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学会誌4号:第3回年次大会 フォーラム

1. はじめに(佐々木)

 「説話とジェンダー」と題するフォーラムを始めます。パネリストはブルガリアのマリアさん、韓国のチョさん、中国のセキさん、ラオスのノエルさんです。4人とも私が担当する「日本語」の上級クラスの留学生たちで、今日のフォーラムのために、準備をしてきました。

説話は広義には、「神話」や「伝説」、「説話(狭義=民間伝承説話)」の総称として使われています。伝説は うわさや風説、昔から人々によって言い伝えられてきた”言い伝え”で、神 話などを含めた、口承文学が含まれます。口承文学には、お伽噺といわれる、もとは神祭 やお通夜などで、睡眠を防ぐための「とぎ」に行われた話や、「むかしむかし」で始まる空想的な、興 味を抱かせる昔話などが含まれます。

今日の4人のパネリストたちが選んだ各国の説話は留学生自身が身近に感じるものという極めて恣意的なもので、特に「ジェンダー論」に結びつく説話を選んでもらったわけではありません。しかし、それだからこそ見えてくるジェンダー・バイアスもあるということにご注目いただければと思います。

日本の子供のための昔話の分野では明治期、『日本昔噺』、『日本お伽噺』、『世界お伽噺』シリーズの刊行をした巌谷小波(1870-1932)の業績を抜きには語れません。巌谷小波は、『世界お伽噺』発刊の辞で彼は次のように述べています。

「一体お伽噺には、種々な種類がありまして、独逸語で云いますと、メエルヘン(奇異な話を小説的に書いた物)、ファーベル(教訓の意を寓した比喩談)、ザアゲ(古来の云い伝え)、エルツェールング(歴史的の物語)の種に成り、そして其中のザアゲが、フォルクスザアゲ(民間の口碑)、ヘルデンザアゲ(勇士の口碑)と、こう二つに別れて居ります。
 日本にはまだ適当な訳語がありませんから、通例は只お伽噺と云って居りますが、其中に自ら種類があります。彼の『少年世界』の巻頭に、私の始終書いて居りますのが、まづメエルヘンに属するもの。又それに教訓の意味を含ませた、『新伊蘇保物語』の様なのが、即ちファーベル、又『日本昔噺』は大低ザアゲを集めたので、『舌切雀』、『桃太郎』の類を、所謂フォルクスザアゲと云い、『八頭大蛇』、『羅生門』などは、立派なヘルデンザアゲです。それから『日本お伽噺』に成ると、ヘルデンザアゲ四分に、エルツェールング六分で、只『姨捨』と『羽衣』とが、フォルクスザアゲに成って居ります。」
          (『日本児童文学大系』(1)、三一書房、1955年、pp. 348-349)

2. 伝承文学の分類

ここでは伝承文学は、①奇異な話を小説的に書いた物、②教訓の意を寓した比喩談、③古来の云い伝え、④歴史的の物語の4種に分類されています。子ども向きに書かれた説話は、民族の持つ価値観やモラル、風土などがそのまま出ていて、最近の日本の説話が子供たちに読まれなくなっている傾向も、これまで伝えられてきた価値観がそのまま受け継がれなくなっている一つの現象のように思えます。 それでは、留学生たちの説話をお聞きください。
まず、彼らの母語で説話を朗読したあと、日本語訳を示してもらいます。フロアーからもご発言をお願いします。

3. ラオスの説話より 
パラヤーカビンラポム 

横浜国立大学
発表: ウォンサムパン ブンタム
(ニックネーム:ノエル)

〔ナンサンカーン〕  注)ノエル君の訳を日本語として整えたものです。〔佐々木〕
◆ラオスの伝統的なお正月について
むかしむかし、一人のお金持ちがいました。彼には子供が一人もいませんでした。
彼の家の隣には酒飲みの男がいました。彼には子供がたくさんいました。

あるひ、酒飲みの男は金持ちの男にいいました。「あなたはお金があっても、使い道がありませんね。子供もいないので。人生は子供がいないと無意味でしょう」
それを聞いて金持ちの男性は翌日の朝、太陽に夜は月に「子供を授けてくれますように」と祈りました。

3年後のお正月(ラオスでは5月)の朝、太陽はが空に上ったとき、金持ちの男は妻や召使を庭のトンポーの木(ラオスでは、お寺に一本はある聖樹)の前に集めて食べ物や果物を天国にいる祖先に捧げて祈りました。この木の神様は天国にいる神様に金持ちの男の願いを伝えました。「子供を彼に授けてくれますように」と。

それからしばらくして、彼の妻は一人の男の子を産みました。金持ちの男はとても喜んで、トンポーの木の下に七階建てのお城を建てました。子供の名前はタムマバーンといいます。

その子供はとても頭がよく、人々の尊敬を集めました。特に彼は鳥の言葉を理解することができました。彼はとても有名になり、名声は神様の耳までとどきました。神様は彼の実力を試そうと思いました。

この神様の名前はカビンラポムです。神様は天国から地上の頭のよい男のところに降りていき、三つの質問をしました。「人間は、朝、昼、夜、それぞれラシーのどこにありますか」

