コンテンツへスキップ

学会誌12号-研究論文1(佐藤・Onyshchenko)

軍記物語に見る女性観の変容 ―「女の身」をめぐって―
 
佐藤 勢紀子・Onyshchenko, Vyacheslav

 
要旨:『平治物語』、『平家物語』の諸本を主対象として、「女の身」という言葉を含む表現がどのような文脈で用いられているか検討した。その結果、『源氏物語』に代表される前代の作り物語と軍記物語、また軍記物語の諸本の中でも初期のものと後期のものとでは、女性の自己認識を含め女性観のあり方に変化が認められた。身分の高低を相対化して女性一般を「心憂きもの」「悲しきもの」とする見方が定着していく一方で、「女の身なれども」という言い方で明確な意思表示をする女性が描かれるようになっている。ただし、そこで表明されるのは自殺の意思であり、とりわけ川や海に「身」を投げる投身自殺を敢行した女性には「貞女」などの儒教的賛辞が与えられるというパターンが認められた。

キーワード: 軍記物語、作り物語、「女の身」、投身自殺、貞女

1.はじめに

軍記というジャンルの作品群は、戦乱の記述が中心であって、そこに登場するのはほとんど男性であるという印象が強い。しかし、漢文で書かれた初期の軍記はともかく、鎌倉時代以降に成立した漢字仮名混じりの軍記物語、とりわけ『平治物語』および『平家物語』においては、女性が登場する場面が少なからずあり、女性登場人物の言動や心理が細やかに描出されている部分もある注1。それらの軍記物語においては、どのような女性観が見られるだろうか。

軍記物語が形式・内容ともに先行する作り物語の影響を受けていることは言うまでもない。作り物語の女性観に関して、藤田(1980)、佐藤(1995, 2006)は『源氏物語』の登場人物の自己認識を検討し、女性は男性に比べて、宿世意識を背景とした「身」への関心が強いことを明らかにしている。その究極の形が『源氏物語』の女性登場人物に顕著に見られる「憂き身」意識であり、この「憂き身」意識に代表される「身」意識は、『源氏物語』に限らず、『狭衣物語』、『夜の寝覚』など、現存する平安後期の作り物語においても顕著に認められるものである(佐藤1995)。

軍記物語に見られる女性観にも、『源氏物語』をはじめとする作り物語のそれの影響が少なからずあるに違いない。しかし、作者層の違い、描かれている事柄の性格の違い、思想的状況の時代による変化などから、作り物語とは異なる部分もあると考えられる。

また、軍記物語では、同じ物語について見ても、その原初的な形態を伝える古態本と時代が下ってから成立した流布本では、記述内容や表現に大きな違いが見られるのが普通である。同じ軍記物語の複数の伝本をとりあげることで、時代による女性観の変化の様態を捉えることができるのではないか注2

そこで、本稿では、『平治物語』については、13世紀前半の成立で古態本を代表するものとされている陽明本と学習院本の取り合わせ本(以下「古態本」)、その後に成立したとされる金刀比羅宮本(以下「金刀本」)、さらに時代が下って室町時代に成立し流布したとみられる宮内庁書陵部蔵古活字本(以下「流布本」)の三つの伝本を考察の対象とする注3また、『平家物語』については、広本として、延慶年間(14世紀初め)に書写された古態本とされる延慶本『平家物語』(以下「延慶本」)と南北朝期に成立した『源平盛衰記』をとりあげ、加えて、略本として、延慶本より後に成立し、広く流布した覚一本『平家物語』(以下「覚一本」)も参照することとする注4

以下、第2節では、軍記物語における女性登場人物の「身」意識に着目し、作り物語におけるそれとの違いを検討する。第3節では、『平治物語』と『平家物語』に共通して見られる女性登場人物の「女の身」についての慨嘆の表現をとりあげ、身分意識の観点からその性格について論じる。第4節では、「女の身なれども」といった逆接表現がどのような文脈で用いられるかを検討し、その時代による変化を明らかにする。続く第5節では、「女の身なれども」などの表現によって導かれる自殺願望の表明と自死、特に入水自殺という行為に着目し、その軍記物語における位置づけについて考察したい。

2.自己認識の変化―「身」から「女の身」へ―

前述のように、『源氏物語』の女性登場人物をめぐっては、その自己認識として、あるいは語り手や他の人物からの評として、夥しい数の「身」への言及が見られる。そのうち「憂き身」、「身の憂さ」、「身…憂し」などのいわば「憂き身」表現のみをとりあげても、92例に上っている(佐藤1995)。

