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学会誌12号-第12回年次大会シンポジウム 発表要旨(斎藤)

【シンポジウム:日本文学の中のジェンダー観】

「女装文体」と近代前期の女性作家:樋口一葉の場合

斎藤理香

はじめに

 近代日本文学史において、「女性作家」「女流作家」の区分は、林芙美子(1903-1951)、宮本百合子(1899-1951)等、女性の売れっ子作家が多数現れた1920年代に一般化されたとされ、その意味で樋口一葉(1872-1896)は「女性作家」のパイオニアとは言い難い節がある。が、今回のパネル発表では、自著(Saito 2010)を参照し、女性の書き手を「女性作家」という枠に押し込めることにも深く関わってきた「女装文体」という概念を用い、一葉をいわば「女装した」作家として、その意味と文学世界とをとりあげてみたい。

「女装文体」とは

女性が「女装」する、という発想は、「女らしさ」とされる、例えば従順さ、かよわさ、おとなしさなどの特徴が、女性に本来備わっているのではなく、むしろ女性が社会からの期待・要請に従って教育され訓練されることで身につけるものである、という考え方から導き出される。つまり、女性が「女装」するのは、社会のジェンダー化の「強制」によるものだという考え方である。

このような「女装」の捉え方は、例えば、関礼子 (1997)が描く、樋口一葉の作家修行の過程の中に見出される。一葉は、新聞小説を書いていた半井桃水(1860-1926)に散文の書き方について教えを乞うが、桃水は一葉に、一般に女性の書き手による女性の登場人物の言葉づかいは女らしさに欠けていると指摘する。その苦言に従った一葉は、登場人物の言葉が女らしく響くように書くことに腐心する。関は、そんな一葉の書く文体を、男性の視点からみて女性の書き手にふさわしい、女性らしいとされる書き方、「女装文体」として論じている。「女装文体」は、女の書き手による、女にふさわしい、とされる文体ゆえ、例えば、その書き手が女性の登場人物を個性的に描く自由を制限するような文体でもあるわけである。

「女装文体」を超える、女性の自我を表す文体の創造

筆者(2010)は、関の言う「女装文体」を、歌舞伎の女形が創造するような理想的な女性性(femininity)を表し、女性も男性も用いることが可能な文体でありながら、女性が書く場合には、女性性を強要し、書き手を縛るものでもあるということ、それにもかかわらず、一葉が女性の書き手であることと女装文体とを自ら引き受け、戦略的に(strategically)自分の文学世界を築き上げていったこと、を論じた。その例として、一葉の初期の作品「闇桜」(1892)と、彼女の唯一の口語体作品「この子」(1896)をとりあげた。

「闇桜」において、一葉は、雅俗折衷体における雅文体(和文体)の力を借り、作品全体に「女らしい」優美な響きを持たせつつも、主人公である16歳の女学生に「女学生言葉」を使わせ、一見かよわい、恋煩いで死にゆく少女が、自我を持ち、自分で人生を選択する強さを持っていることを仄めかしている。

「この子」では、官吏の妻の敬語を多用した口語の独白体の中に、従順な良妻賢母の心持ちを表していると思わせながらも、実は、当時の読者が抱えていたであろう、家制度の中の妻として母としてしか自己実現が図れないという苦悩を表すメッセージを入れ込んでいる。これらのことは明示化されずとも、feministの読みを通じて、「女装文体」を超えて一葉が創造した女性の自我の文体として捉えられるのである。

参考文献

・ 関礼子「語る女たちの時代:一葉と明治女性表現」新曜社、1997.
・Saito, Rika. “Writing in Female Drag:Gendered Literature and a Woman’s Voice.”Japanese Language and Literature. No. 2, Vol. 44 (Fall 2010):149-177.

(斎藤理香 さいとうりか Associate Professor,  Western Michigan University)
 

 

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