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学会誌2号:年次大会研究発表(沢野)

【日本語ジェンダー学会第2回年次大会】

沖縄における方言使用とジェンダー

沢野 美由紀

1.はじめに

一昨年NHK教育テレビにおいて、「日本のことば」と題した、県別に方言を紹介する番組が放送され、二度も再放送されるなど反響を巻き起こした。
方言は、かつて方言撲滅を目指す教育がなされてきたことや、テレビの普及もあり、日本各地で少しずつ衰退しつつある。しかし、その反面、文化の違いが尊重される時代にあって、方言はアイデンティティの一部として捉え直され、各地で方言を守る様々な取り組みが行われるようになっている。

私は日本語教師という職業柄、共通語も話すが、九州の筑後方言が「母語」であり、佐賀、博多弁も使い分ける「バイリンガル」であることを誇りにしている。たまに地方へ出かける機会があると、その地の若者がどのような言葉を使っているか、彼らの友人や家族とのやり取りを聞くのを楽しみにしているのだが、若者が想像以上に方言を使わないことには寂しい思いをさせられる。特にそう感じたのは、独特の方言を持つ沖縄で、若者が全くと言っていいほど方言を話さない、話せないという状況であることを知り、愕然とする思いであった。

方言は母の言葉だという言い方がなされるが、自分が無意識に子供に方言で話し掛けていることに気がついたとき、言葉というものは、こうして母から子に伝えられていくのだと実感した。しかし、それならばなぜ沖縄では母から子に方言が伝えられることがなかったのだろうか。子育てが主に女性の仕事だとするならば、そこには何らかのジェンダー的な理由の存在が考えられるのではなかろうか。

本稿は、沖縄において行った方言に関する意識調査の中から、ジェンダー的要素の有無を探り、考察を行うことを目的とする。

2. 調査の内容

調査は、沖縄在住の一家族を中心に、男性4名、女性5名の調査協力者に対し、聞き取り調査の形で行った。主な質問項目は以下の通りである。

1) 育った家庭での言語生活の状況
a 両親の母語(母方言)、
b 両親が意思の疎通に使っていた言語
c 自分が家族との間で使っていた言語
d その他
2) 略歴と、その過程での言語生活の状況
3) 現在の言語生活の状況
4) 方言についてどう思っているか

以下、これらの項目についての回答から、この稿のテーマに重要だと思われる発言内容を抜粋し、以下に示す。 本稿では「共通語」ではなく「標準語」という言葉を使ったが、その違いについて真田(2001)は次のように述べている。

「共通語」というのは、原義的には、異なった言語、あるいは方言の間でのコミュニケーションに使われる第三の言語(言語変種)のことを指します。ですからそれは本来、コミュニケーションの重要な役割をはたすという、機能に着目した用語なのです。(中略)一方、各地域で、あるいは個々人が、スタイルを軸としたフォーマル、ハイレベルのものとして志向する対象、それはそれぞれに違うとは思うのですが、その対象を指して私は、「標準語」と呼びたいのです。それは決して東京語イコールのものではないはずです。

尚、インタビューに出てくる方言(例えば「糸満方言」)については、調査協力者本人が使った地名をそのまま記述する。

○調査協力者① 男性 1925(大正14)年 与那国島生まれ
a.父:糸満方言話者 母:与那国方言話者 (当時与那国島在住)
b.両親はそれぞれ自分の方言を使用し、相手の方言を聞き取っていた
c.両親とはそれぞれの方言で、兄弟との間では標準語を使用
14歳 父と共に漁業に従事:糸満方言
20歳 石垣で軍隊に所属:標準語
22歳 台湾や石垣で漁業に従事:標準語 石垣で八重山方言を少し理解するようになる
29歳 公務員として職を得る
43歳 転勤のため那覇に住居を移す:那覇方言を少し理解するようになるが、主に標準語を使用 
妻(調査協力者②)とは糸満方言+標準語、妻は八重山方言+標準語を使用
子供、孫とは標準語
小学校の時、標準語励行があって方言を使ってはならないと言われ、方言札と、掃除当番の罰があった。しかし、学校外で友達はみんな方言を使っていた。
職場では、同郷の友人同士の場合、方言が使われることもあるが、沖縄本島の方言も様々であるため、みな標準語を使用しており、ほとんど方言を耳にすることはなかった。
方言はなくなっては困るが、改めて教えるとなると難しく、教育者がいないという問題が大きいと思う。

