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学会誌1号:論文2

子供向け日本語教材における性別役割分業の描写

― ジェンダー・フリーの教材を目指して -

渡部(石田)孝子

要旨:ジェンダーとして我々が取り組まなければならない心理的次元での性別は文化や社会によって異なり、特にその子供の親のしつけや学校で受けた教育から影響を強く受ける(福富、1997pp2―4)。そのために子供に対する日本語教育では、日本語を教えることだけではなく、様々な教育的配慮が必要となる。本稿では、特に子供向け日本語教材の挿し絵に注目し、その中における性差別的メッセージを調べた。登場人物の男女比率を数量的に分析し、母親と父親の描写のされ方、職業別役割分業の描写のされ方を質的に点検した結果、性別役割分業に関する描写が様々な形で含まれていることがわかった。本稿では、ジェンダー・フリーの教材を目指し、子供向け日本語教材の中にある性差別的描写の排除を求めていく必要について考えたい。

キーワード:子供向け日本語教材、挿し絵、ジェンダー、性差別的描写、性別役割分業

1.はじめに
子供は社会的な概念形成途上にある。そのため、子供に対する日本語教育は、日本語を教えることだけでなく、様々な教育的配慮が必要とされる。従って、子供を学習者として受け持つ場合、成人学習者の指導と比較できないくらい多くの「責任」を日本語教師は課せられることになる。
 
その教育的配慮の一つとして、男女平等に対する意識があげられる。1990年の国連の「婦人の地位向上のためのナイロビ将来戦略の実施に関する第1回見直しと評価に伴う勧告及び結論」(注)では、「婦人の地位向上のためのナイロビ将来戦略実施のペースを早めること」の勧告3で、1995年までに教科書の中における性差別記述の修正を求めている。女性差別撤廃条例において女性に対する差別とは、「性に基づく区別、排除または制限」(第1条)としている。また、同条約第5条において性別役割分業について、「男女の定型化された役割に基づく偏見および慣習、その他のあらゆる慣行」を指すとし、その撤廃を求めている。
 
学校教育においては、ジェンダー・エクィティを目指すための研究や活動は盛んであり、教材の中に含まれる性差別的な記述の排除や修正も積極的に求められている(伊東他 1991)。しかし、日本語教育においては、教材の中における性差別的記述の排除や修正に関する意識はまだ高いとは言えないだろう。本稿では、特に子供向け日本語教材に着目し、教材の中に性差別的なメッセージがあるか否か、もし性差別的メッセージがあるならば、どのようなものがあるかを調べていきたい。
2.先行研究
日本語教育では近年、年少者への日本語教育に関する研究の緊要性が認識され、様々な研究が進められている(関口1994, 池上1994, 寺田1994、真嶋・李1994、岩沢・高石1994、岡崎1995、中西・佐藤1995、縫部1995、一二三 1996、山本他 1996、矢島1998、他)。しかしながら、それらの研究は、教授法や、年少者の言語習得に関するもの、評価、教科学習のための日本語指導、適応教育等が中心となり、それらの分野においてもまだ研究の一歩を踏み出したばかりに過ぎない。
 
日本語教育では、学校教育で言うところの教科書検定に相当する制度を持たない。また、様々な背景を持つ多数の執筆者と編集部で構成している学校教育の教科書と異なり、少数の日本語教師が教材作成に取り組んでいる場合がほとんどである。従って、日本語学習教材は、筆者の日本語観や社会通念が主観的に反映され、オリジナリティが高いと言える。また、教師が自由に教材を選択し、学習者の進度に合わせて学習を進めることができるということは、学校教育事情と大きく異なる点である。しかしながら、一方では教材の内容や構成について、様々な課題が残されている場合が多い。特に、ジェンダーに関する配慮はまだ十分に浸透しているとは考えにくい。
 