『平治物語』および『平家物語』では、『源氏物語』に比べれば、登場する女性の数も女性の登場場面もはるかに少ない。描写の仕方を見ても、客観的に人物の言動を記すにとどまることが多く、その心理にまで立ち入った描き方をすることはさほど多くはない。したがって、両作品を見ても明確な形で女性の自己認識を示している例は少ないのだが、作り物語との違いとして注目されるのは、「女の身」あるいは「わが身は女」という形での自己の捉え方が目立つことである。たとえば、次の如くである。

高きもいやしきも女の身ほど口惜かりけることはなし。(金刀本『平治物語』239)

わらは十四になれども、女の身とてのこしをかれ、我身の恥を見るのみならず、父の骸をけがさん事こそかなしけれ。(流布本『平治物語』434)

是ニ付テモ女ノ身コソ今更ニ口惜ケレ。(延慶本『平家物語
』上276)
わが身は女なりとも、かたきの手にはかゝるまじ。(覚一本『平家物語』下294)

女ノ身程無甲斐事ハアラシ(『源平盛衰記』2-147)注5

『源氏物語』にも「女の身」という表現はあるが、自己認識の表現としてではなく、男性から女性を見た表現として用いられるのが常である。たとえば、六条御息所の死霊が紫の上に取り憑くという出来事の後、光源氏は「言ひもてゆけば、女の身はみな同じ罪深きもとゐぞかし」(若菜下4-241)注6  と女性一般への嫌悪感を抱いている。これは男性としての源氏の目から見た女性観である。また、柏木に先立たれた女二宮と夕霧の関係を疑った小野の律師が「女人のあしき身を受け、長夜の闇にまどふは、ただかやうの罪によりなむ、さるいみじき報いをも受くるものなる」(夕霧4-417)と発言している。これも男性僧侶の立場から仏教の女人罪障観をふまえて二人の関係を非難しているものである。他にも、女三宮の婿選びに悩む朱雀院(若菜上)、浮舟の出家願望に懸念を示し、尼となった浮舟の行く末を案じる横川僧都(手習、夢浮橋)の発言に、「女の(御)身」という表現が見られるが、いずれも男性登場人物による発言である。

『源氏物語』においては、女性が自分自身を意識する場合は、単にその「身」を意識するのであって、「女の身」というような一般化した捉え方はしない。『源氏物語』の女性登場人物にとっての関心事はあくまで我が「身」のありさま、我が「身」の宿世であって、それを「女の身」のありようとして一括りに捉えるのは、例外なく男性登場人物である。

ただし、「女の身」という表現は用いられていないものの、女性登場人物が女性一般について思いをめぐらしている例として、源氏が上述の女二宮の噂を口にした際の、紫の上の心中描写がある。

女ばかり、身をもてなすさまもところせう、あはれなるべきものはなし。もののあはれ、をりをかしきことをも見知らぬさまにひき入り沈みなどすれば、何につけてか、世に経るはえばえしさも、常なき世のつれづれをも慰むべきぞは、おほかたものの心を知らず、言ふかひなき者にならひたらむも、おほしたてけむ親も、いと口惜しかるべきものにはあらずや、心にのみ籠めて、無言太子とか、小法師ばらの悲しき事にする昔のたとひのやうに、あしき事よき事を思ひ知りながら埋もれなむも言ふかひなし、わが心ながらも、よきほどにはいかでたもつべきぞ(夕霧4-456)

この物語としては珍しく、女性の立場から、女性一般の身の処し方の難しさが嘆かれている。しかし、ここでは、「女」がテーマとしてとりあげられ、「身」という語が用いられているものの、「女の身」という表現で自己認識を示しているのではなく、自分自身についてはむしろ「身」を制御すべき「わが心」が意識されている。

以上見てきたように、女性登場人物の自己認識の仕方には、『源氏物語』と軍記物語で大きく異なる点が見られる。前者では頻りに「身」は意識されても「女の身」という捉え方は見られないのに対し、後者では自分自身を「女の身」として捉えるケースが目立つ。

このような変化が生じたのはなぜだろうか。時代の推移につれて、知力があり客観的思考にたけた女性が増えてきたという見方もできないことはないが、一つの要因として、軍記物語の作り手が、『源氏物語』をはじめとする多くの作り物語と違って、男性であったということが考えられる。女性登場人物の自己認識の描き方にも、男性作者の視点から見た、女性を一般化した観念的な捉え方がおのずと反映されているのではないか。とすれば、軍記物語に描かれた女性登場人物の自己認識の仕方は、必ずしも当時の実在の女性たちのそれを反映していない可能性がある。しかし、一方で、このような軍記物語のテクストが広く流布するにつれて、それらを享受した女性たちの意識のありようが変わっていった可能性もあると考えられる。

