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学会誌4号:論文2(鈴木)

ジェンダー・フリー社会はディベートで実現するか
—男女共同参画の推進事業とその限界—

鈴木克義

はじめに・男女共同参画バックラッシュ

いわゆる男女共同参画に今、猛烈なバックラッシュ(反動)が起きている。いわく、「男は男らしく女は女らしく」のどこがいけないのか、専業主婦の価値を認めよ、子どもを産まなかった女に年金などやるな、ジェンダー・フリーは行き過ぎだ…。

1999年の男女共同参画社会基本法の公布を受け、ここ2〜3年は自治体レベルでの男女共同参画推進条例づくりが進み、審議会や懇話会での具体的な推進プランづくりが各地で始まった…はずなのだが、ここへ来てどうも足踏み状態の自治体がふえている。

静岡県や静岡市のように、はやばやと条例を制定してしまったところは割合すんなりと通ったのだが、女性知事が制定に意欲的ながら「廃案」となった千葉県 や、私自身も関わっている富士市のように、直前になって猛烈な反対に遭って、せっかくの中身が骨抜きになっているところも少なくない。

そもそも国策で進められている男女共同参画に、保守派の人がなぜ反対するのだろうか。男女平等を謳った憲法の公布から50年以上、いわゆる男女雇用機会均等法の制定からも20年近くが経とうとしているのに..。
 私が到達した仮説はシンプルである。
「彼らは男女共同参画をジェンダー・フリーと勘違いしている!」

ジェンダー・フリーと男女共同参画

男女共同参画を英語でジェンダー・フリー、あるいはジェンダー・イコールと訳している例がときどき見られるが、これは明らかに違う。ジェンダー・フリー は、男女の社会的・文化的性差をなくしていく取り組み全般を指す言葉だが、男女共同参画のほうは、おもにアメリカの雇用機会均等法の流れを組むもので、人 種や性別に関わりなく雇用や社会参加の機会均等を保障していこうという、イコール・オポチュニティーの発想である。

したがって、男女共同参画推進プランの一環として、女性管理職や女性議員の割合を40%以上にするポジティブ・アクション(積極的是正措置)を条例に盛 り込むのは趣旨に適っているが、たとえば一部の女性センターで行われている「桃太郎を桃子に」というような童話の書き換えや、ひな祭りに男の子も参加させ るといった動きは、ジェンダー・フリーの思想ではあっても男女共同参画ではない。

男女共同参画を推進している人たちの中にも、一部ジェンダー・フリーと混同している部分があるため、「ジェンダー・フリーは日本の伝統文化を破壊する」などと、保守派の人たちに攻撃される口実を与えてしまっているのである。

ジェンダー、とくに言葉のジェンダーと男女共同参画はほとんど関係がない。それをよく表している文章が、2004年の大学入試センター試験の公民、現代社会分野の冒頭に登場しているので、引用しよう。

第1問 次の文章は、スウェーデンに住む大学生ハンナが、日本の高校生ケンに送った電子メールである。これを読んで下の問いに答えよ。

 ケンちゃん、メールありがとう。
 アキコおばさんが市議会議員に当選されたと聞いて、すごくうれしかったわ。<中略> 去年の夏、おばさんがスウェーデンの議会政治を視察に来られたとき、男女平等が進んでいると感心されていたんだけれど。確かに女性の社会進出という点でも、他の北欧諸国と並んで先進的だと言えるわね
 しかもね、こちらでは外国人でも一定期間以上住んでいれば地方参政権が認められていて、うちのママのように日本国籍のままでも、地方自治体の議会選挙には参加できるの。外国人であっても、住民として自分が住んでいる地域の問題には直接関係することが多いので、参政権は重要な権利と考えられているからよ。<後略>(下線は筆者)

これを読んで、どういう印象を受けるだろうか。私の第一の驚きは、数十万人もの大学受験生が受けるセンター試験で、男女共同参画がテーマとして取り上げられたこと。これからは、ニッポンの受験生は全員、このテーマを必須科目として受験勉強に組み入れることになるだろう。

