語調を理解することが難しく、それをある種の差別と感じる
ことも多く、男性語を「パワーハラスメントpower harassment」として受け取るからである。“It is difficult for
local staff to master the rules of communication used  in
Japanese  society…”  (Takahashi-Okada 2003: 50.)

IV.外へ伝わってくる日本のイメージ

さて、男女差があること自体がいいかどうかということは、その社会の中に暮らしている日本人の判断に任せておこう。外の世界、特に、ヨーロッパ人のイ
メージの中では、日本人に対して、性的に極めて強いステレオタイプが幾つも生きている。武士精神を持つ、夏の暑さのなかでも黒いスーツを着ていて、夜中ま
で働くサラリーマン('working
samurai')のイメージに対し、「優しくて、かわいらしい」日本女性のイメージが21世紀に入ってもほとんど変わらない。その背景には、原因が2つ
考えられる。1つは、日本が外へ発信するイメージがは主に映画や漫画、アニメなどから得られるということである。それらのマス・メディアがステレオタイプ
を維持しているかぎり、受け取る側はそれしか知らないことによって、すでにあったステレオタイプが正当され続けることになる(Hidasi 2002)。

もう1つの理由は、ヨーロッパ諸国は全体として、それぞれの社会運動、民主化や平等政策などの結果、「女性らしさの強い社会」の方向へ動いているという点
である。そこで、社会的な意味での性的な区別が消えつつある中、女性的な役割をアイドルのように代表していると思われる「日本女性」に対して、ある程度の
あこがれが見られるのも事実である。

社会的に変わりつつある日本では、男女差に関わる伝統的なステレオタイプはどこまで、いつまで維持されるか? 女性パワーが家庭の外でも強くなったり、発現されたりすることによって、どんなイメージ変化が期待されるだろうかと興味深く思われる。

V. まとめ

社会と個人の行動は、基本的に法律と文化によって影響される。法律と文化のうち、どちらが社会的な実現力や影響があるのかも、文化によって異なる。日本
では、歴史的な理由で、深く根を張った統一的な文化やそれに基づく伝統の力が圧倒的に強い。それはジェンダー的な社会行動または価値観の面でも現れてく
る。それを紹介するために、ヨーロッパの一番よく知られた異文化研究の元祖とも呼ばれる ホフステードのモデルを利用しながら、日本が「男性らしさの強い
社会」という指標で世界一のスコアをする結果の解釈について考えてきた。

社会行動を伴う言語行動の上では、ある程度の「中性化」や「男性語の方向への統一化」があるとしても、ビジネス世界や企業内の中では性差がまだみられる。社会が男女差を減少する方向へ動いているかどうかの問題は、言語の性差の問題とも関わっている。

ヨーロッパ人が日本に対して、「男性らしさの強い社会」というイメージを持つという現象は、日本の大衆文化の普及の結果、未だに変わらず、ヨーロッパ人
のステレオタイプは以前と同様に維持されている。現在、日本社会がどんどん変わりつつあるなか、ジェンダー価値観も変化していくことが予想される。そうし
た現実をより正しく理解するために、日本社会と日本語における言語行動の変化を真剣に考察する必要があるだろう。

参考文献

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      and Female Relationships in Japan, In: id.(eds.) The Japanese Mind.
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      Wives and Wise Mothers” , In: id.(eds.) The Japanese Mind. Tuttle,
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    • Hidasi Judit (2002):Current Stereotypes in Japan – an intercultural study, 神田外語大学紀要第14号199-212.
    • ホフステード、ヘールト(1995):  多文化世界(Cultures and Organizations: Software of the Mind , 1991 の日本語訳)有斐閣
    • Hofstede, Geert(1988): McGregor in Southeast Asia? In: Sinha,
      D.& Kao, H.S.R.(eds.) Social Values and Development: Asian
      Perspectives, New Delhi/Newbury: Sage, pp.304-314.
    • JT=The Japan Times
    • Lee Kuan Yew  (2000) : From Third World to First – The Singapore Story: 1965-2000. New York: Harper Collins Publisher
    • Matsumoto, David   (2002) :  The New Japan – debunking seven cultural stereotypes. Yarmouth: Intercultural Press
    • 泉邦寿・藤田知子・藤村逸子・遠藤織枝(2003):言語とジェンダー:フランス語と日本語の場合、フランス語学研究第37号、79-86.
    • 佐々木瑞枝  (1999):女の日本語、男の日本語 筑摩書房
    • 佐々木瑞枝  (2000):女と男の日本語辞典 東京堂出版
    • Takahashi Rita & Okada Norimichi (2003): Stress of Hong Kong
      Japanese Language Learners: Case Study of Students of City University
      of Hong Kong in Japanese Business Community,
      新しい共存のビジョンを問うーせめぎ合う多文化の狭間で、多文化関係学会2003年度 全国大会2003/11/15-16紀要、pp.49-52.

(Judit Hidasi ユディット・ ヒダシ   神田外語大学教授)

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