この質問に一週間で答えなさい。答えられない場合は首を切りますよ。でも答えられたら、自分の首をあげましょう。時間がたち、6日間たっても、答えは浮かびません。

タムマバーンは椰子の木の下で寝ながら、答えを考えつづけました。そのとき、二羽の鳥(鷲)の雄がメスがこういっているのを聞きました。明日は一緒にカマバーンの頭を食べましょう。彼はまだ答えが浮かばないようだから。メスはオスに「質問は何ですか」と聞きました。

オスは「朝のラシーは顔にあります。人間は朝起きると顔を洗うから。昼のラシーは胸の上にあります。昼になると、暑いので、水を胸にかけるので。夜のラシーは足にある。なぜなら、寝る前に足を洗うから。」カマバーンはその鳥の会話を聞いて、翌日の七日目の朝、天国から地上にきた神様に答えを言いました。神様はその答えた正しかったので、自分の首を切ることにしました。しかし、神様の頭は非常に良いので、地上に落ちた場合は火災が起き、空に飛んだ場合は雨が降らず、海に落ちた場合は、海の水は枯れてしまうだろうといいました。神様の子供達は全部女の子ばかりでした。もし、首を切ってしまったら、金のお盆に乗せてシーメーノラート山(架空の山)に持っていって、埋めて、毎年のお正月、娘達のうちの一人がその首を持ってきて、花や香水をつけた水で神様の頭を洗うようにといいました。そのあとで神様を山に持ってかえるように。

この伝統は毎年、ナンサンカーンという名前のお正月の行事となっています。
ナンサンカーン(ミスコンテスト)のようにラオスの一番きれいな人を選んで、その神様の首を捧げ持ち、水をかけるのです。(結婚していない女性)

ノエル 私には長い名前がありますが、皆さんに覚えてもらえないのと、クリスマスに生まれたので、ニックネームをノエルといいます。よろしくお願いします。この話は、ラオスの子供なら誰でも知っている話です。先生はこの話をどう思いますか。

佐々木 お祭りに「神様の首を捧げ持つ」というのは、日本人の常識では考えられませんね。武士の戦いで敵の武士の「首をとった」といって、戦の場から首だけを切り取ってきたり、首をさらしたりということはありますが。

ノエル そうですか。

佐々木 ヒンズー教には神様の首を切り落とす話が、ありますよね。
(ヴェーダをはじめ、叙事詩、プラーナ文献などで数多く登場する。シヴァとブラフマー(5つの首を持つ神)という神々の論争で、シヴァの怒りがブラフマーの首の一つを切り落とすという物語である。)

佐々木 ジェンダーという視点で聞くと、二羽の鳥の話は「雌は雄に質問し、雄は正解を知っている」と男性を優位なものとしていること、ノエル君はもし、この鳥の会話を「オスがメスに正解を教えてもらう」としたら、どうでしょう?

ノエル そうですね。私はそれでもいいと思います。でも、あまり気にしたことがありませんでした。これから説話の動物たちの「オス」と「メス」の役割も注意してみたいと思います。

4. 中国の説話より

横浜国立大学
発表: セキ・キン

お金を数える音

ある人が裁判官に「ばかなシラジは金持ちの家で薪を割る時、僕はずっとそばで彼を励んでいました。彼は30束の薪を割り終えたのは、僕の励ましのお陰です。なのに、彼は給料を一人占めしました。これは、公平ですか?」と訴えました。シラジは「彼はそばで見ていただけで、給料をもらえないでしょう。」と言ったら、裁判官は「黙れ!はやくお金を出してくれ。」と命じました。シラジは止む得なく、お金を裁判官に渡しました。裁判官はお金入れ袋を持って、中の銅銭を一枚一枚大きい声で数え始めました。一枚数え終わる度に、その銅銭を床に捨てる動作を繰り返していました。そして、全部数え終わった後、裁判官は、シラジに「もうお金をしまっといていいよ。」といって、訴えた人に「金を数える音を聞こえただろう。これがあなたのもらえるべき分だ。」

のどの渇いたカラス

カラスはとてものどが渇いていて、ある水入れ壷を見つけました。壷の中の水は少ししかなくて、カラスは届きませんでした。そこで、カラスは力一杯入れて壷を倒そうとしましたが、壷はちっとも動きませんでした。このとき、カラスはある方法を考えました。カラスは口で小石を一つ一つ運んできました。石の量が増えるにつれて、壷の中の水はだんだん高くなりました。カラスはやっと水を飲むことができました。

壁抜けの名人

昔むかし、物好きな男がいました。先祖から、たくさん財産をもらっていたので、裕福な暮らし向きです。しかし、食いしん坊の上に、働くのがおっくうで、毎日、仙人を探して、法術を教えてもらうことばかりを、考えています。ある日、男は、神仙山という山に、仙人が住んでいることを知りました。妻が止めるのも聞かずに、仙人山に行きました。仙人を見つけて、弟子になったが、修行は大変で、男は辛抱できないから、帰ることにしまいた。帰る前に、仙人に「どんな小さな術でもけっこう、何か1つお授けを。」と一生懸命頼みました。「では、何をならいたいか」と、仙人はたずねます。「壁抜け術を授けてください。」と男が言いました。すると、仙人は男に壁抜け術を教えました。でも、「よこしまな心を持つと、呪文はきかなくなるのだぞ」と、戒めました。しかし、男は、この法術を知っていれば、他人お家に忍び込んで、泥棒することもできるぞと、チラッと考えてしまったのです。こうして家に帰った男は、自慢顔で、妻に壁抜け術を見せようとしました。そこで呪文を唱え、壁に激しい勢いでぶつかって行きました。「ど-ん」という音とともに、男は壁の前で倒れ、頭には、大きなこぶができました。仙人の教えを忘れた男の呪文は、きかなくなってしまっていたのです!

