コンテンツへスキップ

学会誌4号:第3回年次大会 基調講演要旨(マリィ)

日本語とジェンダーおよびセクシュアリティ

マリィ クレア

1.体験談(イントロに変えて)

オーストラリアでのある休日のこと。眩しい青空の下に浮かぶイルカ・ワオチングの船。乗客数100人程度の中に日本語で話している二人がいる。日本語を第一言語とするのは一人。日本語を第二言語とするのはもう一人。いつのまにか、隣の席に女の子がやって来て無理やりに座る。その隣に母親らしき女性が立っている。

しばらくすると、「いち、に、さん、し、ご、ろくum, um はち」と女の子が数を数えはじめた。自慢そうに母親が微笑んでいる。

話しかけると、予測した通り、女の子は学校で日本語を学んでいた。11歳の彼女は覚えたての日本語を一生懸命口にした。名前を尋ねてみると「Ifyou’re a girl then わたしはサラです。 If you’re a boy, it’s, um, ahhh,ぼくはジョンです。I think.」

やはり、休日でも研究から逃げられないのは私である。

研究の原動力が実生活から来ることは珍しいことではない。言語研究は実践にあると言っても過言ではない。『日本語ジェンダー学会』での公演前に遭遇した上記の体験は、実践的な研究の重要性を強調する意味を持った。なぜなら、「日本語が話せる」ことをアピールし、「日本語で話すチャンスを絶対に逃がしたくない」一心で発話されたこの学習者の発話は、人称代名詞の問題、助詞「は」の問題などを含めて、非常に興味深いものがあったからだ。特に、自らの名前を他者に伝える課程において11歳の日本語学習者がジェンダーを意識せずにいられなかったことは、ここで取り上げる研究の原点と深く関わる。オーストラリアの青空の下で起こったこの平凡な出来事は、研究と実体験のその繋がりをまたもや強調したのである。

日本語教育の教室ではなく留学先での友人やホスト家族との会話を通して日本語を身につけたわたしは、規範と実態の隔たりを肌で感じてきた。17歳で、留学したわたしは、学校友達の話し言葉を真似ることで日本語を覚えていった。そのためから、「キレイな日本語」を身につけるよう、ホスト家族や回りの友人にも言葉遣いで注意されることもあった。注意される理由に「女の子だから」という答えが帰ってくるたびに不公平さを感じずにはいられなかった。英語を母語とするわたしは、人称代名詞・終助詞などに「女」と言うジェンダー子らしさ」を求めることを知らなかった。当時、オーストラリアの社会しか知らなかったわたしは、無論オーストラリアのジェンダー規範を基準としていたのである。そして、場や話し相手を意識し言葉遣いに注意を払いながら、わたしは自分らしく日本語学習を続けた。当時からは、発話者が既に行うネゴシエーション行為を意識させられていたのである。

中心概念その① — ネゴシエーション (切り抜ける・交渉・談判・掛け合い)

ネゴシエーション、つまり、交渉する・切り抜ける・談判する、という行為は発話者同士、双方において行われる言葉上の掛け合いである。これは、特定の発話行為における具体的な発話者同士の掛け合いであり、発話者個々人が規範を切り抜けるため、規範という<困難な状況から力をつくして脱する(『広辞苑』)>ために意識的に行う行為である。言語行動におけるネゴシエーション(切り抜け・交渉・談判・掛け合い)は、発話者が自発的に発話場面や言語上の拘束を考慮した創造的な行為であり、発話者自身の一時的な巡回する流動性を伴う複合アイデンティティを遂行する言語行動である(マリィ 2002b)