3.身分の相対化―「高きもいやしきも」―

前節で見たように、『源氏物語』において、紫の上は、女性としては珍しく、女性一般のあり方について思いをめぐらす人物として描かれていた。その思いは「女ばかり身をもてなすさまもところせう、あはれなるべきものはなし」という一文に集約されるものと見てよいだろう。興味深いことに、ここで用いられている文型「……ばかり……はなし」は、軍記物語の女性登場人物の女性観を示す叙述にも受け継がれている。ただし、そこでは、単なる「女」ではなく「女の身」という表現が用いられるのが常である。

『平治物語』では、この形式を持つ女性観の表明は、古態本には見当たらないが、金刀本に見えている。戦に敗れた源義朝の娘、「江口腹の御女」(金刀本254)の発言である。

敵にさがし出され、義朝の女よなど引しろはれ、恥をみんこそこゝろうけれ。〔あはれ〕注7  高きもいやしきも女の身ほど口惜かりけることはなし。兵衛佐殿は十三になれども、男なれば、軍して父の御供して落るぞかし。わらはゝ十四になれ共、女の身なればおもふにかひなし。あはれ我を害して、父御前の見参に入れよかし。(金刀本239)

ここでは、男兄弟と違って父と行動を共にすることもできず、敗将の娘として恥を見るであろうことへの嘆きが、「女の身」ほど「口惜」しいことはないという言い方で表明されている。後代の流布本でも、同じ人物の発言として次の叙述が見られる。

我らも只今敵にさがし出され、是こそ義朝のむすめよなどさたせられ、恥を見んこそ心うけれ。あはれ、たかきもいやしきも、女の身ほどかなしかりける事はなし。兵衛佐殿は十三になれども、男なればいくさに出て、御供申給ぞかし。わらは十四になれども、女の身とてのこしをかれ、我身の恥を見るのみならず、父の骸をけがさん事こそかなしけれ。兵衛、まづ我をころして、頭殿の見参にいれよ。(流布本434)

金刀本の「口惜し」が「かなし」になっている違いはあるが、同じ文型で「女の身」の

嘆かわしさが強調されている。

一方、『平家物語』を見ると、既に延慶本に、この文型を用いた「女の身」への嘆きを見出すことができる。

哀、女ノ身程心ウカリケル物ハアラジ。父ノ恋シサハ例ヘム方ハナケレドモ、男子ノ身ナラネバ、カナワヌ事コソ口惜ケレ。(延慶本上276)

謀叛の罪に問われ鬼界島に流された俊寛僧都を、もと従者の有王が尋ねる段である。都にあって父僧都を恋い慕う十二歳の姫君が、鬼界島に向けて出立する有王に対して、「女の身」の憂さを嘆くという設定である。姫君はここで、有王と違って父を尋ねて行くことのかなわない「女の身」を嘆いている。同様の嘆きは、有王が帰京し、姫君に僧都の死去を告げた折にも繰り返される。

是ニ付テモ女ノ身コソ今更ニ口惜ケレ。ヲノコヾノ身ナリセバ、ナドカ鬼海高麗トカヤニオワストモ、尋マヒラザルベキ。(延慶本上277)

次に、『源平盛衰記』を見ると、「哀女ノ身程無甲斐事ハアラシ。我身モ父ノ恋シサハ己ニヤ劣ルベキ。可類方ナシ可思立道ナラネバカナシ」(2-147)とある。「心憂し」が「無甲斐」という表現に置き換えられているが、同じ趣旨の文言である。

さらに、覚一本を見ると、同じ場面に次の叙述がある。

あはれ高きもいやしきも、女の身ばかり心憂かりける物はなし。おのこの身にてさぶらはば、わたらせ給ふ島へも、などか参らでさぶらふべき。(覚一本上165)

こちらは、鬼界島を訪れ俊寛僧都を尋ねあてた有王が、姫君からの文として差し出した手紙の中にこのように書いてあるという設定である。やはり、女であるが故に父を尋ねてゆくことのできない辛さが語られている。

本研究で考察の対象とした『平家物語』諸本の範囲では、同じ形式の文言をもう一つ見出すことができる。延慶本の「横笛」の段である。斎藤時頼という滝口の武士が、雑仕横笛との恋を親に咎められ、若くして出家する。横笛は時頼が出家したことを人づてに聞き、思いあまって時頼入道の籠る嵯峨の庵室を訪れるが、入道は会おうとしない。そこで横笛は次のように言う。