佐々木 とても教訓的な物語ですね。
セキ・キン ええ、これは小学校の教科書に載っている話です。教育的な意味で使われているので、やはり、子供たちは「励ますだけではダメ。自分も働くべき」とか、「出来ないと思っても、工夫すればできる」ということを学ぶと思います。
佐々木 物語の内容はイソップに似たものを感じました。私はむしろ、セキキンさんが中国語で読み上げた時の優しい語り口に惹かれました。やはり、こういう物語を読むときは自分でも声が変ると思いますか。
セキ・キン あまり意識しませんでしたが、そうかもしれません。小学校の先生は女の先生が多いし、家でもお母さんやお婆さんが物語りを読んでくれることが多いので、自然とそういう声になるのかもしれません。
佐々木 確かに、説話は独自の韻律が内在する場合が多いですね。日本語にも存在するので、中国語にもあるのかもしれませんね。

5. 柳田国男の「話す」と「語る」

「物語」の「語る」は「語ること」また「その話」のことです。「語る」は「話す」とは意味が違いますかと、留学生に聞かれたことがあります。『大辞林』(第2版)には「語る」は「順序だてて話して聞かせる」「特定の物語を話す」「節をつけて話す」などが挙げられています。一方「話す」は「あるまとまった内容を声に出して言って相手に伝える」「ある言語で会話をする」などとあり、この二つの動詞の使いわけは明らかです。「物語」は「語る」ものであり、「話す」ものではないのです。柳田国男は『国語の将来』(創元社)で「語る」と「話す」を次のように言及しています。

ハナスと言う言葉がカタルと言う言葉に対立する一語として標準語で用いられ ようとしているが、気をつけてもらいたいことは日本の領土の三分の二以上にか けてはまだそう言う動詞は知られていない。東北は一般にシャベルまたはサベル、西の方の田舎ではイフとカタルとを以て 間に合わせ、中央部ではハナシスルと言うのが普通である・・・・・・・
少なくとも「ハナシ」が名詞だったことがわかる。
これに「話」と言う漢語をを配したのは近年のことで前には「咄」だの「噺」だのと言う和製字を当てていた・・・・・ これはまあ話として聴いて置いてもらうとかただそういう話だよとかいって責 任を負うまいとする風習は、均整のいわゆる人情本にもよくみえている。・・・古い姿のハナシもまだ残っている、私達は特にこれを昔話と呼んで別にしてい るけれども、大抵の子供はハナシといえばこればかりだと思っていた。
そうして成人の間にも近い頃までこれが普通のハナシであって世間話や噂話と いうものもそれぞれにその「話」の影響を著しく受けている。・・・児童には菓子よりも話の好きな者がある。しかし、かれら徹頭徹尾聴き手であ って話をする役ではなかったのである。 なぜなら、 昔話 の一つを取り上げて見ても、子供が年長者に向かってカタル形で伝わってい るものなど絶無である・・・ 年寄りが昔話の宝の庫となるにはなお一生の間に何遍も黙って同じ話を傍聴し 、幼年、少時を追憶する機会が多かったからで国語の教育としてはこの方が遙か に価値が多かったのである。

セキ・キンさんの中国の国語の教科書で取り上げられている「教訓」も、「物語」のスタイルを取りつつ、児童を「聞き手に」先生が「語り部」の役をすることで、「話して聞かせる」、つまり年長者から年少者へ、伝えたい物事が「語り継がれていく」のでしょう。

6. 「むかしむかし」

日本の「昔話」と言われるものは、冒頭に“むかしむかし”という句を置いて語り始めるもので、伝説や世間話とともに民間に行われる代表的な口頭伝承の一つです。冒頭に“むかしむかし”の発端の句をおき、終わりには特定の結語を置くことで、前後に対応する語句の存在があり、この様式が、伝説や世間話と著しく異なる点だと思います。さきほど紹介されたラオスの説話も日本の昔話と同様「むかしむかし」で始まっていて、おそらく、物語はラオスの昔話のスタイルを継承しているものと思われます。「昔話」「民話」という場合、神話伝説の影響を受けて成立したものが多いのですが、具体的な人名、地名などを特定できないつくりになっていて、はじめから架空の出来事として語られるところが異なります。

今日の最後のパネルのチョさんの韓国の昔話も「むかしむかし」で始まります。日本の昔話との比較もしてみたいと思います。

7. ブルガリアの説話より
НАЙ-СКЪПОЦЕННИЯТ ПЛОД - 一番の宝物
Мечката и дърварят - 熊さんときこり
Дарените години - 人間への贈り物

