コンテンツへスキップ

学会誌13号-国際大会2013 in ウクライナ 研究発表要旨(江川)

ウクライナ語訳三島由紀夫『サド侯爵夫人』における女性語表現

江川裕之

要旨:三島は『サド公爵夫人』は女性を意識した戯曲作品であると自ら述べている。ウクライナ語訳では女性語表現が可能か、三島の女性を意識した作品は翻訳によって、どう訳出されたかを考察した。一般にウクライナ語では女性語表現は少ないと考えられがちだが、その可能性に関して問題提起を行なう。

キーワード:女性語表現、女装文体、女らしさ

1.はじめに

日本語は豊富なジェンダー表現を用い、言語活動の中で性差を区別してきたと言える。終助詞の特徴に代表される女性語は、さらに役割語としての小説やドラマの「女装文体」(斎藤2011)や「おねえ言葉」などにも派生している。「女らしさ」という肯定的な評価や「女のくせに」「女だてらに」否定的な評価も言語表現によってもたらされるところも多い。

佐々木(2000)は、日本語ジェンダー学会の設立趣旨で「ジェンダー(性差)に関連する日本語の表現をジェンダー表現と呼ぶとすれば、日本語のジェンダー表現は社会構造と密接に関係しており、社会的・文化的背景を含蓄している。」と述べている。

社会構造や文化的背景が異なる、あるいは類似する、外国語との対照研究は日本語ジェンダー研究にとって重要な課題である。例えば日本語文学作品のウクライナ語訳を研究することは日本語ジェンダー表現の特徴を知るためにも重要であると共に、ウクライナ語ジェンダー研究へも寄与することができるはずである。

2.先行研究

小原(2002)はロシア語と日本語の対照研究の中でジェンダー表現研究の観点からロシア語の「職業を現す名詞の性差」と「動詞過去形女性語尾-la」の例を紹介している。

ロシア語の職業を現す名詞の性差では、1)女性形と男性形で意味がほとんど等価であるもの、2)女性形と男性形で意味が異なるもの、3)女性形は「男性形職業人の妻」を意味するもの、4)女性形あるいは、男性形がないものという分類を示し、「職業を示す名詞は、一般的に男性形名詞が用いられる。職業によっては、女性形名詞がないもの、男性形名詞がないものもある。総じて、高度な職業では、男性形、女性形名詞の両方が有る場合には、男性形が使われることが多い。また、女性形名詞しかないものは、あまり権威の高くない職業に限られる。また、高級な職業を、女性形で表現する場合、皮肉の意味がこめられたりする。」とまとめている(小原2002)。

動詞過去形女性語尾-laの考察では、小原(2002)はチェーホフの『桜の園』『ワーニャ叔父さん』の和訳を比較し「女性発言の過去形動詞の日本語翻訳では、新しい翻訳ほど、女性に特徴的な終助詞の数が減少していることが見られる。」と重要な報告を行なっている。

さらに吉本ばなな『キッチン』のロシア語翻訳における、男性から女性への性転換者の発言を分析し、女性の発言として、多くが女性形の過去形に翻訳されている一方、男性形の過去形が用いられている場合もあることに注目している(小原2002)。これはロシア語ジェンダー研究にとっても興味ある現象であろう。

3.研究対象

日本語とウクライナ語との対照についても、同じ東スラブ諸語に属し近い関係にあるロシア語で小原の挙げた1)職業や地位を現す名詞の性差、2)動詞過去形女性語尾-laが同様にウクライナ語でも見られる女性語表現と言える。さらにその他女性語と言えるものには3)Vona rozumna.注1)「彼女は頭が良い」のような形容詞女性形、4)Ya sama!「私が自分で(する)」など自身を表す定代名詞など文法で規定されたもの、あるいは状況や個人差はあるであろうが5)Pani Oksano!「オクサーナさん!」など女性を表す尊称Paniの使用や6)Harna Kvitochka! Nalii ii vodychky.「きれいなお花。お水をかけて」など指小形の多用など文体的な用法も考えられる。