では、日本語教育における男女平等を目指した研究はどのようなものがあるのだろうか。氏家(1996)、森田(1991)、渡辺(1991)、『日本語学―5月臨時増刊 (1993)、佐々木(2000)等、ジェンダー問題へのアプローチはほとんどが「日本語学」「社会言語学」からのものである。一方、遠藤(1991)は、女性教員の地位や労働条件、女性語、教科書の中の差別について論じ、女性日本語教師にかかわる諸問題に対して提言をしている。また、石田(1998)や臼杵(1998)は日本語教材の中における性差別的な描写に着目し、日本語そのものよりも、男性と女性の描写の相違からその中に潜む男女差別について明らかにしている。このように現状の日本語教育研究を概観すると、社会言語学におけるジェンダー研究は進んでいるようであるが、日本語教育内容そのものに関するジェンダー研究はまだ十分に取り組まれているとは言えないだろう。従って、教材の中に性差別的なメッセージが含まれている可能性が高いのではないかと推測される。
3.子供向け日本語教材の分析
本稿では、子供向け日本語教材に着目し、その中に性差別的なメッセージが含まれているか否かを調べ、もし性差別的なメッセージが含まれているのならば、それがどのようなものかを分析していきたい。
 

3-1 分析方法

子供向けの日本語教材における挿絵の果たす役割は、単に文字情報内容の補助的表現であるにとどまらず、文字情報と同等に重要であり、文字情報とは独立に子供達に直接的な影響を与えるものである。そこで、教材の中の挿絵の中の登場人物の男女数を数量的に分析するとともに、男女の性別役割分業の描写について質的に分析した。
 

3-2 対象教材

子供向け日本語教材の中から以下の9冊を選んだ。以下に対象教材のリストを示す。
 
表1 分析対象教材リスト
  教材名 発行年 発行 著者 対象者・特色 頁数
ひろこさんの楽しい日本語1(第2版) 1999 凡人社 根本・屋代 日本在住の日本語を母語としない学童 155
ひろこさんの楽しい日本語2 1995 凡人社 根本・屋代・永田 160
にほんごをまなぼう(第13版) 1998 ぎょうせい 文部省 日本在住の日本語を母語としない学童、及び帰国子女 102
にほんごをまなぼう2(第6版) 1997 ぎょうせい 文部省 日本語教育を必要とする外国人の小学校中学年~中学生 116
にほんご1 1996 JEC、カナダ 江川 6歳~9歳までの子供 93
やさしい日本語入門 1992 成美堂 加州日本語学園協会 英語圏の5~6歳の子供 107
Hello Japanese 1993 インターンシップ 東中川・町田 日本語と日本文化を学ぶ子供向け 75
わたしのにほん Book1 1995 チャールズ・タトル Kato, Weeks,And Viney オーストラリア教学体験を活かして子供向け教材を作成 46
わたしのにほん Book2 1995 チャールズ・タトル 45
ひろこさんの楽しい日本語1(第2版) 1999 凡人社 根本・屋代 日本在住の日本語を母語としない学童 155
以下、表1に示した記号を用いて教材を示す。
 

3-3 挿絵・写真に見る男女数の比較

まず、教材の中における登場人物の延べ数と男女比を表2で示す。
 
表2 挿絵・写真に見る男女数の比較
  延べ数 女性数 男性数
596 306 290
469 225 244
991 520 471
583 286 297
289 138 151
132 81 51
254 122 132
157 52 105
233 127 106
合計 3704 1857 1847
表2から、対象教材の登場人物を総合して男女比を比較すると、男女がほぼ同じ割合であることがわかった。しかしながら、表2を教材別に見てみると、教材によって男女の登場比が異なることがわかる。特に⑧は男女比が2:1と、男性の登場回数が女性の登場回数より2倍も多い。
 
また、教材全てを通して、男性を表す時は「ズボン」、女性を表す時は「スカート」といった服装での明確な描写の相違が見られた。
 

3-4 母親と父親の役割描写

次に、挿絵・写真に見る母親と父親の役割について点検していきたい。
 
表3から全体を見ると、母親と父親の登場回数の比はは3:2と母親の方が高い。これは、子供にとって母親の方がより密接な関係にあるという観点による提示のし方が現われているのだろう。④と⑧のみが母親と父親の登場回数をほぼ同数にしているが、他の教材は母親の登場回数が多くなっている。
 
では、登場回数だけではなく、その描写のされ方はどうなのだろうか。
 
②では、ひろこの母親は52回登場する。そのうちの10回は「エプロン」姿である。また、エプロン姿の10回が料理やアイロンがけなどの家事労働に従事している絵である。一方、ひろこの父親が家事労働に従事している絵はない。
 