○調査協力者② 女性 1925(大正14)年 石垣島生まれ
a.父:那覇方言話者 母:与那国方言話者 (当時石垣島在住)
b.父は那覇方言、母は八重山方言を使用し意思の疎通を図っていた
c.母、兄弟とは八重山方言を使用 母の与那国方言も理解(父は7歳の時に死去)
小学校卒業後、母が営んでいた履物屋を手伝う:標準語
18歳 病院に就職:主に標準語、相手によっては八重山方言
25歳 結婚:夫と義父が使う糸満方言を獲得。義母とは与那国方言
43歳 那覇に住居を移す:那覇方言を獲得
夫(調査協力者①)とは糸満方言を使用
子供、孫とは標準語だが、とっさのときには方言が出ることもある
周りとのつきあいは、相手により標準語と方言を使い分ける
小学校の時の標準語励行は厳しく、方言札を首に下げて廊下に立たされるのはとても恥ずかしいことだったので、絶対に罰を受けないように努力した。しかし、一番正しいのは東京の言葉であり、標準語は本土や台湾でも通じる言葉だったので、ある意味ではありがたく思っている。
方言でしか言い表せないことがあり、方言の方が親しみが湧くので、方言がなくなりつつあることは残念に思う。最近方言に価値が出てきたこともあり、子供たちにもっとしっかり教えておけば良かったと思うこともある。

○調査協力者③ 男性 1958(昭和33)年 石垣島生まれ
a.父は調査協力者①、母は調査協力者②
b.標準語
c.八重山方言は語彙レベルで理解

小学校3年まで石垣島で過ごし、那覇に移る。沖縄県内で大学まで過ごす
大学卒業後、公務員となり、3年間東京で過ごした後、沖縄に戻る  
標準語(感嘆詞は方言)

方言を大事にしようという新聞などでの主張には賛同はするが、実際には方言を使用する機会はなく、特に不便に思ったこともない。また、下手に方言を使っても、敬語などかなり難しいため、かえって失礼になってしまう可能性がある。そもそも沖縄の方言については、第二次大戦中、方言を話すとスパイ扱いにされたという不幸な歴史があるので、みな複雑な気持を持っている。
テレビで沖縄の人が独特のイントネーションで話しているのを聞くと、恥ずかしいとは思わないが、その場面では不十分な日本語だと感じる。
沖縄の方言は、方言でしか表せないものも含めて消えつつある。今後は、民謡や芝居、組踊りなど、沖縄の古典芸能に関わる人たちが方言を学び、伝えていくことになるのではないか。

○調査協力者④ 女性 1963(昭和38)年 石垣島生まれ
a.父は調査協力者①、母は調査協力者②(調査協力者③は兄)
c.標準語
6歳まで石垣島で過ごし、那覇に移る
沖縄県内で大学卒業まで過ごし、福岡で2年間過ごす。その後、沖縄で公務員
標準語(痛いときや、絶対に方言でしか言い表せない場合は、語彙レベルで方言を使う
また、市場などでおばあさんに方言で話し掛けられたりすると、方言で返すこともあるが、自分の方言は本物ではないという意識がある)

両親は方言札の世代で、特に八重山では標準語をちゃんと話せないのは教育のない人間だという考え方が根底にあるようで、そのためか自分も、人の方言が気になることがある。甲子園の高校野球大会で、沖縄の高校の監督インタビューの際、標準語のイントネーションがおかしいと恥ずかしくて聞くのが耐えられない。福岡にいた時に、小さい子供が方言で話すのを聞いておかしいと思った。仕事上子供と接する機会があるが、那覇のような都会でも男の子の場合、たまにののしり言葉などに方言を使っている。
テレビで天皇が話す場面が映ると母親に呼ばれ、こういう日本語の話し方をしなければならないと言われたことがあり、敬語など話し方についてしばしば注意された記憶がある。そのためか、正しい日本語を話さなければならないという意識を持っている。
しかし、現在方言が見直されており、今後は教養として特に両親の出身地である八重山の方言を知っておきたいと思っている。