横浜国立大学   
発表: マリア ゲルギェヴァ

НАЙ-СКЪПОЦЕННИЯТ ПЛОД - 一番の宝物
Един баща имал трима сина. Един ден ги повикал и им казал:
- Ще дам на трима ви по една кесия жълтици. Вървете по света и търсете най-скъпоценния плод. Който от вас ми го донесе, ще му дам половината от богатството си.
Взели тримата синове кесиите и тръгнали на три страни по света да търсят най-скъпия плод.
След три години тримата се върнали при баща си.
- Е - рекъл той, като се обърнал към най-големия си син, - донесе ли ми най-скъпоценния плод?
А той му казал:
- Най-скъпоценният плод, тате, трябва да е този, който е най-сладък. И аз ти купих едно свисло грозде. От всичките плодове, които ражда нашата земя, гроздето е най-сладкия плод.
- Хубаво си направил, синко - отговорил бащата, - хубав плод си ми донесъл. Ами ти какъв плод си ми донесъл? - обърнал се той към средния си син.
- Татко, аз мисля, че най-скъпоценният плод е този, който най-рядко се намира. Затова отидох в южните страни и ти купих редките плодове, които не растат у нас. Купих ти кокосови орехи, портокали, фурми, банани, по малко от всички други редки плодове. Ето ти: избери си, който ти харесва.
- Добре си направил, синко, хубави плодове си ми донесъл. Ще си избера един от тях - казал баща му.
После се обърнал към най-малкия си син:
- А ти, синко, какво ми донесе? Защо се връщаш с празни ръце?
- Вярно е, тате, че аз се връщам с празни ръце. Но парите, които ми даде, аз не похарчих за скъпи плодове. Аз постъпих, тате, в едно училище. И там учителите и книгите ме учиха цели три години. Плодовете, които набрах, не се виждат, защото те са в сърцето и ума ми. Мисля, татко, че те са също скъпоценни плодове...
Като чул тези думи, бащата се зарадвал и казал:
Ти си ми донесъл най-скъпите плодове, синко! Ти заслужаваш наградата. Защото няма по-скъпи плодове от тия, които знанието дава на човека.

一番の宝物≪マリアさんによる邦訳≫

あるお父さんには三人の息子がいた。ある日、突然、お父さんは三人の息子を呼び集め、彼らに金のコインでいっぱいのバッグを渡し、こう言った。『世界中で一番素晴らしいと思う宝物を探しに行きなさい。そして一番の宝物を持ってきたものには私の富の半分をあげよう』と。
三年後、息子たちは宝をそれぞれ見つけて戻ってきた。お父さんは最初に長男に何の宝を持ってきたかたずねた。長男は一番の宝物は一番おいしいものに違いないと思ったので、自分の国で育っているブドウの中で一番おいしいブドウを持ってきたと答えた。お父さんは長男を褒めた。次に次男にたずねた。次男は、見つけることが難しいものが一番の宝だと考えたので、自分の国にはなく、南の方の国でだけ育っているココヤシやオレンジ、そしてバナナなどなかなか手にいれられない果物を持ってきたと答えた。お父さんは次男も褒めた。最後にお父さんは三男にたずねた。三男は何も持って帰ってこなかったと謝った。しかし、三男はお父さんからもらったコインで三年間勉強してきたと答えた。そして、何も持ってきてはいないけれど、三年間で身に付けた知識はずっと私の心に残りますと言った。三男は知識は宝物ではないと思っていた。お父さんはとても驚いた。そして言った。『おまえは、一番の宝を持ってきた』と。お父さんは知識がどんなものよりも貴重で尊いものであることを息子たちに教えた。

Мечката и дърварят - 熊さんときこり
Eдин дървар, като минавал край някакъв бодлив и трънлив храст, чул шумолене. Надникнал в клонака, и що да види - едно малко, рунтаво мече се заплело в трънете, напряга сили, скимти, ръмжи, но не може да се измъкне. Дърварят посегнал, раздвоил тръните, откачил уплашеното мече, помилвал го по главата и го пуснал да си ходи. А мечката била наблизо върху съседната канара. Тя видяла всичко, сринала се от канарата - и право при дърваря. Като я видял, оня си глътнал езика от страх, но мецана дигнала нагоре предната си лапа, успокоила го и проговорила с човешки глас:
- Не се бой, нищо лошо няма да ти сторя. Аз видях как помогна на мечето ми, разбрах те, че си добър човек, и реших да се побратимя с тебе. Искаш ли?
- Как да не искам - отвърнал дърварят, - кой бяга от такава посестрима като тебе!
Тогава мечката се изправила на задните си крака, разтворила предните си лапи и братски прегърнала дърваря. Според обичая дърварят трябвало да я целуне по муцуната, ала щом си доближил устата, лъхнала го тежка миризма и той се стъписал.
- Какво? Защо се дърпаш? - учудено го попитала мечката.
- Много на лошаво ти миришат устата, на мечовина - отвърнал дърварят.
Мечката се докачила от тези думи, отпускала се на земята, помълчала малко и викнала:
- Удари ме, побратиме, по врата с острието на секирата си!
Дърварят се слисал:
- Що думаш - рекъл, - де се е чуло и видяло побратим да дига секира срещу посестримата си?
- Удряй! - грозно изръмжала мечката. - Или ще те одрънкам!
Дърварят нямало що да прави. Дигнал секирата и ударил мечката. Рукнала кръв от раната. Мечката, без да погледне човека в очите, се обърнала назад и се мушнала в гъсталака. Изчезнала.
Минали години. Дърварят много пъти ходил из гората, но никъде не срещнал посестримата си. Веднъж, като се въртял под дърветата, изведнъж отнякъде изскочила мечката. Познали се двамата, поздравили се и заприказвали. От дума на дума стигнали до удара със секирата.
- Разгеле, побратиме - рекла мечката, - я виж какво е останало от раната, дето ми я нанесе.
Дърварят поразровил козината на врата й, но не америл дори белег.
- Нищо не е останало! - рекъл той.
- Видиш ли, побратиме, раната отколе заздравя и я забравих, но лошата дума, дето ми я каза тогава, няма да я забравя, докле съм жива.
И като поклатила тъжно глава, мечката си тръгнала.