そしてもう一つの驚きは、このテーマにもかかわらず、ジェンダー・バイアス丸出しの文章でこれが書かれていることだ。

今時の女子大生がこんなお上品な言葉遣いをするかどうかは疑問だが(外国に住んでいる設定なので、おそらく古き良き日本語が保持されているのだろう)、 これを読んだだけで、男女共同参画とジェンダー・フリーが別物であることがよくわかる。世の中がどんなに男女平等になろうとも、ジェンダー、とくに日本語 の中のジェンダーはしぶとく生き残るのだ。

この文章自体はたぶん、五十代ぐらいの男性出題者が書いたものと推測できるが、「女子大生ならこういう言葉遣いをするに違いない」という、ジェンダーによるバイアスが如実に表れた迷文と言えるだろう。

男女共同参画の建前は持っていても、我々の体に染みついたジェンダー意識はかくも根強い。審議会の自立した女性委員が夫のことを「主人」と呼ぶのは普通 だし、町内会長は相変わらず男性だ。このようなジェンダーに根ざした慣習を、男女共同参画の推進で取り除くことは可能だろうか。

男女共同参画の推進とディベート

私は福岡に住んでいた10年近く前、市の男女共同参画推進懇話会の委員を引き受け、10年目になる女性センターのリニューアル・プラン策定に関わった経 験があるが、委員のメンバーを見渡すと、当時三十代後半だった私よりはるか年上の、いわゆる学識経験者やジャーナリストといった人たちが多く、子育て世代 を代表するメンバーは私以外にはいなかった。

議事進行や提言書づくりも、市役所の女性政策担当者の主導で進められ、懇話会の席では、担当者の作成した原案に委員が多少の修正を加えることはあっても、基本的に役所側の意向で話が進んでいくことが多かったように思う。

今でこそ各審議会に市民から公募の委員が加わることも普通になったが、本当に男女共同参画の施策を必要とする世代の声が反映されているか、疑問に思うことが多い。

私事になるが、私の配偶者が静岡市のエンゼルプラン検討懇話会の公募委員として審議に加わったときにも、出産・子育て支援のプランづくりを行う懇話会にもかかわらず、委員長はじめ7割の委員が中高年男性だった。

また、何の訓練も受けない一般の市民が審議会に出席して、その道の専門家の委員に互して発言できるかも疑問である。

1992年の2月、筆者が初めて自治体主催の市民対象ディベート講座を行なったきっかけは、まさにこの問題の解決のためだった。

当時、地方自治体の各審議会委員の20〜30%を目標に女性の委員を入れるというクオータ制(quota=数量割当:少数者優遇政策のいわゆるポジティ ブ・アクションの一つ)が各地で行われていて、福岡県の久留米市でも女性団体の代表などを委員に選任していたのだが、女性政策室の室長によると「女性の委 員は会議ではほとんど発言せず、終わったあとになってから担当者の所にきて意見を言う」。

これでは困るというわけで、当時の勤労婦人センターで一般市民を対象に開かれたのがディベート入門セミナー(当初は自己表現能力向上セミナーと謳っていた)だったのだ。

女性がもともと議論が苦手なのか、それともジェンダー・バイアスによるものかは、講座を実施してみてすぐに答が出た。

元来、しゃべる能力に関しては男性に優るとも劣らない女性のことである。データを用いて論理的かつ客観的に話すというトレーニングを施したところ、めき めき頭角を現す女性が出てきた。これはもちろん女性に限ったことではない。議論の苦手な男性もいるわけで、この人たちに少しばかりのディベート訓練を行う だけで、会議のオブザーバーから主役に変身させることができる。要は今までの教育と行政が、市民に機会を与えてこなかっただけのことだ。

ここでは福岡と静岡を中心にこの十余年、講座や大会を通じてディベートがいかに市民の男女共同参画意識を啓発したかについて、述べてみたい。

なぜ男女共同参画は根付かないのか

1985年の男女雇用機会均等法の成立以降、企業と行政は女性が働きやすい環境整備に力を注いできたはずだった。実際、1991年の育児休業法、95年 の育児・介護休業法の成立など、いくつかの成果は見られたが、これとても男性の育児休業取得率0.33%という数字に見られるように、男女共同参画の理想 にはほど遠い。