是マデ奉尋タル無甲斐、ウタテクモ閉籠給ヘル御心ヅヨサカナ。人ハゲニサモ無リケル物故ニ、吾身一ニカキクレテ思心ハ、何カ計女ノ身程ニ心憂物ハナシ。今生ノ対面セムモ今計、責テハ御音計ヲモ聞カセサセ給ヘ(延慶本下330)

この嘆願も空しく「今世ノ対面不可有」と面会を拒否された横笛は、出家し、やがて川に身を投げて死ぬという話になっている注8

以上、「女の身ほど/女の身ばかり……はなし」という形式で「女の身」のネガティブな面を強調する発言が、『平治物語』および『平家物語』の女性登場人物に見られることを指摘した。これらの女性観と、『源氏物語』に代表される前代の作り物語で示されていた女性観との相違点として、次の三点を挙げておきたい。

第一は、先にも触れたが、これらが、発言者自身の置かれた状況への嘆きに発するものでありながら、「女の身」についての一般論として表明されていることである。『源氏物語』では、女性登場人物が「女の身」に言及する例は皆無であったことを想起しておきたい。

第二は、軍記物語における「女の身」への嘆きに見られる「憂き身」意識と、作り物語に見られるそれとの違いである。上に見た「女の身」についての一般論の中には、「女の身」を「心憂」きものとする例が見られたが、それは、たとえば『源氏物語』や平安後期の作り物語の登場人物に顕著に見られる「憂き身」意識と同じかと言えば、単純にそうは言えない部分がある。すなわち、作り物語における「憂き身」意識は、宿世意識と非常に緊密な関連性を持っていることが、表現面からも内容面からも明らかであるが(佐藤1995)、軍記物語のそれには、宿世意識との繋がりを見出すことは困難である。俊寛僧都の娘が「女の身」を嘆いたのは、女性ゆえに行動が制限されて父のもとに行けないことであったし、横笛が嘆かわしく思ったのも、恋愛において受け身の立場にあらざるをえない「女の身」であった。それらの嘆きは、仏教的な宿世意識の直接的な反映であるよりは、女性の行動面における当時の社会的な制約に起因するものであると考えられる。

第三の相違点は、古態本を除く軍記物語の女性観において、「高きもいやしきも」という表現が見られることである。このような表現は少なくとも平安時代に成立した作り物語における女性登場人物の自己認識には認められないものであり注9、このことは軍記物語における女性観と作り物語のそれの一つの大きな違いであると見ることができる。「あはれ高きもいやしきも」と高唱することによって、身分の高低は相対化され、男女の違いに焦点が絞られ、その結果、「女の身」の特性がより一層際立つことになる 注10。このように、軍記物語――とりわけ時代が下ってから成立した諸本――において、身分の違いをあえて度外視して女という属性を持つ者の共通性、連帯性を主張する見方が出てきていることは、この時代におけるジェンダー意識の変化を考える上で看過しえない事柄であると考えられる。

4.意思の表明―「女の身なれども」―

前節では、「女の身ばかり/女の身ほど……はなし」という形式によって表された軍記物語の女性観を、従来の作り物語の女性観と比較し、その違いを論じた。次に、これも軍記物語に顕著に見られる、「女の身」という言葉が逆接の形で用いられた表現――「女の身なれども/女の身なりとも」という表現に着目したい。

「女の身ばかり」などの表現を含む文言は、女性のネガティブな属性を鮮明に打ち出し強調するはたらきを持っていたが、「女の身なれども」といった逆接の前置き表現は、後続の叙述と一体になって、女性というものが当時の社会的通念としてどのように捉えられていたかを間接的に示すはたらきがある。

こうした逆接表現が、どのような文脈で用いられるかと言えば、大きく二通りに分けられる。一つは、これらの表現が、ある女性の置かれた特異な状況や稀有な属性の説明を導いている場合である。

たとえば、『平治物語』上巻に描かれた、朝敵として獄門にかけられた信西の妻、紀の二位の嘆きを見よう。本稿で扱っている三つの伝本のすべてにその記事がある。

我も女の身なれども、何なる目にかあは(ん)ずらん」と伏ししづみてぞ泣きゐたる。(古態本165)
我身女なり共、信頼の方へ取出して失はむといふなれば、終にはのがれがたしとぞ歎かれける(金刀本201)
我身は女なれ共、信頼のかたへとりいだしてうしなはんと云なれば、つゐにはのがれがたしとぞなげかれける。(流布本411)