熊さんときこり≪マリアさんの邦訳≫

ある日はきこりは森に木を切りに行った時、茂みから泣き声が聞こえた。そっと泣き声が聞こえる方にいって見ると、子熊が茂みに足を絡ませていた。きこりは草を切ってあげて子熊助けた。そばにある石に座っていた母さん熊はきこりが助ける姿を見てきこりに近づいてきた。母さん熊はきこりのやさしい姿を見て、心を打たれて友達になりたいと言った。そして、きこりは『友達になりましょう』といった。すると母さん熊はきこりを抱きしめた。でも、その瞬間にきこりは思わず翻った。母さん熊はきこりに『どうしたの?』と尋ねた。そして、きこりは母さん熊の息がくさいと答えた。その言葉を聞いた母さん熊はとても悲しみ、そして傷ついた。母さん熊はきこりにそのおのを私の首に投げてくださいと言った。母さん熊は心の痛みを自分の体を傷つけることで消したかった。きこりはその言葉にびっくりした。きこりは友達になぜおのを投げればいけないのか分からなかった。でも母さん熊は理由も言わず、乱暴の口調でおのを私に投げないならば私はあなたを食べちゃうぞと言った。きこりは思わずおのを投げた。そして、首におのをぶらさげ、母さん熊は去っていた。
数年後、ばったり林の中で二人は会った。母さん熊はおので傷つけられた首をみせて、きこりにこう言った。『首の傷はこのとおり治ったけれども、あなたにつけられた心の傷はまだ癒えません』と。その言葉だけをのこし、母さん熊は森へと帰って行った。

Дарените години - 人間への贈り物
През един суров зимен ден, когато дърво и камък се пукали от мраз, конят, волът и кучето отишли при човека и похлопали на вратата му.
- Кой хлопァム? – попитал човекът.
- Ние: конят, волът и кучето.
- Какво искате?
- Искаме да влезем при тебе, за да се постоплим на твоето огнище. Ако не ни отвориш вратата си, ще пукнем от студ.
Човекът отворил вратата и трите животни влезли вътре. Наместили се край камината, където бил наръшкан буен огън, и хубаво се затоплили. Човекът бил гостолюбец. Той мръднал в другата стая и оттам донесъл храна за гостите си: за коня – едно кринче овес, за вола – трици, за кучето – една голяма порязаница хляб.
- Похапнете си! – подканил ги човекът, седнал и той до огнището и хванал с две ръце главата си.
Гостите се нахранили и попитали добрия домакин защо е кахърен.
- Защото ми се свършиха годините и трябва вече да умра – отвърнал стопанинът, - нали за всички са отредени еднакъв брой години – колкото на мравката, толкова на камилата, толкова и на човека.
Конят, волът и кучето се погледнали и почнали нещо да си шепнат.
-Чувай – обърнал се след малко конят, - ако си съгласен, да ти дадем от нашите години. Ние ще си запазим само по десетина. Повече не ни трябват.
- Как да не съм съгласен! – зарадвал се човекът. – Дайте тука да подпишем догов
Подписали договор. И получил човекът остатъка от годините на коня, на вола и на кучето. Годините на коня той присъединил към своите младини, затуй младите хора са буйни, необуздани и пъргави като коне. Годините на вола човекът прибавил към зрялата си възраст, затуй зрелите хора работят като волове, а годините, взети от кучето, оставил за старостта си. Затуй старците са малко избухливи и раздразнителни, но са домошари като кучето.