働く女性が結婚後も同じ姓で仕事ができる「選択的夫婦別姓制度」も、国会に法案が提出されそうになっては与党の抵抗勢力に握りつぶされ…というパターン をここ数年繰り返してきたのがだが、これなどは男女共同参画なるものに対する政治家と市民の無理解・無見識を端的に表している。

「選択的」、つまり別姓を名乗りたい夫婦だけに選択の幅を広げる制度であれば、私など何の問題もない法案だと思うが、「家族の一体感が失われる」とい う、まるで強制的にすべての夫婦を別姓にするかのような反対理由で潰しにかかる人たちがまだいる。実際に別姓を選択する夫婦は数パーセントにも満たないは ずなのに。

2001年の「しずおかディベート大会」のテーマとなった「議員の男女同数法」にいたっては、無理解というより、認知度の低さに唖然とした。

「議員を男女同数にすることの是非」を論ずる以前に、「なぜ男女同数などということがテーマになるのか」という反応が多く、ちょうどこれは以前に常葉短大の職員研修会ディベートで「短大に託児所を設置すべし」という論題を提案したときの反応に酷似していた。

アメリカの大学に託児所があるのがごく普通であったり、ヨーロッパの国々の選挙制度にクオータ制があるのを知らない人にとっては、こういったテーマで議 論すること自体に価値が見いだせない。よく知らないことはやるべきでないと思うのは、普通の人間として当たり前の反応だろう。人は知らないことには恐れを 抱き、遠ざけようとする本能が働くものだから。

ときには、自治体の男女共同参画担当者の間にさえも、同種の反応を見ることがある。数年前、福岡市の担当者にディベートのテーマとして「SOHO(IT 利用の在宅勤務)支援」を提案したときも、それが女性政策とどう関係があるのかと真顔で問い直されたものだった。今となってはSOHOは、仕事と介護・子 育て両立の究極の手段として注目の的である。

行政職員はたまたま異動で男女共同参画の部署に配置されてきただけという人が多く、もともと本人に高い参画意識や興味があったわけではない。2・3年後 にはまた別の職場に移るのだから、腰を据えて勉強しようという気にもならないだろう。女性センターにプロパーの専門職を配置しているのは、横浜市など先進 的な自治体に限られている。

その結果、行政の企画する男女共同参画啓発事業は、有名人講師に頼っての講演会やシンポジウムなど、一方通行のイベントになりがちである。高いギャラと 旅費を払って遠方から招聘したタレント講師を見に集まる群衆は、いつも決まった顔ぶれの熟年・老年の女性といった割合が多く、ひどい場合には行政がかき集 めて動員した観客であるという場合さえある。

もう子育てをとうの昔に終え、親の介護さえも終えたような世代に向かって男女共同参画を声高に唱えたところで、どれほどの意味があるだろうか。まだまだ多くの自治体で、男女共同参画推進への道は遠いというのが私の実感だ。

そもそも「男女共同参画」なるものを推進することの意味について、どれだけの人が正確に理解しているだろうか。政府がここへ来て矢継ぎ早に施策を打ち出し、自治体にも実施を迫っているのはなぜなのだろうか。

それは1995年の北京女性会議以降、能力ある女性の社会進出が進まない日本社会に向けられた厳しい目に応えるため、という外部的要因もあるだろうが、やはり大きいのは急速な少子高齢化の進展だろう。

1人の女性が生涯に平均して1.32人しか子どもを生まないという恐るべき出生率(2002年)は、日本の将来に拭いがたい暗い影を落としている。2人 のカップルが結婚して、1世代(約30年)経ったときの後継者の数が1.32人、つまり3分の2以下に減るということは、2世代経ったら半分以下になると いうことだ。このままでいくと、日本全体がゴーストタウン化し、消費経済や年金の破綻は避けられない。

そこで何とかして男女が共に働いて税金と保険料を納めながら、安心して子どもを生み、育てていける社会にしなければならない。それが男女共同参画のゴールだ。

ジェンダー・ディベートの効用

改革を阻む障害は、大きく分けて2つあり、ディベート用語では構造的障害(structural barrier)と心理的障害(attitudinal barrier)と呼んでいる。このうち前者は法律の改正や予算の配分といったことで比較的容易に解決できる場合が多いが、やっかいなのは人々の心の中に 深く入り込んでいる後者の障壁である。
 長年に渡って議論されながらなかなか実現しないという問題には、この心理的障害が見えない壁となって立ちふさがっている場合が多い。
 たとえばサマータイム制である。夏の間、時計を1時間進めて夕方の明るい時間を長くし、省エネと景気浮揚効果を狙おうとするもので、欧米の主要諸国は以前から採用しているが、日本では反対が根強い。