「我も女の身なれども」、「我身女なり共」、「我身は女なれ共」、と、少しずつ違った言い方になっているが、いずれも、敗者の一族であっても女性が殺されることはないという当時の慣習をふまえつつ、それに反する敵方の意向を想定して、あるいは伝え聞いて嘆く紀の二位の描写である。

同様に、『平家物語』の諸本において、木曾義仲に付き従って戦った女武者巴について、「女ナレドモ、究竟ノ甲者、強弓精兵、矢ツギ早ノ手キヽナリ」(延慶本下214)、「女ナレ共無双ノ剛者」(『源平盛衰記』5-225)とあるのも、女性は弱いものという常識を覆す巴の驚くべき強さを評していると言える。これらの例では、女性登場人物について、そのただならぬ状況や尋常でない特性が説明されていると見ることができる。

一方、同じような逆接表現が、単なる状況や特性の説明でなく、女性登場人物自身の意思表明に用いられている場合もある。『平治物語』では、この用法は、古態本には見えないが、金刀本の次の例に見えている。

我も義朝の子也。女子なりとも、たすけをきては悪かるべし。ぐして行て、右兵衛佐殿と一所にてうしなふべし」との給て、ふしまろびなきければ、つはものどもあはれにぞおぼえける。(金刀本272)

義朝の遺児夜叉御前が敵方の兵に自分を殺してくれるよう訴える場面である。年少者の話であるためか、「女の身」ではなく「女子」という言葉が使われているが、同様の例と見て挙げておく。夜叉御前は先の信西の北の方が処刑を恐れていたのとは対照的に、自ら処刑を望んでいる。流布本になると、同じ場面が次のように描かれる。

我も義朝の子なれば、女子なりとも、つゐにはよも助けられじ。ひとりひとりうしなはれんよりは、佐殿とおなじ道にこそせめてならめ」とて、ふししづみ給けるを、………(流布本451)

ここでは処刑を自分から望むというよりは予想している点で上の叙述とは異なっているが、その後に「佐殿とおなじ道に」という意思表示がなされている。そして、彼女が杭瀬川に「身をなげて」亡くなったことについて、「物の夫の子はなどかおさなき女子もたけかるらんとて、哀れをもよほさぬ者もなかりけり」という評言が添えられている。

流布本『平治物語』では、このほかにも、義朝を殺した相伝の家人長田忠宗の娘、鎌田兵衛の妻が同様の発言をし、義朝とともに討たれた夫の後を追って自刃している。

鎌田が妻女これをきゝ、うたれし所に尋ゆき、むなしき死骸にいだき付、「われは女の身なれ共、全二心はなき物を、いかにうらめしく思ひ給ふらん。親子の中と申せども、我もさこそ思ひ侍れ。あかぬ中にはけふすでにわかれぬ。情なき親にそふならば、又もうきめや見んずらん。おなじ道にぐし給へ。」とて、……(流布本444)

この鎌田の妻の発言において、「女の身なれ共」は形の上からは直後の「全二心はなき物を」にかかっているようであるが、そのようにとると、女性が一般に主を弑するような裏切りの心を持っているということになってしまい、意味が通じない。この「女の身なれ共」は発言の最後の部分「おなじ道にぐし給へ」にかかり、先の例と同様に自殺願望の表明につながると見た方がよいと考えられる。

『平家物語』でも、覚一本を見ると、壇ノ浦で二位の尼が安徳天皇を抱いて入水する場面に、次のようにある。

二位殿は、このありさまを御らんじて、……「わが身は女なりとも、かたきの手にはかゝるまじ。君の御ともに参る也。……」とて、ふなばたへあゆみ出でられけり。(覚一本下294)

これは極めて明確な自死への意思表明である。ただし、今回考察の対象とした読み本系の広本『平家物語』――延慶本および『源平盛衰記』においては、海中に沈もうとする二位の尼の発言に、この台詞は見られない。

以上、『平治物語』と『平家物語』における「女の身なれども」に類する表現をとりあげて、その使われ方について見てきた。興味深いのは、この逆接表現が、単に常識に反する女性のあり方を説明するのに使われているのみならず、女性はかくあるべきであるという社会的通念に反して行動しようとする女性の意思表明に用いられていることである。しかも、後者の用法は、『平治物語』でも『平家物語』でも、古態本には見えず、比較的成立の新しい伝本に認められることに留意しておきたい。