3-1 三島の本作品に対する姿勢

三島は『サド侯爵夫人』を「女性によるサド論」であり、「サド夫人は貞淑を、夫人の母親モントルイユ夫人は法・社会・道徳を、シミアーヌ夫人は神を、サン・フォン夫人は肉欲を、サド夫人の妹アンヌは女の無邪気さと不節操を、召使シャルロットは民衆を代表して、これらが惑星の運行のように、交錯しつつ廻転していかねばならぬ。」(三島1979:208)と解説している。

また「もっとも下劣、もっとも卑ワイ、もっとも残酷、もっとも不道徳、もっとも汚らしいことをもっとも優雅なことばで語らせること。そういう私のプランのなかには、もちろんことばの抽象性と、ことばの浄化力に関する自信があった。」(三島1979:214)と述べ、自身の執筆能力を誇ると同時に、日本語の女性語表現の可能性を示唆している。

つまり本作品は18世紀のフランスの貴婦人たちの会話を、男優を使わず新劇の女優が日本語の上流階級の女性語を駆使することによって、恣意的に作り上げられた虚構の場とも言える。演劇の中の誇張された世界であり、女装文体の究極の形と言えるだろう。

そして三島は『わが友ヒットラー』は男性を、『サド侯爵夫人』は女性を意識した一対の戯曲作品であると自ら述べている。しかし同時に「女らしさの極致ともいうべき『サド侯爵夫人』の奥に、劇的理論の男性的厳格さが隠されており」と書いているように単なる「女らしさ」を追求したものではなく重厚な層をもつ性差の問題を提起している。

以上のように本作品は日本語ジェンダーの研究素材として注目されるべきものであり、本研究で取り上げた翻訳の対照研究だけにとどまらず、より多角的にも研究されるべきものでもある。

3-2 ウクライナ語訳

『サド侯爵夫人』は、ウクライナ語には2001年外国文学専門誌Vse Svitにドゥビンスキーが (Місіма2001)、2006年にダンチェンコが(Місіма2006)、それぞれ訳し出版されている。それぞれの翻訳においてウクライナ語では、どのような女性語表現が可能か、三島の女性を意識した作品は翻訳によって、どうなったかを考察した。

4.ウクライナ語訳における女性語表現

4-1 身分を表す名詞

題名の『サド侯爵夫人』をドゥビンスキーはМаркіза де Сад (Markiza de Sad)とし、侯爵markizの女性形markizaを採用しているが、ダンチェンコはЖінка маркіза де Сад (Zhinka markiza de Sad)とし、侯爵の妻zhinka markizaを題名に採用している。ウクライナ語では通常ドゥビンスキーが採用した公爵夫人markizaを使うことが一般的であるが、ダンチェンコはあえて妻zhinkaを使っている。このzhinkaには妻のほか女という意味があり、むしろこの意味合いのほうが正式であると言える。また妻を表す語には他にdruzhynaがあるが、この語には中世の諸侯に仕える騎士団という意味もあり、混乱を避けるためにzhinkaにした可能性もある。ダンチェンコはあえてzhinkaという語を使うことで「侯爵」という爵位を越えたサドというスキャンダラスな男の「妻」さらには「女」の物語であるということを読者に暗に提示している。

4-2 指小形による女性語表現

ウクライナ語にはロシア語同様に指小形とよばれる「小ささ」「かわいらしさ」「やわらかさ」を表現する用法がある。子どもに対して話しかけるときなど男性でも使用は可能ではあるが、一般に女性的な表現と言える。関西方言で「お日さん」「お豆さん」「あめちゃん」などと言うのと共通する用法といえるかもしれない。

サン・フォン(、、、)逆さに眺めた遠眼鏡は、家のまわりのきれいな芝生や花を、なおのこと小さく見せるだけ。(、、、)いずれ大きくなったら、芝をひろげ、花をふやし、、、」(三島1979:24)
гарненький моріжок на галявці біля дому, любі квіточки (harnenkyi morizhok nahaliavtsi
bilia domu, liubi kvitochky)
(Місіма2006:9);