○調査協力者⑤ 女性 1945(昭和20)年 沖縄県北部、大宜味村生まれ
a.父、母ともに山原方言話者
b.両親同士は方言を使用c.父(教師)は子供には標準語を使用、母は方言と標準語の両方を使用、兄弟とは標準語
県内で大学卒業まで過ごし、その後公務員になる
母親に対する以外は家庭でも職場でも標準語(夫は調査協力者⑥)
子供の頃、祖母と過ごす時間が多かった妹が、自分の友達の前で方言を話すので、とても恥ずかしかった。学校では方言札があったので、方言を使わないようにしており、女子は標準語を話すよう努力していたが、男子は仲間同士で方言を使っていた。 大学の時に、言語学の講義で方言(教材は古典芸能である組踊り)について講義があった。当時、講義で方言を扱うことで、とても変わった先生だと思われており、自分もおもしろくない授業だと思っていた。が、今考えると、先生は沖縄の文化に誇りを持ち、その価値をよく理解していらっしゃったのだと思う。
大人になってから、地域の祭りなどいろいろな行事に関わることで、方言を大事にしなければという意識が芽生え、今は危機感を持っている。方言でしか言い表せないことも多く、やはり方言の持つ温かみは何にも変え難い。が、自分は方言をちゃんと話せないので、子供や孫とも標準語でしか話さない。身近に方言しか話さない同年代の人がいるが、怒って話しているようにも聞こえ、教養がないように見られるので、その点はどうかと思う。

○調査協力者⑥ 男性 1940(昭和15)年 伊平屋島生まれ
a.父、母とも伊平屋方言話者だが、父親は戦前、南洋のセレベス(インドネシア)へ働きに行っていたので、標準語には慣れていた
c.伊平屋方言
中学卒業まで伊平屋で過ごす。高校、大学は沖縄本島:主に標準語。卒業後、公務員となり、沖縄各地を移動:主に標準語
家族とは標準語を使用(妻は調査協力者⑦)。場合により名護方言、伊平屋出身者とは伊平屋方言を使用
小学校の頃方言札があって学校では標準語だったが、男同士遊ぶときに標準語を使うと仲間はずれにされるので、友達とは方言を使っていた。先生は一応標準語を使っていたが、イントネーションは方言そのものだった。
沖縄では、すぐ隣の町でも語彙や発音が変わることがあるのでわかりにくい。 テレビが普及し始めたころ、関西の人が堂々とテレビで関西弁をしゃべっているのを見て驚いた覚えがある。
今は、例えば同窓会などに出席すると、個々の友人とは方言で話すが、マイクを持たされ挨拶をしなければならない場合には標準語を使用。たまに方言で通す人もいるが、それは方言に自信がある人に限られる。

○調査協力者⑦ 女性 1925(大正14)年 石垣島生まれ
a.両親:名護方言話者、八重山方言は理解可能
c.
両親には名護方言で話し掛けられ、八重山方言で答えていた。兄弟とは八重山方言を使用
石垣で終戦まで過ごす:八重山方言と標準語
終戦後、那覇に移り住む:近所付き合いのため那覇方言を獲得、標準語と使い分ける
夫(石垣島生まれ)とは八重山方言を使用
子供、孫には標準語(子供は友達との間で那覇方言を使用、兄弟間では標準語を使用、孫も少し那覇方言を理解)。親戚とは名護方言で話し掛けられ、那覇方言で答える
近所つきあいは那覇方言と標準語を使い分ける
小学校の時方言札の罰があり、男子はよく札を下げさせられていた。女子は1~2ヶ月に一人いるかいないかだったので、もしそうなると大変恥ずかしいと思い、方言が口から出ないよう努力していた。
子供は那覇育ちなので、八重山方言を教えても意味がないと考え、また、標準語を話すようにと小学生の時言われたことが身にしみているので、自然と標準語を使用した。方言は残して欲しいとは思う。