表3 母親と父親の登場回数
教科書 母親 父親
34 15
64 34
10 1
15 14
9 6
13 8
13 9
22 24
3 0
合 計 183 111

③では、母親が家事労働に従事している絵(p.52)と授業参観に出席している絵が(p.80)ある。父親の登場自体が家族の家系図だけ(p.99)なので、父親の描写が限定され過ぎていると言えよう。

 
④でも、母親と父親の登場回数はほぼ同数であるにもかかわらず、母親だけが家事労働に従事しており、父親が家事労働を分担している絵はない。また絵だけでなく、「赤ちゃんがねている間、お母さんはうちの用事をします」という文字情報もある(p.67)。また、母親の「エプロン」姿が、p.23,27,67、93にある。
 
⑥では、母親が明確に家事労働に従事している絵はない。しかし、母親が「エプロン」をして子供の見送りをし(p.7)、出迎えはホースを手に持ちながらしている(p.7)。
 
⑦では、母親が家事労働に従事している絵はp.52、p.73に3場面含まれている。しかし、父親が家事労働(買い物)をしている場面(p.43)もある。父親、母親の登場回数の割合は4:3であるため、やや偏りがある印象は受ける。
 
一方、⑧の教材に関しては、母親と父親の登場回数がほぼ同数である。さらに、母親と父親が共に家事労働を営んでいる描写がある。「おひるごはんにしましょう」(pp.26-27)の場面では、母親と共に息子が台所に立って手伝ったり、お茶を入れたりしている写真がある。また、父親も皿を出して並べている写真もある。母親だけが家事労働に従事するのではなく、家族で分担して助け合っている様が伝わってくる。
⑤と⑨に関しては、母親、父親の登場回数が少ない。また、他の教材と異なり、家事労働に関する描写はなかった。
 
9冊の中で最も着目したいのは①である。①の第1版は石田(1998)が指摘しているように男女役割分業が多く描写されている教材である。主人公のひろこの母親は専業主婦という設定になっており、①の第1版では、17回の登場のうち、(p.42, p.110)はエプロンをして台所にいる。また、①の第1版では、母親がスーパーに買い物に行く絵(p.65)、夫を玄関まで出迎えに行く絵(p.71)がある一方、ひろこの父親が家事労働に従事している絵はない。反面、p.110では、母親が台所で家事をしている際、居間で新聞を読んでいる父親の描写がある。ひろこの母親が専業主婦であるとはいえ、男女が共同して家庭の責任を果たしているとは言い難い。そこで、石田(前掲書)は、①を使用して日本語を学習している子供に、日本では家事は女性である母親の役割だという固定観念を持たせる可能性が高いという懸念を示した。
 
こうした石田(1998)の問題提起や社会情勢の変化を受けて、根本・屋代(1999)は『ひろこさんのにほんご1(第1版)』の挿絵に手を加え、性別役割分業の描写を削除、修正し、第2版の発行に至ったとのことである。石田が上記に指摘していた描写は削除されたり、修正が施されてたりしている。例えば、p.110に関しては、父親が台所で皿を洗い、母親はテーブルを拭いている描写に、またp.65では、父親がスーパーへ買い物に行くという描写に変わっている。しかしながら、②はまだ改訂されていないので、早期の改訂が望まれるところである。特に、①と②は日本国内における年少者の日本語教育教材として広く認識され、使用者が多いと聞く。従って、本教材が担う責任は大きいと考えるからである。
 
母親と父親の描写に関する分析から、母親というイメージが「エプロン」に固定されていることがわかった。また、父親の家事労働への参加が十分に描写されておらず、伝統的な性別役割分業を反映し、家事労働は母親の役割であるという描写の仕方が目立った。

3-5 職業描写における女性と男性の役割

分析した全教科書の職業描写を見ると、女性と男性とでは明確な職業役割分担が描写されていることに気づいた。
 
女性で描写されている職業
    • 店員(文房具屋、スーパー、靴屋、肉屋、酒屋、魚屋、カメラ屋、ペットショップ)
    • 書道講師
    • 学校教諭
    • 看護婦
    • 医者
    • 美容師
    • ジャーナリスト
    • 司書