アフター・ファイブの時間帯を家族とのふれあいに使いやすくなるなど、ライフスタイル変革のきっかけにもなるので私は大賛成だが、これも毎日早起きしなければならないので睡眠不足になるといった、誤解に基づく反対もあっていっこうに実現を見ない。
 男女共同参画関連で懸案となっているテーマは、やはりこの心理的障害(=ジェンダー・バイアス)が邪魔をしているものが多い。夫婦別姓もその1つだが、2000年のしずおかディベート大会のテーマとなった「男性の育児休業」も典型的な例である。
 育児休業法の成立以来、法律上は男性も女性と同様に子どもの出生後1年間は育児休業を取れることになっているが、実際には女性の取得率64%に対して男性はわずか0.33%(2002年)、国家公務員でも女性91%に対して男性0.3%(2001年)となっている。

公務員の場合など、身分も保障されているのだから取れば良いのにと思うが、やはり「男が育児で仕事を休むなんて」というジェンダーに基づく心理的障害が大きいのだろうか。ディベートの論題には、この類の問題がもっとも向いている。
 というよりディベートは、こうした問題を効果的に解決する、おそらく唯一の方法である。これ以外で心理的障害を取り除く方法を私は知らない。

論題「男性の育児休業を義務化すべし」

男女共同参画の意識改革は、いくら専門家の講演を聴いたところで、急激に進むものではない。「男性ももっと育児休業を取りましょう」という呼びかけに応じて、育休を取ろうと思う男性がどれほどいるだろうか。

それよりも当事者の男性に、自ら「男性も育児休業を取るべきだ」と言わせることができるとしたらどうだろうか。それがディベートでは可能なのである。しかも提案する側に具体的なプランを考えさせ、それが実行可能であることを証明し、メリットが生じることも示させる。

新しいことをやろうとすると必ずリスク、つまりデメリットも生じるので、これが二の足を踏ませる要因になるのだが、ディベートでは必ず良いことだけに目 を向けず、否定側も担当するのでデメリットの資料も集めなければならない。この課程で、男性の育児休業義務化を一足先に果たした北欧の国々が、どうやって 収入低下などのデメリットを補ったかという資料に行き着く。それは80〜100%という高い育休中の休業補償であることがわかる。しかも義務化によって男 性が育児で仕事を休むのが当たり前の社会になるので、「子どものことで仕事を休んで…」と後ろ指をさされることもない。

このように、予想されるデメリットに対して予め対策のくさびを打っておくことを「プランスパイク」という。これで実現可能性がぐっと高まる。

つまりディベートでは、今まで構造的にはできるとわかっていながら気持ちが邪魔をしていたというような、男女共同参画に多く見られるような問題につい て、腰が引けている当事者を表舞台に引き出し、自らの口で語らせることで、「あ、やれるじゃないか」と思わせることができるのだ。

人の話を「本当かな」と思いながら聞くのと、自ら資料を調べて語るのとでは、理解度は何百倍も違うだろう。それまで何となく否定的に考えていたことも、 よく知らなかっただけで、実はやってはいけない理由は何もないことがわかったりする。ディベートではこれだけで立派な「やるべき理由(no-need need)になる。これがジェンダー・ディベートの効用なのだ。

ジェンダー・ディベートの実際

過去十余年間、おもに福岡と静岡の女性センターで取り上げた男女共同参画ディベート(福岡時代は「女性政策ディベート」といっていた)の論題を列挙すると、次のようなものがある。