○調査協力者⑧ 女性 1925(大正14)年 石垣島生まれ
a.父:標準語話者(祖父が広島出身) 母:八重山方言話者
b.c.標準語
石垣島で尋常高等小学校まで過ごす:標準語
沖縄本島の師範学校に進学:標準。公務員になる:標準語
夫も石垣島出身なので、お互いに八重山方言を使う(家族や友人とも標準語で話していたので、結婚後初めて日常生活で方言を使うようになった)
子供には標準語を使用 孫はまだ幼いが、方言で呼びかけている
小学校の時方言札があった。自分は標準語に慣れていたが、方言を使った罰として職員室で座らされるので、友達とも標準語で話していた。 標準語励行は、当時としては必要で仕方のないことだったが、家でも方言を話してはいけないという指導があり、それは強制し過ぎだったと思う。師範学校では、標準語のアクセントや発音など、厳しく教えられた。
感情など、方言でしか言い表せないこともたくさんあるので、学校教育にも方言指導をどんどん取り入れていくべきだ。各家庭に方言話者である祖父母の世代が残っているので、その人たちに協力を仰いだり、沖縄民謡を使って単語から始めてもいいのではないか。
子供には方言を教えなかったが、もっと教えておけばよかったと思うので、孫には対しては少し方言を使っている。今後もっと教えたい。

○調査協力者⑨ 男性 1961(昭和36)年 那覇生まれ
a.父:那覇方言話者 母:名護方言話者
b.c.標準語
那覇で生まれ育ち、公務員となって後も那覇在中
標準語
沖縄以外の地域では方言が残っているのがうらやましい。最近は方言話者が少なくなっているので、方言が話せても使わない人が多くなっている。
自分はずっと那覇在住なので、あまり方言を聞く機会もなく、方言についての意識は自分でも低いと思う。子供のころから、方言はののしり言葉ぐらいしか使わなかった。方言は表現が豊かであり、方言が伝承されていくことで地域性が強く残っていくのではないかと思うので、方言教育も全く必要がないとは思わない。両親は方言話者だが、子供に良かれと思って方言を教えなかったのだと理解している。

3.考察

これらのインタビューからは、方言使用について、男女間に次のような差があることがわかる。

  1. 調査協力者⑤:学校では方言札があったので、方言を使わないようにしており、女子は標準語を話すよう努力していたが、男子は仲間同士で方言を使っていた。
  2. 調査協力者⑥:小学校の頃方言札があって、学校では標準語だったが、男同士遊ぶとき標準語を使うと仲間はずれにされるので、友達とは方言を使っていた。
  3. 調査協力者⑦:小学校の時方言札の罰があり、男子はよく札を下げさせられていた。女子は1~2ヶ月に一人いるかいないかだった。
  4. 調査協力者④:仕事上子供と接する機会があるが、那覇のような都会でも男の子の場合、たまにののしり言葉に方言を使っている

これらのコメントから、男子児童は方言を使ってはいけないと言われているが、方言を使っていること、その結果、方言札の罰を受けるのも男子の方が多かったことがわかる。しかし、女子児童はその逆で、標準語励行を学校外でも守っており、方言札の罰を受ける数も男子児童より格段に少ない。このような男女差はなぜ生まれるのだろうか。
トラッドギル(1974)は、英語クリオールを母語とする西インド諸島で、標準英語を学び始めた6、7歳の子供たちが、学習開始後半年の時点でどの程度非標準的な動詞句を使っているかの調査について、男子が29%、女子が7.5%であったことを述べている。つまり、女子のほうが男子より標準形に近い英語を話すようになっているのである。これは、女子児童の方が標準語を使うように努力していたというコメントの1.と一致する。トラッドギルによると、言語共同体において、上の階層の使用する形が下の階層の形よりも権威がある、あるいはより「正しい」というような場合、話し手には、上の階級の形を使うことによって権威を得ようとしたり、「正しく」見せようとする社会的圧力がかかる。そして、女性の方が男性よりも社会的な地位を意識する度合いが大きいため、この圧力は女性の方に強くかかり、女性は社会的に「より良い」言葉を使うという。