帰国後は、日本語教育の教室内外のギャップに戸惑ってしまった。教科書や辞典に現れる日本語にはわたしが肌で感じた生き生きとした日本語がほとんど現れてこなかった。また、2回目の日本滞在を経験したその2年後に体験した日本語教育の場合は更に悩まされた。第二言語として接してきた生活のための日本語が「外国語教育」の現場ともなれば「正しい」日本語へと姿を変える。特に、教科書や参考図書に見え隠れするジェンダー表象は、生活言語としての日本語とはあまりにでも異なるものであった。以後、自らが体験した日本語社会を研究の基盤におき、実践的な研究を目指してきた。その一歩が、日本語学習者が利用する辞典におけるジェンダーの研究(マリィ1997a)であった。言語とジェンダー研究は、「言語使用とジェンダー」研究と「言語とジェンダー表象」研究の二つの領域に分類される。Maree(1997a)で行った日本語学習者が利用する辞典における性差研究は、ジェンダー表象を言語使用を目標とする言語教育・言語習得という側面から観察したものである。日本語学習者を対象に行なったアンケート調査ではもっとも多く利用される辞書が英語学習者向けのものであることが判明した。また、日本語の基本動詞・形容詞を見出しとする項目の例文を分析した結果、ジェンダー表象には差が生じていることが明らかとなった(表1を参照)。つまり、「力強さ」「健康」「物の所有」と「男性」が関連つけられ、「感情」的な様子が「女性」と関連つけられていること。また、イラストの場合、「男性」を描くイラストの数が「女性」のイラストに比較して多いが、反面裸体のイラストに関しては女性を描くものが目立つこと。

表1  基本動詞・形容詞の語義・用例におけるジェンダー表象
  女(を指す言葉と多く共起する) 男(を指す言葉と多く共起する)
程度・量 大きい・小さい・高い 大きい・重い
様子・状態 優しい・まずい・甘い・上手 赤い・忙しい・丈夫
動き 教える・くれる・作る・習う
持つ・貰う
売る・くれる・する・持つ
貰う・やめる・居る
心で感じる 好き・悲しい・喜ぶ・怒る 嬉しい・こわい・好き・怒る
聞く・難しい
体で感じる 痛い 涼しい
注意:EJUの分類による分析[注1]

辞書における「性差」の最大の問題は、見出し語の意味と直接的に関連を持たない、例えば女性を感情と関連づけるジェンダー・ステレオタイプが記載されて い ることである。こうした傾向は日本語学習者に誤った意味を学習させる危険性がある。

この研究では、辞書におけるジェンダー記述の改善にむけて、a)原文に女性を指標する語の数を増やす、b)女性を描くイラストを増やし、ステレオタイプ を 避ける、c)原文にジェンダーを明示的に特定する語が使われていないにもかかわらず、訳文において名詞・代名詞を使わざるを得ない場合、訳文で原文にない 名詞・代名詞を明示する、d)英訳に英語のジェンダー・バイアスを含む文法を避ける、e) 女性語。男性語の定義を見直す、f)性差別的な表現の用法に関 する記述を付けることを提案する形で結んだ。

実践に基づいた研究とは、異なる研究領域の関連、交差、重複を見失わない姿勢である。しかし、単なる経験主義に陥ることなく、その関連を求め続けることは安易ではない。本公演では、著者が行なってきた研究を総括的にまとめ、言語とジェンダー研究をクリティカルスタディーズの視点から考察し、「Discourse=談話・言説・言語」であることを念頭におく必要性を再度強調する目的で行いたい。

表2 日本語学習が利用する辞典におけるイラスト
辞書[注2] イラスト(数)全体 体全体(人数) 体部分(人数)
     人間        (全体%)
LrnJE 61(22.85) 18 31 18 14 8 2 0 5 1 8
ProgJE 45(28.70) 2 16 1 0 93 8 4 0 0 32
IJD 81(37.50) 12 14 20 4 16 11 5 2 0 27
EJU 260(67.89) 27 94 15 1 0 61 169 10 0 42
AOTS 31(93.94) 7 10 6 3 8 3 3 2 0 6
 

2.言語とジェンダー研究――批評的に考察する

批評的(クリティカル)な言語研究は、言葉を社会的・文化的な行為とし、その実践を再認識する作業である。社会における権威や権力関係等が言語を通していかに遂行されるのか、また、いかに転覆されるのかを念頭に置いた作業でもある。同時に、言葉を構成的・遂行的なものとして捉え、間主体性に焦点を当てる試みである(Pennycook(2001))[注3]。それは、「人間のことばの実践の総体を、ことばの生の様態としての「言語態」としてとらえ」る(『シリーズ言語態』編集委員会)言語態分析が打ち出すアプローチとも類似するのである。クリティカル応用言語学や言語態分析といったアプローチでは、言語使用者としての自己あるいは発話者のアイデンティティを固定したものとして捉えることなく、ことばの実践の総体を追及する。