зеленою травичкою і крихітними квіточками (zelenoiu travychkoiu
I krykhitnymy kvitochkamy)
(Місіма2006: 204) 注2)

三島の原版では「きれいな芝生」や「花」を特に女性語として扱っていないが、ウクライナの翻訳者たちは指小形を使ってサン・フォン伯爵夫人が少女時代を語る口調を女らしく表現している。

4-3 懇願の表現

サド公爵夫人ルネのことと世間体を気にした母のモントルイユ夫人の意向を酌んで、知人のシミアーヌ男爵夫人は、枢機卿にサド侯爵の釈放を願い出ることを約束する。

シミアーヌ どうぞお気をたしかに。お心強くあそばして。あなたが信心深い私にお望みのことはわかっておりますわ。折りよくパリに御逗留中のフィリップ枢機卿を,明日にでも早速お訪ねして、法王庁へ御赦免の沙汰をお願い出るよういたせばよろしいのね。」(三島1979:26)

утіштеся (utichtesia) (Місіма2006: 9); Не втрачайте надію
(Ne vtrachaite nadiiu) (Місіма2006: 206)

здогадуюся (zdohaduiusia) (Місіма2006: 9); Я
розумію (Ya rozumiiu) (Місіма2006: 206)

この場面では、「お心強くあそばして」の動詞「-あそばす」や「わかっておりますわ」「よろしいのね」の終助詞の「-わ」「-のね」はウクライナ語の女性語表現には反映されていない。

「御赦免の沙汰をお願い出るよういたせばよろしいのね」という台詞は、シミアーヌ男爵夫人は、自分自身や近親者のことではなく知人の頼みごとを伝える立場であるので、通常ではprosiaty「頼む」と訳しても十分であろう。しかしウクライナ語訳ではpomyluvaty, blahatyなど「懇願する、すがる、請う」といった意味合いの語彙を使って訳している。

передати…прохання
помилувати маркіза (peredaty…
prokhannia pomyluvaty markiza) (Місіма2001: 9); благатиму його звернутися (blahatymu ioho zvernutysia) (Місіма2006: 206)

また日本語原版の「お裾に縋っても、お願いしたいと存じておりました」(三島1979:27)も女装文体としての女らしさを強く表現した台詞であるが、ドゥビンスキーはУклінно благаю про допомогу (Uklinno blahaiu pro dopdmohu) (Місіма2001: 10)としuklinno「ひざまづいて」を加えblahaiu「懇願します」をさらに補強し、ダンチェンコはЯ ладна була впасти до ваших ніг, благаючи милості (Ya ladna bula vpascty do vashykh nih, blahaiuchy myloschi) (Місіма2006: 206)とし、vpascty do vashykh nih,「足元にひれ伏し」myloschi「慈悲」を加えblahaiuchy「懇願します」を強めている。

現在社会では必ずしも女性だから弱い立場を受け入れるという表現は妥当ではないかもしれないが、以上の例のように1965年当時の日本人男性である三島が女装文体によって書き上げた18世紀の女性像を、ウクライナの翻訳者たちは適切なウクライナ語の語句を選ぶことによって表現している。

4-4 比喩表現

男性と女性では物事をたとえる場合に同じようにたとえるとはかぎらない。事物からの連想は個人にもよって違うが性差もあるはずであり、女らしさをことさらに強調した女装文体ではそれも顕著なはずである。三島は、ばらばらになった記憶の比喩として「紅玉の頸飾り」という女性の装身具を使って表現している。

ルネ 今まで記憶のなかにばらばらに散らばっていたものが、たちまちみごとにつながって、一連の頸飾りのようになりました。紅玉の頸飾り。血のように真赤な宝石の。(、、、)記憶のあちこちに落ちちらばっていた紅玉の一粒一粒が、今俄かに一連の頸飾りになったのなら(、、、)記憶もとどかないふるい昔に、私の頸飾りの糸が切れ、そのとき落ちちらばった紅玉を(、、、)」(三島1979:36)