この説を、今回の沖縄での調査にあてはめて考えてみると、女性では、言葉の「正しさ」という点で調査協力者②と④が次のように述べている。

  1. 調査協力者②:一番正しいのは東京の言葉であり、標準語は本土や台湾でも通じる言葉だったので、ある意味では(標準語励行を)ありがたく思っている>
  2. 調査協力者④:テレビで天皇が話す場面が映ると母親に呼ばれ、こういう日本語の話し方をしなければならないと言われたことがある。そのためか、正しい日本語を話さなければならないという意識を持っている

5.では、広範囲で使える言語こそが正しいものであると考えられており、それはすなわち東京の言葉である標準語とされている。調査協力者②と④は親子の関係であるが、正しい標準語を話すことが大切なのだという意識が、6.の通り、子供にも伝わっていることがわかる。
また、女性5名のうち4名が、次に挙げる通り、方言を「恥ずかしい」という言葉と結び付けて語っている。

  1. 調査協力者②:方言札を首に下げて廊下に立たされるのはとても恥ずかしいことだった
  2. 調査協力者④:甲子園の高校野球大会で、沖縄の高校の監督インタビューの際、標準語のイントネーションがおかしいと、恥ずかしくて聞くのが耐えられない。
  3. 調査協力者⑤:子供の頃、祖母と過ごす時間が多かった妹が、自分の友達の前で方言を話すので、とても恥ずかしかった。
  4. 調査協力者⑦:女子は1~2ヶ月に一人(方言札の罰を受ける者が)いるかいない かだったので、もしそうなると大変恥ずかしいと思い、方言が出ないよう努力していた。

4名とも方言、またはそれに付随するものを恥ずかしいと感じているのであるが、この意識は世代別に区分される。調査協力者②⑦はいずれも大正14年生まれで、まだ一般に方言が話されており、調査協力者②⑦は方言話者である。この世代は方言そのものに対して恥の意識を持っているわけではない。方言札の罰を受ける同級生の姿や、もしうっかり方言が自分の口から出てしまった場合、女子で方言札の罰を受けた数少ない生徒と言われてしまうことに強い恥の意識を持っているのである。次に、調査協力者⑤の言う「子供の頃」というのは昭和20年代終わりから30年代初めにかけてのことと思われるが、調査協力者②⑦の標準語励行からは20年程度が経過しており、既に方言そのものが悪いもの、恥ずかしいものとして定着していることがわかる。また、調査協力者④は調査協力者②の子供であり、調査協力者⑤と同様、方言そのものを恥ずかしいものと認識しており、「高校野球の監督」が話しているのは標準語であるにもかかわらず、方言の影響を受けたイントネーションまでも恥ずかしいものと感じているのである。ちなみに、もう一人の女性である調査協力者⑧は「恥ずかしい」という言葉を使っていないが、それは祖父が本土の出身であり、父親も標準語話者であったため、彼女自身もどちらかといえば標準語話者に近い存在だったということが理由として考えられる。
これらインタビューの中に出てきた「正しい」と「恥ずかしい」という二つの言葉の持つ意味を併せて考えると、沖縄では、方言は正しくないもの、恥ずかしいものという位置付けがなされ、その結果女性は標準語を選択し、方言を話さなくなっていったのではないかと推察できる。

では、男性の方言に対する意識はどうなのか、女性の意識と比べてみたい。

  1. 調査協力者①:職場では方言が使われていないが、同郷の友人同士の場合、方言が使われることもある
  2. 調査協力者③:今後は古典芸能に関わる人たちが方言を学び、伝えていくことになるのではないか。テレビで沖縄の人が独特のイントネーションで話しているのを聞くと、恥ずかしいとは思わないが、その場面では不十分な日本語だと感じ
  3. 調査協力者⑥:同窓会では、個々の友人と方言で話すが、マイクを持たされ挨拶をしなければならない場合は標準語を使用する。

