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学会誌12号-第12回年次大会シンポジウム発表(佐々木)

【シンポジウム:日本文学の中のジェンダー観 発表要旨】

武者小路実篤『世間知らず』『友情』に見るジェンダー観

佐々木瑞枝

1.はじめに

武者小路実篤(1885-1976)をここで取り上げるのは、1910年『白樺』を創刊、個の拡充、主体的な生の創造を大胆に打ち出す感想・評論を執筆した実篤がその後1912年に発表した『世間知らず』の中で語られる「C子」が、正に彼の思想の裏づけであると解釈するからである。

C子は武者小路実篤の初婚の相手である。その後、離婚再婚を繰り返した実篤は1920年に『友情』を発表するが、ここで主人公を通して語られる『女』は「美しいこと」が要求され、それは「外面的な美麗さ」と「精神的なよさ」(佐々木2009)を追求し、「添えもの」としてではなく「一人の精神を持った人間」として成長する女性を見つめようとする彼の創造上の試みと解される。本論では『世間知らず』『友情』を中心とする小説中の文章を引用することで、武者小路実篤のジェンダー観を辿ってみたい。

2.『世間知らず』で語られるC子

『世間知らず』(1912年(大正1))の主人公C子のモデルは、武者小路実篤の初婚の相手、竹尾房子である。作者は晩年の回想の中で本作に触れ、「この小説に価値があるとすれば、大半は房子の手紙の書き方が面白いからという事になるかも知れない」と語っている。

武者小路実篤が初めて房子に出会ったときの印象、そして好きになっていく過程は以下のように書かれている。

(1) C子からの手紙―「あなたの家に行きたい」「私は月の精」「好きになってくれるとうれしい」
「人間並と人に見くびられるのはいやですから、私はね、お月様のお申子で、お月様の精だとおもっています。女は大きらい、丸い女は一ばんきらい、くろい女もいや、長い女もいや、みじかい女もいや」
「私は利口なのに、子供の時はお利口だお利口だって云われどおしました。こんどはばかだばかだってうちの者までいいます。にくらしいわね。
ごめん下さい。どうぞ私を好きになってくださる方ならうれしゅうございますが」
(2) 武者小路(作者)―「不愉快な女にきまっている」「美しい女かも知れない、そうあってほしいと思っていた」
(3) 男性(作者)―C子を想像する。「顔色のわるい痩せたヒステリーのような女」
(4) その後、C子からの手紙は続く。
 たいていの男は私を専有にしたがります、そして世に矜ろうとします。私はよくそれを知っています、そして私はだれの手にも帰ることを好みません。
 そして私は世を呪っています。
 そして私は子供を呪います、気味がわるいんです。ほんとに赤んぼはいやです、そして子供から大人になりかけの眼をみると胸がわるくなります。いや、ああいやになった。
 お友達になりましょう。
(5) 男性(作者)からC子に宛てた手紙「自分は貴女より美しい女や、ノーブルな女を知っている」
(6) C子から謝る手紙が来る
 私はほんとはちっとばかかもしれません。
 優しくされますとすぐ甘えたくなりますから、かんにんしてくださいまし。
(7) 男性がC子に会い、がっかりする
 「もっと美しかったら、本当に女王のように気高かったら、自分はC子と一緒にいることを誇ることが出来たらと思った」
(8) 二人は出会いを重ね、絶好したり、再び会ったりと、だんだん愛し合うようになる。
(9) 作者からC子への手紙―C子を人間として認める
 僕は君をすてはしない、決して。君さえ僕にたよってくれれば、僕を知ってくれ、僕にたよってくれれば。僕にどこまでもいい子になれば。本当に君は可愛い、よく僕を知ってくれ、僕にたよってくれる。何と云っても僕は今時に珍しいいい人間だ。純な人間だ。
君もいい人間だ、段々君のいい人間なのがわかる」
 

大正デモクラシーという時代背景を考えたとしても、C子の行動から、有名な作者に手紙を送りつけ、対面を果たすという大胆さを持ち合わせた女性であることがうかがえる。しかし、武者小路の女性観はここではあくまでも「世間一般常識」の域を出ていない。「美しい女」が最高であり、「顔色が悪い」「痩せている」「ヒステリー」は女性として最も男性に望まれないタイプとして描かれている。

(5)の「ノーブルな女」は作者の出生が背景にある。作者の父は子爵であり、また彼自身、学習院初等科から中等科・高校へと進み東大というエリートの道を特に努力もなしに進んでいる。「ノーブル」という表現の中には「生まれ」や「知性・学歴」から生じる「品の良さ」が込められていると見て良い。

(6)では、C子が「世間並みの倫理観の持ち主」と思い、「会ってやろう」くらいの気持ちでの出会いがある。(7)でC子が美しくないことが「(友人や家族に)誇ることができない」と言わせている。その言葉の背景に「所詮女は、装飾品であり、美しいものを持っていることが「誇れる」ことである」という本音が表れている。