中心概念その②ー 複合アイデンティティ

発話者の複合アイデンティティとは、つまり、発話者が常に切り抜け、交渉し、談判し、掛け合う、 発話時における自らの複合的な総体である。注意したいの は、これは、自己同一化する一つのアイデンティティ、即ち役割や単一的な立場ではないことである。発話時において実践される<複合アイデンティティ>は、 一時的でありながら、経験的な記憶として発話者の言語行動において体験され続けるのだ。それは、発話の特定の場において、様々な規定や関係性のなかで選び 取られる、ネゴシエーション(切り抜ける・交渉・談判・掛け合い)し続ける発話者の「自分」――つまり、現時点における発話が実施する主体性および、言語 運用上の行為体である。

日本語とジェンダーの考察・再考察を試みる際には無論クリティカルな考察が必要不可欠である。まずは、ジェンダーそのものを固定した性質として捉えるのではなく、言葉と同様にジェンダーを遂行される行為として捉える枠組みが重要となる。ご存知の通り、ジェンダーは、言語を通して現す・表される性質ではなく、間主体性において構成される行為であるという捉え方は、90年代から指摘されている。近年の言語とジェンダー研究では、ジェンダーを「生まれつき」の「本質」に還元するものとして捉えずに、「女性語」「男性語」などといった概念は、記述的なものではなく記号的(象徴的)なものとして考える(Weatherall 2002)。言いかえれば、「女性語」「男性語」は、男性・女性の実践的な言語使用を記述するものではなく、言説領域に属する規範なのである。日本語とジェンダーに関する先行研究を批評的に考察した結果、「女性語」「男性語」といった規範と実際の言語使用の間に必ず生じる不一致が充分に説明されていないことが指摘できよう。マリィ2002bで指摘した通り、「従来の「女性語・男性語」をめぐる研究は、「性」を対人関係において話者及び聞き手が遂行する社会的ジェンダーと捉えるという認識にさえ達しておらず、「女性語」の研究においては、未だに「性」を本質的なもの、いわば「生物学的な性」として解釈する傾向が見られるのである。例えば、堀井は、「現代でも女性の表現は、女性の感性に基づく生理的要因に根ざしてい(1993:101)[傍点は筆者による]」と述べる」マリィ2002:10)。このような記述は、「女性」や「男性」を一枚岩的に捉えるのである。更に、「女性語」と、女とされる者が用いる「女の言葉」というふたつの異なる概念が混同されている。[注4]このような混同を避けるため、また、批評的な分析を志すためにも、日本語におけるジェンダーを考察する場合、次の5点を視野に入れなければならない(マリィ2002a、2002b)。1)日本語社会において共有されるジェンダーに対する言説。
2)主流言説と同時に存在する社会下位グループや個人レベルの相互対立的な言説。
3)主流、グループ、個人の相互対立的な言説のいずれも、完全に言語行動に再現されるわけではない。
4)ジェンダーとは、固定した意味を持たず、発話者同士や発話場面などによってその意味は推移し、変化する。
5)言語行動と言語概念の間には必ず隔たりが生じる。つまり、日本語社会において、「女性語」「男性語」といった概念の存在を認識する。また、「あたし」「おれ」のような言語単位は、なんらかのレベルにおいて発話者のジェンダーによって規定される可能性があることを認識する。ジェンダーに対する言説は、歴史性を伴い日本語社会に共用されている。言い換えれば、日本語の話し言葉・書き言葉におけるジェンダーに関する言説は日本語社会において共有されている。これは、広意味でのジェンダー化された言語使用への要求を生産し、人称代名詞、終助詞、日常会話の話題などの強制に繋がるのである。そうした主流的な「言説」が存在すると同時に、社会的なグループがそれぞれ共有する相互対立的な言説もあれば、個人レベルにおける規範も存在する。しかしながら、社会的なグループが共有する相互対立的な言説や個人レベルの言説のいずれも、完全なかたちで言語行動に現れるというわけではなく、それは会話の場面・話題・参加者の関係性などによって左右される。なぜなら、ジェンダーの意味性は、固定した意味を持たず、会話が行われる場面・話題・参加者の関係性・参加者が遂行する複合的アイデンティティによって変化するからである。