5.自死の顕彰―「身」を投げる「貞女」―

古態本を除く『平治物語』および『平家物語』において、「女の身なれども」などの逆接表現が女性の意思表示につながっている例を見てきた。ここで検討を要するのは、その表明された意思が具体的にどのようなものであったかということである。『源氏物語』夕霧巻では、紫の上の思いとして、容易に心のうちを表すことの許されない女性の立場が嘆かれていたが、軍記物語においては、自らの思いを自由に表現し行動に移せる女性が描かれるようになったのだろうか。

作り物語に出てくる多くの女性登場人物と違って、軍記物語において、女性がその思いを口に出して明確な意思表示をする存在として描かれるようになっていることは確かである。しかし、「女の身なれども」などの表現が導く意思表示のコンテクストは極度に固定化されていて、ある単一のパターンを示している。具体的に言えば、前節で見たように、「女の身なれども」「女の身なりとも」といった前置き表現は、それが意思表示につながる場合、常にその女性の自死への願望ないし決意の表明を伴っていた。義朝の遺児夜叉御前は兄弟とともに処刑されることを願い、鎌田の妻女は義朝とともに討たれた夫の後を追うことを望み、二位の尼は敵の手にかからずに自ら命を絶つことを宣言している。そして、夜叉御前は川に身を投げ、鎌田の妻は自刃し、二位の尼は海中に身を投じて、その言葉どおりに自殺を遂行する。

「女の身なれども」などの表現によって導かれる意思表示と行動は、『平治物語』と『平家物語』に見る限り、決まって自殺願望と自死なのである。ここで「女の身」とは、戦に敗れても死を強いられず生かされ、恥を見る存在としての「女の身」である。あるいは、敵の手にかかることはあっても自ら死を選ぶことはできないはずの「女の身」である。「女の身なれども」などの表現はそうした限られた文脈においてしか使われていない。あえて言い換えれば、女性が「女の身」に反発することを許されるのは、死を望み自ら死に至る階梯においてのみであったと言えるのではないか。「女の身なれども」などの表現は、決して女性の自由な意思表明を保証するものではなく、敗北から自死へという限定された局面においてのみ機能する意思表示の前置き表現であったと見ることができる。

さらに言えば、軍記物語においては、この「女の身なれども」などの表現の有無を問わず、女性の自殺願望および自死が克明に描写されるケースが少なくない。11世紀後期に成立した『陸奥話記』では、安倍則任の妻が、敗北を知るや「君將没。妾不得獨生。請、君前先死。」と語り、3歳の子を抱いて自ら深淵に投じて死んだとあり、「可謂一烈女矣」との評が加えられている注11

『保元物語』では女性が登場する場面は非常に少ないが、幼い4人の子を斬殺された為義の北の方の悲嘆と川への身投げの場面は例外的に詳細に描かれている。古態本とされる半井本では、この北の方が「昔モ今モ類少キ女房也」と評せられ、物語の最終段も、「保元ノ乱ニコソ、……思ニ身ヲ投ル女性モアレ、是コソ日本ノ不思議也シ事共ナリ」と結ばれている注12。さらに、金刀本『保元物語』では、同じ場面の最後に、

賢臣二君に仕ず、貞女両夫にまみえずと云文有。哀に優しかりけりと、上一人より下万人に至まで、袖をしほらぬはなかりけり。注13

とあり、為義の北の方が「貞女」として儒教的な見地から賞讃されている。

『平治物語』では、夜叉御前、鎌田の妻女のほか、義朝の江口腹の娘も自ら死を望んで斬られている。川に身投げをした夜叉御前は「物の夫の子はなどかおさなき女子もたけかるらん」との讃嘆の辞を寄せられていた(流布本)。

『平家物語』においても、二位の尼の入水のほか、先に見た雑仕横笛の身投げの話があり、また、平通盛の思い人であって、身重の身を海中に投じた小宰相の悲話がある。とりわけこの小宰相の記事は入水に至るまでの状況描写、心理描写が長文にわたってなされており、その最後には次のような評言が付け加えられている。

昔モ今モ夫ニヲクルヽ人多レドモ、サマナドカウルハ世ノ常ノ事也。忽ニ身ヲ投ルマデノ事ハタメシ少クゾ覚ル。見ル人モ聞人モ涙ヲ流サズト云事ナシ。サレバ、「忠臣不仕二君、貞女不嫁両夫」ト云ヘリ。誠ナルカナ。(延慶本下286)