それではなぜ、著者はC子、房子に惹かれていくのか。(9)で女性は装飾品と思っていた男性(武者小路自身)が、初めて「女性を同格」に扱い、相手を自分と同様「今時に珍しい純粋な存在であり、人間性豊かな存在」として認める。

武者小路実篤は雑誌『白樺』創刊で、自由主義の空気を背景に、理想主義・人道主義・個人主義的な作品を制作した。『白樺』創刊(1910年)の2年後の1912年に出会った房子(C子)を、装飾品としてではなく、人間的に肯定している点で、この著者のC子に対する態度の変容は彼の当時の思想を裏付けていると言えないだろうか。

3.『友情』の中で語られる「女」

武者小路実篤は、房子と離婚、その後再婚、1918年(大正7年)には、『新しき村の生活』に理想境建設の計画を公表、宮崎県(のち埼玉県に移る)に土地を入手して「新しき村」の運動を実現させた。その点では単なる夢想家としての理想主義者ではなく、「夢を実現させる」現実性も持ち合わせていると言える。1926年、一身上の都合で離村しているが、『友情』は、「新しき村」の理想郷の中で執筆され、1920年に発表されている。青春時代における友情と恋愛との相克が描かれ、時代を超えて読みつがれる武者小路文学の代表作と言われている。

脚本家野島と、新進作家の大宮は、厚い友情で結ばれている。野島は大宮のいとこの友人の杉子を熱愛し、大宮に助力を願うが、大宮に心惹かれる杉子は野島の愛を拒否し、パリに去った大宮に愛の手紙を送る。野島は失恋の苦しみに耐え、仕事の上で大宮と決闘しようと誓う(新潮文庫「あとがき」より抜粋)