  • 久留米市は女性総合センターを建設すべし
  • 企業と行政は働く女性の子育て支援を積極的に行うべし
  • 働く女性へのスーツレンタルは有望なビジネスである(価値論題)
  • 企業は女性を積極的に雇用すべし
  • 時間外勤務を制限すべし
  • 企業と行政は在宅ワークを推進すべし
  • 学校給食を廃止すべし(これは廃止反対派が男女共同参画の立場)
  • 女性社員の制服を廃止すべし
  • 所得税の配偶者控除を撤廃すべし
  • 年金の第三号被保険者制度を撤廃すべし
  • 専業主婦優遇制度をなくすべし
  • 男性の育児休業を義務化すべし
  • 選択的夫婦別姓制度を導入すべし
  • 議員候補者の男女同数法(クオータ制)を制定すべし
  • 日本はワークシェアリングを推進すべし
  • 企業内託児所の設置を推進すべし

これに加え、2001年からは静岡市の公立保育園の主任研修でディベートの指導を行うようになった。テーマは保育士の仕事に関わるものを選んでいるが、これも広い意味では男女共同参画ディベートといえるだろう。

  • 静岡市の保育園は休日保育を行うべし 
  • 幼稚園と保育園の幼保一元化を行うべし 
  • 保育は異年齢児クラス(縦割り)で行うべし

いずれの論題も、ここ何年か議論されてきたがなかなか実現しないという(一部実現したものもあるが)、ディベート向きの論題である。

女性センターなどの講座で取り上げる場合は、これらの中からその時々の時宜に合ったものを選ぶようにしている。たとえば学校給食のテーマなどは数年おきにマスコミで話題になるという歴史を繰り返している。

1992年に埼玉県の庄和町で町長が給食廃止の方向性を打ち出し、働く母親の猛反対にあって撤回するという事件があった。その後97年には大阪の堺市で 0-157を原因とした食中毒騒動があり、このときにも学校給食の是非が話題となった。このサイクルでいくとそろそろ、男女共同参画推進の視点から、学校 給食がまた脚光を浴びるかも知れない。

こういったテーマは資料も揃っているし、誰でも体験している内容なので、議論の題材としては取り上げやすいものである。私はこの「学校給食廃止」と前述の「サマータイム制」、それに「公共の場所での喫煙禁止」の3つをディベート論題の御三家と呼んでいる。

時間的に余裕のある講座(少なくとも延べにして16時間以上)の場合には、最初の問題発見から論題の作成までの段階も受講生に体験してもらう。

たとえば「少子化」の問題を取り上げた場合、少子化の原因は何なのか、まず受講生に討論してもらい、資料を調べる。すると結婚している夫婦は平均して2 人に近い子どもを持っているという数字が見つかるので、原因はどうやら結婚しない若者が増えている「晩婚化」だろうと推測ができる。

晩婚化の原因は何かと考えると、高学歴化した女性が(男性も)自分のキャリアを確立するまで結婚・出産をためらうからだろうと推測できる。

原因が特定できたところで、今度はその問題を解決するためのプランを仮説として考える。結婚を躊躇する女性は、自分の築き上げたキャリアが結婚・出産で 失われることを恐れているわけだから、子どもを持っても今まで通りの仕事を続けられる仕組を作ればよい。そこで「企業内託児所の設置を推進すべし」という 仮説提案が論題という形で浮かび上がるわけだ。

静岡県女性総合センターのセミナーではこれが2001年の論題となった。

ディベートセミナーの構成

女性センターでの講座のプログラム構成は、設定する対象や時間帯で多少の変化があるが、平日の昼間に設定していた静岡県女性総合センターの「あざれあゼ ミナール」では、正味5時間×5回プラス発表会という、余裕のある構成にしてもらって、ディベートの最初のプロセスである問題発見à論題設定のところから 始めることができた。

静岡市女性会館の「アイセル・ディベート入門セミナー」では土曜の午後3時間×5回なので、毎回グループ演習の時間をゆっくり取ることができず、 2001年の講座では事前に「しずおかディベート大会」の論題として決めてあった「男女同数法」をテーマとして押しつけてしまったため、興味を持てない受 講生がどんどんドロップアウトするという結果になった。

やはり仮説検証という問題解決の手法をシミュレーションするディベートでは、最初の問題発見・解決法提案という重要な段階から体験させたい。

あざれあでの5回の講座のおもな内容は、次のとおりである。

第1回:1分間インタビュー、男女共同参画とディベート、問題発見から
     論題作成まで 、論題プレゼンテーション
第2回:インターネットで資料収集、三角ロジック・プレゼンテーション
第3回:肯定側の立論作成、プレゼンテーション
第4回:否定側の立論作成、プレゼンテーション、練習試合
第5回:尋問・反駁と判定のしかた、ディベート試合