昔モ今モ夫ニ後レテ様ナトカユルハ尋常ノ習也。忽ニ身ヲ投ル事ハタメシ少クソ有ラン昔天竺ノ金地國ノ后ハ王ノ遺ヲ惜テ王ト一所ニ生レントテ。葬火ノ中ニ飛入テ亡ニケリ。今日本ノ通盛ノ北方ハ三位ノ別ヲ悲テ。海ニ沈テ消ニケリ。火ニ飛入。水ニ入志。トリドリニコソ哀ナレ(『源平盛衰記』5-436)

昔より男にをくるゝたぐひおほしといへども、さまをかふるは常のならひ、身をなぐるまでは有がたきためし也。忠臣は二君につかへず、貞女は二夫にまみえずとも、かやうの事をや申べき。(覚一本下188)

この小宰相の身投げについても、「貞女」という賛辞が見えることに注意したい。

軍記物語において、女性をめぐる話の多くは、上に見てきたような、夫や子の後を追って自殺する女性の話で占められている。例外的に『平家物語』では話の内容に比較的ヴァリエーションがあるが、少なくとも鎌倉時代までに成立した他の軍記物語では、そのような傾向が強く認められる。そして、上の『陸奥話記』の安倍則任の妻、『保元物語』の為義の北の方、『平治物語』の夜叉御前、『平家物語』の小宰相のように、自ら死を選んだ女性――とりわけ川や海へ「身投げ」をした女性は、稀有な存在であるとして特記され注14、「烈女」、「貞女」といった儒教的な見地からの肯定的評価を与えられるのである注15

6.おわりに

以上、『平治物語』および『平家物語』における「女の身」という表現をとりあげて、その使われ方が『源氏物語』をはじめとする前代の作り物語とどのように違っているかを検討してきた。作り物語では、女性登場人物を中心に、宿世意識に根ざす「身」という語が多用されているが、軍記物語では、女性登場人物が「女の身」という言葉を用いて自己の境遇を一般化して述べるようになっている。また、『平治物語』および『平家物語』では、「女の身ばかり……はなし」という文言がよく用いられ、女性のネガティブな属性を強調するはたらきをしていること、「女の身なれども」などの逆接表現が自殺願望と自死に結びつく特殊な文脈で用いられていることが明らかになった。この自殺願望と自死は、鎌倉時代までに古態本が成立した軍記物語においては、女性をめぐる話の一大テーマとなっており、夫の後を追って投身自殺をした女性が「貞女」とされ儒教的見地からの評価を受けている例が見られた。

また、同じ軍記物語の中でも、古態本から流布本に至るいくつかの伝本を比較すると、時代の進行につれて、「女の身」という表現の使われ方が変化しているように見える。たとえば、「女の身ばかり……はなし」という形式の文言の頭に「高きもいやしきも」という表現が付く例は、『平治物語』と『平家物語』に見る限り、古態本には見出せなかった。そうした身分を相対化するような表現は、後代になってから付け加えられて、特に「いやしき」女性享受者の共感を集め軍記物語の普及を促していた可能性がある。同じく身分を相対化するはたらきを持つ言葉として、軍記物語には「一業所感」という表現も見られるが、その用法についての分析は今後の課題としたい。

軍記物語の本の成立時期による変化のもう一つの例として、古態本では「女の身なれども」という表現が女性の特異な有り様の説明に使われているが、後に成立した諸本では、女性登場人物の意思表示を導くものとしても用いられるようになっていることが挙げられる。ただし、そのことから、時代の進行によって、「女の身」というジェンダー規制から解き放たれて自らの思いを自由に表現し行動に移す女性が描かれるようになったと見ることはできない。むしろ、――これも『平治物語』と『平家物語』に見る限りにおいてではあるが――「女の身なれども」という表現に続く意思表示が自死へのそれに限定されていること、そうした自死に儒教的見地からの評価が加えられていることから、「女の身」への古来のジェンダー規制に逆らいつつも、自らの死を以てさらに新たなジェンダー規範としての期待される女性像を体現する女性の姿が描かれ、顕彰されていると見ておきたい。

作り物語と軍記物語の比較にせよ、軍記物語の中での諸本の比較にせよ、本稿で考察の対象とした作品、伝本の数は限られている。『平治物語』と『平家物語』の伝本の数を増やすとともに、中世の作り物語や『義経記』、『曾我物語』、『太平記』その他の軍記物語に考察の範囲を拡げて本稿での考察結果を検証する必要があるが、別稿に譲ることとしたい。