この11~13のコメントからは、方言が恥ずかしいものだという意識は窺うことができない。11も13も、方言を使う場合と使わない場合について述べており、方言は、場面によって使い分けがなされるものだという意識を持っていることがわかる。

興味深いのは12、つまり調査協力者③のコメントで、③は調査協力者④とは兄妹にあたるが、④が(5)で「恥ずかしい」と述べているのと同じような状況について、③は「恥ずかしくはないが不十分な日本語だ」と述べている点である。つまり、テレビで不特定多数の人の前で話す場合には不十分だとの認識であり、ここでも場面が問題視されていることがわかる。 これらの結果から、男性の場合、方言と標準語の社会的な位置付けがどうであるかというより、あくまで場面と相手、言い換えれば方言の役割と機能を優先に考えて、標準語と方言の使い分けを行っていることがわかる。

4.結語

以上、沖縄において行った方言に関する意識調査について、分析を行ったが、方言の使用に関するジェンダー的要素として、以下の点が明らかになった。
男性:場面と相手によって標準語と方言の使い分けをしていること
女性:受けてきた教育の中で、方言は悪いもの、標準語は正しいものだという位置付けがなされていたため、必然的に正しいものとされた標準語を選択したこと

今回の調査は限られた人数を対象に行ったインタビューであるため、上記の通り結論付けた「使い分け」や「恥ずかしさ」というキーワードは必ずしも一般化できるとは言えない。また、インタビューを行った中には、同じ沖縄在住の人が聞いても、何を話しているのか一割程度しか理解できないとコメントを寄せられた方言話者がいるのだが、その当人は「方言はあまりわからない」と話しており、何を以って方言話者とし、標準語話者とするのか、音声学的見地に立って検討する必要性も感じている。

前述の通り、今や沖縄において方言は風前の灯火である。永田(1996)の指摘通り、沖縄の方言は残念ながら消滅に瀕していることを認めざるをえず、今後は日常使用される言語としてではなく、調査協力者③や④のコメントのように、伝統芸能の中において、また教養としてわずかに残っていく運命にあるのかもしれない。

我々の社会では主に女性が子育ての重責を担ってきた。が、それゆえに、正しくない、恥ずかしいと認識された沖縄の方言は今の世代に伝えられなかったのではないだろうか。

しかし、方言の価値が見直され始めた今日、女性は再び方言に目を向け始めている。今回のインタビューでも、男性より女性の方が、方言の継承について熱意を持って語ってくれたように思えた。実際、沖縄県の中部地区13市町村の婦人連合会が、文化の伝承を目的に方言による弁論大会、「島クトゥバし語やびら大会」を開いており、昨年までで11回を数えている。

方言を消滅させないため、今まさに女性の力が必要とされているのかもしれない。

参考文献

  • 真田信治(2001)『方言は絶滅するのか』(PHP新書)
  • P.トラッドギル(1974)『言語と社会』(岩波新書)
  • 永田高志(1996)『地域語の生態シリーズ琉球篇 琉球で生まれた共通語』(おうふう)
  • 外間守善(2000)「沖縄の言葉とその歴史を考える」『日本語学』第19巻8号(明治書院)
  • 加治工真市(2000)「八重山方言と文化」『日本語学』第19巻8号(明治書院)
  • 中村淳(1998)「『うちなーぐち』の現状と展望」(多言語社会研究会ニューズレ ターNo.003)
  • 中村淳(1999)「「『EDGE No.7』特集「ウチナーグチの地政と時政 サッタルバスイ!?」 をめぐって」(多言語社会研究会ニューズレター No.004)
  • 吉屋松金(1999)『実践うちなぁぐち教本』(南謡出版)
  • 瑞慶覧峰子(1998)「エセウチナーンチュのひとり言」『EDGE』第7号 特集「ウチナーグチの地政と時政 サッタルバスイ!?」Art Produce Okinawa
    沖縄タイムスホームページ http://www.okinawatimes.co.jp
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(沢野美由紀 さわのみゆき 神田外語大学? )

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