人間への贈り物≪マリアさんによる邦訳≫

氷のような寒い日に馬さんと牛さんと犬さんが人間の家のドアをトントンと叩いた。
『誰ですか?』と家の奥から聞こえた。動物さんたちはドアから顔を覗かせ『私たちだよ』と答えた。人間はびっくりした。『何か私にに用ですか?』と聞かれると、『暖炉を使わせてください』と動物さんたちは頼んだ。そして『体を温めないと私たちは凍えて死んでしまいます』と言った。

彼はドアを開けて動物さんたちは家の中に入った。彼らは暖炉のそばに座って体を温めた。人間は親切で、動物さんたちにご飯を御馳走した。

馬さんに小麦をもてなし、牛さんに穀物のえさをもてなし、犬にパンをもてなした。彼は動物さんたちにゆっくり召し上がってくださいといった。そして人間は暖炉のそばに座って、考えるように腕を組んだ。それをみた動物さんたちは、『何か悩んでいるんですか?』と尋ねた。

彼は『年をとってしまい先が長くない。そして生きているもの全て命の長さが決まっている。アリでもラクダでも人間でも、同じ長さの命を与えられそしてその命はいつかは尽きる』と言った。それを聞いた動物さんたちは小声でお互いに相談しはじめた。そして動物さんたちはこう言った。『もしもっと長く生きられるための命が欲しいならば私たちに恵まれた命の中で数年間を分け与えることができる』と言った。人間はとても驚いたが、『そんなことができるのならば、お願いします』と答えた。それで、動物さんたちは彼に命を分け与えることを約束した。馬さんと牛さんと犬さんは自分の命の残りを人間に与えた。

それで、人間は馬さんの残年を青年の長さに加えた。その理由で、若い人たちは馬のように力強く手に負えない素早いものである。そして人間は牛さんの命の残年を成年の長さに加えた。それで、成人は牛のようにしっかりと働いている。最後に人間は犬さんの残年を老人の長さに加えた。それで、老人は興奮しやすくずっといらいらしているので犬のように家にいるのが大好きである。

佐々木 三つの物語それぞれに、ブルガリアらしさがありますね。『一番の宝物』で次男が「南の方の国でだけ育っているココヤシやオレンジ、そしてバナナなどなかなか手にいれられない果物を持ってきた」という箇所では、ブルガリアの果物に対する価値観が伝わってきますし、『熊ときこり』の物語では、熊が「首の傷は直っても、心の傷は癒えない」と教訓的な言葉を残す、森の国ブルガリアでは熊の存在が身近だということがわかります。三つ目の物語は「氷のような寒い日に」暖炉のそばで暖めて欲しいという動物たちの話ですね、三つとも味わいがあります。しかし、老人を犬にたとえて「老人は興奮しやすくずっといらいらしているので犬のように家にいるのが大好きである。」は敬老の精神に反するかもしれませんね。動物愛護の人からも異論があるかもしれません。説話というのは、様々な価値観が出ていてとても面白いですね。
マリア 私も自然なものとして読んでいたブルガリアの説話を日本で改めて読んでみると、先生のおっしゃるようにとても「ブルガリアらしい」とびっくりしています。
佐々木 子供が3人出てきますが、いずれも男の子ですね。父親は男の子3人に宝物を捜すように言う。一人くらい、女の子が登場しても良いと思いませんか。男性は宝物を捜す人、女性は「捜す人」には入れない。そう思ったことはありませんか。
マリア 確かに先生の言われるとおりだと思いますが、無理に物語を変えることはないと思います。説話は説話として、読んだり聞いたりする人が判断するものだと思います。

8. 昔話の分類

佐々木 昔話の分類として、ここに関敬吾のものがあります。彼は昔話の比較研究を目的に『日本昔話集成』(1959)・『日本昔話大成』(1980)を出しています。彼はアアルネ・トムプソンの分類に基づいて,日本の昔話資料の整備をしています。西欧の資料との比較の上で行われた3分類は次のようになっています。

(1)動物昔話(動物葛藤・動物分配・動物競争・動物餅競争・猿蟹合戦・勝々山・古屋の漏・動物社会・小鳥前生・動物由来),
(2)本格昔話(婚姻―異類聟・異類女房・難題聟,誕生・運命と致富・呪宝譚・兄弟譚・隣の爺・大歳の客・継子譚・異郷・動物報恩・逃鼠講・愚かな動物・人と狐),
(3)笑話(愚人譚・誇張譚・巧智譚)

マリアさんの三つの話はこの分類に入ると思いますか。
マリア  はい。そうですね。「一番の宝物」は2の本格昔話の兄弟譚ですか?一番下の弟は何ももってこなかったけれど、「智恵」を持ってきた。「熊ときこり」は動物昔話に入りますか。
佐々木 そうですね。この分類から見ると、やはり「本格昔話」の「人と狐」のかわりに「人と熊」という分類を入れたいですね。三番目は「動物由来」かな。無理に分類する必要はありませんが、昔話や説話にはある類型があるということで、留学生の皆さんも日本の説話を読んで欲しいですね。

9 韓国の説話より チョ ユンジョさんの発表
韓国説話 1 - 蛇と雉の説話
韓国説話 2 - 虎に化した孝子
韓国説話 3 - 瘤取爺
韓国説話の特徴

横浜国立大学   
発表: チョ  ユンジョン 
  (趙  允悰)