中心概念その③― 遂行されるジェンダーの意味性の変化

ジェンダーは、「性質」ではなく遂行される行為であることは既に言及した通り。「女らしさ」「男 らしさ」はどの場面において、全ての話者が同じように意味 付けていない。例えば、歴史的な変化―― 現代、「女らしい」「男らしい」と思われている「行為」は必ずしも過去と同じ行為ではない。また、世代的な認識 による変化―― 世代によって「女らしさ」「男らしさ」に差異が生じる。歴史的・世代的な差と同様に、個人レベルにおける認の識差が談話において生じる。 そして、同じ時間・空間においても、ジェンダーの意味的な位置付けは必ずしも同じように解釈されない。このようない意味的な推移を「ジェンダーの意味性の 変化」と言えよう(マリィ 1997)。

既に指摘した通り、言語行動と言語に関するイメージの間には常に必ずギャップが生じ、矛盾も生じる。個人レベルにおいても、社会的なグループにおいても今まで「例外」として扱われてきた発話は、実践する発話場面の相互作用を示すのである。また、一見矛盾するそのような発話行為は、言語における複合性を現わすのだということになる。

3. 日本語とジェンダーおよびセクシュアリティ

日本語には、ジェンダー化された言語要素は豊富にあり、現在でも言葉のジェンダー規定は日本語において強く受け継げられている。例えば、二人称や一人称はその一例なのだ。特に「女の子だから「お前」って使っちゃだめだよ」や、「男の子だから「僕」っていいなさい」などのような忠告を体験した人(学習者・母語話者の双方)は多い。その理由が単に「あなたは女だから」「あんたは男だから」では納得いくはずもない。しかし、「女らしくない女」「男っぽい女」または「男らしくない男」「女っぽい男」に対する社会的な態度はなまやさしいものではないことも事実なのだ。また、「男っぽい女=女ではない」「女らしい男=本物の男ではない」という固定観念は、実は、ジェンダーのみならずセクシュアリティ(性愛)とも関連する(マリィ2000, 2002a,2002b)。ここでは、発話者の自己命名という観点から言語ネゴシエーションを考察した論文を取り上げ、上記で見てきた批評的な研究の実態を示す。

3.1 自己命名 ― 人称代名詞

日本語の場合、通常、自己命名に用いる表現は、発話者のジェンダー・年齢・出身地など、発話者と相手との上下関係や、場面の儀礼性、うち・そとなどといった軸を中心に説明される。更に、日本語という言語体系の場合、いわゆる「人称代名詞」― 例えば「あたし」「ぼく」など― 以外に発話者は実名・愛称など― 例えば固有名詞である「純子」「じゅんちゃん」等 ― および親族名― 例えば「お母さん」「パパ」― や他の名詞、地位・役職名、職業・役割名― 例えば「先生」など― を用いて自らを名指すことが可能である(金水 1988)。例えば、日本語教育などにおいては、人称代名詞の体型を表1のように示すことが多い。自称・他称の条件に、場面性――フォーマル・インフォーマル――に加えて性――男性専用・女性専用――の区別をつけ規定を示している。

表3  人称代名詞 (日本語学習向けの参考書からの一例)

  自称
↑FO わたくし おたく(さま), こちら(さま)[5]
FO わたし、あたくし[女] あなた
INF ぼく [男], あたし [女] きみ [男]
↑INF おれ[男] おまえ [男], あんた

M =男性専用, F = 女性専用, FO = フォーマル(です・ます)体, INF = インフォーマル(る・だ)体

From Makino and Tsutsui (A Dictionary of Basic Japanese Grammar, p. 28)[注5], Senko Maynard, (An Introduction to Japanese Grammar and Communication Strategies,p.45).

ここで注目したいのは、言語単位とジェンダーを直接的に結びつけることに潜む問題である。表3を元に日本語の人称代名詞体系を解釈すれば、インフォーマルな場面において男性は「ぼく」や「きみ」を使い女性は「あたし」を使わなければならないとのことである。このことが広く日本語社会に受け入れられているという認識にたてば、表1に示されているのは日本語社会において共有される人称代名詞の使用を巡る主流言説、言いかえればその規範なのである。そこで思い起こさせたいのは、この言説が共有されていると同様に相互対立的な言説もあればそのいずれも完全に言語行動に再現不可能である。また、実際の言語使用において発話者はその規範をネゴシエーションするのである。

日本語の談話において、発話者が如何なる自己名を発話するかは、現発話活動における発話者の社会性や発話行為を遂行するアイデンティティと相互関係を成している。また、それは発話場面における発話者の「自己」構成や再構成を助長するといえる。<ジェンダー>と<セクシュアリティ>の関係性を考察する場合、話者が行う自己命名が、ネゴシエーション(切り抜け・交渉・談判・掛け合い)の対象となることは十分に予想できる。注意しておきたいのは、規範と同様の言葉遣いを行うにしても、規範と異なる表現を用いるとしても、発話者は既に常にネゴシエーションを実践するのである。