 注

    1. 松尾(2006)に指摘されているように、軍記物語の中の女性説話は『保元物語』では一話のみであり、『平治物語』になると数が増え、『平家物語』でピークを成している。本文に戻る
    2. 軍記物語の諸本の比較を通じて女性観の歴史的変化を明らかにしようとした論考として、『義経記』を対象とした西村(2006)がある。松尾(2003)も『平家物語』の諸本を比較しているが、時代による変化というよりはむしろ伝本の系列による視点の違いという観点から女性観が論じられている。本文に戻る
    3. 陽明本・学習院本の取り合わせ本(古態本)は新日本古典文学大系『保元物語 平治物語 承久記』(岩波書店、日下力校注)による。金刀比羅本および古活字本(流布本)は日本古典文学大系『保元物語 平治物語』(岩波書店、永積安明・島田勇雄校注)による。本文に戻る
    4. 延慶本は北原保雄・小川栄一編『延慶本平家物語 本文編上・下』(勉誠社)による。『源平盛衰記』は影印本『源平盛衰記 慶長古活字版(全六冊)』(勉誠社)による。覚一本は新日本古典文学大系『平家物語』(岩波書店、梶原正昭・山下宏明校注)による。本文に戻る
    5. 引用文の出典に付した「上」「下」および数字は、巻および引用ページを示す。本文に戻る
    6. 引用は新編日本古典文学全集『源氏物語』(全6巻、小学館)による。本文に戻る
    7. 日本古典文学大系本の頭注によれば、〔あはれ〕は金刀本にはなく、他本によって補ったものである。本文に戻る
    8. 横笛の話は『源平盛衰記』にも覚一本にも見えるが、「女の身」についての文言は見当たらない。『源平盛衰記』では「憂身ノ程モアラハレテ今ハ人ヲ恨ムニ及ハス」(5-530)とあり、覚一本では「横笛、なさけなう、うらめしけれども、力なう涙をおさへて帰りけり」(下227)とある。『源平盛衰記』に「憂身」という表現が見えるのは延慶本の叙述との関連を窺わせるが、「女の身」についての一般論ではなくなっている。本文に戻る
    9. ただし、藤壺や紫の上の人生回顧において、身分は高いが悩みの多い我が身という趣旨のことは言われている。『源氏物語』薄雲巻(2-435)、同若菜下巻(4-203)参照。本文に戻る
    10. これに関して、金刀本『平治物語』に、「たかきもいやしきも女はひとつ身なり」(283)という文言があることも思い合わせられる。義朝没後、三人の幼子を連れて都から逃げ出した常葉をかくまう女性の言葉である。本文に戻る
    11. 新編日本古典文学全集『将門記 陸奥話記 保元物語 平治物語』(小学館)p.176。本文に戻る
    12. 新日本古典文学大系『保元物語 平治物語 承久記』(岩波書店)p.116、p.142。本文に戻る
    13. 日本古典文学大系『保元物語 平治物語』(岩波書店)p.161。本文に戻る
    14. 久松(1989)も、為義の北の方、夜叉御前、小宰相をめぐる三つの入水譚に話柄の類型性を見出している。本文に戻る
    15. なお、西村(2006)は『義経記』について、儒教的な「貞女」の観点から女性登場人物を評価もしくは批判して描く傾向が古活字本・製版本での改訂を経て強まっていることを指摘しており、注目される。本文に戻る
  1.  

参考文献

    • 佐藤勢紀子(1995)『宿世の思想―源氏物語の女性たち―』ぺりかん社.
    • ----------(2006)「『源氏物語』における自己認識の性差―「思ひ知る」の用法を中心に―」『日本語とジェンダー』6, 1-10.
    • 西村知子(2006)「『義経記』における女性像の変容」武久堅監修『中世軍記の展望台』和泉書院,329-341.
    • 久松宏二(1989)「軍記物語における女性哀話とその周辺―〈六条堀川〉という視点から―」『文学・語学』120, 64-75.
    • 藤田加代(1980)『「にほふ」と「かをる」―源氏物語における人物造型の手法とその表現―』風間書房.
    • 松尾葦江(2003)「女性説話による平家物語の考察―平家物語と太平記の間―」『湘南文学』16,
      36-41.
    • --------(2006)「あはれ、高きもいやしきも―軍記物語に読む女性像―」『国文学解釈と鑑賞』71(12), 89-97.

(佐藤勢紀子 さとうせきこ 東北大学高等教育開発推進センター教授)
(Onyshchenko, Vyacheslav オニスチェンコ ヴャチェスラヴ 同上、外国人特別研究員)

目次に戻る

Copyright © 2001 The Society for Gender Studies in Japanese
All Rights Reserved.