韓国説話 1 - 뱀과 까치의 설화(蛇と雉の説話)
① 옛날 옛날 호랑이가 담배 피우던 시절에,활을 잘 쏘는 한 청년이 있었다.
② 두 마리의 꿩이 뱀에게 잡히어 죽어가는 것을 본 청년은 활을 쏘아 뱀을 죽이고 꿩을 구했다.
③ 해가 져서 청년은 산중의 절에 들렸더니 예쁜 여자가 근처의 잘 곳을 안내해 주었다.
④ 늦은 밤 잠에서 깨니 큰 뱀이 그를 죽이려 했는데,여자가 그 뱀이었던 것이다.
⑤ 그 뱀은 “난 너의 화살에 죽은 뱀의 아내이고,남편의 원수를 갚으려고 한다.”고 말했다.
⑥ 그 때,절의 종소리가 두 번 울렸다.그러자 뱀은 도망쳤다.
⑦ 날이 새어 절에 가 보니 두 마리의 꿩이 피투성이가 되어 죽어 있었다.그 후부터 그 산은 치악산으로 불리게 되었다.
① 昔昔ある昔、虎がタバコを吸った時代に、弓道の上手いある青年がいた。
② 2羽の雉が蛇に捕まえられ、死にかけているのを見た青年は、矢を討って蛇を殺し、雉を助けてあげた。
③ 日が暮れ、青年が山中のお寺によると、綺麗な女の人が青年を部屋に案内してくれた。
④ 青年が夜遅く目覚めたら、彼を殺そうとする大きな蛇が目の前にいた。その蛇は先ほどの綺麗な女の人であった。
⑤ 蛇は“私は貴方の矢によって殺された蛇の妻で、今主人の仇を討とうとする”と言った。
⑥ その時、お寺の鐘が2回鳴った。すると蛇はあわてて逃げた。
⑦ 夜が明け、青年がお寺に行ってみたら、2羽の雉が血まみれになって死んでいた。それ以降、その山は雉岳山と呼ばれるようになった。

韓国説話 2 - 호랑이가 된 효자(虎に化した孝子)
① 옛날 옛날 어느 고을에 가난한 한 효자가 살고 있었는데,그에게는 요즘 걱정이 있었다.
② 노모가 고기 반찬이 아니면 밥을 먹으려고도 하지 않았다.
③ 고기 살 돈은 없지만 그렇다고 노모를 굶겨 죽일 수는 없는 일.
④ 효자는 근처 절을 찾아 스님에게 고민을 털어놓고 상담했다.
⑤ 그의 효심에 감동한 스님은 그에게 한 비책을 건넸다.
⑥ 그날 이 후,효자의 집엔 밤마다 산짐승이 놓여 있었다.
⑦ 스님에게 비책을 건네 받은 후,밤이면 어김없이 나갔다 들어오는 효자가 있었다.
① 昔昔あるところに老母と二人で生活する、貧しい一人の青年がいたが、彼には最近一つの悩みがあった。
② それは、老母が肉がないと、ご飯を食べようともしないことであった。
③ 肉を買うお金はないが、親思いの彼は老母を飢えさせることはできなかった。
④ 彼はお寺を訪ね、お坊さんに悩みを打ち明け、助言を求めた。
⑤ 青年の親思いに感動したお坊さんは、彼に一つの秘策を渡した。
⑥ その日以降、青年の家には夜毎に山の獣が置いてあった。
⑦ お坊さんから秘策を渡してもらってから、夜になると、必ず家を出ていく親思いの青年の姿があった。

韓国説話 3  - 혹부리 영감 (瘤取爺)
① 옛날에 혹부리 영감이 살았다.
② 하루는 혹부리 영감이 산에서 나무를 하다 날이 저물어、산속을 헤매다 빈집을 발견하고 들어간다.
③ 한밤중이 되어 무서워진 영감이 노래를 부르자,옆에서 이상한 소리가 들리는데,그게 도깨비 소리라는걸 안 영감은 무서웠지만 계속 노래를 부르고,도깨비들은 노랫소리에 맞춰 춤을 춘다.
④ 빨간 얼굴의 도깨비 대장이”영감님,어디서 그런 노래가 나옵니까?” “이 혹에서 나와요” “보물과 영감의 혹을 바꿉시다!” 라고 제안.
⑤ 영감은 혹을 떼고 부자가 된다.
⑥ 이웃마을의 마음씨 고약한 혹부리영감이 소문을 듣고 똑같이 행동하지만,부자가 되기는커녕 속았다고 화가 난 도깨비로부터 혹 하나를 더 얻어 웃음거리가 된다.
① 昔、顔に瘤のついた爺が住んでいた。
② ある日、その爺が山へ木をとりに行った。やがて日が暮れ、爺は道に迷うが、空き家を見つけて入った。
③ 夜が更け、怖くなってきた爺は歌を歌うが、隣から変な音がする。それが鬼達の出す音だということに気付くが、怖がりながらも歌を続ける。すると、ドッケビ達(鬼達)は爺の歌にリズムを合わせて楽しく踊る。
④ 赤い顔のドッケビ(鬼)のボスが“爺、どこからこんな素晴らしい歌がでるのか?”“この瘤から出ます”“じゃこの宝物と瘤と交換しよう!”と要求する。
⑤ 爺は瘤をとってもらっただけでなく、大金持ちになる。
⑥ 隣町に住む心の悪い、顔に瘤のついた爺が噂を聞いて、同じく行動するが、金持ちになるどころか、騙されたことに気付き、腹が立ったドッケビ(鬼)からもう一つの瘤をつけられて、笑いものになってしまう。