3.2 自己命名におけるネゴシエーション

自己命名を巡るネゴシエーション行為を明確に確認できるのは、1997(2003)に行ったドキュメンタリー映画『新宿ボーイズ』(Longinotto & Williams 1995)における言語分析である。

新宿歌舞伎町にあるオナベバー「クラブ・マリリン」に働く3人の生活を追ったこの映画では、日本語社会に「ジェンダー」「セクシュアリティ」が問題視されている。「この映画にドキュメントされる三人は、「女」として生まれ、日本の社会が規定する「女性性」や「異性愛」に圧迫を感じ、「オナベ」として生活を送っている。オナベが共通に持つ職場という空間(クラブ・マリリン)、個人の空間(それぞれの住居)そして、公的な空間(電車など)を通じて、日本社会におけるジェンダーやセクシュアリティが話題化されていく。ドキュメントの中心となるのはカズキ、ガイシ、タツという三人が独自で語る場面(シーン)、自分たちが付き合っている恋人と共に話し合う場面、職場で働く場面、家族と話す場面、など日常的な場面である。このドキュメントでは、三人が自分たちの経験を自分たちのことばで語っている」(マリィ1997:265)。

表4『新宿ボーイズ』における自称(登場順に)

相手 話題 おれ ぼく じぶん
ガイシ          
T+TMの部屋 CZ 会議 2 0 0
レストラン C1 C1の問題 1 0 0
    お客との関係 3 0 1
Gの部屋 C1 ジェンダー 13 0 3
Gの部屋 I セックス 2 0 9
レストラン C2 いびき 2 0 0
    付き合い・結婚 5 0 0
Gの部屋 I 過去の恋人 2 0 7
    気に入られること 0 0 2
    女の子への信頼 0 0 1
Gの部屋 I 両親 1 0 4
    (人間の)ニーズ 0 0 6
かずき          
クラブ・マリリン T,G,I 仕事 0 0 4
K+KMの部屋 KM,I 関係性 0 0 7
K+KMの部屋 I 家族 0 0 1
たつ          
T+TMの部屋 I 月経 0 3(pl:1) 8
T+TMの部屋 I セックス 0 0 5(pl:1)

『新宿ボーイズ』の中心的な登場人物である、ガイシ、かずきとたつが発話する自称を分析すると表4の通りとなる。興味深いことに、先行研究において「男性専用」の人称代名詞とされてきた「オレ」を用いるのは、ガイシのみである。かずきはもっぱら「自分」を使い、たつの方は比較的多く「自分」を用いるのであ る。ここでは、ガイシの発話に注目する。数の差は大きくないが、興味深いことにガイシは「オレ」の使用が一つの場面に集中している(マリィ1997(2003))。その場面では、ガイシは自ら の ジェンダー感を語っている。更に、ガイシは自らのセクシュアリティや恋愛関係について語る場面においては、「自分」という表現を多く用いるのである。一般 的に解釈してしまえば、オナベであるガイシがこれらの自称を用いるのは、「男らしさ」や「男性性」を遂行するためであると言うであろう。しかし、批評的な 視点を用いて、ガイシ自身の発話を微細に分析すれば、そのような主張はガイシ自身の考えを反映していないことが明確となる(会話1を参照)。会話1 ガイシ ① ―― ジェンダー Kim Longinotto, Jano Williams,Shinjuku Boys, Twentieth Century Vixien (Uplink Tokyo) 1995, 16mm, 54min. G:ガイシ、 C1:客

  • C1: 一応男と思っている(ん)だよね、思ってる?自分のこと、なんだと
  • 思ってるの?自分のこと?
  • G: おれ?
  • C1: うん
  • G: うんうん、なんとも思ってない、おれはおれだからって考える、
  • 別にそんな気にしない、何も
  • C1: うーん
  • G: 別に、だから女の子だと思わないし
  • C1: うんー
  • G: 男だと思わな(い)おれは別に  