男性で描写されている職業

    • 店員(本屋、八百屋、米屋、花屋、バイク屋、コンビニ、寿司屋、自転車屋)
    • 郵便配達員
    • 医者
    • レントゲン技師
    • パイロット
    • コンピュータ技師、プログラマー
    • 科学者
    • 音楽家、作曲家
    • デザイナー
    • シェフ
    • 石屋
    • 公園管理人
    • 水泳指導員
    • 学校教諭
    • ギター講師、英語講師
    • 駅員、電車車掌
    • エンジニア
    • 俳優
    • サッカー選手
教材が「学校」という場面設定を中心にしていたものが多かったため、他の職業より「学校教諭」の登場回数は圧倒的に多かった(303回)。そして、学校教諭の8割強(女263:男40)が女性で描写されていた。ただし、管理職は男性のみの描写であった(⑨p.10)。
 
全体の点検結果から、女性が職業についていることを表す描写はほとんどが「店員」で、職種にかなりの偏りがあることがわかる。パートタイマーで働く女性が多いという、現実的な性別役割分業を意図的に表しているのだろうか。一方、男性は「店員」も多いのだが、他にも活動的な仕事や創造性、専門性を持った仕事に従事している絵や写真が多く、職業の種類も多い。21世紀教育問題研究会(1994: 15)も教科書の職業に性別役割分業社会を反映した描写が明確であると指摘し、「従来の固定的な男女の役割を裏返した挿絵や写真を載せて、子供達に考えさせることが必要ではないか」と提言している。
 
その点、⑨はその提言に近い要素を含んでいる個所がある。⑨のp.25には中学体育担当教員が柔道着を着て、授業に取り組んでいる写真があり、担当教員は女性である。しかしながら、これはジェンダーを意識しているわけではなく、教材作成に際し、協力校であった中学校の実情が映し出されただけかもしれない可能性もある。それは、⑨で性別役割分業を明らかに反映させたものが描写されているからである(p.16)。職業選択について「何になりたいですか」というテーマのもと10種類の職種が紹介されているのであるが、ジャーナリストを除いて、残りの9種は全て男性で描かれていることからわかる。
4.まとめ
子供向け日本語教材はまだ数が少なく、教材研究も十分にされているとはいえない。「教材は子供が世界を認識するときの媒介物として考案されてきたものであるといってよい」(中内、1990)と言われているように、子供にとって教材の存在は大きなものではないだろうか。社会的な概念形成の発展途上にある子供達は意識的に、あるいは無意識のうちに教科書から様々なメッセージを受けとっているのである。Johnson et al.(1988)の言う、明示的な「隠れたカリキュラム」(explicit hidden curriculum)と黙示的な「隠れたカリキュラム」(implicit hidden curriculum)は教育現場で何が行われているかを知る「鍵概念」になると氏原(1996: 31)は述べている。氏原はさらに、教科書に含まれるメッセージは学校での目に見えやすい明示的な「隠れたカリキュラム」であるとしている。
 
本稿では、子供向け日本語教材の挿絵の中にどのような性別役割分業の描写がされているのかを点検した結果を報告した。
 
まず、男性と女性の描写が「ズボン」と「スカート」という固定的な服装により描写されていることがわかった。果たしてどれだけの場面で登場人物の性別描写が日本語学習にとって重要な情報になるだろうか。登場人物が何らかの教育的裏付けにより、明確に「男性」であること、「女性」であることが必要とされる場合を除いては、極論からすれば、性別描写は必要ないのではないだろうか。
 
さらに、家事労働分担はほとんどの教材で母親の役割として描写されていた。女性が家庭外での仕事に従事している描写はほとんどなく、逆に男性が家事労働を分担している描写は非常に限られていた。また、職業描写についても「女性の職業」「男性の職業」といった固定的な役割分業の描写がされていることがわかった。
 
朴木(1996: 187-188)は「学校ではジェンダー観に彩られた家族観を問い返すこと、また生活経験的には得がたい知見に出会うこと、そして原則(discipline)を学ぶこと」を目標にすべきであるという立場を示している。年少者に日本語を指導する際、朴木が目標としているレベルまでの教育を日本語教師だけが担うことは、非常に難しい状況だろう。筆者も実際に学校現場で年少者への日本語教育に携わっているが、限られた時間の中で「日本語学習」と「適応教育」の緊要な諸課題を解決するのが精一杯であるのが正直なところだ。しかし、まず年少者への日本語教育をもっと「人間教育的」(縫部 1991)視点から捉えようとする姿勢を持つことや、性差別的な描写を排除する配慮は可能ではないだろうか。そのためにも、ジェンダー・フリーを目指している学校教育の取り組み(亀田・舘 2000)から学ぶことは大切だろう。
 