以下に、小説の中で語られる「女」(杉子)に着目して一般化して語られる、小説『友情』に沿って抜き出していくこととしたい。

    1.  「頭の悪くない女」杉子の形容(野島)ー ただ兄と話すのを聞いて、快活な、思ったことは何でも平気で言う頭の悪くない女だと思った。
    2. 「女は妻」としての価値のみ(野島)ー 彼(野島 23歳)は女の人を見ると、結婚のことをすぐ思わないではいられない人間だった。結婚したくない女、結婚できない女、これは彼にとっては問題にする気になれない女だった。~女は彼にとって、妻としてより他、値のないものだった。
    3. 「日本の女」(野島)ー ともかく彼は日本の女の内に、殊に自分に近い処に、杉子のような女のいることを賛美し、感謝したい気になった。そして「日本の女」の悪口を言うものがあると、彼は腹のうちにあざ笑った。「君たちはまだ本当の日本の女を見たことがないからだ。見ればもうそんなことは言えなくなる」
    4. 「無邪気な女」(大宮)ー「今、そんな話をしたら第一当人が驚くだろう。まだ無邪気な女だからね」彼はそれを聞いて、大宮には杉子のことは何も言ってやらないと決心した。「まだ16になるかならない無邪気な女に、もう心を燃やしているのだからね。たまらないよ」
    5. 「女を物品のように思う」ー 随分虫のいい手紙さ、自分のことばかり考えていて、相手の意思をまるで見ていないのだからね。女を物品かなんぞのように思って、自分が欲しいという強さだけをたてにして要求してくるのだからね」
    6. 「女…神のようなもの」ー みんな自分のうちに、夢中になる性質を持っているのだ。相手はその幻影をぶち壊さないだけの資格を持っていればいいのだ。恋は画家で、相手は画布だ。恋するものの天才の如何が画布の上に現れるのだ。ダンテにとってビアトリチェはただの女ではなかったろう、神のようなもの」
    7. 「彼女はゴロゴロしている・・学問をした片手間でよい」ー しかし、恋の相手にぶつかるくらいは、学問をした片手間でたくさんだ。また、毎日の仕事をした余暇でたくさんだ。
    8. 「美しい女」ー あの女の美しさはそう他の奴にはわからないさ。・・・しかしね、あの女の美がわかるのは僕だけじゃないのだ。方々から結婚の申し込みがあるらしいのだ。
    9. 「無垢な女」ー 皆、ムキになって日とつぃの無垢の処女を狙っていると思うと恐ろしい気がするね。・・・自分がその一人だと思うとなおいやになる。
    10. 女は女王蜂 ー 女王蜂が飛べるだけ高く飛ぶ、それを無数の雄蜂が追いかける。・・・最も人間としてまさった男を彼女が選んでくれればいい。
    11. 愛らしい女ー彼はそれを理想的に解釈した。すなおで、親切で利口で、快活で、不正なことを気がつかないフリをして正しくする術を心得ている。彼はそう思った。どこに、こんなに無垢な、美しい、清い、思いやりのある愛らしい女がいるか。
    12. 過ぎ行く美、魔力 ー 彼女は何処から来た。何のために来た。彼女の存在を空というか。空にしては余りに清い。すぎゆく美か、それにしてはあまりに貴い。魔力か、魔力か、それにしてはあまりに強すぎる。
    13. 「女のために・・・・」ー「しかし、女のためにピンポンなど習うようになったのは堕落だね」野島は言い訳のように言った。
    14. 女王のように輝いて見える女 ー 杉子はやっぱり仲間のうちの女王のように彼には輝いて見え、・・・彼を見ると快活に少しも恥ずかしがらずに挨拶した。彼は女王に挨拶されたように光栄に感じた。
    15. 豊かな感じのする女 ー 杉子は豊かな感じのする女だったが、武子は少しやせた、感情家で、・・・妾の子に似合わず、武子は我侭な勝気な、その癖情にもろいところがあった。
    16. 女のような気のしない女 ー 野島は初めて武子を見たとき、杉子とは比べ物にならない、女のような気のしない女と思った。
    17. 天使のような女 ー どうしても、彼女を失うわけにはいかない。こんな天使がどこにいるだろう。
    18. 男を頼る女 ー 彼は杉子と一軒やを持つことを考えた。杉子は自分ひとりに頼り、自分ひとりに媚び、自分ひとりのために笑顔をし、化粧をし、自分の原稿を整理し、自分のために料理を作り・・・・。
    19. 人のいい女 ー 杉子よ、俺の病気のときは、どうか笑わないでくれ、頼む。お前は親切は人のいい女じゃないか」
    20.  一個の独立した人間(杉子) ー 大宮さま、私を一個の独立した人間、女として見てください。野島さまのことは忘れてください。私は私です。
    21. あなたの脇にいる(杉子) ー 私は女です。私はあなたのお役に立つことより他に望みはないのです。私はあなたの脇にいて、あなたを通じて世界のために働きたい。人生のために働きたい。私のこの願いをどうか、友情という石で、たたきつぶさないでください。
    22. 親友の恋している女(大宮) ー しかし、僕は親友の恋している女を横取りにはできません。それは友を売ることです。
    23. 虚栄心の強い女 ー 私はここでもう一つ白状いたします。それは私はあなたのお家の前を通った時、お家の立派なのに驚いたことです。しかし私を虚栄心の強い女と思わないで下さい。
    24. 女に媚びるもの ー あなたの義侠心と男らしさと、女に媚びるものに対する怒りと、其処に私をひそかにいたわって下さったおこころづかいとを、私はちゃんと感じておりました。
    25. あなたのもの ー あなたのものになって初めて私は私になるのです。あなたを失ったら、もう私は私ではありません。それはあまりに可哀想な私です。私はただあなたの脇にいて、お仕事を助け、あなたの子供を産むために(こんな言葉を書くことをお許しください)ばかりこの世に生きている女です。 そしてそのことを私はどんな女権拡張者の前にも恥じません。
4.おわりに

日本近代文学の中で大正時代は「明治と昭和」の狭間のわずか14年間である。しかし、明治時代が西洋文明の模倣であったとするなら、大正時代は西洋文化の精神を自分たちの思想に反映させようとする「白樺派」などの試みが、作品を通して熟成されていく時代と見てよいのではないだろうか。

ジェンダーという視点から見ると、作品の中で語られる言葉は「性別役割分業」そのものであり、女性は「男性を助ける存在」でしかないように表現されている。しかし、『世間知らず』『友情』の二つの作品に特徴的なことは、主人公の女性たちが「手紙」という媒体を通して自らの考えを展開している点だと考える。作者は当時のジェンダー観を濃厚に反映させながらも、女性たちの考えを真摯に聞く男性を登場させることで、ジェンダーフリーの方向性を求めていると見ることができる。

成長する女性を「パートナー」として認め、自分と相手との差異を認めた上で相手を尊重しようとするコミュニケーション手段が手紙であったことは、大正時代に「現実の会話」として小説の中にそのような場面を展開させることが難しかったことが類推できる。

武者小路実篤が生きた大正という時代の女性観を、彼の二つの小説の中の「女」から読み解くことで「ジェンダーという呪縛」からほんの少しだけ逃れようとする「兆し」を、汲み取ることができるのではないだろうか。

参考文献
・江種満子(1995)『男性作家を読む』新曜社
・大津山国夫(1974) 『武者小路実篤論―「新しき村」まで』東京大学出版会
・倉澤行洋(1995) 『東洋と西洋』東方出版
・佐々木瑞枝(2009) 『日本語ジェンダー辞典』東京堂
・星座の会編(1993) 『愛の書簡集』共同文化社
・本多 秋五(1954) 『「白樺」派の文学』講談社

(佐々木瑞枝 ささきみずえ 武蔵野大学教授)

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