ガイシの「オレ」使用頻度がもっとも高いのは、ガイシの部屋でC1と話している時である。会話1は、その一部である。ここで、お客であるC1がガイシの ジェンダー感をたずねるシーンだ。C1はガイシに自分は「男」であるとおもっているか否かを直接的に聞く。答えとしてガイシは「おれはおれだからって考え る」「女の子だとおもわないし」「男だとおもわな(い)」と発話する(会話1:5-10)。つまり、「男」であると認識していることを否定する。またガイ シは、「男」「女」といった一般社会が規定する概念に囚われていないことを強調する。  会話相手の女性にさらに追求され、ガイシは自らが「男になりたいわけじゃないからオレは、オレは自分が好きなように生きているのは、好きだからー、だか ら オレはわざと女っぽくしたらそれはオレはむりだし」と語る。この場面の後半に、ガイシは自らが「女」として判断されるを嫌がるのは、「心理面」においては 自分は「女」ではないと説明する(会話2:10)会話2 ガイシ ② ――ジェンダー Kim Longinotto, Jano Williams,Shinjuku Boys, Twentieth Century Vixien (Uplink Tokyo) 1995, 16mm, 54min. G:ガイシ、C1:客

  • C1: うんー、女の子だよね、って言われてやだよ[ね
  • G: [うん、それは[ね
  • C1: [うん
  • G: やっぱりイメージがあるじゃん、自分の頭の中で、女の子っていうのは、
  • C1: うんー
  • G: なんかそのさ、(1)(か)弱くて?みたいなのがあるからさなんか
  • C1: うん、(あ)そういうふうに見られるのは嫌なんだ、
  • G: うん
  • C1: (あ)どうして?
  • G: (3) ええってどうして、それはだから、心理面で女じゃないじゃん別に  

会話1、会話2を分析すれば、ガイシの自己命名は、日本語社会において規定される人称代名詞の規範をネゴシエーションする行為を伴っていることが明確と な る。ガイシが利用する自称には、「男性性」を指標する語は含まれている。しかし、上記で見た会話で明確のように、ガイシが利用するこれらの言語単位は、 「男性である」ことを指標するのではなく、「男として居続ける」手段である。そしてもっとも重要なのは、「男として居続ける」ことは従って「社会が規定す る女ではない存在として居続ける」行為でもある。

4. 言葉とジェンダーの「罠」?  

思い起こしていただきたいのは、「基本概念その①」として取り上げた「ネゴシエーション」である。ガイシは、特定の発話行為(自己命名)における具体的 な 発話者同士(ガイシとC1)において、規範(人称代名詞のジェンダー規定)を切り抜けるために言語使用を変えるのである。このような、ネゴシエーションは 我々言語を用いる人間が日常的に行なっている。使用言語から限られた言語表現から用いるものを瞬時「選択」し、規範を実践の間を行き来するのである。日常的に言語を使用する者は、言葉とジェンダーのこの規範と実践の罠を行き来する体験をし、日本語に規定されているジェンダーをネゴシエーションし続け る のである。現社会では、「女性」として位置付けられている者と「男性」として位置付けられている者に対する社会上の期待のみならず、「女性」や「男性」と いう二項対立的に設定されている者に対する束縛や強制的な規定も異なっている。そのことを、ジェンダーと日本語の根本において研究活動を進め行く必要を再 び強調したい。

[1] 広瀬正宜・庄司香久子1994『Effective Japanese
Usage日本語学習者使い分け辞典』講談社インターナショナル。(本文に戻る)

[2] LrnJE=竹林滋(編集代表)1992.The Kenkyusha Japanese-English
Learner’s Dictionary)研究社; ProgJE = Kondo Ineko & Takano Fumi (eds) (1986)
1993.Progressive Japanese Engosh Dictionary. Shogakukan; IJD = 阪田雪子(監修)1995『日本語を学ぶ人のための辞典(英語・日本語)』新湖社; AOTS = 玉村文郎(偏纂主任)1993. The AOTS Nihongo Dictionary for Practical Use.AOTS.(本文に戻る)

[3] Pennycookが用いる「応用言語学」という領域は言語の実践を指すので言語教育・翻訳・メディア言語・国際舞台における英語の権威などにまで及ぶ。(本文に戻る)

[4] 厳密には、日本語の男女差研究に用いられる用語として「女性〔男性〕語」ならびに「女〔男〕言葉」と「女性(男性)の言葉」ならびに「女(男)の言葉」には概念的な差がある。前者は、体系としての言葉を指し、後者は女性(男性)である言語使用者が用いる言葉全般を指している。(本文に戻る)