現在使用されている教材の多くが性差別的な描写を含んでいると考えられるが、我々日本語教師がジェンダー・エクィティをより意識化し、より多くの気づきを得、問題点を改善していくことが今後の課題だろう。
 

(注)「婦人の地位向上のためのナイロビ戦略の実施に関する第1回見直しと評価に伴う勧告及び結論」は1990年5月24日に国連連合経済社会理事会で採択されたものである。

参考文献

  • 遠藤織江(1991)女性日本語教師の課題」『The Language Teacher』VX:7,pp.7-10
  • 福富護(1997)「女らしさ・男らしさ」『女性学キーワード』岩男・加藤(編)有斐閣
  • 一二三晶朋子(1996)「年少者の語彙習得過程と言語使用状況に関する考察―在日ベトナム人子弟の場合」『日本語教育』90号 pp.13-24
  • 朴木桂緒留(1996)『「ジェンダー文化と学習」理論と方法』明治図書
  • 池上摩希子(1994)「『中国帰国生徒』に対する日本語教育の役割と課題―第言語教育としての日本語教育の視点からー」『日本語教育』83号 pp.16‐28
  • 井上健治・久保ゆかり(編)(1997)『子供の社会的発達』東京大学出版会
  • 石田孝子(1998)「子供向け日本語教材の分析―教科書に含まれる性別役割分業の描写からー」『JALT日本語教育論集』第3号、pp.29‐39
  • 伊東良徳他(1991)『教科書の中の男女差別』明石書店
  • 岩沢正子・高石久美子(1994)「『算数』の教科学習を助ける日本語テキスト試案」『日本語教育』83号 pp.73‐84
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    森田良行(1991)語彙現象をめぐる男女差」『国文学 解釈と鑑賞』第56巻 7号
  • 中西晃・佐藤郡衛(編著)『外国人児童・生徒教育への取り組み』教育出版
  • 中島和子他(1994)「年少者のための会話力テスト開発」『日本語教育』83号 pp.40‐58
  • 中内敏夫(1990)『教材と教具の理論―教育原理Ⅱ‐』あゆみ出版
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  • 縫部義憲(1991)『日本語教育学入門』創拓社
  • 縫部義憲(1995)「日本語指導学級の現状と課題―二言語教育の観点からー」『広島大学日本語教育学科紀要』第5号pp.1-10
  • 岡崎敏雄(1995)年少者言語教育研究の再構成-年少者日本語教育の視点から-」『日本語教育』86号 pp.1‐12
  • 佐々木瑞枝(2000)『女と男の日本語辞典 上巻』東京堂出版
  • 関口明子(1994)「日本定住児童の日本語教育-インドシナ難民児童の多用な言語背景と日本語習得―」『日本語教育』83号 pp.1‐15
  • 総理府(1994)『女性の現状と施策(平成6年度版)』大蔵省
  • 寺田裕子(1994)「義務教育課程における教科教育を目的とした日本語指導―中南米からの日系就労者子弟への社会科・数学指導の実践報告」『日本語教育』83号 pp.29‐39
  • 氏原洋子(1994)「中学校における男女平等と性差別の錯綜―二つの『隠れたカリキュラム』レベルからー」『教育社会学研究』第58集、pp.29‐45
  • 氏家洋子(1996)『言語文化学の視点―「言わない」社会と言葉の力―』おうふう
  • 臼杵美由紀(1998)「日本の昔話の背後に潜む二面性」『The Language Teacher』Vol.22,No.5, pp.32‐34
  • 渡辺友左(1991)「差別語と女性」『国文学 解釈と鑑賞』56巻 7号
  • 山本紀美子他(1996)『子供のための日本語教育』アルク
  • 矢崎満夫(1998)「外国人児童に対する教科学習支援のための日本語教育のあり方―算数文章題におけるストラテジー運用の考察から-」『日本語教育』99号 pp.84‐95

(渡部孝子 わたなべたかこ 群馬大学留学センター)

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