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学会誌11号-第11回年次大会基調講演(山田)

【基調講演要旨】

ことばと法―ジェンダー・バイアスからの解放

山田卓生

1. はじめに
「ことば、ジェンダー、法」と並べると三題噺になりそうであるが、あまりいい落ちは考えられない。 2つの関係であればよく論じられる。法とことばは、法がことばを媒介とする社会統制技法であり、法ということば的技術の問題といってもよい。 次に、ことばとジェンダーはこの学会の基本的テーマであり、差別的ことば、男性優位語、敬語、女ことばの問題が論じられている。 最後に、法とジェンダーは、2003年に「ジェンダー法学会」ができて、法における差別的扱い、或いは、ジェンダー差別の問題の正当性、 是正策が論じられている。以下では、ことばと法におけるジェンダー差別を克服できるかを中心に考えてゆきたい。
 
2.ことばと法のGender-bias
1) ことばにおけるジェンダー差別を考える
 
差別といえば、当然克服されるべきものということになるが、ことばにおける性的な差異であれば、ことばにおける性差別といってもよい。 この学会でも毎回議論されていると思うが、ことばの世界にはきわめて女性差別的なものがある。 勿論すべてが女性差別というわけではなく、男性を差別することばもなくはないが、その深刻さから言えば、女性差別を扱えば足りる。
 
ただ、男女で表現が異なるだけですぐに差別というわけではない。例えばドイツ語では、先生Lehrerであれ裁判官Richterであれ、 女性を指す場合には必ず最後にinをつけるが、これは差別とは異なる。差別的意図によるというよりも便宜のためのものであろう。
 
日本語には、男ことば・女ことばがあり、実に巧みに使い分けられている。代名詞「三人称単数」はどの言語でも性別がある。 自分を指すことば「一人称」は日本語ではきわめて厳格に「俺・わたし」である。女子中高生などが、時に「俺・お前」を使っていることがあるが、 これは全くアクセプタブルなものではない。敬語においては、男女差が際立つものが少なくない。
 
これらは、ほとんどが意識的なものというよりも、まさに習俗・慣行として通用している。差別的意図は余りないように思われる。
 
2) 法における女性差別
 
法における差別は、最近極めて注目されるようになってきた。最も激しい差別は女性排除であり、女性は法律家(法曹)にはなれなかったことである。 これは日本に限らず、多かれ少なかれどこの国にも存在していた。その帰結として法学部は長く男子学生のみとされていた。
 
次に男女で全く異なる法的な扱いがなされてきた。相続権は男子に限るとして、親権者にも女性を排除する。婚姻をすれば女性は必ず夫の姓を名乗るとする法も、 1976年までドイツで行われていた。日本では夫婦は同一の姓ということでどちらかが改姓することになるが、 事実上は95%以上結婚(届け)に当たって女性が改姓している。これはおかしいということは、もはや議論の余地のないくらい自明とされている。 しかし法改正の動きがあるものの、もう20年近く停滞している。たびたび訪日しているアメリカの女性法律家Fransis OlsenはGender of Law 『法の性別』という本で、法はまさに男性であると規定している。
 
性別だけではなく、人の属性によって法が異なるというのは珍しくない(属人法)。人種(黒人)、宗教(ユダヤ教・イスラム教)によって、 権利能力、職業資格、結婚資格までが差別されていたのはそれ程遠い昔ではない。
 
法の差別は殆どが露骨な差別的考え方によるもので、社会・家族についての固定的役割から来ている。 家族自身が差別的なものという考え方もある(Susan Okin)。女性を保護するためであり不利益に扱うのとは違うという論理が使われたことがあるが、 今日ではもはや通用しない。そして今日徐々にではあるが、性、人種、宗教による差別が打ち破られている。
3 差別の態様と根拠
法の差別をどう見るか。賃金格差、男女バランスにしろ、現実の反映だから差別ではないという議論もある。たしかに機会均等の結果として生じてくる結果 (法曹、医師、兵士における男性優位)は、社会を写すものとも見られた。しかしこれまでの差別構造が背後にある以上、 これを是正することはできるし、equal footingではなく、時には、優遇する(下駄をはかせる)ことも是認されるのではないか(affirmative action)。
 
かつては法を扱う職業(lawyer)から、女性が排除されていた。しかし、女性が参加することによって裁判も変わってくるはずであり、 50-50(parity)でよいのかどうかは別として、今後の成果を見守るべきであろう。はじめから意味がないとか、いずれにしろ変わりないというのではなく、 J. S. Millの言うように平等なチャンスを与えるべきである。
4. どこへ―到達目標 「解放」
ことばの差別も、法の差別もなくすべきか。ことばのジェンダー差別は、差異、違いではあっても差別とはいえないものもある。 したがって、ことばの差別はなくさなくてよいのか。明らかになくすべき差異もある以上、差別的なことばは、やはりなくすべきものであろう。
 
これに対して法における差別は、生殖をめぐるもの(母体保護)以外は是認できるものはなく、なくすべきものであろう。 
 
参考文献
  • Thorne, Kramarae, & Henley (eds.) (1983) Language, Gender and Society.  Newbury House Publishers. *
  • Susan M. Okin (1991) Justice, Gender, and the Family,Basic Books.
  • 辻村みよ子 (2010)『ジェンダーと法』第2版、信山社.
    * 注)Thorne & Henley (eds.) (1983)は、Psychology, English, Sociology, Linguistics などの専門家からの寄稿を集めた論文集で、きわめて興味深いbibliographyがついている。
 
(山田 卓生 やまだたくお 横浜国立大学名誉教授)