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学会誌10号-DVD紹介

【日本語ジェンダー学会制作DVD紹介】

DVD「紫式部日記を読み解く」に描かれた紫式部の心情

佐藤 勢紀子

『紫式部日記』は、紫式部が、藤原道長の娘である中宮彰子の出産前後の記録を軸に、折々の心情を綴った作品である。記事は寛弘5年(1008)7月から同7年(1010)正月までの約1年半にわたっている。2008年が源氏物語千年紀にあたるということで源氏ブームが起こったことは記憶に新しいが、これは『源氏物語』が読まれていたことを示す最初の記録が『紫式部日記』寛弘5年11月1日条に見えていることによる。

日本語ジェンダー学会制作のDVD「源氏物語「紫式部日記を読み解く」」は、源氏物語千年紀に際して、『源氏物語』作者紫式部が書き遺した日記の内容を広く国内外に紹介するという意図のもとに企画され、2009年6月に完成、刊行された。日記の主要部分(原文および現代語訳)の朗読、解説(英語字幕付き)、そしてイラスト、写真等の豊富な映像を通じて、当時の貴族の暮らしぶりを伝えるとともに、日記に託された紫式部の心情に迫ろうとするものである。

『紫式部日記』は様々な謎をはらむ作品であるが、中でも長年のあいだ研究者の議論を喚び起こしてきた二つの大きな問題がある。その一つは本文(テクスト)の問題であり、もう一つは日記の内容上の問題である。

本文の問題とは、この日記の後半に、「……侍り」(……でございます)を多用した手紙文のようなスタイルの部分が存在することで、その部分については、古くから、錯簡であるとする説と作者の意図的な操作によるものであるとする説が行われてきた。DVDの終わりの方で紹介されている、清少納言や和泉式部への痛烈な批判を含む人物評は、この書簡体の部分に見えるものである。

もう一つの問題は、日記の記述の端々に見られる紫式部自身の心情描写に関するものである。一例をあげれば、皇子誕生後の寛弘5年10月中旬の記事に、一条天皇の行幸に備えて美しくみがきたてられた土御門邸の有様を讃嘆しつつ、「ただ思ひかけたりし心のひくかたのみ強くて、もの憂く、思はずに、嘆かしきことのまさるぞ、いと苦しき」とある。この苦しいまでの憂悶を引き起こしている「思ひかけたりし心」とはどのような心情なのか。主家の慶事を寿ぐ一方で、式部はいったい、何をそれほどに思い悩んでいるのか。

DVDでは、上記の二つの問題のうち、本文の問題には触れていないが、内容上の問題――紫式部の憂悶の正体については、一つの解釈を提示している。

たとえば、日記の初めに近い部分に見える歌に注目したい。道長が寄こしたおみなえしの花にことよせて、式部は「をみなへしさかりの色を見るからに露の分きける身こそ知らるれ」という歌を詠む。この歌については、老いに向かう自分の容貌の衰えを嘆いているとする解釈もあるが、むしろ、DVDの読みのように、道長一家の繁栄ぶりにひきかえ、我が身が不遇であることを憂え嘆く歌であると見た方がよい。道長と紫式部は本来同じ藤原北家の出身で遠縁に当たり、式部の父方の曾祖父兼輔は中納言まで昇進している。それが、今では、道長が左大臣という最高権力者の地位を得ているのに対し、式部の父為時はその才幹にもかかわらず諸国を転任する受領の分際に甘んじており、式部自身も宮仕えを余儀なくされている。この懸隔はどこから来たのだろうか。――誇り高い式部は、道長の栄華を目の当たりにするにつけ、自らの境涯を嘆かざるをえなかったことであろう。

また、これもDVDでとりあげられているところだが、道長が中務宮(なかつかさのみや)すなわち具平(ともひら)親王(村上天皇皇子)の姫を長男頼通の妻にと考えて、式部にその橋渡しを頼む場面がある。道長の依頼を受けた式部は、「心のうちに、思ひゐたること多かり」と、悶々としている。そして、そのすぐ後に続くのが、先に述べた「思ひかけたりし心」についての叙述であり、また、「水鳥を水の上とやよそに見むわれも浮きたる世を過ごしつつ」という、よく知られた絶唱なのである。

式部の憂悶をもたらしている「思ひかけたりし心」とは、具平親王への特別な思いに根ざすものだったのではないか。紫式部が少女時代に具平親王のもとで宮仕えをしていたという説があるが、それは事実である可能性が高い。「式部」という呼び名は、父為時が式部丞(しきぶのじょう)であった頃、すなわち彼女が中宮彰子のもとに出仕する遥か以前の少女の頃に既に宮仕えの経験があったことを裏付けるものであり、その出仕先は縁戚関係があり父が親しく出入りしていた具平親王家であるという見方が有力である。

具平親王は式部より10歳ほど年長で、極めて才能豊かな人物であったと伝えられている。抜群の想像力の持ち主である式部がその具平親王の寵を得て上流貴族の仲間入りをする夢を思い描いたとしても決して不思議ではない。「思ひかけたりし心」とは、そうした式部の少女時代の見果てぬ夢を指しているのではないだろうか。日記のところどころに示される憂愁の思いは、その夢がついに叶わなかった嘆きから来ていると思われる。式部が具平親王との仲介を求める道長の要請をきっかけに憂悶の淵に沈んでいるのは、そうした事情によるものであろう。

『紫式部日記』は、道長家の慶事を祝し、中宮彰子を賞讃する叙述に満ちているが、紫式部が本当に語りたかったのは、そのめでたさ、輝かしさとの対比によってなおさら際立つ自身の境涯のみじめさではなかっただろうか。さらに興味を引くのは、DVDの中にも出てくる、天皇の御輿をかついで階段を上る駕輿丁(かよちょう)の苦しげな様子に「何のことごとなる」(自分たちと何の違いがあろうか)と共感を寄せる場面である。おそらくこの日記の最大の見どころは、そうした紫式部の、もはや個人の嘆きのレベルを超えた人間共通の悩み苦しみへの言及であり、そこに『紫式部日記』の文学作品としての普遍的な価値を見出すことができる。DVDを鑑賞することで、平安貴族の培った高度で洗練された文化に触れるとともに、行間に滲み出る日記作者の思いにも注目していただければと思う。

参考文献

・佐藤勢紀子 (2005)「紫式部の願望―「思ひかけたりし心」の真意―」『東北大学大学院国際文化研究科論集』第13号,pp.120-132.

DVD 源氏物語「紫式部日記を読み解く」

企画・制作 日本語ジェンダー学会
協賛・助成 東芝国際交流財団
解説 佐々木瑞枝
原文朗読 井尻史子
監修 佐藤勢紀子
イラスト 田中奈々緒
英文翻訳 John Millen
音楽 olfram Alber
シナリオ制作・編集 Tokyo未来教育研究所
撮影 スタジオ玄

(佐藤勢紀子 さとうせきこ 東北大学高等教育開発推進センター教授)

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