韓国説話の特徴
■ 神話、伝説,民話に区分され、それぞれが集団の団結、愛郷心の高揚、興味本位の機能を有する
■ 動物(特に虎)がよく登場する ー 擬人化される
■ 神的能力を持った主人公が登場する神話が多い
■ 特定地域を背景にした悲劇的な結末の伝説が多い
■ 民話の主な内容は勧善懲悪である
■ 親孝行を扱った説話が多い
■ ドッケビ(鬼)がよく登場する
■ 決まり文句がある(昔昔ある昔、虎がタバコを吸った時代に・・・)

10. 韓国の説話と「虎」

佐々木 パワーポイントを使ってのプレゼンテーション、ありがとうございました。
どこの国にも、国のはじめを伝える建国神話があります。韓国でも最初にひらかれた国、古朝鮮(李氏朝鮮と区別して使う言葉)にまつわる説話が各地で伝承されているようですね。私も一然の著による「三国遺事」に出てくる「檀君神話」を読んだことがあります。桓雄(ハンウン)が(風の神)と雨師(雨の神)と雲師(雲の神)の三神を伴ってきたので、韓国は農耕の地として栄えるという設定ですが、その中で熊と虎が出てくるのですね。ハンウンの課題「20個のにんにくとヨモギで、100日間太陽を避け、与えられた植物だけを食べ、神に祈りつづければ、人間になることができる」を熊はこなして、女性となり、虎は課題をこなせず逃げてしまう。神話にも虎が登場するということで、韓国の説話文学に虎が切り離せないものだと、改めて感じました。それから、「熊」が女性でしかも神様と結婚して生まれた子供が韓国人の始まりというのも、意外です。熊が女性の性と見られるのはどうしてなのでしょうね。子供を連れた母親熊が人間によく目撃されるところから女性になったのでしょうか。動物を女性とするか男性とするか、ジェンダーの視点からみると興味深いものがあります。蛇も女性なのですね。
チョ そうですね。それも綺麗な女性です。
佐々木 日本でも説話などに蛇はよく登場するのですが、そもそも建国神話でも、イザナミ、三輪山の大物主(オオモノヌシ)、スサノオに退治されたヤマタノオロチ、豊玉毘賣(トヨタマビメ)、玉依毘賣(タマヨリビメ)など神の多くに蛇の特徴が見られるんです。、
それから、今のチョさんの発表ですと、虎は「恐ろしい」というより、身近な動物として出てきますね。
チョ そうですね。子供の頃よく聞いた話でも絵本の挿絵などに、虎が子供たちと一緒に遊んでいたり、パイプでたばこを吸っていたりします。日本の説話にはそういうのは出てきませんね。
佐々木 ちょっと調べてみたのですが、『 アズキがゆばあさんとトラ』という話では、虎は悪者になっていますね。アズキ畑で虎に襲われそうになったおばあさん。とっさに機転をきかせ、アズキの実る秋まで食べられるのを待ってもらう。アズキの取り入れも終わり、おいしいアズキがゆもできた。しかし、おばあさんは毎日、泣き暮らしていた。見るに見兼ねた栗、犬の糞、雉、臼などが一杯のアズキがゆと引き替えに虎を見事撃退するという話で、 弱者が力をあわせれば強者に立ち向かえるという教訓に満ちた筋立てとなっています。
虎は日本では退治されるだけのようですが、韓国では両方でてきて、虎に対して優しい設定ですね。

今日はありがとうございました。
(フロアーの日置弘一郎先生より「虎がたばこを吸っていた時代」という設定はたばこが伝わったのはマルコポーロによってだと考えると、成立しないのではないかという疑問が投げかけられた。その他、フロアーとの活発な質疑応答があったが、ここでは省略したい。)

11. おわりに

「説話とジェンダー」というタイトルでしたが、期せずして各国の留学生たちが選んだ物語からは、ジェンダー以外の文化的要素も伝わってきて、実りの多いフォーラムだったと思います。昔話は、お祖父さんやお婆さんが、孫達に炉端で子供達に話して聞かせたものですが、今では住宅の構造も変化し、三世代同居はほとんどなく、説話や民話はテレビやゲームにとって代わられてしまいました。庶民の文化、とりわけ、文字で書かれた言葉よりも話し言葉が多かった伝統的な農村社会の文化を知るには、口頭で語り継がれてきた民話について知る必要があると思います。日本語ジェンダー学会も、今後の活動の中で、「日本の説話」を次世代の子供たちに、そして、世界に向けて発信していく役割を果たすべきではないかと考えています。

参照資料
広辞苑(岩波書店)、
大辞林(三省堂)第二版
「日本児童文学大系」(1)、三一書房、1955年、348ページ~349ページ)
長谷川明 著『インド神話入門』(新潮社)
長尾雅人 著『バラモン教典』(中央公論社)
今昔、宇治拾遺物語(有朋堂明解シリーズ:青木敦)
日本伝説集(社会思想社:武田静澄)
国語の将来(創元社:柳田国男)
日本のわらいばなし、日本のふしぎ話(童心社:川崎大治、解説:松本新八郎 )
日本昔話(岩波書店:関敬吾)
童話への招待(日本放送出版協会:神宮輝夫)
日本百科事典(平凡社)

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