ウクライナ語訳では、ドゥビンスキーはНа коштовне намисто.Намисто з рубінів.(…) Якщо розсіяні в пам’ятірубіни раптово зібралися в намисто(Na koshtovne namysto.Namysto zrubiniv. (…)Yakshcho rozsiiani v pamiati rubiniraptovo zibralysia v namysto) (Місіма2001: 12)として、Nakoshtovne namysto「高価なネックレス」Namysto z rubiniv「ルビーの頸飾り」を使ってフランス貴族の豪奢な女性像を表現している。一方、ダンチェンコは як коралі в намисті. Унамисті з коралями, червоними, наче кров… (…) розсипані пурпурні намистинки …(iak korali v
namysti. U namysti z koraliami
, chervonymy, nache krov … (…) rozsypani purpurni namystynky … ) (Місіма2006: 213, 214)として、ウクライナ女性の民族衣装で使われるkorali v namysti「珊瑚の頸飾り」を使うことで、読者であるウクライナ人が持っている女性像と重ね合わせる技巧を取っている。また「赤い」という一般的なchervonyiという語彙だけではなく深紅色、濃紅色purpurnyiという語を使うことで単調さを避けると同時に、詩的を深みを出している。

5.まとめ

身分を表す名詞表現では、翻訳の過程で許される範囲で、爵位を表した題名を妻あるいは女であることを強調させたと思われる題名とし、作品の捉え方と関わって興味深い訳出がなされている。また指小形や懇願の表現など翻訳者のウクライナ語における女性らしさを引き出す工夫がされていることがわかった。比喩ではオリジナル作品にほぼ忠実に訳出し女らしさを表現しながらも、ウクライナ人読者に向けた女性像を表現している。

また本研究では特に取り上げなかったが、動詞過去形女性語尾形容詞女性形、定代名詞など文法規範で規定されるようなものに関しては計量的な分析を行なうなど、これからの研究がのぞまれる。さらに文体的な女性語表現では、本研究で見られた例以外にも文中での繰返し表現、未完了文などのあいまい表現など、女性表現の可能性がウクライナ語訳文でも現れる可能性があるだろう。

翻訳作品のさらなる分析によって日本語と外国語のジェンダー表現の用例を採取、整理分類することは外国語の女性語表現を研究することのみならず、今後の日本語や一般言語学のジェンダー研究に応用することが可能である。

1)  通常ウクライナ語はキリル文字を使うが、本稿では引用部分はキリル文字原文と括弧内に江川によるラテン文字転写表記を行なった。説明部分はラテン文字転写のみ、参考文献は検索の利便性を考慮しキリル文字表記のみとした。(本文に戻る)

2)  論点部分を示すため下線を加筆した。(本文に戻る)

参考文献

  • 小原信利(2002)ロシア語と日本語を対照して見るジェンダー観-職業を示す名詞の女性形、男性形と、動詞の「女性形」過去形を中心に-『日本語とジェンダー』第3号https://www.gender.jp/journal/no3/No3_3.html
  • 斎藤理香(2011)「女装文体」と近代前期の女性作家:樋口一葉の場合『日本語とジェンダー』第12号https://www.gender.jp/journal/no12/05-01-saito.html
  • 佐々木瑞枝(2000)日本語ジェンダー学会設立趣旨-学際的探究と新しい学会運営システムを目指して-,https://www.gender.jp/
  • 三島由紀夫 (1979)『サド侯爵夫人・わが友ヒットラー』新潮社
  • Місіма Ю. Жінка маркіза де Сад/ Mісіма Юкіо [пер. з япон. І.В. Данченко]. —Харків:Фоліо, 2006. ­—С.
    187—286.
  • Місіма Ю. Маркіза де Сад/Mісіма Юкіо [пер. з япон. Ігор Дубінський]//Все світ. —2001. ­—№1-2 (865-866). —С. 4—34
(江川裕之 えがわひろゆき タラス・シェフチェンコ記念キエフ国立大学言語学院助教)

 


目次に戻る

 

Copyright © 2001 The Society for Gender Studies in Japanese
All Rights Reserved.