これにあざれあでは発表会(モデルディベート)、アイセルでは「しずおかディベート大会」が総仕上げの場として加わる。

行政が一般市民を対象に公開のディベート大会を行なっているのは、私の知る限り「しずおかディベート大会」と横浜市保土ヶ谷区主催の「明るい選挙ディ ベート大会」(2001年の論題は「投票義務化」)、2003年に開かれた国際室主催の「横浜国際平和ディベート大会」(論題は高校生の部が「日本の安保 理常任理事国入り」、大学・一般が「難民受け入れ」)、それに宮崎県主催のものがあるが、行政が推進していきたいテーマを市民自らの口に語らせ、意識を高 め、表彰という形でおだて上げ、マスコミによる報道でPR効果も高めるという手法は、公金の最もうまい使い方として推奨できる。

ディベートの勝敗と男女共同参画の視点

2001年のしずおかディベート大会の準備段階で話題になったことで、ディベートの勝敗の判定を「男女共同参画の視点で」行うべきかどうかということが あった。これは市の女性政策課長からの「要望」として伝えられたことだが、主催者からの要望としてはごく当然のことだったのだろう。

第1回の大会の反省からおそらく、議論の中身よりもディベートのテクニックで勝ってしまうチームがあるが、それより内容を重視して…ということだったの だと思う。しかし判定を「男女共同参画の視点で」と言ってしまうと、極端な場合、男女共同参画を否定する否定側では勝てないということにならないだろう か。予選では肯定・否定どちらも1試合ずつ行うので問題はないが、くじでサイドを決める決勝では、否定側を引いたほうが不利ということになってしまう。

しかしこれは心配無用である。たとえば記念すべき初のジェンダー・ディベート「久留米市は女性総合センターを建設すべし」で、決勝戦を征したのは予想に 反して否定側だった。当時、福岡市の女性センターの利用状況を調べて「男性の利用率が3%(現在は20%)しかない施設を、市民の税金を投じて建設するの は問題である」と主張した否定側が説得力を持ったのだが、その後の自治体の女性センター建設の状況を見てみると、単独で建設している例はむしろ少なく、生 涯学習センターや人権啓発センターとの併設という形で男女ともに利用しやすい施設にしている例が多い。当の久留米市も中央公民館との併設という形を取っ た。否定側による検証が、男女共同参画プランの適切な推進という形で生かされた好例である。

否定側から対抗プランを出す形のディベートでは、男女共同参画の視点がさらに鮮明になる。たとえば2000年の「しずおかディベート大会」で「父親の育 児参加のため男性の育児休業を義務化すべし」と主張した肯定側に対して、否定側は同じ理念を掲げながら「父親が育児に関わるなら、生後1年だけの育休では なく、その後も長く育児に関わるフレックス育児が有効」と主張して優勝した。否定側も男女共同参画の視点が持てるのだ。

おわりに

この論文の冒頭で述べたように、ジェンダー・フリーと男女共同参画は別物である。しかしジェンダー・バイアスが男女共同参画にとって心理的障害になるこ とはよくある。それを最も効果的に取り除くツールが男女共同参画ディベートなのだ。したがって、ディベートで男女共同参画社会は近づくかもしれないが、 ジェンダー・フリー社会になるわけではないし、それがとくに必要とも思えない。

日本語の中に見られるジェンダー・バイアスを指摘し、それを排除しようとすることは、ジェンダー・フリー社会の実現には近づくかもしれないが、それは男女共同参画社会のゴールとは異なる。むしろ、男女共同参画をジェンダー・フリーと同一視して、攻撃してくる人たちに材料を与えることになってはいないだろうか。

今後の日本語ジェンダー研究の課題の1つは、この辺にありそうだ。

参考文献
・しずおかディベート大会ホームページ
http://aicel.city.shizuoka.shizuoka.jp/debate/

(鈴木克義 すずきかつよし 富士常葉大学)

 
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