[5] Makino and Tsutsui (A Dictionary of Basic Japanese Grammar, p. 28) does not list any “very formal” second person pronouns.(本文に戻る)

参考文献

  • Butler, Judith 1990.Gender trouble: Feminism and the subversion
    of identity. New York: Routledge. [バトラー・ジュディス(竹村和子 訳)1999(1990)『ジェンダー・トラブル:フェミニズムとアイデンティティの攪乱』東京:青土社]
  • Butler, Judith 1993.Bodies that matter: On the discursive limits
    of “sex”. New York: Routledge. [バトラー・ジュディス1997 [1993]
    (クレア・マリィ訳)「批評的にクィア」『現代思想』25巻6号]
  • Kondo Ineko & Takano Fumi (eds) (1986) 1993.Progressive
    Japanese Engish Dictionary. Shogakukan
  • Longinotto, Kim, Jano Williams,Shinjuku Boys, Twentieth Century
    Vixien (Uplink Tokyo) 1995, 16mm, 54min.
  • Lunsing, Wim, Claire Maree (forthcoming).“Shifting Speakers―
    strategies of gender, sexuality and language." Janet (Shibamoto) Smith & Shigeko Okamoto (eds).Japanese Language,Gender, and Ideology: Cultural Models and Real People. Oxford: Oxford University Press.
  • Makino, Seiichi, Michio Tsutsui. 1986.A Dictionary of Basic
    Japanese Grammar, Tokyo: The Japan Times.
  • Maree, Claire. 1997a "Gender Representation in Japanese-English Dictionaries Used by Japanese-as-a-Foreign Language (JFL) Learners: A Survey of Basic Verbs, Basic Adjectives and Illustrations" inTransactions of the International Conference of Eastern Studies. No.43.
  • Maree, Claire. 2003.Ore wa ore dakara ['Because I'm me']: A study of gender and language in the documentaryShinjuku Boys.Intersections: Gender, History and Culture in the Asian Context, Issue 9, August 2003,
    http://wwwsshe.murdoch.edu.au/intersections/issue9/maree.html
  • Maynard, Senko. 1990. An Introduction to Japanese Grammar and Communication Strategies, Tokyo: The Japan Times.
  • Pennycook, Alistair. 2001. Critical applied linguistics: a
    critical introduction. London: Lawrence Erlbaum Associates.
  • Weatherall, Ann. 2002.Gender, language and discourse. Hove:
    Routledge.
  • マリィ・クレア1997b「ジェンダーの指標とジェンダーの意味性の変化――映画『新宿ボーイズ』におけるオナベの場合――」『現代思想』25巻13号
  • マリィ・クレア1998「性(意)のあることば」『現代思想』26巻10号
  • マリィ・クレア1999「日本語におけるジェンダーの再検討にむけて――セクシュアリティを中心に――」日本女子大学:社会言語科学会 第3回研究大会 1999.1.30/31
  • マリィ・クレア2000「ことばの罠のネゴシエーション」『現代思想』28巻14号
  • マリィ・クレア2002a「性(差)」の言語態――言葉の個人史から読み取る<ジェンダー><セクシュアリティ><複合アイデンティティ>」石田英敬・小森陽一(編)『社会の言語態』東京:東京大学出版会
  • マリィ・クレア2002b「日本語とジェンダーおよびセクシュアリティ―ネゴシエーション(切り抜ける・交渉・談判・掛け合い)― 自分が自分[あたし・ぼく・おれ]でいるために」東京大学大学院、博士学位論文
  • マリィ・クレア2002c「言語とジェンダー―ことばの罠を行き来する日常―」『ジェンダーがわかる』Aera Mook 78号。
  • 玉村文郎(偏纂主任)1993.The AOTS Nihongo Dictionary for Practical Use.AOTS.
  • 広瀬正宜・庄司香久子1994『Effective Japanese Usage日本語学習者使い分け辞典』講談社インターナショナル
  • 阪田雪子(監修)1995『日本語を学ぶ人のための辞典(英語・日本語)』新湖社
  • 竹林滋(編集代表)1992.The Kenkyusha Japanese-English Learner’s Dictionary)研究社

(マリィ・クレア Maree, Claire  東洋大学講師)

目次に戻る
Copyright © 2001 The Society for Gender Studies in Japanese All Rights Reserved.