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学会誌12号-第12回年次大会 基調講演要旨(羽田)

能のストーリーに秘められたジェンダー性

羽田 昶

 能の演目は、一般的に、初番目物(神能)・二番目物(修羅物)・三番目物(髷物)・四番目物(雑物)・ 五番目物(鬼畜物)という五番立て分類のどれかに属する。このうち、今回のテーマ、ジェンダー性に関わるのは三番目物(鬘物)と四番目物(雑物)である。

具体的に言うと、女性をシテ(主役)とする演目が、現行曲246曲の内、55曲あり、それは三番目物と四番目物に集中している。

三番目物には①本鬘物(実在架空を問わず美女の幽霊をシテとし、もっとも幽玄の理念が結晶している本格的な鬘物)、
②現在鬘物(幽霊でなく現在身の美女がヒロイン)、そして③老女物の三種類があり、作品の名を挙げると、
①は「井筒」「采女」「江口」「落葉」「源氏供養」「誓願寺」「定家」「東北」「野宮」「半蔀」「二人靜」
「仏原」「松風」「身延」「夕顔」「楊貴妃」、②は「大原御幸」「祇王」「住吉詣」「千手」「草紙洗」「熊野」「吉野靜」、
③は「関寺小町」「姨捨」「檜垣」「鸚鵡小町」「卒都婆小町」である。四番目物にも女性をシテとするものが三種類あり、
④狂女物に「飛鳥川」「柏崎」「賀茂物狂」「桜川」「隅田川」「蝉丸」「鳥追舟」「花筐」「班女」「雲雀山」「百万」
「富士太鼓」「三井寺」「水無月祓」「籠太鼓」、⑤執心物として「浮舟」「梅枝」「砧」「玉葛」「三山」「水無瀬」「求塚」、
⑥鬼女物に「葵上」「鉄輪」「黒塚」「道成寺」「山姥」、以上55曲である。

他にも、女神・天女・女菩薩・精・女武者などをシテとする演目が25曲あるが、性差に関わりがない演目と言えるので、今回のテーマの対象ではない。

狂言にも触れておきたい。

狂言の演目は、大名狂言・太郎冠者狂言……などと登場人物の役柄によって分類するのが一般的で、その中に女狂言という一群の作品がある。

狂言の現行曲263の内の31曲である。細分すると①夫婦物、②妻定め物、③老尼物の三種類に分かれる。

①が最大多数で「石神」「因幡堂」「今神明」「右近左近」「鏡男」「金岡」「鎌腹」「川上」「河原太郎」「栗隈神明」「太鼓負」
「千切木」「児流鏑馬」「吃り」「鈍太郎」「塗師」「花子」「髭櫓」「引括」「法師ケ母」「箕被」「水掛聟」「貰聟」「連歌十徳」の24曲。
②は「伊文字」「岩橋」「釣針」「二九十八」「吹取」の5曲。③は「庵の梅」「比丘貞」の2曲である。

上記の中から、次の3曲を選び、女性像の描かれ方を検証、比較する。

①夢幻能、幽玄能「井筒」。在原寺の廃墟を訪れたワキ僧の前に現れた美しい里の女が前シテで、 在原業平と紀有常の娘との筒井筒の物語を語る。幼なじみの愛が結実して結ばれるが、業平は高安に住む別の女に心を移した時期があった。
有常の娘は心を制し穏やかに過ごし、業平の愛は妻のもとに戻る。女は、自分が有常の娘であると明かして姿を消す。 僧の仮寝の夢の中に、再び業平の形見の衣裳をまとった有常の娘の霊が現れる。これが後シテで、恋慕の舞を舞い、
恋の思い出の井筒をのぞきこみ、夜明けとともに消え失せる。『伊勢物語』の挿話に基づき世阿弥が独特の脚色を施した能。
女の男に対する恋慕の情を美化し、愛の永遠性を謳いあげている。このヒロインは詞章にも「人待つ女」と謳われている。

②現在能、物狂能「柏崎」。夫の死と子息花若の遁世に遭遇した女は、悲嘆にくれて故郷を狂い出ながらも、わが子の無事を神仏に祈る。
一方、花若は信濃善光寺の住僧と師弟の契約を交わしている。亡夫の形見をまとい善光寺で舞を舞う女は、 生き別れたわが子と再会を果たすことが出来る。この女が柏崎から善光寺に来て、寺の内陣に入ろうとして「女人禁制」
であると僧に咎められる場面がある。これに対し女は「極楽浄土は外にあるのではない。ただ我が心から生まれるものだ。
この善光寺の如来堂こそは極楽の九品浄土の台であるのに、女人の参るまじきとは、一体全体それが如来のお言葉か。
たとえ人々が何と言おうとも、念仏の声こそ浄土への道しるべだ」と僧をやりこめ、内陣に進入し、本尊を礼拝し、弥陀の浄土を渇仰して舞を舞う。
「井筒」の「人待つ女」に対して「柏崎」のシテは「あらがう女」ということが出来る。

③女狂言、夫婦物「鎌腹」。夫の太郎が怠けて山へ芝刈りに行かないので、妻は怒って、打ち殺してやると棒を振り上げて追い回す。
仲裁人が入って、太郎に鎌を持たせ、山へ行けと勧める。一人残った太郎は、女に恥をかかされては生きていられないと思い、
鎌で腹を切ろうとさまざまに試みるが、結局は死にきれない。男の虚勢と、断ち切れぬ生への執着を見事に戯画化した作品で、
山場は太郎という夫の一人舞台だが、男を叱咤し追いつめる、しっかり者の妻の造型が鮮やかである。
いわゆる女大学ふうのマナーや価値観が定着する近世とは異なり、中世の女は、はっきりと自己を主張し、しばしば男を凌駕する。
狂言にはこの種の女性像が多く登場し、夫の立場から「わわしい女」と称される。「わわしい」は「やかましい。騒がしい。うるさい」の意。
実は、口やかましくしっかり者の妻に夫が支えられているというケースは、いつの世にもありがちのことで、狂言はその辺りの、 建前ならぬ本音の事情を描ききっていると言える。
 

(羽田昶 はたひさし 武蔵野大学客員教授能楽資料センター研究員)


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